Trouble mystery tour Epi.3 (6) byY
「あー、おいしかった!」
「ごちそうさまでしたー!」
食事を切り上げ双子と別れると、さっきのブルマの話の通じなさはいつものわからずやであることがはっきりした。
全然酔っ払っていなかったからだ。…いいことなのかどうかはわからんがな。これでは俺の言い分が弱まってしまう。…いや、いいことなんだろう。広い心で考えれば。
俺は非常に複雑な心境でブルマの手を取ろうとしたが、さすがにブルマは素直には取らせてくれなかった。それどころか、まったく寄せつけてくれなかった。その事実と冷静な思考による結果、俺はブルマをそのままにしておくことにした。こういう時たいがいそうであるように、ブルマは俺の前を行こうとしていたから。後ろから監視できるというわけだ。
「ふん!」
わざとらしく鼻息を漏らすと、ブルマはさっさと元来た道を歩き始めた。その態度は俺に、怒りとも怖れとも呆れとも少し違う、何とも言えない感情をもたらした。
そこまで怒らなくてもいいのになあ。
俺はただ、『そろそろ飲むのをやめろ』って言っただけなのに。まったく飲むなと言ったわけじゃないのに。というか、さんざん飲ませてやったと思うんだが。おまえ、デキャンタの三分の二以上飲んだだろ。
軽く恨み事を背中にぶつけているうちに、部屋についた。ここからの接し方が難しいな。そう思った時、ブルマが言った。
「あたしお風呂入るから。まだまだ宵の口だから、あんたはどっか行っちゃってもいいわよ」
投げやりというか、ぶっきらぼうというか、いつもの口調というか、まあそんな感じで。そして、さっさと、すたすたと、きびきびとした足取りでバスルームへ入っていった。俺はまったく呆然としてその後姿を見送った。
ブルマの態度に今一つ、険が感じられなかったからだ。むろん優しくはないが、怖くはない。はっきり言って、わけがわからない。だから本能のままに、部屋に留まる事を決めた。
なんとなくな、こういう態度を取られると、かえって出て行けなくなるんだよ。いや、ほんと。


やっぱりわからん。
リビングの床でなんとはなしに体を解しながら、俺は少しだけ思考を進めた。
実のところは、何がよくわからないのかさえ、もうよくわからなくなってきていた。一体、気分屋で済ませていいのだろうか、これは。結構怒っていたと思うんだけどな。思いっきり手、振り払われたし。それはもうわざとらしくつんけんしてたし。『近寄らないで』オーラ、びしばし出してたし。
小一時間ほど経った頃、ブルマがバスルームから出てきた。そして、さっさと、すたすたと、きびきびとした足取りでベッドルームへ消えていった。一切何も言わずに。一応無視されてはいるらしい。ほんの数分間の沈黙だったが、俺にはそれがわかった。ブルマの後姿が、さっきよりはつんけんして見えたからだ。
とりあえずは刺激しないようにして、様子を見てみよう。つまるところいつものように気を長ーく持つことに俺は決めた。そしてバスルームへ向かったところで、こう思った。
なんか、昨日に似てるな。…困ったもんだな、俺たちも。


とりあえずは刺激しないようにして、様子を見てみよう。数十分前に決めたその考えは、バスルームを出た瞬間に変わった。
ブルマがリビングにいたからじゃない。そこまでは――ベッドルームに篭るまでは――怒っていないだろうと思っていた。ブルマが一見のんびりとソファに座って雑誌を捲っていたためでもなかった。そのことを俺は意外に思ったが、でも何も考えずに受けとめることに決めた。
正直なところ、ブルマの心理はよくわからない。でも、事実は事実だ。
俺が隣に座ると、ブルマは途端に背中を向けた。それはもう隠しようもないほど露骨に、そっぽを向いた。『近寄らないで』オーラがびしばし出ていた。その手はひたすらに雑誌のページを捲っていた。俺は少し呆れたが、心が竦みはしなかった。
「昨夜のパジャマは着ないのか?」
単純に知りたい気持ち半分で、俺は訊いた。途端にブルマが手を止めた。
「クリーニングシュートに入れたわ。誰かさんが汚してくれたからね!」
そして、吐き捨てるようにそう言った。俺は意表を衝かれはしたが、それ以上の感覚はなかった。
ブルマは嘘をついているわけではないと思う。こいつはそういう細やかな嘘はつかない。そして、後半の文句を非難するつもりも、俺にはない。
「俺だけのせいじゃないだろ。ブルマだっていっぱい汚してたぞ」
だから、建前上補足しておいてやった。それも表現を和らげて。
『全部おまえが汚した』。それが、言ってやりたいとまでは思わない、楽しい事実だ。楽しいっていうのはひどいか。じゃあ、嬉しい事実。まあとにかく、実際はそうであるところを、責任を折半してやったわけだ。いやぁ、俺って優しいなぁ。
などと思ったわけはない。俺は自分が全然優しくなんかないことを、この時ちゃんと自覚していた。
「あ…あんたは!どうしてそういうこと言うのよ!」
「さて、どうしてだろうな」
でもブルマが今度は正面切ってそう叫んできたので、ちょっと優しい気持ちになった。優しい気持ちになって、流してやった。教えてやるつもりはなかった。さすがにそれを教えたら、ベッドルームに篭ってしまうかもしれん。
ブルマはまたそっぽを向いた。『近寄らないで』オーラはもう出ていなかった。今ではそれは『もう構わないで』オーラに変わっていた。その手は忙しく雑誌を捲りだし、口も忙しくプチフールを食べ始めた。だから俺はもうブルマを刺激することはやめて、暇潰しの方法を考えた。
自身の予定は何も入っていない旅行先の夜。メシは食ったし、風呂にも入った。眠るのにはまだ早い。酒を飲みたいわけでもない。俺、ブルマがこうじゃなかったら、どうする気だったんだろう。そんなことを考えながら、テーブルの上にあった雑誌を手に取った。
女のファッション雑誌。そう、ブルマの買ったやつだ。それに手を伸ばしたのはただの気まぐれだったが、ページを捲り始めた時には思っていた。自分のを読むよりもよっぽどためになるかもしれないと。流行なんかどうでもいいけどさ、なんていうかこう…『こういうのを着ろ』って言ってやれるのはいいかもしれない。露出の高い服を着ている時にさ。
とはいえその目論見は、ものの数分で崩れた。理由は簡単。ブルマの好きな雑誌なんだから、ブルマの好きそうな服しか載ってないに決まってるんだよ。俺がこの雑誌の中でよしとできるのは髪型のページくらいだな。今日してた髪型も載ってるし…
俺は少しだけブルマの機嫌を気にしながら、暇を潰しにかかった。今日何度か陥った心境を思い出しつつ、そのページの手順に従った。俺はわりと器用な方だと思う。プーアルと会うまでは、ほとんど何もかもを自分一人でやっていた。そうじゃなくたって、みつあみなんかそれほど難しいものじゃない。シニヨンの原理は今初めて知ったが。『コイルド・プレーツ』っていうのか。でもきっとすぐ忘れるだろうな。
まさか気づかれないなどと思っていたわけはない。自分の髪が弄られているのに気づかない人間はいないと思う。だからブルマがそう訊ねてきたことは、意外でもなんでもなかった。ちなみにそれは、なんとか上半分の髪を除けながら下半分の髪で左のみつあみを完成しかけた時だった。
「…何してんのよ…?」
「うん、ちょっとな。この『コイルド・プレーツ』っていうのやってみようかと思って」
「はぁ?」
「昼間の髪。あれ、解いてみたかったんだ」
俺は素直に答えた。隠すべき理由は何もない。『趣味悪い』などと言われることはひょっとしたらあるかもしれないが(女にはわからなさそうだからな)、さらに『勝手にひとの髪で遊ばないで』と怒られるような気もひしひしとはするが、まあ別に構わない。そんなのもう今さら慣れっこ…
「この天然ボケ!!」
「は?」
だが、ブルマの反応は俺の想像の斜め上をいくものだった。態度はともかく、言葉は完全にそうだった。
「そういうことぽろっと言うのやめなさいよ!!」
でも、すぐにわかった。俺はちょっと情けなく思いながら、軽く不貞腐れてみせた。
「失礼なやつだな。ちゃんと意味分かって言ってるよ」
昔はよくこういうことを言われたものだ。『そういう紛らわしいことを言うのはやめろ』とか。言われてもなお意味がわからなかったが。だって、ブルマもブルマではっきり言わないもんだからさ。『自分で考えろ』が十八番でな。でも、こういうのって考えてもわからないもんだよ。感じて初めてわかるんだ。
そんなわけで、俺は自分の過去ゆえにブルマの態度を受け入れられたが、ブルマはそうではないようだった。それはもう、一瞬身を固めてまでして驚いてくれた。いや、本当に失礼なやつだな、こいつ。この時にはもうブルマはこちらを向いてくれていたので(怪我の功名ってやつかな)、俺はちょっぴり悪戯心を発揮して言ってやった。
「そんなに子どもだと思うか?」
少しだけ声を落として。でも、それほどなりきっていたわけではない。度が過ぎると悪趣味だし、だいいち恥ずかし過ぎる。
それに対するブルマの反応は、またもや想像の斜め上をいった。また固まった。さっきよりだいぶん長く。それからまるで脱兎のごとくソファの端へ後退っていった。
「ちょっとブルマ、なんでそんなに…」
これには俺も驚いた。だって、てっきり何か言い返すと思ったんだ。『ふざけてんじゃないわよ』とか。怒ってるなら怒ってるで『うるさい』とか…
「もうあんなことしないんだから!」
「は?」
「『は?』じゃないわよ!わからないなんて言わせないわよ。あんたがしたことでしょ!あんたが!昨夜――…」
そこでブルマは言葉を切った。だから俺は頭を掻いた。
全然わからなかったわけじゃない。ただ、考えていなかった。もうそういうことをするつもりはなかったから。確かに今少し苛めてしまったが、それだってブルマの許容範囲内でのことだ。と、思っていた。
こいつ、意外と繊細だな……
俺は一瞬困った。結構本気で困った。でも、どうすればいいのかということは、過去の自分が教えてくれた。
「んー…わからないなあ…」
昔はよく心の中で思っていたことを口に出した。どこまでもそうした。
「わからないことをするとかしないとか言われても困るな。わからないんだからできるわけがない。そう思わないか?」
つまり、流した。
謝ろうとは思わなかった。ブルマはあのこと自体を怒っているわけじゃない。それははっきりしていた。
だって、こいつはこんな態度を取りながらも、普段みたいなパジャマは着ないんだから。隙だらけのお姫様みたいな格好をして、ここにいるんだから。ちゃんと俺の前にいるんだから。
その時ふいに思い出した。この目の前のお姫様を最初に見た夜のことを。だから俺は、今夜はブルマに忠実であることを示す証として、その言葉をかけておいた。
「眠くなったら声かけてくれ。荷物運ぶから」
わからないならそれでいい。でも、それほど繊細なやつならわかるだろう。それにブルマの言葉を借りるなら、自分で言ったことだしな。
「…じゃあ、寝る」
だが、実際にその声が聞こえた時、俺はかなりびっくりした。
あまりに早かったからだ。もう少し粘るかと思っていた。表現が悪いかもしれないが、いつもはそんな感じだから。昨夜なんか目いっぱい粘ってたしな。おまけに、語るに落ちている。俺は『眠くなったら』って言ったのに。
こいつ、本当に繊細なのかな。俺はすでにそう思い始めていたが、前言を撤回するつもりはなかった。繊細じゃないなら、それでもいいじゃないか。…この場合は。繊細じゃないにしても、敏感なのは確かだ。それに、こんな無造作さでも、やっぱり女の子に見える。
そう、この時のブルマは、女というより女の子に見えた。それは衣服のせいではなかった。どことなく縮こまっていて、頬に赤みが差していて、上目遣いで…これから何が起こるかわかっているだけに困っているような女の子。不謹慎かもしれないが、ちょっとお得な気分だ。
だから、俺はさっさとブルマをベッドルームへ連れて行くことにした。こういうことは早いに限る。特にブルマの場合は。気が変わらないうちに宥めてしまわないとな。始まりは早く、始まってからは長く。俺のポリシーだ。…ブルマには負けるけど。
そうと呑み込んでしまっても、なお意外なことはあった。俺が腕を伸ばすと、ブルマは素直に抱かれた。だが、その足は頑なだった。不自然なまでに、腿と腿をぴったりとくっつけていた。俺は少し苦笑して、今はそれをできるだけ動かさないでおいてやることにした。
大丈夫、もう苛めない。
そういう気分じゃないよ。…今はな。
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