Trouble mystery tour Epi.4 (4) byY
穴の底に3粒。さらに少し離れたところに2粒、1粒…
黒い木々が根を下ろす黒い地面の上で、真っ白な貝殻は鮮やかに浮かんで見えた。そのコントラストの妙が示す事実を知って、俺は軽く息を呑んだ。
…なんだか面倒なことになってきたぞ。
辺りにバラバラと散らばった貝殻の道標は、おぼろげだが一つの方向へと続いていた。森の奥のある部分――道なき箇所へ。どうやらブルマは俺を待ちきれず一人どこかへ行ったらしい。…そう、どこかへ。
まったく、どこに行ったんだ。確かに獣道の入り口はこちらからはわかりにくいが、それなら俺を待てばいいのに。森の中の迷子とはまた厄介な…
空から探すか。
こうして俺は当初の話とはまったく逆に、地の底ではなく空の上へと飛ぶことになった。時刻は午後の日差しが弱まってきた頃。感じた限りでは辺りに人気はない。まあ問題ないだろう。
そんなわけで久々に舞空術を使ったわけだが、それは奇妙な結果を呼んだ。
「あてっ」
何かにぶつかったのだ。遮るもののないはずの自然の空で。黒くて固くて大きな何かに――
「なんだ?」
俺は自分の感覚を確かめながら体を起こした。俺の行く手を塞いでいたのは土だった。つい一瞬前まで自分が踏んでいた大地。それが目の前に当たり前のように広がっていた。そう、俺は空へ飛んだのではなく地面に転がっていたのだ。
落ちたような感覚はない。かといって当然地面にダイブしたりもしていない。不注意?そんなバカな。
釈然としないながらも立ち上がると、右足に一本の線が巻きついているのに気がついた。何の植物なのかはわからない。ともかくも暗黄緑色の細い蔓。
…これに引っ掛かったのか?こんな小さなものに?
それにしても、一体いつ絡まったのだろう。首を捻りながら蔓を切り、再び空へ向かった。その途端、蔓が動いた。
そう、動いたのだ。まるで鞭のようにしなって、足元へと飛んできた。今度は気づいていたので絡まれはしなかったが、触れられはした。その瞬間、何かが体の中を走った。
感覚というか、意思というか、そんな何か。うまく言えないが、何かを訴えかけてくるような流れ。信号のような、命令のような。肉体へのダメージはない。それこそ、痛くも痒くもない。だがヤバい。この感覚は何かおかしい。迂闊に触れない方がよさそうだ。
そうと悟った時には、蔓はもう一本ではなくなっていた。一体どこに潜んでいたのか(そもそもこれは何なのか?)、最初のものとは比べものにならないほどの太い蔓が数十本、そこかしこから伸びてきていた。同時に枝葉も重なり合って、空がすっかり埋め尽くされてしまった。それを一本一本叩っ切るつもりは、俺にはなかった。
すかさず拳に気を集めると、蔓がまさにそこを目がけて集まってきた。光に対する習性だろうか。
だが、俺は構わなかった。例え植物が光と温度を求めるものだとしても、これほどの気の爆発の中で生きていられるわけはない。そう確信していた。
…まあ、こいつらが植物であれば、の話だが。


その一発で、大半の蔓は消えた。やはりな。どんな動きをしていても所詮植物は植物だ。
一方で少し不可解なこともあった。完全には燃え尽きなかった一部の蔓に、外縁部に残った蔓がとりつき始めたのだ。そして燻っているその蔓をみるみる粉砕していった。…何だこれは。共食いか?植物のくせに。
何だかよくわからないがとにかく片がついたので、さっさとブルマを捜すことにした。すでに捜すものは菫色の髪だけではなくなっていた。まさかとは思うが、ブルマにも同じことが起こっているかもしれない。…それともすでに起こった後だったのか?あのネックレスの残骸の示すところは…
想像を掻き消している暇はなかった。空に飛び上った直後、俺は見つけたくないものを見つけてしまった。さほど遠くない森の一部に木々がこんもりと――と言うには密集し過ぎている箇所があった。貝殻の続いていた方向だ。100m四方程にわたって木々が重なり合いまるで屋根のようになっている。
「あれは…」
考えるまでもなかった。俺はすぐさま気を放ち森に穿ったその穴から、覆い隠された大地の上に滑り込んだ。
「!…ブルマ!」
頭上に広がる緑の天井の中心に、捜し人の姿があった。ブルマはぐったりとして俺の声にもほとんど身動ぎせず、まるではりつけられたようになっていた。両手首に巻きついた太い蔓。体を押さえ込むように纏わりついている暗緑色の植物群。
「繰気弾!」
速攻で飛ばした気弾は、すっぱりと蔓を切り裂いた。縦に、横に、斜めに、その他あらゆる方向に。ブルマを捕まえていた植物と、再び捕まえようとする植物のすべてを、俺は切り刻んだ。物言わず落ちてきたブルマを抱き留めて、さらに気を放った。
――爆発。蒸発。…静寂。
すでに切り刻んでいたからなのか、それとも歯止めがきかなかったせいなのか。今度は蔓も枝も木の葉も、いや森そのものが跡形もなく消え去った。だが安堵の息を吐くことは、まだできなかった。
「ブルマ、おい、しっかりしろ!」
喜び。感謝。驚き。悲鳴。ともかくもいつもならば何かしら聞こえてくるはずのブルマの声がまったく聞こえてこなかったからだ。声どころか、動きそのものがなかった。俺が再三揺さぶるとようやくブルマは僅かに、本当に僅かに薄目を開けた。それは、かろうじて聞き取れるぐらいの、それこそ風が木の葉を揺らす音にさえ掻き消されてしまいそうな微かな呟きだった。
「や…、…ダメ…」
そしてそれきり何の反応もしなくなった。事ここに至ってついに俺は、その事実とのみ相対することとなった。
――冷たい…
ブルマの体が氷のように冷たい。生暖かい夏の夕風の中でさえ、凍えていく体。頬と鼻の凍えていくそのスピード。肌は青白く体は震え、呼吸は荒くなっていく。風邪とかそんなんじゃない…外傷もない。どこにも、ひとすじの引っ掻き傷さえも。それなのに…
くそっ!どうすりゃいいんだ…
俺はまったく途方に暮れた。こんなことってありえるのか?ここは南国だぞ。俺たちは旅行していただけなんだぞ!――死ぬな…――今から医者のところへ飛んで行っても到底間に合わない。しかしこのままでは――死ぬな!――そうだ、その時にはドラゴンボールがある。…いや、だがあれは――死ぬな!死ぬな死ぬな死ぬな!――
ドラゴンボールなんかダメだ。そんなの、ブリーフ博士やママさんに何と言えばいいんだ。何より、俺のこの気持ちをどうすればいいんだ。
そんなことを考えている間にも、ブルマの体はどんどん冷たくなっていく。俺の腕の中で。俺の体の下で。もう一刻の猶予もないというのに、俺は何もできずに抱いているだけ――
『…抱き合って冷えた体を温め合うっていうやつもね。本当にそんなことであったまるものなのかしらねえ…』
ふいに、今一番聞きたいその声が、脳裏の奥に響き渡った。ほんの一日前、無邪気にメシを食いながら、ブルマが笑い飛ばすように言った言葉。思わず苦虫を噛み潰させられた言葉。本当にあの時の俺は邪なことを考えていた。なんて呑気で幸せだったのだろう。…そう自嘲しかけて、俺はやめた。
心の中にある考えが浮かんでいた。触れあえば熱が伝わるのは事実だ。抱き合うだけで温まるのならとっくにどうにかなっている、それも事実だが…
心と体の両方を制御しながら、俺は気を高めた。静かにゆっくりと、力そのものを表には出さないように。内包させ続けるのだ。熱だけを、肌から伝わらせるのだ。心と体両方の温度を、ブルマに与えるのだ。
もちろん過去にやったことはない。考えてみたこともなかった。でも、できると信じた。
だって、ブルマが死ぬなんて、考えられないんだ。
「ヤムチャ…痛い」
それでもやがてその声が聞こえた時、俺の胸は感謝の気持ちでいっぱいになった。
「よかった…」
他に言いようもなかった。ただただ強く抱き締めると、ブルマはまた口を開いた。この耳で聞きたかったその声は、またもや文句の言葉だった。
「よくないわよ。痛いって言ってんでしょ」
「ばーか」
俺は笑って鼻を小突いてやった。ブルマの鼻は温かだった。頬も、唇も。さっきまでは氷のように冷たかったその体も。肌からは青白さがすっかり消え失せて、元の健康的な肌色に戻っていた。
「いったぁーい」
ブルマは大げさに眉を顰めて、あまつさえ涙を滲ませた。ある意味では何事もなかったかのような態度だった。まったくこいつは、人の気も知らないで。この上ない喜びと共に、俺も心の中で文句をつけた。わざとらしいその仕種までもが、今は嬉しかった。そのまま頬に指を添わせかけると、ブルマが目を瞬かせて呟いた。
「何これ。体が光ってる…」
「ああ…気だよ。気でおまえの体を温めたんだ」
答えてから考えた。デリカシーと科学の両方をアンバランスに求めるやつに、両方与えておいてやろうと。
「あれだ。抱き合って冷えた体を温めるっていうやつ。ちゃんとできたぞ」
最も、余韻や雰囲気を漂わせることはしなかった。気は消したし、パレオを解いたりもしなかった。そのためかどうかはわからないが、ブルマは妙に真面目くさった顔をして俺を見た。まったく感化されてくれていないことはその淡々とした口ぶりからも明らかだった。
「それはちょっと…いえ、かなーり違うような気がするんだけど…」
「そうか?まあ、おまえは眠ってたからな。じゃあ、後でおまえにもわかるように温めてやるよ」
だが、俺は構わなかった。ことさらに軽口を叩いて、涙を拭ってやった。一応は俺が流させた涙を。ブルマが何も言わなかったので、今度こそ口を塞ぎにかかった。例え何と言われようと構わない。どうしたってそういう気分だ。
「さ、帰るか」
とはいえブルマの唇がどことなくおとなしやかだったので、俺は少し注意してその体を抱き上げた。一応は回復したみたいだが、あまりスピード出さないようにしないといけないな。いつもより緩やかに大地を蹴りかけた時、ブルマがひょいと言葉を投げた。
「ねえ、ディンギーは?」
「あ、忘れてた」
俺は完全に不意を衝かれた。おまけにちょっと足踏みさせられる思いでもあった。
「ダメよ、ちゃんと乗って帰らなくちゃ。たぶんもうここには来ないわよ」
「面倒くさいなあ」
「あんたが乗りたいって言ったんじゃない。いいじゃないの、ゆっくり帰りましょうよ。ここは日が長いんだから」
それでも俺はさほど気分は害さずに、ブルマの言葉に従うことにした。俺を促すブルマの態度は柔らかだった。そして何より、その言葉には理があった。
確かにここの日は長い。そう急いで帰っても、きっとまた俺がカードで負ける羽目になるのだろう。それはどうしたって今夜の気分ではない。
「だからもう、気でかっ飛ばすのはなしにしてね」
そんなわけで、俺は何から何までブルマに従った。天邪鬼にも付け足されたその言葉にも従って、人気のない海の上をゆっくりとディンギーを走らせた。
スピードを出してもいない艇の上でしがみついてくる女の存在に、感謝しながら。
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