Trouble mystery tour (3) byY
フライトアテンダントにファイティングナイフを突きつけているその男は、俺の知っている或いはイメージしているどのパイロットの服装とも違っていた。おそらく手の内を把握されることを怖れて着替えたんだろう。だが俺には、今や完全にわかっていた。
いるはずのない人間がやっぱりいないわけ。操縦室内の気が2つから1つに減り、一方で犯人が現れた。脅されているはずの操縦士は、あくまで操縦室で一人。もし何らかの方法で気を消しているのだとしても、すでに操縦士を人質に取っているなら、アテンダントに手を出す必要はない。どうしたってここはもう素直に、犯人はパイロット2人だと断定するべき状況だ。
「客は全員、最後部席に移れ。アテンダントはこっちに来い」
そしてさらに男が声を聞かせてくれたので、機長と副操縦士それぞれの担っている役割までわかった。とはいえ声明のようなものは、副操縦士は口にしなかった。金持ち相手の身代金強奪か、はたまたテロか。動機はいろいろ考えられるが、いろいろ考えられるだけに、俺は考えるのをやめた。というより、そんなことはどうでもいい。被害者がわざわざ察してやることもない。交渉するつもりなどさらさらないから、なおさらだ。
そしてその、犯人に対する姿勢は、他の人間も同じようであるらしかった。俺たちよりも最後部席に近かったせいもあるだろうが、他の乗客たちはさっさと犯人の要望に応えてしまった。理由も何も一言も訊かないのには、正直言って驚いた。老夫婦3組はともかく、あの女の子たちは絶対に騒ぎ立てるだろうと思ったのに。あのくらいの年頃の女の子というものは、たいてい衝動的とも言える甲高い声を上げて、向こう見ずにも何やかやと文句をつける……それはブルマか。年齢は関係なくブルマだな。
さてそのブルマはというと、どことなく考えるような素振りで犯人を見ていた。でも本気で考え込んでいるようには見えなかったし、ましてや犯人を睨みつけてなどはいなかった。どうしてなのかはわかってる。これはブルマの領分ではないからだ。そう、わかってる。これは俺の領分だ。
犯人の持っている武器はファイティングナイフ。他にも隠し持っているかもしれないが、出させなければ問題はない。出させても、それが銃でなければ問題はない。銃であっても、撃たれても、どこにも当てさせなければ問題はない。目だな。目を凝らすこと…いや、凝らさずとも弾は見える。ただ注意することだ。うっかり見失わないようにな。
よし。
ある意味では非常にやりやすい状況だ。残る2人のアテンダントに、何かしそうな気配はない。無駄に血気早い男どころか、能力的に男といえる人間そのものがここにはいない。これなら、まったく邪魔をされずにやれそうだ。そう思いながら、俺は席を立った。すぐにブルマもそうしたので、誰が聞いても不自然ではないだろう台詞で、俺はブルマを促した。
「ブルマ、先に行け」
俺はちっとも戦意を見せてはいなかった。もとより、そんなものは必要ない。それにも関わらず、ブルマは目を大きく瞬いて、こう言った。
「えっ、まさかあんたもうやるの!?相手の人数もわからないのに…」
少しばかり大き過ぎる声で。…すっかり読まれてしまっているな。情けないような嬉しいような、微妙な気持ちに俺はなったが、頭を掻くのは心の中でだけにしておいた。
「もうわかってる」
大丈夫、ちゃんとやるさ。
「おい、おまえら、何やってる!さっさとしろ!」
俺たちの内緒話に、犯人が反応した。この時には俺はすでに、期待に応えるというよりは、宿題を片付けるような気分になっていた。それもそのはず、 領分とはいえ、本来は遊びにもならないレベルだ。もう少し機転が利けば、この状況をすら防げたかもしれないのに。まあそれは、どちらかといえばブルマの領分かな。とにかくこんなことも片付けられないのでは、顔向けできん。
そんなことを考えながら俺は地を走り、注意する必要のないままに腰を切った。途端にブルマの声が客室に響いた。
「やった!」
とりあえずは顔向けできた。爽快そうなブルマの笑顔を見てから、今度は地を蹴り、次のターゲットへと向かった。操縦席でおそらくはほくそ笑んでいるであろう、もう一つの宿題。おそらくはこっちが主犯だろう。なんとなくだが、そんな気がする。戦う者の勘だ。根拠はそれだけだが、もう決めた。
「はっ!」
力を入れる為というよりは、自分に気合いを入れる為、ことさら声を出して操縦室のドアを叩いた。壊れたドアから一歩を踏み込む前に、ステップを使って姿を消した。片付けられないほどではないが、少々対処が面倒くさそうな手が相手にあることに、気づいていたからだ。『それ以上近づくとこの飛行機を…』というやつだ。隙を見てやっつければいいだけなのだが、あまり心楽しい展開ではないからな。
操縦席に座る機長の腿の上には、副操縦士が持っていたものと同じファイティングナイフがあった。思った通り、他に人間はいなかった。その2点を確認してから、まずは両腕を捻じり上げた。操縦席から離したところで、顎に拳を叩き込んだ。声らしい声を発することなく、機長という名の犯人は床に崩れ落ちた。よしよし。何事も起こらずに済んだな。
張ってはいなかったが一応は保っていた緊張感を、機長の体と共に操縦室の片隅に投げ捨てた。最後に念を入れて、もう一度気を数えてみた。少し離れたところに12個。13個目は、確認すると同時に視界に入ってきた。
「よ!」
どことなくおずおずと、というより明らかに尻込みしながらドアの陰から顔を覗かせていたブルマは、俺が声をかけると途端にいつもの態度になった。
「何が『よ!』よ。こんな派手なやり方して。ドアくらい、普通に開けなさいよ」
例によって仁王立ちで、腰に手を当てて偉そうに胸を張っていた。俺も似たようなポーズを取っていたのだが、絶対にブルマの方が偉そうに見えたと思う。あまつさえ、犯人をやっつけた俺に対してこの台詞。さっきはあんなに嬉しそうな顔をしていたくせに。
一見矛盾しているようにも思えるブルマの態度は、だが俺にとってはわりあい自然に受け止められるものだった。不本意ではあったが、意外ではなかった。こいつ、わざとこういう憎まれ口を叩くことがあるからな。まあ、趣味の悪い冗談みたいなものだ。
「そんな余裕なかったんだよ」
だから俺もごく自然に、もはやお約束とも言える反論をしてみた。するとブルマはさっくりと俺の言葉を切り捨てた。
「何言ってんの。余裕ありまくりのくせに」
「バレたか」
それで俺もさっくりと、その言葉を認めた。もとより、勝つつもりなどない。それに、顔向けしてもいいことも証明された。
最も、実際に顔向けしていた時間は、そう長くはなかった。すぐにブルマが俺の背中に両腕を回してきたからだ。はっきり言って、何の脈絡もなく。何を思い立ったのかいきなり。一転してしおらしい雰囲気で、胸元に顔をうずめてきた。
ひょっとして、怖かったのかな?…とは、思わなかった。さっきの爽快な笑顔は、強がっているものでは絶対になかった。さらになんとなくだが、俺にはブルマの心理がわかった。
…また浸ってるな。
今日はなんだかずっとそんな感じなんだから。こいつ、イベント好きだからな。この旅行もきっとそのノリなんだろう。それに今のこの状況――ハイジャック犯をやっつけた男とその恋人。いかにも好きそうなシチュエーションじゃないか。ちょっとタイミングがズレてるぞ、そう突っ込んでやりたい気はするがな。
それでももちろん悪い気はしなかったので、俺はブルマの頭を撫でてやった。キスまでしてやるべきなのかな。次にそう考えたが、答えを出す暇はなかった。
顔向けできないほどではないがちょっと照れくさいこの状態を、目撃されていることに気づいたからだ。ここに来た時のブルマと似たり寄ったりの態度で、アテンダントが2人、ドアの陰からこちらを窺っていた。正確に言うと、俺と床に倒れている機長の様子を、ほぼ交互に窺っていた。俺はことさら笑顔を作り片手を振ってみせてから、説明と事態を同時に進めることに決めた。
「あのさ、悪いんだけどそろそろ操縦頼むよ」
「えっ、操縦?なんで?」
ブルマの声は、まるっきり頓狂に聞こえた。2人のアテンダントは、食い入るように俺たちを見ていた。俺は心持ち声を落して、事件の概要を告げた。
「パイロット2人が犯人だった。先にやっつけたやつは副操縦士だ。副操縦士は、たぶん肋骨が折れてる。機長の方は両腕を折っといたから」
副操縦士のことについては、アテンダントはわかっていたのだと思う。きっと最初からわかっていたに違いない。副操縦士は身なりは変えていたが、顔は隠してなかったからな。 だが、機長の方の事実については、そうではないようだった。現実についてこられないというのが本当のところなのかもしれないが、とにかくひどく驚いた顔をして、床に倒れている機長を見ていた。一方ブルマが言及してきたのは、そのどちらでもなかった。
「どうしてそこまでするのよ!!」
「その方がいいと思って。おまえならできるだろ。できなければオートパイロットでいいだろうし」
「簡単に言わないで。旅客機っていうのは普通の飛行機とはシステムが違うの!オートパイロットの設定だってわからないわよ!」
しおらしさが居丈高に取って代わられた。背中に回っていた手は、今では限りなく俺の胸倉を掴み上げていた。
「どうしてあんたはいつもそう軽く考えちゃうのよ!もうーーー」
この時、ひどく懐かしいことを、俺は思い出した。ブルマと一緒にハイスクールに通っていた頃、時々浴びせられた台詞。『どうしてこんな単純なこともわからないのよ』――そう、宿題だ。
俺にはわかっていた。自分の出番は終わった。どう考えたって、ここからはブルマの領分だ。そして、ブルマにもたぶんわかっていた。
「あの、聞くけど、アテンダントっていうのは、操縦…いえ、オートパイロットの各種設定は知ってる?」
早くもアテンダントへ向かって、実際的な質問を繰り出した。そして、質問しているといってもそれは形だけのことで、口調にはたいして答えを期待している様子が感じられなかった。
「申し訳ありません。わたしたちは乗客の皆様への対応が仕事なので」
「じゃあ、無線交信の周波数とかは…」
アテンダントの素気ない返事にも、文句をつけなかった。続く質問には、明らかに諦めが篭っていた。
「そのようなことは一切、知らされておりません」
アテンダントがすべての質問を先取りした返事を寄こすと、ブルマは一瞬完全に動きを止めた。そして次に両手で頭を抱え込んで、わざとらしくよろめき始めた。まったく、オーバーアクションなんだから…
気が強いんだか弱いんだか、わからんな。…いや、弱くはないけどな。脆いわけは当然ないし。不意打ちに弱いとも思えないんだけどなあ…
俺は少しだけ考え込んでみたが、不安や落胆なんてものは一切湧いてこなかった。もう、今の台詞である程度知識があることはわかった。ブリーフ博士といい、この父娘は本当にキャパシティが大きいよ。
だが、アテンダントはそうは考えられないようだった。そして何より、本人が不安がっているように見えた。だから俺は、ことさらに笑顔を作って言ってやった。
「大丈夫、ブルマならできるって。今のところはちゃんと飛んでるし。要は着陸させるだけだろ」
「簡単に言わないでったら!」
ブルマは途端に大声で叫び立てた。もう頭に手をやってはいなかった。そればかりか俺を睨みつけてもいた。うん、元気元気。
きっと能力的には問題ない。後は気分を落ち着かせてやれるかどうか――
要するに、俺の役割はいつもと同じ、宥め役だ。
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