Trouble mystery tour Epi.3 (4) byY
口が滑ったということに、これほど後になってから気がついたのは初めてだ。
つまり、ドレスショップから出るなりブルマがショッピングの終了を宣言したので、俺はようやくそのことに気がついたのだった。
「本当にいいのか?金まだいっぱいあるぞ」
「いいの。どうせ何着てたって同じだもん。そんな風に見えるんでしょうからね!」
「あ…あれはついその……いや、雰囲気があるって意味で――」
厳密に言えば違うのかもしれない。うっかり本音を漏らしてしまうというのはままあることだが、さっきは意識して本当のことを言ったのだ。だって、本人が気づいていないようだったから。
「一体どういう雰囲気よ。エッチ!」
だから、ブルマがそう叫んだ時、俺は何も言わなかった。いや、言えなかった。そのものズバリだったからだ。俺がじゃなくて、ブルマがだが。
ブルマは全然そういう仕種はしないし、いかにもないやらしさはちっともないが、どう考えたってそっち系なんだよ。単体で見てるとそうでもないが、ランチさんあたりと並べてみるとはっきりする。昔から武天老師様にもさんざん絡まれていたというのに、どうして気づかないんだろう。
ひょっとして、気づかない振りをしていたのだろうか。でも、別に悪いことではないと思うのだが。本人がちゃんと意識して自重すれば、だが…
それなりに気を入れて考えながらも、考えたことを口にする気は、この時の俺にはなかった。場所はプロムナードの真ん中。時刻は夕刻前。そういうことを話すべき状況では、まったくない。
「まあ、そういうことは今は置いておいてだな。服を買わないなら、何か他の物を――」
だから、流した。いや、流そうとした。つまるところ、流せなかった。
「ちょっと!流さないでよ!」
途端にブルマが噛みついてきた。…どうしろっていうんだ、一体。認めたいのか認めたくないのか、どっちなんだ。
俺はこっそりと溜息をついた。大っぴらについたら怒られること必至だから。そうしたら、ブルマが言った。
「あーもう、やめやめ。この話はもう終わり!とりあえずどこかで休みましょ」
自分から食い下がってきたくせに。
そう思いながら、俺はブルマの後を追った。脇目も振らず、俺をもほとんど無視して、近くのカフェバーへと向かうブルマのその後を。まあ、なんだ。
もうすっかりいつも通りだ。


クラシックカーを店頭にディスプレイしたそのカフェバーは、なかなかに雰囲気のある店だった。薄暗いカウンターに置かれた、おそらくは東の国の水瓶。青と緑の石のついた、よくわからない飾り物。店外では目立っていたらしい俺とブルマの服が、ごく自然なものに見えた。つまり、そういう内装だ。
まあ俺は店の雰囲気なんかにはそれほど興味はないので、それについては口にしなかった。俺が口にしたのは、ブルマのオーダーについてだ。
「ジンライム。シェイクしてね」
それはギムレットだろ。などという突っ込みをする気にはなれなかった。何も言わずオーダーを通したバーテンダーのそつのなさを褒める気にもなれなかった。
「また酒飲むのか」
「そういう気分なの!」
ああ、そうですか…
認めたくないってところか。俺は即座に理解した。『終わり』と言いつつ、ブルマが文句を引きずっているということを。これは言い方が悪かったな。『色っぽい』ということ自体は褒め言葉なんだから、そう言うべきだった。でも、それ昨夜言ったんだけどな。困ったやつだ。
それでもブルマはとりあえず体裁を繕っているようだったので、俺もそれに付き合うことにした。俺は同じものから甘味を抜いてもらい、同時に水を向けた。
「買い物しないなら、この金どうする?」
「あんたが使えばいいわ。あんたが当てたお金なんだから」
「そう言われてもなあ。別にほしいものないしなあ…」
ブルマのさっぱりした態度と、ずっしりした財布の中身は、俺を少々困らせた。自分の金という気がしない、などとは言わない。元手代はドレスで返したと思う。でもやっぱり使い道が思いつかない。外にいるならまだしも、旅行中だからなおさらだ。
俺が考え込んでいると、ブルマが少し記憶を探らせるようなことを言い出した。
「じゃあどうしてボディガードなんかしてお金稼ごうとしてたのよ?」
「…ああ、いや、あれはなんとなく…」
カジノへ初めに行った時にフレイクに振られた話だ。フレイクのノリが武天老師様に似ていたから、なんとなく流された。なんとなく、金があれば何か買ってやれるかなって思った…
「軽いわね〜」
「金はあって困るものじゃないだろ」
「今、困ってるじゃない」
でも、実際には何も思いつかない。おまけにやり込められてもしまったので、俺は少々気を引き締めて、目の前に置かれた二杯目のグラスについて口にした。
「あまり飲むなよ。ジンライムって結構キツいぞ。まだ昼間なんだから」
「いいの。夜はあまり飲まないから。忘れてたけど、まだだるいんだからね!」
忘れるくらいなら、だるくないだろ。
心の中で突っ込みを入れてから、俺は一つ決めた。もし三杯目のグラスがきたら、飲み干してやろう。さっきカジノでそうしたように。
人前で酔わせたくないからではない。今この店内には、俺以外にブルマと面識のある人間はいない。だから単にブルマのためだ。本人は喉元過ぎてしまっているようだが、俺はちゃんと覚えている。この旅行の二日目、ブルマがほとんどアルコールを口にしなかったということを。
ブルマが二日酔いを隠していたのを、俺はちゃんと知っているのだ。


自分は甘いなと、時々思わせられることがある。
主に戦っている時と、ブルマと一緒にいる時だ。そして今は、後者のパターンだった。
…二杯目も、飲み干してやればよかった。
薄暗いカフェバーから明るいプロムナードへ出た瞬間、そう思った。考えてみれば、カジノですでに三杯飲んでいるのだ。それもヴェスパーという強いカクテルを。
プロムナードを行く人波を目の前に、当然と言えば当然の心境になって、俺はブルマの手を取った。するとブルマが、眉間に皺を寄せて呟いた。
「…ちょっと、何よこの手は?」
「顔、赤いぞ」
俺は簡単に答えておいた。足元がふらついてるとか危なっかしいなどと言う気はなかった。そんなことは全然なかったからだ。だからまあこれは彼氏の特権…いや、男の役目だ。
だが、俺のこのごく自然な行為は、ひどく不自然な態度で報われた。
「結構よ。一人で歩けるわ」
それはもうつんけんした声でそう言って、ブルマが俺の手を払ったのだ。俺は思わず目を丸くして、つんけんし続けるブルマの顔を見た。
「なんだよ、急に」
「いいから、放っておいて!」
返ってきた態度は、またもや非常に不自然なものだった。不自然というか、わけがわからん。俺、何もしてないぞ。何もしてないのが悪い、ということも時にあるが、今はそれでもないと思う。
つまるところ、俺にはさっぱりわからなかった。ブルマが言ってくれないと、何もわからん。そしてブルマは、こんな風に目を伏せている時は、絶対に言わない。こんなことだけは、もうはっきりわかるんだ。
「しょうがないな、もう…」
それでもブルマは立ち去ろうとはしなかったので、俺はこの場は溜息をつくだけに留めておくことにした。酒に酔っての不機嫌とか、そういうことを考えることもやめておいた。あれだ。慣れだな。情けないが、そうとしか思えない。だってこいつ、本当に気分屋なんだ。おまけに、ちょっとしたことでもすぐ怒る。だからとりあえずはこれ以上怒らせないようにして、何か言ってくるのを待とう…
この際は気を長ーく持つことに、俺は決めた。だが、意外にもブルマはすぐさま目を上げた。
「きゃっ!」
と思ったら、飛び上がるようにして、一声叫んだ。先ほど手を振り払われた時よりは小さな驚きを感じながら、俺は訊いてみた。
「どうした?」
「今誰かお尻触った!信じらんない!こんな豪華客船で――」
俺はちょっぴり目を丸くした。怒りよりは呆れが、大きく心を占めていた。…気持ちはわかる。こんなしっとりしたドレスを着た出るところの出た女が傍にいたら、俺だって触りたくなる。実際にはやらないが。それは犯罪だからな。
「自重しろってことだろ。そういう格好をしてる時はな」
おまけに頬を染めて、一見一人で人混みの中にいたらな。いや、さすがに揉めてるってわかるか。どちらにしても、ブルマはキツいこと言うわりにまるで隙だらけなんだから…
「あんたがこれでいいって言ったのよ!」
そしてその『キツいこと』はなぜか尻を触った奴にではなく、俺に向けられてきたのだった。まったく損な役割だ。そう思いながら、俺は一つ、明確な事実を告げてやった。
「俺がいいってことは他のやつもいいんだろ」
褒め言葉?まさか。思いっきり貶し言葉だ。中身を知ってる俺がいいって思ってるんだから、中身を知らないやつがそう思わないわけがない。そういう意味のな。
「ほら、さっさと行くぞ」
今度こそ俺はブルマの手を取った。理由は言わずもがな。そんなこと、ブルマにだってわかるだろう。わからなくたって、もう放っておいてはやらん。放っておいてほしいなら、自分の身くらい自分で守れ。
俺は少し気が立っていた。それは気が咎めていたからでもあった。…朝にはこんなことのないようにと、ちゃんと手を取ったんだよな。あー、本当に俺は甘いな…
まあ正確に言うと、弱いといったところだが。とうにわかっていたそのことを、俺は再確認することとなった。ブルマがやっぱりつんけんした声でこう訊いてきたその時に。
「どこに行くのよ?」
「それはおまえが決めるんだろ」
そして、それに何も考えずこう答えてしまったその時に。一応は俺が前に立って手を引いてるんだから、俺が行き先を決めてもいいんだよな。でもなぜかそうしようとは思えないんだ。行き先が思いつくつかないに関わらず。ブルマのしたいようにさせてやりたい。そう思う。…基本的には。
そしてこの時ブルマは、俺にその基本姿勢を守らせるようなことを言った。
「じゃあブックストア!その後部屋に戻るわ!」
「ブックストア?」
「もう後は部屋でゆっくり過ごす!」
その声は相変わらずつんけんしていたが、言っていることの内容は非常に大人しいものだった。どうやら話が通じたようだ。…などとは、俺は思わなかった。
不貞腐れてるんだろ。こいつそういう時、すぐ部屋に篭るからな。そういうところだけは、わかりやすいんだから。


ブックストアで、ブルマは何やら小難しい科学雑誌とファッション雑誌を数冊買い込んだ。だから俺もそれに倣って、武術雑誌とファッション雑誌を一冊ずつ買い込んだ。興味はそれほどなかったが、付き合わされること必至だと思ったからだ。
だが考えに反して、ブルマはこんなことを言った。
「あんたはどっか行っちゃってもいいわよ。ビリヤードでもしに行けば?」
部屋に入ってそのままリビングのラグに転がってから。俺は不意を衝かれはしたが、さほど困った気持ちにはならなかった。
正直なところ、そういうことを言う心理はよくわからない。でも、言う通りにしたら怒るんだろうということはわかる。
根拠は何もないがとにかく気を長ーく持つことに俺は決め、フリーザーからペリエを二本取り出した。酒ばかり飲んでいたから喉が渇いた。部屋着に着替える必要は感じなかった。すでにもう楽な格好をしているし、夜になればメシくらい食いに行くだろう。ただペリエと暇潰しの本だけを持って、ブルマから少し離れたところに腰を下ろした。すると途端にブルマが叫んだ。
「背凭れ!背凭れちょうだい!」
「背凭れ?」
「あんたがなるの!」
「ああ、はいはい…」
普通の人間は背凭れがほしかったら、ソファに座ると思う。でもそういう、道具に使われるようなことはブルマはしないのだ。こいつはあくまで使う側の人間なのだ。『ソファ持ってきて』と言われるよりは、マシだと思おう。
ともかくも俺は背中を貸した。やがて背後から雑誌を捲る音が聞こえてきた。時刻は夕刻、ここは最上階に近いので、海上の空がきれいに見える。紅く染まり始める雲。それをバックに飛ぶカモメ。なんともまあ、平和な時間の過ごし方だ。ブルマがちょっぴり怖いことを除けば、何の問題もない。
俺は少しだけ背後の気配を気にしながら、暇を潰しにかかった。どうやら隔月で発行されているらしい、武術の雑誌。名も知らない武道家が武術の心得なんかを説いている。タイトルを見ただけで読む気の失せる情報満載だが、その中に一つおもしろい記事があった。
記事のタイトルは『正しい気功波の撃ち方』。何がおもしろいかって、まるっきりジョークとして書かれているのだ。構え方や気の溜め方なんかを、撃てないこと前提で指南している。ちゃんと撃てるのにな。この雑誌は長くないな…
先のない雑誌に見切りをつけると、早くも暇潰しの種はなくなってしまった。ファッション雑誌はなあ。買ってはみたけど、たいして読む気はしないんだ。服なんか好きなもの着てりゃいいんだよ。よっぽどセンスが悪くない限りはな。気になるのは髪型くらいかな…
俺は惰性で二冊目の雑誌を手に取った。今ではすっかり惰性的になっていた。背後の気配に対する感覚さえも。そんな時、ブルマが言った。言ったというか、ぽつりと漏らしたその一言を俺が聞き取ったのが、始まりだった。
「オレンジがほしいわねえ」
「オレンジ?ライムジュースならあるけど」
ブルマがフリーザーから取り出したペリエについて言っているのはわかった。だから俺も、フリーザーにあるとわかっている物のことを言った。すると途端に、ブルマの呟きは叫びになった。
「ライムじゃダメ!絶対にオレンジ!フレッシュなオレンジジュース!」
「あ、オレンジジュースもあったかな」
「既製品なんかダメよ。割るならフレッシュじゃなきゃ!」
そうだよな。既製品で割るなんて、ペリエに対する冒涜だよな。
などと思うわけはなかった。続くブルマの声を聞いていれば。
「フレッシュ!ぜーったいにフレッシュ!」
もう、まるっきり駄々っ子になってる…
おまえは一体いくつなんだ。そう言ってやりたいところを、俺は普通に我慢した。我慢できないほどのものではない。まあ何というか、慣れっこだ。いいことなのかどうかはわからんがな…
「わかったよ。買ってくるから」
そんなわけで、俺は軽い腰を上げた。するとまたもやブルマが叫んだ。
「どこまで買いに行く気よ。そうやって逃げるんでしょ!」
さっきどっか行ってもいいって言ったくせに…
ここにきて俺は完全に呆れの境地になった。どっか行ってほしくないならちゃんとそう言え。まあ、なんとなくわかってはいたが。背凭れを要求された時にな。それにしたってくど過ぎだ。買いに行ったって帰ってくるに決まってるのに。それが『買いに行く』ってことだろうが。裏読みも度が過ぎるとお子さまに近くなるな。
「ああはいはい、わかったよ。じゃあルームサービスだな」
「あとフルーツもね!」
はいはい…
こいつ確か『最初は一人で来るつもりだった』って言ってたよな。こんなんじゃ一人旅なんてできんだろうが。
そう思いながら俺は壁のキーテレホンを操作し、ブルマの望むものをオーダーした。
「フレッシュオレンジュース、デキャンタで。それとフルーツ盛り合わせ、あと食べやすい菓子を適当に」
最後のオーダーは先取りだ。こいつはそのうちおやつをねだりかねん。
こうして伝令役となった俺は、その後も背凭れに戻ることはなかった。やがてやってきたルームサービスを受けて、ペリエのオレンジジュース割りを作るため…ではなかった。
「オレンジペリエを飲むんじゃなかったのか?」
そうしようとしたところブルマがグラスにフルーツを落とし始めたので、俺は首を傾げつつそう訊ねた。ブルマはさっきまでの駄々っ子ぶりはどこへやら、きっぱりとした声で言い放った。
「いいでしょ、別に。これが飲みたくなったのよ」
ああ、そうですか…
俺はまったくもって呆れながら、一見おとなしやかにフルーツペリエを飲むブルマを横目に眺めた。ブルマはそれについては何も言わず、イチゴのプチフールなんかをつついてもいた。よく言えばスマート、悪く言えば与えられるのが当たり前という感じの、さりげなさで。
まったく、こいつはこういうところだけ、お嬢様なんだよな。もちろん悪い意味で。そして、それは会った頃からずっと変わっていない。もう呆れるほどに、全然まったく変わらない。きっと、そういう成長しないってところも、お嬢様の資質なんだろう。もちろん悪い意味で。…外見だけ成長するのやめてほしいな。
ま、中身が変わっちまったらブルマはブルマじゃなくなっちまうか。困ったやつだ。そしてそれでいいと思ってしまっている俺も…
俺はそこはかとなくそういう気分になっていた。でも時刻は夕刻、おそらくは夕食を臨んでブルマはドレスを脱がずにいた。だから少しだけ落ちてきた髪を撫でつける以外には、何もするつもりはなかった。ブルマがそれに対して反応してきても、ちゃんと話を逸らした。
「何してんのよ?」
「…ん?ああいや、別に。なんとなく…」
「なんとなくでひとの髪弄らないで!」
だが、ブルマはそれはそれは激しく怒り出した。いや、ブルマの怒り方としてはそれほど激しくはなかったが、この場合の反応としては過敏に過ぎた。だって、髪を触っただけなんだからな。それくらい誰だって――誰だってということはないが、俺には普通に許されているはずの行為だ。いつもなら。そうきっと、昨夜の次の日の今日じゃなければ…
「もうごはん食べに行く!そしてさっさと寝る!」
「まだレストラン入れる時間じゃないだろ」
「チャイニーズレストランならいつでも入れるもん!」
ごく些細なことではあるが俺のまったく知らないことを、ブルマは言った。昨夜はそんなこと言ってなかった。過去の小さな嫌がらせに俺が気づいた時、さらに言った。
「あたし髪直してくるから、サービスワゴン下げておいて。でもプチフールは下げないでよ。後で食べるんだから!」
寝るんじゃなかったのか…
なんか、すっかり支離滅裂だな。まあ、よくあることだが。
俺は少しだけ呆れながらベッドルームへと駆け込むブルマを見送り、プチフールをフリーザーに突っ込んだ。それからフロントに電話をして、後はただブルマが声をかけてくるのを待った。
ブルマの心理はわからないでもないが、複雑過ぎて収集がつかない。でも、待てと言われていることは、はっきりとわかっていた。
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