Trouble mystery tour (4) byY
「大丈夫。ブルマはことメカに関しては天才ですから。安心して任せといてくださいよ」
俺がそう言ってやると、それまで指示待ち顔で操縦室のあってなきが如しドアにへばりついていた2人のアテンダントは、ようやくそこを離れた。そして今度は客室の手前の通路に残る1人共々寄り集まって、何やら小声で囁き始めた。3人が3人とも揃いも揃って、納得したとはとても言えない顔つきで。どうやら説得に失敗したらしい。本当のことなのにな。
まあ、無理に納得しろとは言わないけどさ。せめて邪魔はしないでほしいな。そう思い背を向けたところ、喜々とした女の子の声が耳に入ってきた。
「聞いて!今ね、ハイジャックに遭ったのー!…違ぁう!冗談じゃないって!…どこも何ともない。…うん、なんかすごく強い人がいて、一人でやっつけちゃった。…本当!冗談じゃないってばー!…え?さあ、カメラとかは見当たらないけど」
…知らないって、気楽でいいな。
まあ、教えるつもりはこれっぽっちもないけどな。そんなことしたら大変だ。きっと機内中大パニックに――
「あたくし、おトイレに行きたいんだけど。おトイレに犯人がいたりはしないかしら」
「もしもし、今、何時かね。もうお昼になったかね」
「それで、予定通りに着くのかのう」
「そうじゃ、わしもそれを知りたいと思っていたんじゃ。遅れるんなら、孫にそう電話しなきゃならんでなあ。顔を見せにきてくれることになっとるんじゃよ。曾孫と一緒になあ」
――…ならないかもしれないな。
思わず足を止めてしまいながら、俺はそう思った。金持ちってのんきだなあ。現状、ちゃんとわかってるんだろうか。ハイジャックされかけたんだぞ?…ちょっとあっさりやっつけ過ぎたようだな。もっと遊んでやるべきだったのかもな…
そんなわけで、もともとそうしようと思っていたところをさらに苦もなく、俺は操縦者にのみ意識を向けることとなった。乗客の対応はアテンダントに任せよう。アテンダントの心境整理もまたアテンダントに任せよう。そこまで面倒見てやる気にはなれん。
一度目は飛んで潜ったドアを今度は歩いて潜ると、その操縦者と目が合った。操縦室のほぼ真ん中に黙って佇んでいる、苦虫を噛み潰したような仏頂面。俺は苦笑を笑顔に変えて、ことさら明るい声で言ってやった。
「いつまでもそんな顔してんなよ。せっかくの美人が台無しだぞ」
不貞腐れているのはともかくとして、こうもぐずぐずとブルマがしているわけ。それは、俺にはわかっていた。少し意外ではあったが、不思議に思うほどじゃなかった。だって、ブルマはさっきまで、すっかり旅行気分に浸っていたんだから。それはそれはらしくもなく、甘い雰囲気を漂わせていたんだから。そのぶん切り替えに時間がかかるのは当然だ。
さらに額を突いてやると、思いのほかブルマは後ろへと仰け反った。それにも関わらず、何も文句を言わなかった。ただ瞳の中の険が深くなっただけだった。…うーん、これは結構重症かもな。そう思いながら手を腰に戻した時、アテンダントが一人、陰から覗くのではなく堂々とドアの向こうに姿を現した。
「当機のコールサインはSkyFlyer327です。乗客には避難用具を着用させます」
そして素っ気なくそう言った。どうやら腹を括ったらしい。比較的苦い方向に。しかたがないかもな。プロとはいえ女だ。機長も副操縦士もいない井戸端会議じゃ、結論が悲観的な方向に傾くのも無理はない。表向き冷静を保ってくれているだけで良しとするか。
「乗客のみなさま、こちらの席へお移りください。今から緊急時の避難方法と避難用具着用のご説明をいたします」
やがて客室から聞こえてきたその声は、パニックを引き起こしはしなかった。それがどうしてなのかなど、俺は考えはしなかった。ただ呆れたような安心したような複雑な気分になりながら、機長が座っていなかった方の操縦席に座り込んだ。
ブルマがいつも俺に対して取る方法だ。時には『さっさと行くわよ』などと言いながら、勝手に事を先へ進めるやつだ。
無造作にというよりははっきりと荒っぽく、ブルマは機長の席に座を占めた。諦めではなく怒りが、不貞腐れに取って変わりつつあることに、俺はすぐに気づいた。言わば逆ギレ。『どうしてあたしがこんなこと』、そう思っているに違いない。でも、それを言ったら俺だって、ただの一乗客なんだからな。まあ、これも運命だ。甘んじて乗り越えようじゃないか。俺たちにはその力がある。
「あんたも無線機のヘッドホンつけて。少しでも音が聞こえたら、すぐに教えてよ」
やがてブルマが、わりあいいつも通りに近い口調でそう言った。俺は少し安心したが、同時にかなりの意外を感じもした。
やっぱりまだらしくない。そう思ったので、ストレートに訊いてみた。
「助けを求めるのか?」
ブルマは思いのほかきっぱりとした顔で、すぐに答えた。その顔はすでに俺ではなく、目の前の機器に向けられていた。
「もうそんな段階じゃないわよ。ま、当たらずといえども遠からずだけど。何とかここの管制区域の管制官と連絡取らなくちゃ。何もかもそれからよ」
「管制区域ってどういうことだ?」
「飛行位置によって管制が違うのよ。当然、周波数も違うわ。でも、どうにかして繋がないと。無線の指示がないと、操縦できても着陸させられないわ」
「詳しいな」
「詳しくないわよ。これだけしか知らないの!!」
突然、語尾が荒っぽくなった。この時ばかりは俺も、思わず本気で身を引いてしまった。
… ぴりぴりしてるなあ。
いつもならここは絶対に、『こんなの常識よ』などと言うところだ(そして俺は『それは絶対に違う』と思う)。完全にマイナス思考に走っている。らしくないなんてもんじゃない。 だから俺は、思いっきり笑顔を作って言ってやった。
「充分、充分。それだけ知ってりゃ充分だよ。っていうか、やっぱり操縦できるんじゃないか」
「揚げ足取らないでよ!」
ブルマは途端に大声で叫び立てた。きつく俺を睨みつけながら。おー、こわ。
でも、元気元気。充分、元気だ。怖いけど、元気は元気だ。
身を竦めながら笑うという我ながら矛盾した態度で、俺はヘッドホンを頭に着けた。2つのシートのちょうど真ん中にあった小さなスイッチに、ブルマが手を伸ばした。その次の次の瞬間だった。
『…海上を飛行中の…………コールサインを…』
「やった!この周波数、まだ生きてる!」
俺が本当に『この機は助かる』と思ったのは。俺が副操縦士をやっつけた時に見せた、爽快そうな笑顔。一瞬にしてブルマはその顔になって、無我夢中ともいえる手つきで、限りなく俺の目の前にあるボタンを端から順番に押し始めた。切り替わるディスプレイに映るデータの意味は、俺にもだいたいわかった。
「管制官、応答せよ。こちらはSkyFlyer327。応答せよ。こちらはSkyFlyer327――」
少しだけ早口の呼びかけに、落ち着いた男の声が返ってきた。
『こちら管制。SkyFlyer327、航路を外れているぞ。…君は機長か?…』
「あたしは乗客。この旅客機、さっきハイジャックされかけたの。パイロットが犯人だったから、あたしが代わりに操縦してるの。EVSはわかるから、正規の航路と着陸する時のオートパイロットの設定を教えて」
またもや少し早口で、それでもブルマは言い切った。…やっぱりわかるんじゃないか。そうだろうと思ったよ。たぶん本人は当たり前だと思って言わなかったんだろうが、それは全然当たり前じゃないんだよ。実際、俺にはEVSが何なのか、さっぱりわからん。一般の飛行機の操縦なら一通り、たぶん上手に属する方の腕でできるが、さっぱりな。
『着陸の指示はこちらではできない。こちらは航空路管制。落ち着いて現状を報告するように』
管制官がブルマの早口を間接的に咎めた。一瞬見せたブルマの不覚そうな顔にも、俺は不安を抱かなかった。すぐにブルマがこう言ったからだ。
「ヤムチャ、あんたも聞いてて。あんたが一番事情に詳しいんだからね。何か漏らしてたら教えてよ」
よしよし。
ようやく俺を使い出したな。それでいいんだ。まったく、手こずらせやがって。…いや、俺は何もしてないけど。
そう思いながら、俺は続くブルマの言葉を聞いていた。おそらく必要ないだろうとは感じつつ。
「11時5分頃機長と副操縦士によるハイジャックが勃発。10分後に鎮圧。犯人2人は半殺し。他に怪我人はなし。機体にも異常はなし。現在高度10300m、残燃料114000kg、外気温はマイナス45℃。正規の航路とこれから先の管制区域の周波数を教えて」
そして、それはやっぱり必要なかった。だが俺が口を噤んでいたのは、それだけの理由ではなかった。
…『半殺し』って……もう完全に調子が出てきたな。どうやらそのようだ。
だからもう、俺は何も言わなかった。もとから何も言ってはいなかったが、今では言う気さえもなくなっていた。もう任せてしまって構わない。むしろそうするべきだ。これはブルマの領分だ。
『了解。まずは航路の修正だ。レーダー誘導するからな、左旋回して機首を30°に向け、上昇して高度15000mを維持せよ。お次はお待たせの周波数だ。航空路管制はアプローチまでこのまま、滑走路までのアプローチ119.100MHz、着陸誘導はタワー118.100MHz、スポットまでグランド121.700MHz、コントロールは120.500MHz』
「左旋回30°高度15000m設定OK。4分後に到達予定。復唱するわね。アプローチ119.100MHz、タワー118.100MHz、グランド121.700MHz、コントロールが120.500MHzね」
『これよりレーダー誘導に入る。航路に乗り次第、連絡する。その後はアプローチまでそのままだ。無線は開いておくようにな。居眠りするんじゃないぞ。グッドラック!』
「サンキュー」
それでも一連のやり取りが終わった頃には、俺の気持ちは少し変わっていた。ブルマが無造作にヘッドホンを外して、無造作に席を立って、倒れ込むようにジャンプシートへ腰を下ろしたので、その思いはより強まった。
「はぁーーー…」
「思ったよりも大変そうだな」
ブルマの深い溜息を聞きながら、俺は完全に素になってそう言った。
ブルマの能力を疑っていたわけじゃない。ただ、目論見と違っていた。
もっとストレートな方法を取れるものだと思っていた。ブルマの腕だけで飛ばせるものだと考えていた。細かに決められた管制区に、完全に定められた操縦手順、さらに逐一連絡をする義務。まるっきりがんじがらめじゃないか。面倒くさいんだな、旅客機って。
『不自由なのが旅行の楽しみ』。そんなこと言ったら殴り倒されるだろうな、きっと。
「今さら何言ってんのよ。大変なんてもんじゃないわよ」
強気とも弱気ともつかない文句の言葉が返ってきた。腹を括っているというべきか、諦めているというべきか。領分は領分なのかもしれないが、どうもブルマの性には合ってなさそうだ。
「俺が飛んで、一人ずつ降ろそうか?」
だから、そう言ってみた。名案だとまでは思わないが、充分に有効であるようには思えた。乗客は怖がるだろうが、この際それは二の次だ。というか、少しは怖がってみるべきなんじゃないかな、あの乗客は。
「それはいいけど、この飛行機はどうするのよ。捨てたって、最後には落ちるのよ」
「全員降ろしてから空中で爆破する」
「…あんまりいい考えじゃないわね、それ」
俺もそう思う。
これは口にしなかった。さすがに、ちょっと情けない。ブルマはすっかりいつも通りになっているから、なおさらだ。
「とりあえずは指示される通りにやってみるわ。それでダメなら、そこまでやっても許されるでしょうよ」
言うなりブルマは伸びをして、肩に寄りかかってきた。それはそれは無造作に、ある意味ではとても自然な雰囲気で。一日が終わった後、愚痴を溢しながら時々そうしてくるように。そういう時、俺はなんとなく肩を抱いたりするものだが、この時はそうはしなかった。 わかっていたからだ。
まだ全然終わっていない。ようやく足がかりを掴んだばかりだ。本当に目論見と違うな。ちょっと悪いことしたな。ハイジャック犯を逆に脅すべきだっただろうか…
俺が過去への旅をし始めた時、一応手にしてきたヘッドホンから、現実へ引き戻す声が聞こえてきた。
『こちら管制。SkyFlyer327、応答せよ。規定の航路に乗ったぞ。約20分後にアプローチへ切り替えだ。着陸設定はそちらからもらってくれ』
「こちらSkyFlyer327。20分後だな。了解した」
『グッバイ、グッドラック!』
「サンキュー」
俺はごくごく自然にそれに答えた。無線くらい使える。それに俺は今ではすっかり(というか初めから)ブルマに使われるつもりでいた。だが、俺のこの先読み行為は、表向きちっとも酬われなかった。
「えっらそうに。何もしてないくせに」
眉を顰め口を尖らせて、他人が聞けばどうしたってケンカを売っているとしか思えない口調で、ブルマは言った。だから俺は、これ以上ないというほどさりげなく返してやった。
「邪魔ならあっち行ってるけど?」
するとブルマは、さりげないどころか素っ気ない口ぶりで呟いた。
「そんなこと言ってないでしょ」
やれやれ。
完全にいつもの態度だな。むしろそれ以上だ。
呆れたような安心したような惜しいような微妙な気持ちを味わいながら、俺はジャンプシートに座り続けた。依然としてブルマが肩に寄りかかってきていたから。最初にそうしてきた時から、ずっとそうしていたから。客室にいた時と同じように、でも全然違う雰囲気で。客室でそうしてきていた時はあきらかに甘えていたのだが、今は…………そう、抱き枕だな。抱いてはいないが、そんな感じだ。もしここにベッドがあったら、迷うことなくそっちにいくんじゃないだろうか。そして、そう思った時にそれは聞こえてきた。
この上なく規則的な吐息。見るとブルマは、喋ってもいないのに唇を薄く開けていた。上下する胸の下で、掌が力なく広げられていた。
「ブルマ、おい、ブルマ」
たぶん俺はこの時、この状況の中で最も重要な役割を果たした。
「…あ、何?」
「何って…寝るなよ…」
『操縦者が眠っていて墜落』。ハイジャックよりも性質が悪いんじゃないだろうか。
一瞬ブルマは体を起こしたが、軽く目を擦るとまたすぐに俺に寄りかかってきた。そしてだるそうに言ったものだ。
「だって退屈なんだもの。なんか疲れたし。ねえ、何か話してよ」
いきなりだなあ…
おまけに珍しい。こいつ、いつもは一方的に自分の話を進めるからな。まあ、まったくないということではないが。本当に時々、こういうどうでもいい時に限って、俺に主導権をくれるんだよな。
そうだなあ…せっかくだから、いつもは聞いてもらえない話をするか。
「よし、じゃあまずは一発、目の覚めるようなとっておきのギャグを――」
「あ、そういうのはいらないから」
「あのな…」
話の腰折るの早過ぎだ…
「うーん、それじゃ一昨日考えついたばかりの小話を――」
「それ、何が違うわけ?」
身も蓋もないことを…
こうして話を折られまくっているうちに、20分は過ぎた。
いくつ話を折られたのかは、情けないから言わない。
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