Trouble mystery tour Epi.2 (4) byY
今までで一番遅い朝。プロムナードカフェのテーブルで、俺は半ば宙を見ながら、この上なく乗らない気持ちで煙草に火を点けた。
ブルマが3杯目のコーヒーを取りに席を立ったから。俺もそろそろ本格的に起き抜けの眠気を追い出さなくちゃな。そう思ったからだ。昨日とほとんど同じ理由だ。
昨夜も眠るの遅かった。本当に遅かった。ブルマはすっかりルーレットに白熱していた。俺もつられて白熱した。だって、ブルマのやつ、よくわからない賭け方するんだ。5目賭けなんかするなら、4目か6目にすればいいのに。おまけに数字も一定してない。まあ、ひたすらそこで待てば当たるというものでもないが、それにしたって思考が読めん。いつもはそれこそが天才の証だと思うところだが、昨夜は外れまくってたからな。
それでも雰囲気だけは充分に堪能した。負けが込む前に手を引かせることもできた。だから、夜遊びが過ぎたことには、何の不満もなかった。じゃあなぜ気が乗らないのかというと…頭が働かないんだよ。変な時間に寝て変な時間に起きたからさ。こういう不規則な生活って普段ほとんどしないからさ…
「あ。あたしにも一本ちょうだい」
そんなわけで、やがて戻ってきたブルマがそう言った時、俺は黙って煙草を差し出した。本当はあまり吸わせたくないんだ。でも、今はそれを言うのも面倒くさい…
「あれー?ブルマさんも煙草吸うんですかぁ?」
二人揃って無言で煙草を吸うという、非常にだるい雰囲気にテーブルが包まれかけた時、双子が隣のテーブルに現れた。それにブルマが次のように答えたので、俺の頭は少し起きた。
「今だけよ。ちょっと眠気覚ましにね。昨夜遅かったもんだから」
おまえ…………
俺がそれ言ったら怒ったくせに。自分は言うのか。ああ、そうですか…
「あはっ、そうですよね!あたしたちもなんかだるくってー!」
「昨夜すごかったですもんねー!」
「まったくね〜」
元気だなあ…
とてもだるいとは思えない表情で笑う二人の女の子と、彼女たちに対するものとしてはこれまでで一番柔らかい態度で相槌を打つブルマとを、俺は一歩引いた視線で見ていた。薄々気づいてはいたが、今日は俺の方が寝起きが悪いらしい。なんとも不覚なことだ。
「お二人は今日下船するんですかぁ?」
「ええ。ショッピングエリアに行くわ。あんたたちは?」
「あたしたちは『ルートビア動物園』に行きまーす」
「知ってますかぁ?あそこのパンダって逆立ちするんですよぉ」
初耳だ…………
何もかも初耳だ。今日下船するということも。ショッピングに行くということも。まあ、客寄せパンダについてはどうでもいいが。なるほど、ルートビアか。
ここで一本目の煙草が尽きた。それで俺はすかさず2本目を取り出した。『ルートビアでショッピング』。これは気合いを入れねばならん。都ほどではないが、あそこはかなり大きな街だからな。
「出港までにちゃんと帰って来るのよ。じゃないと、他の人に迷惑がかかるからね」
「はぁーい!」
なるほど、一時下船か…
こうして俺は無言のままに情報収集をし、無言のままに自らの気構えを作り上げた。
…あーあ、起きた起きた。


とはいえその感覚は、事実ではなく願望であったらしい。
「何よあんた。調子悪いの?」
カフェを出た時にブルマがそう言ったので、それがわかった。深い不覚を感じながら、俺はそれに答えた。
「いや別に。…でもそうだな、ちょっと外走ってくるかな」
「外?」
「デッキのジョギングトラックだよ」
プールで一泳ぎでもいいんだけどな。でも、10km単位で泳いだら、きっと驚かれるだろうしなあ。とにかく体を動かしたい。煙草で目を覚ますのは、どうも性に合わん。
そういえば、もう3日もトレーニングしてないな。早朝トレーニングならできるはずなんだけどな。…朝、遅いからな。
そんなことを考えながら俺はデッキに行き、なんとなく船尾へと向かった。トラックを走る気は、トラックを見た瞬間に失せた。たいした運動になるとも思えん。かといって、ぶち壊す岩なんかも当然ない。あるのはただ海だけ…
ぼんやりとデッキの手摺りに寄りかかりながら、ぼんやりとした気の塊を作った。人の目はあまり気にしなかった。きっとまた夢だと思うんじゃないかな。そんなぼんやりとした気分で、気弾を遠くへ放った。遠く遠く、船の後ろへ。特に何の仕掛けもしなかったので、それは至極単純に海の中へと消えていった。…やった気、全然しないな。やっぱり煙草吸うか……
ぼんやりと海を見ながら、ポケットへと手をやった。その時だった。
「ああ!?」
いきなり海面の形が変わった。不自然なほどに大きな波が、それまで何もなかった海面に現れた。あきらかにこちらへ向かってやってくる。俺は瞬時にさっきと同量の気の塊を作り出し、今度はかなり気を遣ってそれを放った。念の為繰気弾も作って、相殺された後に残る小さな波を散らした。放った気にというよりは、それを操る俺の手振りに周りの人間が数人反応したが、それは気にしないことにした。そんな場合じゃなかったからだ。
ふー、危なかった。まさか津波が起こるとは。いや、当然予想すべきことだった。まだかなり頭起きてないな。危ない危ない。
…でも、ちょっとやった気するな。

こうして、テンションは上がらぬまでも体は起きた。そして、俺はそれでよしとすることにした。
テンションが上がらないのはあれだ。きっと、カジノで遊んだ後だからだ。あそこは完全に異世界だった。この、なんてことのない日常の朝(もうほとんど昼だが)が気だるく思えてもしかたがない。…次に行った時はあまりのめり込まないようにしようっと。
そんな気分で俺は部屋へと戻り、惰性で誰もいないリビングへと向かって声をかけた。
「ただいま〜」
そして、次の瞬間ベッドルームから出てきたブルマに、度肝を抜かれた。
「わっ!!ちょっとブルマ、それ…」
「あんたね!これはこないだあんたとデートした時に買ったやつでしょ!!」
間髪置かず、そう返事が返ってきた。すでにブルマは怒っていた。俺が何をも言う前に、眉を吊り上げていた。俺は一瞬呆気に取られたが、すぐにその危機を回避した。
「…あ。いや、違う違う!服は覚えてるよ、うん服は!そうじゃなくて、その…………顔…」
最後まで言い切れなかったのは、途中から迷いが生じたからだ。…これは言っていいのだろうか。いや、でもこれを無視することは非常に困難だ。まるで妖怪のようなその白面。それとも特殊メイクの下地かな。…ひょっとして、俺は見てはいけないものを見てしまったのだろうか。
「ああ、これね。パックよ、パック。ちょっと肌荒れ気味だったから」
「パックって。…怖過ぎだぞ…」
「大げさね。前にもしたことあるでしょ」
「ないない、一度もない!」
「あらそうだっけ?」
ブルマの声は徐々に和らいでいったが、俺は態度を変えることができなかった。だって、迫力あり過ぎだ。すごいな、女って。肌のためにここまでするのか。っていうか、こんなことしてたのか。やっぱり俺は見てはいけないものを見てしまった…
今や俺は別の意味で呆気に取られていた。するとブルマがこんなことを言い出した。
「で?服は?」
「服?」
「この服よ。どう思う?」
俺はさらに呆気に取られて、ブルマの言葉を反芻した。…服…
鮮やかな深緑の、膝上丈のワンピース。見たことあるようなないような…いや、ある。今思い出した。旅行前に買い込んでいた大量の服の中の一枚だ。って、さっきそう言っていたな。
俺は努めて呆気を追い出しながら、改めてブルマの着ている服を見た。うーん、そうだな…似合っている。…と、思うのだが…
少なくとも悪くはない。ブルマらしいシンプルな一枚だ。そう俺は結論づけた。だから、昨日のやり取りをも踏まえて、次のように言ってみた。
「ああ、うん、似合ってるしかわいいよ。ブルマってそういう派手な色似合うし――」
かわいさを求めているらしいことはすでに充分わかっている。そして実際、そう見える。だから、決して嘘をついたわけではない。なのにブルマは、俺の言葉を遮った。
「この前と言ってることが違ぁーーーうっ!」
思いっきり両の拳を握り締めながら。そのあまりの迫力に、俺は思わず一歩を下がった。
「…そ、そうだったか?」
「全ッ然、正反対よ!」
そんなこと言ったってな…
ブルマの言うことを追及しようとは思わなかった。過去の自分を恨む気にもなれなかった。俺はひたすら現在を憂えていた。
とても正しい判断なんかできないって。その仮面外してくれなきゃ…どんな服でもかわいく見えるって…
「ごめんごめん、でもさ…」
これは言ってもいいのだろうか。わからなかったが、とにかく俺はその危機を回避しにかかった。するとブルマがこんなことを言い出した。
「はい、そこまで!…あたし準備の続きするから。あんたも適当に準備しなさいよ。下船は2時から6時までだからね!」
言い出したというか、ものすごく強引に話を切り上げにかかった。またもや呆気に取られながらも、俺はその態度を受け入れた。
なんかよくわかんないけど。わかんないから、ここはもう口を閉じておこう。ともかくも頭は起きた。
そう、起きた。…本当に起きた。


ルートビアへは過去何度か来たことがあった。
ここは街こそでかいが、少し近郊へ出ると途端に田舎になるのだ。そしてその田舎の向こうには、人の住まない平地が広がっている。もうわかっただろう。俺は時々そこで修行をして、そして修行をする度、食料調達のためルートビアに足を踏み入れていた。自給自足では蛋白源しか摂れないからな。
そんなわけで、ここではまったく異国情緒を感じなかった。完全に平常心で、ブルマに付き合った。いつものように腕を取られながら、プロムナードを歩き続けた。南の空気に喉を乾かされたところで、ソフトクリームスタンドに連れていかれた。
「やっぱりここはトロピカルフルーツトッピングかな。ヤムチャ、あんたはどうする?」
「いやー…俺はパスかな」
こういう時に甘いものはちょっとな。やっぱり水かビールだよ。
とはいえ、それは口にするほどのことではなかった。どうせすぐに船へ戻るんだ。俺はただただ意外を感じながら、ソフトクリームを頬張るブルマを見ていた。
どうやらショッピングに熱を入れる気はないらしい。のんびりしたもんだ。旅行気分というよりは、いつものデートの時みたいだ。『映画でも見に行く?』今にもそう言いそうだ。
でも、俺たちはデートをしているわけではなかった。それが、やがてショッピングエリアの端の広場へと出た時ブルマの言った言葉で思い出された。
「ねえ、あたしちょっと母さんのお土産買ってくるから、あんたこの辺で待っててくれない?」
「ああ、ショッピングってそれか。今度は何だ?」
「あんたはそんなこと気にしなくていいの!すぐ戻ってくるから。じゃね!」
なぜか俺の体を数歩後ろへ押し戻して、ブルマは去って行った。…なんだろう。知られたくないことなのかな。さっきの仮面の元でも買いにいくのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は広場の隅へと移動した。そしてドリンクショップを探して、辺りをぐるりと見回した。その時だった。
「おにいさん、お花いりませんか」
おそらくは12、3歳と思われる少女が、バスケット片手に数輪の花を差し出してきた。近くに花屋はなかった。街頭花売り。俺はかなり意外を衝かれて、少女に訊いてみた。
「きみ、いつもここで花売ってるの?」
「ええ。毎日ここにいます。花束、いかがですか。恋人にプレゼント。きっと喜びますよ」
少女はにっこり笑ってそう答えた。…知らなかった。この広場も何度か通ったことがあるはずだが、全然気がつかなかった。
『花束』と少女は言ったが、それは全然豪華なものではなかった。大きく花開いたものが二輪と蕾のみのものが一輪。花は素朴な形ではなかったが、たいして高価とも思えない南国の花だった。
「いくらなのかな?」
「200ゼニーです」
200ゼニー…
それは…どう考えても原価割れしているな。
そんなことを考えながら、俺は財布を取り出した。
「じゃあ1つもらおうかな。…あ、おつりはいらないよ」
「でも500ゼニーもいただいては…じゃあ、2つですね」
「いや、1つで充分だよ」
少女はとりたててみすぼらしい格好をしていたわけではない。感じのいいコットンのエプロンとスカートを身につけていて、いかにも花売りという感じだった。きっと花屋の店先にいたら、何も感じなかったに違いない。
本当に異国情緒っていろいろだ。こんな都市部にもこういう子がいるんだなあ…
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