Trouble mystery tour (2) byY
ブルマを抱いて飛ぶ時は、風を切らない。ブルマの体が耐えられないし、そうする為の姿勢が取れない。風向きにもできるだけ逆らわない。時には曲線を描きながら、流れるように飛ぶ。
それでも10分かからずに、エアポートには着いた。人目を避けてエアポートの最端に足を着けると、ブルマが元気いっぱいとも言える笑顔を見せた。
「さっすが!まだ30分前よ」
「だから飛んだ方が早いって言ったろ」
別に俺は誇示してみせたわけではない。ただ事実を言ったまでだ。ところが、それに対するブルマの反応は俺の予想を上回った。
「えらいえらい」
言いながら俺の頭を撫でて、あまつさえ頬にキスしてきた。元気いっぱいというより、上機嫌だな。よほど楽しみにしていたと見える。…約束、蹴らなくてよかった。
まったく同じトランクを2つ(女ってお揃いにするの好きだよな。それにしたって、せめて色くらい変えればいいのに。一つは俺のもののはずなのだが、さっぱり見分けがつかん)押していくこと数分、完全に上機嫌の笑顔でブルマが言った。
「時間あるから、お茶しよ!」
特に断る理由は俺にはなかった。しかしさらに数分後、カフェの一角に座を占めた直後に、後悔に似て非なる気持ちが心の中に湧き起こった。
「あーん」
そう言ってブルマが、ストロベリーパフェの一匙を俺に差し向けてきたからだ。自分はてっぺんのイチゴを一つ食べただけで。
「やめろって…」
俺はコーヒーで自分の口を塞いで、同時に視界を瞼で塞いだ。上機嫌なのはいいんだけどさ、あまり周りにまき散らさないでくれないか。エアポートっていうのは街の中とは違って閉鎖空間なんだからさ。ここにいる人は多かれ少なかれ、同じゲートを潜るんだから…
「うん、もう。ノリ悪いんだから」
俺は無言を貫き通した。『ノリが悪い』んじゃなく、恥を知っているだけだ。などと、恥を知らない人間に 言うつもりなど毛頭なかった。とはいえ、訊きたいことはあった。だからブルマがスプーンをその口に入れるのを見計らって、自分の口からカップを離した。
「ところで、一体何日の予定なんだ?この旅行は」
ブルマは俺の顔を見もせずに、さっくりと言葉を零した。
「ん?90日よ。90日世界一周」
「90日!?」
「はい」
俺はまったくその反対にブルマの顔を凝視して、思いっきり大声を上げてしまった。すると途端に口の中にスプーンが押し込まれた。こうして俺はあらゆる意味で、二の句を封じられることとなった。
「…それ、昔の物語じゃないのか?」
甘さとくどさをどうにかして飲み込むと、後にはただ呆然だけが残った。
「それは80日。どっちにしても違うわよ。言わなかったっけ?」
「俺が聞いたのは博士にチケットを貰ったということだけだぞ」
「あら、そうだっけ?」
「そうだっけっておまえなあ…」
「何よ?」
俺は口を噤んだ。でもそれは、ブルマが声を尖らせたからではなかった。自覚していたからだ。俺は騙されたわけじゃない。そもそもOKした覚えもないのに来たんだからな。情けない…というのとは少し違うな。とにかく不覚だ。うっかり常識的に物事を考えてしまった俺の不覚なんだ。
てっきり4、5日のことだと思ってたんだよなあ。長くてもせいぜい一週間か10日くらい。普通はそんなもんだろ?…でも、確かに兆候はあった。兆候というか事実の一端が見えてはいた。そりゃあ、服を買い込みもするよなあ…
読み間違えた。というより、軽く見過ぎた。そう思った時、ブルマが言った。
「あんた、軽いわね〜」
「放っとけ」
まったく、おまえはエスパーか。
俺はすっかりやさぐれた。それでも、ブルマの前に留まり続けた。ブルマが怖いからではない。わかっていたからだ。ここで帰るのはどうしたってルール違反だ。
「ま、そういう姿勢の方が旅行は楽しめるわよ、きっと。はい、あーん」
さらに、フォローになってるのかどうかわからない言葉と共に向けられた一匙にも、抵抗しなかった。もう無理矢理突っ込まれるのはごめんだ。そしてついには、半ば自主的に口を開けさせられることとなった。ブルマがこんなことを言ったからだ。
「あんただって、90日くらいあたしを放っといたりしてるじゃない。その逆だと思えばいいのよ。はい、もう一口。あーん」
俺は今では返す言葉も失って、ただただ現実を噛み締めた。
あー、甘い。
それなのに、苦い…


それでも飛行機に搭乗する頃には、俺の気分は治まっていた。正確に言うと、治めていた。そうするべきだろうと思った。
だって、遅刻したのにブルマはほとんど怒らなかったんだからな。俺が話の半分どころかまるっきり何も(いつもとは違った意味で)聞いてなかったのに、それにも全然怒らなかった。それどころか、今だに上機嫌だ。
正直なところ、90日は惜しいけど。そう、旅行がどうというより、時間が惜しい。90日あったらきっと、技の一つくらいは編み出せるぞ。…新たに編み出すのは無理かな。でも、繰気弾をパワーアップさせることぐらいはできる。…少し足りないかもな。かめはめ波をでかくすることなら絶対に…でもあれ、最近あまり使わないんだよなあ。じゃあ真狼牙風風拳を…
…ま、いいか。
シートに腰を下ろし未練も出尽くしたところで、俺は完全に現実を受け入れた。初めて見るどころか聞いてすらいなかった現実を。
「これは貸し切りか?異常に人が少ないが」
「定員5組だから。みんなペアみたいね」
「一体どういう旅行なんだ?」
「簡単に言えばお金持ちを対象とした会員制のパッケージツアーよ。お金と時間の余ってる人を口コミで集めたの」
「老夫婦3組はわかるけど、あの女の子たちは?どう見ても高校生くらいだぞ」
「だから、お金持ちの娘でしょ。卒業旅行とかそういうのよ、きっと」
「90日も旅行で学校休むのか…」
「お金持ちの感覚なんてそんなもんよ」
…また、自分のこと棚に上げてやがる。
自分だってそのお金持ちの一員のくせに。90日も、何の説明もなく俺のこと拘束するくせに。
その突っ込みは、いつものように心の中にしまっておいた。今では楽しそうというよりは幸せそうに、ブルマが俺に寄りかかってきていたからだ。せっかく機嫌がいいのに、わざわざケンカを売りつけることもない。それに、悪い気はしないし。
「ね、ワイン飲も、ワイン。それともシャンパンの方がいい?」
俺の腕を取りながら、まるっきり邪気のないことを言う、邪気のなさそうな笑顔。こういうブルマを見ていると、『どうとでも好きにして構わない』とまでは思わないが(思わないというより、思うと危険だ。何を言い出されるかわからない)、『にっちもさっちもいかなくなるのでなければ好きにして構わない』くらいには思う。そして実際、俺はそれに近いことを言った。
「どっちでもいいよ」
「んー、じゃあ最初はシャンパンね。あ、すみませーん。『サムシングブルー』あるかしら」
手元のグラスにコバルトブルーのシャンパン。窓の外には青い空。その間に、にこにこと俺を見る青い瞳。すっかりその色に染められて、俺は思った。
…肩くらい抱いてやりたいな。
我ながら、流されているような気はする。でも、それでいいと思う。だって、どうせ後戻りはできないんだからな。
「じゃ、乾杯ね」
まあそれも、この一杯を飲んでから。そう思いながら、ブルマとグラスを合わせた。ほとんど同時に、今さらのように素朴な疑問が湧いてきた。…このシャンパンはどうして青いんだろう。なんとなく口をつけずにそのままグラスを見ていると、さりげなくそのアナウンスが流れた。
「機長より乗客のみなさまに申し上げます。当機はただ今ハイジャックに遭いました。どうか落ち着いて座席に座ったままで待機してください」
それを聞いても、俺は何もしなかった。すでに落ち着いて座席に座っていたからだ。ただ反射的に、ブルマの様子を確認した。ブルマの顔にすら、狼狽や恐怖の色はなかった。これでよもや俺がうろたえるわけもない。
「冗談…だと思うか?」
「まさか。こんな冗談、懲戒解雇処分ものよ」
眉を寄せてブルマは言ったが、やっぱりさしたる緊張感は漂っていなかった。授業中にこっそり内緒話をしている程度のものでしかなかった(最も俺はブルマのそういう姿を見たことはないが。ハイスクールではクラスが別だったからな)。そしてそれは、他の人間についても言えた。後ろにいる女の子2人連れも、斜め後ろにいる夫婦3組も、俺たちの前に見える1人のアテンダントも、後ろにいる残り2人のアテンダントも、総じてたいして興奮してはいないようだった。気持ちはわかる。一見誰も危険に晒されていないように見えるからな。だから俺は、もう黙って目を閉じた。
よくしたことに飛行機はワンフロア。3次元的に考える必要はない。おまけに視界の中に乗客とアテンダントが全員揃っている。後には操縦室にパイロットが2人いるだけだ。これほど相手の人数と位置が計りやすい状況もない。さらに、犯人の1人は操縦室に入り込んで機長を脅していることまでわかっている。
まったく、遊びにもならない事件だな。
俺は露ほども構えることなく、今この飛行機の中にある気の数を数えた。そして数え終わった段になって、初めて少し緊張した。おかしいな。そう思っているうちに、前にいたアテンダントがさらに前へと歩き始めた。操縦室の機長のところへ確認しに行くに違いない。そうと思っても、俺はそれを止めなかった。操縦室には2人のパイロット以外には誰もいないとわかっていたからだ。そして、俺はそこまでしか考えなかった。
誰もいないのに、なぜパイロットがハイジャックを宣言したのか。そのことに気がついたのは、アテンダントが戻ってきた時だ。
あくまでプロ根性を発揮して、騒ぐことなく両手を上げて歩いてくるアテンダント。そしてその真後ろにファイティングナイフを持った男。さらにその見えない後ろ――操縦室――に感じられる『一つ』の気。
依然として変わらぬ気の総数。それにも関わらず推移する現実。
やれやれ。…俺はまだまだ甘いな。
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