Trouble mystery tour Epi.4 (3) byY
南国というのは、深い眠りとさっぱりとした目覚めを誘発するものらしい。
「寒くないか?」
「んー…平気」
夜、最後のキスを外すなり、タオルケットに包まることすらせずにブルマは寝入ってしまった。今はもう眠ること以外考えられない、そう背中で語って。
「頭、痛くないか?」
「大丈夫…みたい」
朝、こちらをじっと見ている瞳に気づいて声をかけると、ブルマは答えるなりベッドから起き上がってバスルームへと消えた。寝惚け眼でリビングの手前までタオルケットを引き摺っていくという体たらくではあったが、その表情はさっぱりとしたものだった。
昨日も似たような感じだった。健康的な雰囲気のせいかもな。ネオンサインの光らない、自然の暗闇。朝早くからそそがれる、太陽の強い日差し。
それにしたってこんなんで、よく昨夜みたいなことが言えるものだ。俺の方こそそっくりそのまま言い返してやりたいよ。だいいちどこが不満ある態度だというんだ。
そんなわけで、つれないとも素っ気ないとも似て異なるブルマの態度だったわけだが、俺はそのこと自体については別に何とも思わなかった。むしろ自信がついたくらいだ。
まあ、その前提となることについては、自分でもブルマの言う通りかなあと…ちょっとし過ぎかなあと思わないこともないが、それはしかたがない。
ブルマがそういう方向に持っていくのだから。俺が一方的に手を出したことはほとんどない。それが現実なのだから。


どうやらマリンスポーツそのものが、俺の性に合ってるみたいだ。
ディンギーで海へと漕ぎ出した時、俺はそれを実感した。特に、波に乗る系。ぶっちゃけて言ってしまえば、スキンダイビング以外。あれはスポーツじゃないよなあ。今にして思えば、騙されたんじゃないかという気がするよ。
「ランチさん、天津飯さんと会えたかしらね」
その俺を騙した人間はまったく平和なことを呟きながら、艇体の後部に座っていた。俺はコクピットに立ちながらスピードがつくのを待って艇を風下へと回し、さらにスピードに乗るのを待った。バシャバシャと静かに響く、波を切る音。吹きつける風にはためく髪。俺の体の動きに合わせて躍る艇体。
すっかりディンギーを楽しんでいた俺の耳に、やがて淡々と現状を訝る声が入ってきた。
「う〜ん、集合時間に間に合うかしら。思ってたよりは速いけど、案外遠回りしなきゃいけないみたいね。あと40分か…」
「大丈夫、間に合わせるさ」
「そんなこと言ってぇ。あんたの自信ほど当てにならないものはないんだから」
ひどいこと言うなあ。
俺は苦笑しながら、ブルマの言葉を流した。今のブルマの言葉と態度は、どうしたって水を差しているように思えるだろう。だが俺にとっては、まさに望むところだったのだ。
「そうだな。よしブルマ、ちょっとこっちへ来い」
「そうだなってあんたね…で、何よ?」
「しばらく俺に掴まってろ」
「えー?」
それは偉そうな声を出しながらも、ブルマは俺の隣にやってきた。なんとなく俺の体に寄りかかってはいるものの、一応はどこにも掴まらずバランスよくコクピットに立っていた。それで俺は安心して、もう何を遠慮することもなく腕を宙へと向けた。…いや、海面と、人がいそうなところ、そこにはぶつけないよう気をつけなきゃな。
「きゃああああ!!ちょっとちょっと、ヤムチャーーー!」
俺が気を放出し始めると、ほとんど同時にブルマが胸元にしがみついてきた。それを確認して、俺はさらに気のパワーを強めた。本当は、それほど大がかりにやるつもりはなかった。だが、いざやってみると気が変わった。
「きゃーーー!きゃーーー!もー!どーーーしてこういうことすんのよーーー!!」
気を使うの、久しぶりだ。技を使うことはもちろん、ここのところ飛んですらいない。ストレスが溜まるというほどではないが、力を持て余していたことは確かだ。
などと言うときっとバカにされると思ったので(もう絶対『体力バカ』って言われるに決まってる)、俺は黙って任務を遂行した。今では腰にすがりつくようになっているブルマを確認しながら、ディンギーを目的地近くまで運んだ。
「きゃーーー!きゃーーー!きゃああああ!!」
ブルマの声は、いつまで経っても治まらなかった。ジェットスキーの時とは違って、嗄れもしなかった。だがそれは、もっともっと叫ばせても大丈夫、ということの証ではなかった。むしろその反対だった。前方に陸地が見えた頃にはブルマの腰はすっかり落ちてしまっていて、両腕と両足が俺の足に絡んでいた。さすがに申し訳なく思いながら、俺は努めて明るい声を出した。
「おっ、見えた。あれだろブルマ、あの森のある海岸。うん、余裕で間に合ったな」
少々引っ込みがつかなくなっていたからだ。するとブルマはすぐさま立ち上がって、肩をいからせて叫んだ。
「ええ、そうね!!」
気丈だ…
いつもなら『意地っ張りだなあ』と思うところを今は素直にそう思い(自分でもやり過ぎた感があったので)、俺は軽くブルマの肩を抱いた。そのままなんとなく寄りかからせて、残りの距離をゆっくりとディンギーを走らせた。
おとなしく寄りかかってくれているブルマに、ちゃんと感謝しながら。


「砂浜の方には留めちゃダメよ。観光スポットなんだから」
胸元で発せられる指示に従ってディンギーを森の手前の岩場へ寄せると、ふいに聞き知った声が飛んできた。
「やあ、こんにちは。今日も仲良くやっとるのう」
「ほーんと羨ましいわねえ、あなた」
こう言っちゃなんだか実に珍しいことに、フレイクが奥さんと一緒にいた。その事実から俺はいくつかのことを窺い知った。まず、これまで何度か見かけた二人の婦人のうち、表面上羨ましがってくれる方がフレイクの奥さんだということ。次に、どうやら今は良識家の相棒はいないらしいということ。
「あ、あら…ええ、まあ。……ちょっとヤムチャ、もう手離してよ!」
最後に、ブルマがすっかりいつも通りになっているということ。短い言葉と共に『いつまで抱いてんの』という言外の意が俺にははっきり聞こえた。さらに軽く睨みを効かせてもきたので、俺はすかさず手を離した。心の中で少々突っ込みを入れながら。…最初の頃とはえらい違いだ。それにしたって、何も今そういう態度を取ることはないのにな。今日『は』仲良くしてるとか言われたわけじゃないんだし。
「あたし先に行ってるから!」
どことなく様子を窺っている気配のフレイク夫妻と俺とを残して、ブルマは一人さっさと砂浜へ駆けていった。サンダルを履く間も惜しむ慌ただしさで。…余韻と雰囲気がないとか、昨夜言ってなかったか?あれは空耳だったのか。軽く呆れながらその後姿を見送った俺の横では、物言いたげな顔をしたフレイクが奥さんに袖を引かれて連れられていった。どうやら彼も奥さんに頭が上がらないようだ。
『も』。ディンギーを繋留し水着の上に簡単な衣服を着けながら、ふと当然のようにそう思っていた自分に俺は気づいた。妙に細かな突っ込みを、さっきから入れ続けていることにも。俺は苦笑しながらブルマの後を追いかけ、その直後、また小さな突っ込みを入れることとなった。
「ヤムチャだったら貸さないわよ!」
俺が顔を出すなりブルマがいきなりそう叫んで、勢いよく腕に抱きついてきたからだ。何だ何だ。今さっき自分で『離せ』って言ったばかりなのに。
「やだなー、ブルマさん。まだなーんにも言ってないじゃないですかぁ」
「でも、ブルマさんがそう言うんならヤムチャさんに頼むのは止めときます」
次の瞬間、まさに目の前でミルちゃんとリルちゃんがそう言って笑った。この上なくにこやかな、かわいらしい笑顔で。ははぁ、これはきっとまた何かのおねだりだな。この子たちって本当に子どもっぽいんだから(いい意味でな)。
「俺に何を頼むって?」
「何でもないから!さ、行くわよ!」
俺が訊くと、ブルマは露骨に双子との会話を切り上げて、さらに俺の腕を引っ張った。そんな風に俺たちがその場を離れてしまっても、ミルちゃんとリルちゃんはにこにことしてしばらく手を振り続けていた。俺は反射的にそれに応えようとして、だが踏み止まった。悪い意味で子どもっぽい俺の彼女がそれはかわいくない顔をして隣にへばりついていたからだ。
何を頼まれたのか知らんが、わかりやすいやつだ。そうだなこの上は、さっきフレイク夫妻にかけられたような冷やかしが入らないことを祈ろう。
やがて浜の端に着いた。その間何事も起こらなかったので、俺は素直にそこの景観を楽しむことができた。
「へー。おもしろいなあ。ほぼ周りが全部海か。中州…じゃあないしなあ」
「正真正銘の陸地よ。世界で一番幅の狭い砂浜ね。二つの海が同時に見える珍しい海岸でもあるわ。右がカフィ海で、左がルース海」
「ふーん」
『狭い』ということが開放感を生み出す稀有な例を、俺たちはしばし見続けた。まるで海のど真ん中につっ立っているかのような臨場感溢れるこの感覚。舞空術を使えば俺にはそういうことができるはずだが、未だ一度もやったことがない。言わば思考の盲点だ。それに加えてもう一つ、俺には心の中に湧き立つ感覚があった。…ここで気をぶっ放したら、海が2つに割れそうだな。
そう思った途端、ブルマに腕を引っ張られた。ブルマはそれは見事に俺の心を読んでいた。
「ちょっと!こんなとこでそういうことやらないでよ!」
「何、構えてみただけだよ」
「なぁんでこんなとこで構える必要があんのよ!」
「だからちょっとやってみただけだって」
「普通はそういうことちょっとやってみたりしないの!ほんっと体力バカなんだから!」
そのくせ『本当にする気はない』というところまでは読んでくれなかった。おまけに結局『体力バカ』って言われた。さらにそんな言い合いを続けながら森の手前へと戻った俺たちを見る周囲の視線は、それは微妙なものだった。
「はい、みなさんお揃いですね。ではこれから古代の森へと参ります」
果たして、この怒鳴りながらも腕を離さない彼女を、周囲は何と思ったのか。わりあい第三者的な気持ちでそう考えながら、トラベルコーディネーターの声に従うブルマに従って森へと入った。


その『古代の森』とやらは、軽く俺の想像を裏切った。
「でかいな。岩じゃないのか、これ」
「正真正銘、生きてる木よ。約800万年前のね」
森以前に木に見えない。あれだ。よく砂漠の荒野に突き出している背の高い岩にそっくりだ。ひょっとして、俺どこかで岩と間違えてこの木と同じものを壊しちまってるんじゃないだろうか。俺だけじゃない、悟空とかクリリンとかも…
俺は本気でそう危ぶんだが、口に出すのは控えておいた。また言われそうだからだ。『体力バカ』と。さっきとはまったく違うニュアンスで。
やがてなんとなくきょろきょろしながらブルマがその3本の木の間を行ったり来たりし始めたので、俺は少し後退って、その光景そのものを目に入れた。緑溢れる森を背景に鎮座する変哲のあるただの大木と、物珍しげにそれを見る人々。とはいえ、さほど感じるところがあったわけではない。こういうものを見たりするのもある意味旅行っぽいな。そう思った程度だ。
「やれやれ、うちの奥さんにも困ったもんじゃよ。わしはパティと街に行きたいと言ったのに。こんな木を見て何がおもしろいのかねえ」
ふいに隣で声が聞こえた。一瞬独り言かとも思ったその台詞が俺に向けてのものであることに気づくのに、時間はかからなかった。
「なあ、そう思わんかね」
「ええ、まあ」
俺が曖昧に答えると、フレイクはそれは不本意そうに言葉を続けた。
「わしはただ『街に行きたい』と言っただけなんじゃ。それなのに『街のどこに行くつもり?』ときたもんだ。なんじゃい、それは。わしを何だと思っとる。何かというとすぐそういう考え方をしおって、女ってのはしょうもない生き物じゃよ。君もそう思うじゃろ」
「はは…」
俺にはすでに返す言葉がなくなっていた。困った愚痴を吐かれてしまったもんだ。きっと今はいない相棒の代わりなんだろうな。そう思っていると、フレイクが見透かしたように笑って言った。
「君のところもご令嬢がなかなか強いようじゃからの。わしの気持ちがわかるんじゃないかと思ってなぁ」
「…………」
俺は初めてミルちゃんとリルちゃんに話しかけられた時のことを思い出した。まるで遠い日の花火のように。あれからまだ10日も経っていないというのにな。事実が広まるのって早いなあ…
「ところで、わし今夜街のそういうところへ行こうと思っとるんじゃが、君の都合はどうかね?ご令嬢は撒けそうかな?」
「あー…いやえーと、申し訳ないんですが、その話はなかったことに…」
「なんじゃ、ご令嬢が怖いのか?だらしないのう。いい若いもんがそんなことでどうする」
どうするったってなあ。っていうか、俺の気持ちがわかるんじゃなかったのか。
わざわざ喧嘩を売りつける気概が、どうやらフレイクにはまだ残っているらしい。それとも単にブルマほど強いやつはいないということだろうか。あまり追及したくない事実を一つ噛み締めながら言葉を濁し続けていると、やがてミルちゃんとリルちゃんがやってきた。
「あっ、いたいた。ヤムチャさーん」
「あのー、ちょっとお話いいですかぁ?」
そして辺りを憚るように見回してそう言った。フレイクが、間髪入れずそれを茶化した。
「ははぁなるほど、若い者は若い者同士か。ご令嬢には黙っててあげるからゆっくり話しなさい。ミルちゃんリルちゃん、また後でなあ」
「フレイクさん、バイバーイ」
「また一緒にごはん食べようね〜」
本気なんだか冗談なんだかわからない意味ありげな視線を寄こして、フレイクは去っていった。その後ろ姿にひとしきり手を振ってから、にこにことしたままでミルちゃんが口を開いた。
「あのですね、ヤムチャさん。これ内緒なんですけど、あたしたちさっきあの道の向こうにある立ち入り禁止の場所にいったんですよ。ブルマさんも一緒にね!」
「古代の木、いっぱいありましたよ!…でも、そこでブルマさんが事故にあっちゃって…」
次にそう言ったリルちゃんは少しおずおずとしていた。でもそれでも充分に軽やかな笑顔だったので、俺はいま一つピンとこないままに訊き返した。
「事故って何の。転んで足でも捻ったのか」
『こんな足じゃ歩けない』。そう言いながら地団駄を踏むブルマの姿が脳裏に浮かんだ。『地団駄踏めるなら歩けるだろ』。いつも呑み込むその台詞までもが頭を過ぎった。
「あ、そういうんじゃないんです。それは全然大丈夫です。ブルマさんものすごく元気ですから。でも穴に落ちちゃって、それが結構深くて出られなくなっちゃって」
「それでヤムチャさんを呼びにきたというわけです!」
「…………」
さらに返ってきた双子の声が、俺の僅かながらの緊張感を吹き飛ばした。それはにこにこと双子は言い切った。…ひょっとして褒めてほしいのかな?そうとすら思える雰囲気だった。
「立ち入り禁止区域の穴だな。なんか、自業自得という気がすごくするが…君たちは大丈夫だったの?」
だがさすがにそうする気には俺はならず、自らも規則を破る決心をした。最後に一つだけ確認すると、双子は揃って笑みを溢した。
「はい!どこもなんともありませーん!ブルマさんだってそうですよ。ただ穴から出てこられないってだけで。早くヤムチャさんを呼んでこいって怒られちゃいました」
「じゃ、あたしたちそろそろ集合時間だからバスに戻りますね。後はヤムチャさんにお任せしまーす。穴は端っこの方にある木の後ろです。すっごく素敵な場所だったから、ヤムチャさんも気にいると思いますよ〜」
そして、揃って俺に背中を向けた。…まあいいけど。わざわざあの子たちに先導してもらう程のことはなさそうだしな。
そうこうしているうちに周囲の人間がぼちぼち場から消え始めたので、俺も違う方向に消えることにした。さほど人目を気にすることなく立ち入り禁止のロープを飛び越え、道を急いだ。人一人ようやく通れるくらいの獣道。地面こそ多少露出しているが、草木の掻き分けられた跡もさほどなく、蔓や枝が肌に痛い。ブルマのやつ、よくこんなところを通っていったな。そもそも、立ち入り禁止のロープがなければ気づくことすらなかったんじゃないのか。
気づかなければよかったのに。わざわざこんなところを通っていった挙句に穴なんかに落ちるなんて、間抜け以外の何物でもないよな。おまけに元気ときた。こりゃあ、助けた後が思いやられるな。自ら踏み込んだ立ち入り禁止区域の穴とさっさとどこかへ行ってしまった双子、一体どちらに八つ当たりの矛先が向けられることやら。
思っていたよりも長い獣道の最後は、まるっきりの茂みだった。本当にここを行ったのだろうか。微かに訝りながらも、茂みを気で焼き切った。次の瞬間、とりあえず道は正しかったということがわかった。
開けた視界に、例の巨木が立ち並んでいたからだ。円を描くように13本。そしてその真ん中におそらくは件の穴があった。だがその後に続く光景は、俺の予想を裏切った。
「…ブルマ?」
ブルマはいなかった。穴の中に俺の声が響くこともなかった。穴の深さは約1mほど。怪我をしていないのなら登れない高さではない。とはいえ、他に穴は見当たらなかった。
…どうも話が違うな。俺が通ってきたところは道なんて言える代物じゃなかったし、穴の位置も聞いていたのとはまるで違う。俺は首を捻ったが、それでも他の場所を探そうとは思わなかった。ブルマがこれまでここにいたということは、はっきりとわかっていた。
丸みを帯びた白い貝殻が――昨日俺が買ってやったネックレスの一部が、その浅い穴の底に転がっていたからだ。
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