うんと強く抱き締めて、その温もりを確かめた。

そろそろしつこいかな。でも、本当に冷たかったんだ。あのまま死ぬかと思ったんだ…

何度抱き締めても、ブルマはしつこいとは言わなかった。とはいえ、それほど俺の気持ちを酌んでくれたわけでもなかった。

「…っくしゅん！」

「大丈夫か？やっぱりさっき冷えたから…」

南国には不似合いな自然現象。それを受けて俺がタオルケットを被せてやると、即座にそれを撥ね除けた。

「平気よ。そういう冷えじゃないもの。きっと汗を掻いたからよ。誰かさんがそりゃあもうしつこく温めてくれたからそのせいでしょ」

…いや、言った。まあ受け入れられるニュアンスではあったが、言った。俺は言葉を探したが反論の余地がないことは自分でもわかっていたので、そこには触れずに現実的な注意だけをしておいた。

「…ま、どっちにしても今夜は暖かくして寝るんだな。昨夜みたいにタオルケットを蹴っ飛ばしたりするんじゃないぞ」

「やだ。暑いもん」

そしてめげずに再びタオルケットをかけてやった。が、また撥ね除けられた。そしてさらに釘を刺された。

「言っとくけど、昨夜みたいに眠った後でかけないでよ！本当に暑いんだから。じゃあね。おやすみ！」

ブルマはそれはきびきびとした口調で言い捨てて、ごろりとベッドに転がった。そりゃあもう無造作な仕種で、宣言通り何もかけずに。俺はその意固地さにというより、態度そのものに呆れてしまった。

まったく、余韻も雰囲気も何もないな…

おまえ死にかけたんだぞ。わかってんのか？

今はもう眠ること以外考えられない。そう語る背中に、俺はまたタオルケットをかけてやったが、当然のようにまた除けられた。なかなかしつこいな。そう思いながら俺はブルマの隣に寝転がり、頭の後ろで腕を組んだ。特にすることも考えることもなかったが、目は瞑らなかった。まだ眠くはなかった。気分も害していなかった。

いいんだ。またかけてやる。寝入ったら即行でかけてやる。それが嫌なら、俺を先に寝かせてみろってんだ。

いつもと変わらない、変わらなさ過ぎるブルマの態度に感化されて、俺もちょっぴり現実を思い出していた。そう、どうせ俺がブルマに勝てるのは、こいつが寝てる時だけだ。だから、それをせいぜい有効に利用してやるんだ。

そんなわけで俺は少しだけブルマより夜更かしすることに決めて、目を開け続けた。頭上にはただただ白いだけの天井。窓の外に見える何の変哲もない南国の植物。

…………ちょっと、寝る前にもう一度だけ、抱き締めておこうかな…

夢を見た。

醒めた時には、感覚しか残っていなかった。妙に涼しい夢だった。実際、ひんやりとした感触がして目が覚めた。と言えば、誰しもそういうことを予想するだろうが、そうではない。俺はトイレに行きたかったわけではない。

涼しさの正体は、風だった。パティオへと続く窓が僅かに開いていて、そこから朝の光と潮風が流れ込んできていた。ただそれだけのこと…

…ではなかった。通常ならばそうなのだろうが、今は違う。それが俺にはわかっていた。うなされたというわけではない。ただ、ただ…

そんなわけで、俺はまたブルマを抱き締めた。ここにいるということにまで安堵することはなかったが、その温もりには安堵した。一緒のタオルケットに包まって髪を撫でていると、やがてブルマが目を覚ました。

「おはよう。よく眠れたか？」

「…ええ。おかげさまでね…」

それはよかった。

非難がましいブルマの目つきと声を受けて、俺はそう思った。ブルマの言外の意がわからなかったわけはない。でも、そんなの全然気にならなかった。俺が気になったのは、ブルマの頬の色だった。

なんか赤い…ような気がする。時が時なら『薔薇色の頬』と評してもいいのだが、今この時としてはむしろ…

「熱なんかないったら…」

俺がその頬に手を当てると、それは鬱陶しそうにブルマは言った。どうやら俺の不審が伝わったらしい。口調のみならずその視線も相変わらず非難がましかったが、俺は構わずブルマの額に自分の額をくっつけた。さっきまでとは違った意味でその温もりを確かめるため。ちょっと心配しながらも、でも風邪をひくっていうのはある意味元気な証拠だよな、なんてことを考えたりした。我ながらよくわからない気遣いだ。昨夜さんざん安眠妨害しておいて（ちゃんと自覚している）、おまけに体の具合が気になるなら医者に見せるとかすればいいのにこんな風に原始的な方法で探ったりして、一貫してないというか女々しいというかどうにも鬱陶しい人間だ。と、わりあい客観的に俺は自分を見ることができていたが、さてでは改める気があるのかというと、そうではなかった。

いいんだ。

俺は助けたんだからいいんだ。うんと心配したんだからいいんだ。そういうことをしたい気分なんだからいいんだ。

そして、今ではありがたいと思うことに、ブルマも口に出して文句を言うことはしなかった。ただ黙って咎めるような呆れたような目を向けてくるだけだった。だから俺は俺にとっては当然であることに、その唇にキスをした。ブルマはちょっとびっくりしたようで丸くした目をさらに瞬き、それが俺には楽しかった。

こいつ、未だに全然気がついてないんだな。

起き抜けの自分がどれほど無防備な表情をしているかということに（機嫌が悪い時は別だが）。そんな風に目を丸くすると、はっきり言ってめちゃくちゃかわいいんだということに。

というわけで、おそらくブルマは気づいていないだろう当然の成り行きで、俺はブルマを抱いた。部屋いっぱいに陽が差し込み肌に届く風が生温く感じられるようになるまで、その体を温め続けた。

うん。

いい朝だ。

南国って生の楽園だ。

色とりどりに咲き誇る花々。青々とした木々。そこかしこを舞う蝶。海の上を雄々と飛んで行く鮮やかな鳥。どこもかしこも生命力に溢れている。…こういう場所だからこそ、あんな森が存在したのだろうか。

そんなことを考えながら、パティオの向こうに広がる景色を見ていた。ブルマが着替えをしている間。陽も心も高まったところで俺たちは、いつものように一日を始めることにしたのだった。そう、いつものように。ブルマは相変わらず何もなかったような顔をして、乱雑にスーツケースをひっくり返したり簡単に化粧を施したりしていた。だが、何もなさ過ぎて少々不自然に感じられることが一つあることに、俺は気づいていた。

それはブルマが、あの森のことをまったく話題にしないことだ。

あの森は何だったのか。果たして植物だったのか。そういうことを、一言も口にしないのだ。たいして知りたくもないというところなのかもしれないが、そうだとするとなお不自然だ。普通は疑問に思うだろうし、それがブルマならなおさらだ。科学的にはああだこうだと一度くらいは講釈を垂れてもよさそうなものじゃないか。…通常ならば。

そう、もちろん俺は心の底から不思議に思っていたわけじゃない。だからやがてブルマが目にも鮮やかな黄色と緑の縞のワンピースを着てリビングに現れた時、その一見派手なほどの生命力の輝きに喜んだ。

「オッケー、おまたせ」

「よし、じゃあメシ食いに行くか」

まあ、どうでもいいことだ。俺だって、とりたてて知りたいとも思わん。それにあの森はもうなくなってしまったんだ。例え考えたって、本当のことを知ることはないだろう。

「どこに行く？またあそこか？ダンスやってる、椰子の木の…」

「うん、お昼はもうずっとあの店でいいんじゃない。あそこメニュー豊富だし、ビーチにも近いしね」

「いかにも南国って雰囲気だしな」

「そうそう、そういうのが旅行には大事よ〜」

わかりきったいくつかのことを半ば惰性で口にしながら、俺はブルマとレストランまでの道のりを歩いた。初めてここに来た時と同じように手を繋いで。あの時とはまったく違う理由から、俺は自然とそうしていた。当然だ。この日この時このタイミングで、俺と同じことをしないやつはいないだろう。頭上に広がる青い空。横手に続く長い海岸線。溢れる緑に取り込まれるかのようなブルマのドレス姿。俺の手の中にある、あくまで温かな細い指。あー、平和だ…

ここへきてようやく、ブルマの体温を感じたいという思いは落ち着き始めていた。もう何度も確かめたから。文字通り肌に馴染んできた。いつもと何ら変わらない。すっかり何も――

「ブルマさんヤムチャさん。こんにちはー」

やがてレストランの椰子の木陰に入り込むと、さらにその感覚はいや増した。最初に会った時からずっと変わらないとも言えるミルちゃんの第一声が、ひどく地に足の着いた感覚を俺に与えたのだ。このいかにも浮かれた黄色い声がそんな風に聞こえるというのも不思議なものだが…

そして、それに続くリルちゃんの声が、がっちりと俺の心を地面に抑え込んだ。

「よかったー、お二人ともなんともなさそうで。あの後森が爆発したって聞いて、ちょっぴり心配してたんですよぉ」

文字通りの爆発発言。俺はすっかり呆然として、我ながら失言とも思える言葉を返した。

「爆発って…二人とも、どうしてそのこと知ってるんだ？」

「あれ、知らないんですか？昨夜からTVでいっぱいやってますよぉ。地元のチャンネルなんか、もうそれしかやってませんよー」

「そうそう、森も古代の木も全部消えちゃって観光スポットがなくなったって偉い人がずーっと言ってて。そんなのでドラマ潰さないでほしい〜。海外ドラマ見るの楽しみにしてたのに〜」

「でも、あたしたち昨日見に行っておいてよかったねー！これでもう本当に二度と見れなくなっちゃったもんね」

「そうだね、写真も撮ったし。超レアだよねー！」

「あちゃー…」

でも、それが不審がられることはなかった。そしてその理由というのがまた俺を呆然とさせたのだった。

「うーん、結構大ごとになっちまってるなあ…」

あんな森なくなってよかったと俺は思っていたんだが。でも、そうだったな。あの森は、表向きは歴史のある森なんだった。

喜々として自分たちのテーブルに戻っていった双子を横目に、俺は腰も重く席についた。すると、いつもと違って始終黙り込んでいたブルマが、投げやりとも言える口調で言った。

「いいわよ、あんな森どうだって。だいたい森とあたし、どっちが大切？」

「んー、そりゃまあ…」

わかりきったことを途中から口にしなくなったのは、単に習慣だった。なんとなく身を引いて腕を組むと、ブルマがずいとテーブルに身を乗り出してきた。それはいつもの構図だった。ブルマが俺に詰問する時の。だが、その口から出てきたのは予想していた畳みかけの言葉ではなかった。

「まあいいわ。ねえ、そんなことよりネックレス買ってよ」

「ネックレス？」

「一昨日買ってくれたでしょ。でも、昨日ので壊れちゃったの。あれ気に入ってたのよね」

俺は思わず耳を疑った。今度は惰性ではなく、訊くべくして訊いた。

「ちょっと待てよ。まさか同じのをか？同じネックレスをまた買うのか？」

「そうよ。いいでしょ別に。二個目だけどスペアってわけじゃないわよ。だってなくなっちゃったんだもん」

懲りてないな…

俺はすっかり返す言葉を失った。何もないような顔をするにしたって、限度がある。普通はそういう思い出すようなものはつけないだろ。思い出したくないんだろう、そう感じていたのは間違いだったのかもしれん…

「まあ、絶対同じじゃなきゃダメってわけじゃないけど。でも、ああいうのがいいの。だから買ってね」

「ああ、はいはい」

何が『だから』なのか、突っ込む気力もないままに、俺は答えた。なんかもう全然心配しなくてよさそうだ。ブルマが死ぬなんて考えられない、昨日はそう思ったものだが、今また違う意味でそう思えてきた。

「ちょっと、なーにその返事！」

「二つ返事ってやつだよ。で、オーダーは？」

「今決めるわよ！」

俺が本当のことを言うと、ブルマは少し怒ってメニューとにらめっこし始めた。俺がこういう返事をすると、ブルマはいつも怒る。こいつ頭いいくせに、こういう基本的なことを知らないんだよな。二つ返事は快諾の証拠なんだぞ。そういう態度を取らなければ言ってやるのにな。

おまえかわいいこと言うなあ、ってさ。