Trouble mystery tour Epi.2 (7) byY
とはいえ、『待つ』というのは退屈なものだ。約束などをしているのならまた別だが、今のこの待ちは当てなき待ちだ。一人アンニュイにビールを飲んで夜を明かすという手もあるが、もしブルマが出てきたらきっと怒るだろうからな…
俺はソファに横になってはいたが、当然眠くはなかった。それで、羊を数えるが如く、今この状況のいい点を数えてみることにした。
まず一つめ。リビングの壁時計がソファの後ろにあるということ。もちろんその角度のソファを選んだわけだが、これは精神的に非常にいいことだ。どのくらい時間が経ったのかわからなければ、苛立ちも少ない。
次に、今この船のいる場所が南部だということ。陸地ほどではないが、気温はそれなりに高い。先のブルマのように腹を出して海風に当たることでもしなければ、風邪をひく心配はない。
あとは…そうだな。煙草があるということかな。
あっという間にいいところが尽きてしまったので、俺は夕方双子に貰った煙草を取り出した。やっぱり退屈だから。でも暇潰しではない。煙草で暇を潰せるほど、俺はヘビースモーカーではない。なければ吸わない。あってもたいして吸わない。だからこれはただの気分転換だ。
この旅2つ目の異国の煙草は、なかなかに重かった。かわいらしいルートビア動物園のパッケージにそぐわないキツさだ。パンダのくせにな。そう思いながら俺は吸い続けた。正直なところ口には合わなかったが吸い続けた。双子に義理を感じていたからではない。今さら、もう一つの煙草を吸い直す気にはなれなかった。俺は気長に気楽に構えてはいたが、だからといっていつも通りというわけではなかった。
ちょっと淋しいかな。傍にいるのにいないというのは。気配があるのに姿が見えないというのは。武道家のデメリットだな。たぶんまだ起きているということまでわかってしまう。こういう時いつもはたいてい、外で修行なんかをして気を紛らわせているからな。…力づくで話し合いに持ち込むべきなのだろうか。でも、それだとブルマは聞かないような気がするんだよな。だけど……あー、女々しいな。我ながら女々しい……
すでに俺は何もしていなかった。天井を見ていただけの目ですら、いつしか閉じていた。そして数十秒の後にようやく気がついた。自分が煙草を吸っていたということに。目を開けた時には遅かった。
本当に遅かった。俺の視界に入ったのはドアを開けるブルマでもベッドルームから出てくるブルマでもなく、真上から俺を見下ろしているブルマだった。逆さまに目を合わせたまま俺は口を開きかけ、またもや煙草を吸っていたことを思い出し、そうしているうちにブルマがソファに座ろうとしたので、慌てて体を下ろした。もう何を説明する必要もないくらい、武道家失格だ。だが、ソファの端に腰を下ろし直した時に俺の心を占めていたものは、情けなさではなかった。どうしてブルマが出てくる気になったのか、ということでもなかった。
「…それは服か?それともパジャマか?」
はっきり言っておそるおそる、俺はそれを口にした。理由は言わずもがな。さっきこの手のことを言うなと怒られたばかりだ。でも訊かないわけにはいかない。いつもながらの胸元を覗かせて腿の上へと流れる、艶やかで手触りのよさそうな純白の薄い布。ウェストを軽く引き締める数本の細いリボン。ふわふわしてるのに妙に体のラインを感じさせるスカートの形。…敢えて、本当に敢えて例えるならバレリーナの衣装みたいな…………もしこれが服だったなら、俺は…いや、男はみんなものすごく困る。
「パジャマよ。…でも、もう着ないわ」
どことなく不貞腐れたように、ブルマは呟いた。いや、違う。おそらくは『パジャマ』と宣言された安堵感からだろう、俺にはそれがわかった。…拗ねてる。そして、どうしてなのかもわかった。それもさっき言われたばかりだ。『こんな時くらい褒められないの』…
素直だなあ。意固地だけど、すごく素直だ。
ブルマはあからさまに俺から目を逸らしていた。ソファのめいっぱい向こう端に座って、やっぱり向こうを向いて、その上さらに片頬杖をついて、すっかり俺から顔を隠していた。そしてそんなブルマも、さっきまでの怒っていたブルマも、今ではすごくかわいらしく感じられた。
現金だと思うだろうか。でもちゃんと向き合ってさえくれるなら、やきもちも自己顕示欲も強気な姿勢だってかわいいもんだよ。
「…あー、あたしにも一本ちょうだい」
だから、ようやくこっちを向いたと思ったら煙草を弄り出したブルマを、俺は俺にとっては自然な言葉でとめた。
「似合わないからやめとけ」
「何よ今さら。もう何度も吸ったわよ」
「その格好には合わん。せっかくのかわいさが泣くぞ」
この時になって、ブルマはようやく俺と目を合わせた。でもそれもほんの一瞬だけだった。すぐに呆れとも諦めともつかない顔つきとなって、逸らすというよりは目を伏せた。
「嘘ばっかり。あんたって考えてることがすぐ顔に出るんだから。昨日と同じ顔してるわよ。ご丁寧にいちいちあたしのドレスを貶してくれた時とね」
俺は思わず目を丸くした。ブルマの意固地さに呆れたからではなかった。
「お世辞なんかいらないから。機嫌取るならもっとマシな方法考えてね」
ブルマは俺を睨んではいなかった。呆れたような目つきでもなかった。ただただいつもの態度で、偉そうに正面切って言っていた。構えているのではなく、まったくの素で。そしてそれがこの際は、俺を非常に脱力させた。
「何よそのわざとらしいリアクションは。あんた本当に態度悪いわよ!」
心の底から溜息をつき心の底から目を覆った俺を、ブルマはそう評した。だから俺も言ってやった。
「アホかおまえは!機嫌取りでこんな恥ずかしいことが言えるか!!」
そうさ。全然自然にじゃない。すごくがんばって言ったんだぞ。それなのに…!せっかくの台詞を素で流すな!
「アホとは何よ、アホとは!だからあんたは顔に出てるんだっつーの!昨日文句言ってた時とまるっきり同じなの!!」
「だったらそっちの俺を否定しろ!」
弾かれたようにソファから立ち上がったブルマに付き合って、俺もソファを離れた。そして鼻先つき合わせた段になって気がついた。売り言葉に買い言葉。でも、何をやってるんだとまでは思わない。今のはブルマが悪い。
そう思いながらも俺は一歩を引いた。努めて数分前の心理を思い出しながら、事実を一つ告げてみた。
「かわいくないなんて言ってないだろ?」
誤解と曲解。それがブルマの専売特許だ。いつもいつもそれで怒って、俺を追い詰めるんだ。
「言ってなきゃいいってもんじゃないでしょ。いっぱい文句つけてたくせに」
そして俺が引いたらさらに追い詰めるんだ。それを俺は思い出したが、もう遅かった。ブルマはすでに半ば仁王立ちとなっていて、斜め目線で俺を見ていた。そういうことを言わせたいという雰囲気ではまったくなかった。言わば、意固地と素のブレンド。俺は再び心の底から溜息をついた。
空気を読まないやつだな、こいつは。自分の気が乗ってる時はあからさまに求めてくるくせに。そういうの困りものだと思ってたけど、今のこの状況よりは百倍楽だな…
「…あー、ちゃんと説明してやるよ。だからまず座れ」
俺は腹を決めた。とはいえさすがに仁王立ちしている相手にそういうことが言えるほど、神経は太くない。しおらしくしてくれなくてもいい、せめて目線を合わせてもらいたい。おそらくこれはごくごく自然な感覚だと思うのだが、ブルマはそれすらもわかってくれなかった。
「またキスで誤魔化そうとしてるんじゃないでしょうね?」
「そのことは今言うな」
「何よ。自分でしたことでしょ」
「そうだけど。…わざわざ思い出させるな」
どうしてここで水を差すんだろうな、こいつは。空気を読まないとか意固地を超えて、もうすでに苛めの域だ。
俺は苦虫を噛み潰したかったが、そうすることはできなかった。そう、ブルマの言う通り、俺が自分でしたことだからだ。今と同じような状況で。…ブルマのやつ、わざとやってるんじゃないだろうな?
いや、むしろその方がまだマシだな…
黙って隣に座り込むブルマを見て、俺はそう思った。ブルマは今だに眉間に皺を寄せていて、やっぱり雰囲気の欠片もなかった。
「あー、一度しか言わないからな。ちゃんと聞いとけよ」
「ちょっと、言い訳するのになんでそんな偉そうなのよ」
それでも俺は場を進めた。この際、ブルマには何も求めないことに決めた。
まあ、何だ。出来の悪い生徒に指南してやるみたいなもんだ。そうでも思わないとやってられん。
「昨日みたいなドレスはな、雰囲気あり過ぎなんだよ。似合ってないならまだしも、似合ってるから余計にな。おまえはもう大人なんだから、かわいいだけじゃ済まないんだよ」
できるだけ丁寧に言ってやった。誤解と曲解を避けるために。するとブルマはまた溜息をつきたくなるようなことを言った。
「済まなきゃなんなのよ。っていうか、それって結局かわいいの?かわいくないの?」
だから俺はまた溜息をつきながら、それに答えた。
「すごくかわいいよ。だけど色っぽ過ぎるから、外では着ないでほしいんだよ…」
途中でブルマの頭を掻き抱いた。抱きしめたくなったからではない。俺自身が耐えきれなくなったからだ。
あー、恥ずかしい。ここまで言わなきゃわかんなかったことなんて、今までなかったのに。喧嘩、長引かせといてよかった。これをあの時言っていたら、本当の本当に天津飯たちと顔合わせられなかったぞ。こんなこと酒飲み話にもできん…
薄く笑う天津飯の顔を脳裏の隅に追いやって、少し強くブルマを抱き締めた。ブルマは俺を振り解かなかった。…うん、俺がんばった。本当の本当にがんばった。まるでない雰囲気の中、かわいくない顔した相手によく言った…
俺がひとまずの緊張を解くと、ブルマは依然体は動かさずに、でも偉そうに言い放った。
「じゃあね、あんたが女になびくのやめたら、あたしもやめたげる」
「俺がいつなびいたんだよ」
当然、俺は言い返した。引く必要はもうなかった。ブルマはもう怒っていない。誤解だってしてない。じゃなけりゃ、こんなにおとなしく抱かれているものか。
「赤ずきんちゃんから花買ったんでしょ」
でも、ブルマが次にそう言った時、俺は思わず引いてしまった。
「…おまえ、本当に大人か?」
「何よ!あんたがそう言ったんでしょ!」
「そりゃそうだけど。…いや、もうやめよう。おまえもそういう顔ばっかりするな。せっかくかわいい格好してるんだから…」
「ずるいやり方!」
ブルマはまた怒り出したが、俺にはもう説明する気力はなかった。はっきり言って付き合いきれん。赤ずきんちゃんってわかってるなら文句言うな。っていうか、よく言えるな。この前も思ったことだが、よくも子ども相手にそういう感情を出せるものだ。そしてそれを口に出してしまうところが、また大人気ないよな。さらにそれを本人が何とも思っていないところが、どうにも……
そんなわけで、何とも言えない気持ちになりながら、俺は体を離して、怒るブルマを見ていた。そしてさらに何とも言えない気持ちになった。…こういう服、本当にどこで買ってくるんだろう。一見やらしくないだけになおさらわからん。いっそそういうやつなら武天老師様あたりが知ってそうなんだけどな…
最終的に、俺は目を伏せた。するとブルマが俺のシャツの裾を引っ張りながら訊いてきた。
「本当にかわいい?」
だから俺は目線を戻した。組みかけていた腕も解いて、それに答えた。
「ああ」
ちゃんと本当のことを。…いや別に、さっきまでのが嘘だったというわけじゃない。でも、まさに今感じているそのままのことを。
「すごくかわいい」
一体いつ捨てたのか、ブルマの瞳にはもう意固地さはなかった。ただただきれいな青い瞳で、上目遣いに俺を見ていた。少し窺うような表情で、褒め言葉のおねだり。この上なくかわいい自己顕示欲。そう、こういう素を見せてくれれば、俺だって楽に言えるんだ。
初めっからそういう部分を出してくれれば。そう思いながら俺はブルマの髪を梳き、改めてブルマの着ている服を見た。二の腕を隠すふんわりとしたパフスリーブ。いつも以上には露出していない胸元と、太腿の線を決して出さない純白の薄い布。どう見てもかわいらしい形のその服は、でもやっぱり俺をそういう気持ちにさせた。
「だから脱がすぞ」
「エッチ」
はにかんだようにブルマは呟いた。俺はそれを了解の合図と受け取った。キスをしながら、ブルマを苛める方法を考えた。清純そうな服を着ている女を清純じゃなくしてやる方法を考え始めた。
だって、俺はあんなに恥ずかしい思いをしたんだから。もう思いっきり苛めてやる。
そして、幸せにしてやる。
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