Trouble mystery tour Epi.4 (6) byY
「んー…今日は結構風が強いわね〜」
レストランからの帰り道、少し遠回りして海沿いの道を歩きながら、ブルマが大きく伸びをした。その頬はまた赤かったが、俺はもう確かめることはしなかった。
「何かそういうマリンスポーツやったら?カイトボーディングとか。カイトボーディングって知ってる?大きなカイトで風を受けてボードに乗るの。あれはあんた向きだと思うわよ〜」
「そうだなあ…」
「あっ!あった!ほら、あのお店!」
どうしてかなんて、わかりきっていたからだ。軽くビールのまわったブルマはそれは上機嫌に俺の返事を掻き消して、軽やかな足取りでその店へと駆けていった。一昨日の夜にもそこにあったワゴンカー。観光客をターゲットとした露店の土産物屋。ところ狭しと置かれた南国調の小物に、色鮮やかなアクセサリー。
「確かこれだったよな」
品物そのものではなく、それが置かれていた場所を、俺は覚えていた。丸みを帯びた白い貝殻のネックレス。土産物の山の中からそれを拾い上げると、だが感慨を感じる間もなく、ブルマは言った。
「うん、そう。…あ、待って」
そして、何やら品物を物色し始めた。俺は一瞬不思議に思ったが、訊くまではないことだった。よくあることだ。ついでにこれに似合う○○も欲しい、とかそんなところだろう。所謂、芋づる式ってやつだな。
「やっぱり違うのにするわ。それ、そこにぶら下がってるターコイズとピンク珊瑚のネックレス。そのおっきい貝のついたやつ、それ買って」
だが、俺の予想は外れた。どうやら芋づる式ではなくて気まぐれだったようだ。さらにその気まぐれは少々意表を衝いてもいた。そのねだられたものというのが、先日買ったものとはあまりにも似ても似つかない代物だったのだ。適当な間隔を置いて革紐に並んだ、青、ピンク、オレンジの色も形も違う石。その先につけられた白い大きな二枚貝。もはやネックレスというところでしか共通点が見当たらない。『あれ気に入ってた』んだろ。『ああいうのがいい』んじゃなかったのか?そもそもがそれで買うってことにしたんだろうに。…きっともう忘れてるんだろうな。
「何よ?」
「…んー、いや別に…」
俺の不審に気づいたのだろう。ブルマは思いっきり眉を上げて俺を見たが、俺は何も言うつもりはなかった。俺の気持ちを慮ってくれた…などと考えたわけではない。だいたいが、まだ何も感じていない。それに俺はブルマの性格をわかっているつもりだった。ブルマはそんなやつじゃない。こいつは他人がどう思おうが、自分の欲しい物を欲しいと言い、したいことをしたいと言い、さらにはしてほしいことをしろと言うやつなんだ。
「ほら、つけてやるよ」
「…ん。ありがと」
そんなわけで、俺はちょっぴり笑いを堪えながらブルマの望んでいるだろう言葉を投げかけた。ブルマは思いのほか素直に俺に頷き、そのまま俺がネックレスをつけるに任せた。はっきり言って、その仕種はかわい過ぎた。何てことのない、何もしていないに等しい動作だったが、それ故にそのどことなく上目遣いで待つ表情に俺は惹きつけられた。…これまでずっと当たり前に見てきた、吸いこまれそうな青い瞳。今こそ薔薇色と言い切れるその頬。少し無表情なその唇…
少しだけ気を配ってネックレスを首元にあてがいながら、その頬にキスをした。だいたい予想はしていたがブルマはやっぱりびっくりしたようで、思いっきり目を丸くした。その後の表情から目を逸らすため、俺はブルマに背を向けた。土産物屋の影を抜けて再び潮風に身を晒しながら、しみじみと思った。
いやー、俺って自制心あるなあ。ここで唇にしないなんて、我ながら偉いよ。
「ちょっと、ヤムチャ…」
やがて風の音を掻き消してブルマの声が、次いで足音が後ろにやってきた。ブルマの足取りは、先程とは違って軽くはなかった。声だって刺々しかった。でも、俺は気にしなかった。キスをした瞬間から、怒声は覚悟していた。怒声っていうか、癇癪声な。ブルマのことだ、ここで感激して瞳を潤ませたりとか、まかり間違ってもあるはずがない。そんなこと塵ほども期待しとらん…
「ん?」
「一人で置いてかないでよ。恥ずかしいじゃないの!」
だがブルマの態度は、また予想を裏切った。正確に言うと、態度そのものではなく言葉に現れた態度が、俺の予想を外れていた。それと、態度と共に現れた頬の色も、俺には意外だった。
「はは。そうだな、それは悪かった」
ただ、見当違いの怒声の内容自体には、大いに納得できた。『女に恥を掻かせるな』。わりあい定期的にブルマが言う言葉だ。そしてその定期が、今きたというわけだった。
もう置いてはいかないということを示すためその手を取ると、ブルマはじとっとした目をしながらも隣にやってきた。この時、俺は俺の心境の変化に気づいた。ブルマの温もりは、今や俺にとって当たり前のものになっていた。温もりを持つ本人の態度こそが問題になっていた。
ま、わかりやすく言うと、その微妙なひねくれ具合もかわいいな。ということだ。


食後の散歩をした後は、半潜水艇で目の保養をしつつ一休み。
それからビーチへと繰り出したわけだが、一時間もしないうちに、ブルマは再び休みにかかった。
「あーダメ。もう疲れた。あたし上がって肌焼くわ」
「もう?運動不足なんじゃないのか」
「なわけないでしょ!」
本当に疲れてんのか、そう言いたくなる元気な大声を張り上げて。おおこわ。思わず心の中で呟いてから、俺は思った。…なんかこういうこと思うのってひさしぶりな気がするな。実際には数日ぶりくらいのはずだが、感覚的にな…
そう感じる理由はわかっていた。そしてその感慨に助けられて、ブルマの声はそれほど怖くはなかった(矛盾しているようだが)。
「とにかくあたしは上がるわ。砂浜の手前の方にいるから」
「じゃあ俺は適当に遊んでおくよ。さっき言ってたやつ、あれ何だっけ?」
「カイトボーディングね。ここ人少ないから、同じ場所でいろいろやれていいわよね」
俺はカイトボーディングを、ブルマはシートを借りるため、マリンショップへ共に歩いた。そしてそこで別れた。特に何を言うこともなく。見晴らしのいいプライベートビーチ。何に遮られることもなく吹きつける風。突き抜けるような空。広い水平線。
平和だなあ…
俺は改めて目の前にある現実に感じ入りながら、カイトボーディングを楽しんだ。初耳な上に説明を聞いてもいまいちわからなかったこのスポーツは、実に俺の肌に合った。
マリンスポーツなのに、海の状態にはほとんど影響されない。ボードがスピードに乗ったところでカイトの向きを変えると、それだけで体が浮き上がる。舞空術どころか、ジャンプすらしていないのにだ。さらに俺は半ば無意識に風を読む癖がついているので、もう完全に空を飛んでいる状態だ。その空中で、いつもとは違う意味合いでの技をかけまくるのだ。
いやー、スポーツってバカにできないなあ。敵をやっつける爽快感なんてなくても、充分に楽しいぞ。水の上をサーフィンする爽快感と風に乗って空へと舞い上がる爽快感をあわせ持つスポーツ。言われてもさっぱりピンとこなかったが、やってみるとまさにそうだと言える。これは相当遊べるな。タンデムできるって言ってたし、ブルマにもやらせてみようかな。
ひとしきり空と海を楽しんだ後で俺はそう思い、浜へと上がった。風もありいつもより涼しいせいだろう、椰子の木陰のない砂浜には肌を焼く人たちが多かった。ブルマを探すのに手間取るほどではなかったが。それでも、上がってきててよかった、その後そう思った程度には多かった。
ブルマはすっかり寝入っていた。砂の上に敷いたシートの上で、うつ伏せでビキニの紐を解いた、謂わば肌を焼く時の定番のポーズで。どうしてそういう無防備なことをするんだ。自分の彼女がするとなるとそう言ってやりたい格好だが、まあいい。女には女の理由があるみたいだから。だから、俺が焦ったのはブルマのその格好にじゃなかった。俺が海へと踵を返しかけた時に見せた、その仕種にだった。顔の下で組まれていた腕がふいに解かれて真横に伸びた、その直後の動きにだった。
…ぅおおおおおおおおい!
俺は即座に膝をついて、手を伸ばした。一瞬にして仰向けになったブルマの胸へと。今にも零れ落ちそうなその胸を両手でがっちり押さえても、ブルマはうんともすんとも言わなかった。ほとんど大の字になりながら、ひたすら寝息を漏らし続けた。呆れてやりたいところだったが、俺の心の中はそんな単純なものではなかった。
あー、危なかった…
やっぱりダメだな、この格好は。少なくとも寝相の悪いやつには断然不向きだ。まったく、俺がいなかったらどうなってたと…っていうか、今のこの状況をどうしてくれる。
ちらちらと寄せられる周囲からの視線に耐えながら、俺はブルマの体をひっくり返した。そしてまたちらちらと寄せられる周囲の視線に耐えながら、ビキニの紐を結んだ。首回りはわかるが背中にまで気を配る必要はないだろ。もし文句を言われたら、『誰に見せるつもりだ』って言ってやる。ああ、言ってやるとも。
とりあえず腹を決めると、ようやく気分が落ち着いた。シートに腰を下ろしてややもすると、周囲の視線もまったく普通のものになった。ほとんど目もくれずに通り過ぎて行く人々。ウーロンのようなナンパなやつも、無粋な勘ぐりをするやつもここにはいない。俺たちはごくごく当たり前にここにいる、ただのカップルなのだ。
少しだけ距離を置いて、俺はブルマの隣に寝転んだ。しばらくしたらブルマを起こして、一緒に遊ぶことにしよう。そう思いながら眩しい太陽を避けるべくサングラスをかけると、気になるものはあと一つだけとなった。ブルマの首にかかる、大きな貝のついたネックレス。これ絶対、眠るのに邪魔だよな。おまけに今は肌を焼いてる最中で、水着の紐は外していたというのに、こいつは…
時々見せるブルマの間抜けさを、フォローしてやるつもりは今の俺にはなかった。きっとブルマは文句を言うだろう。でも俺は『外さなかったおまえが悪いんだろ』などとは言わない。
そうだな、『ずっとつけてればいいだろ』って言ってやろう。実に平和的な解決手段だ…………

…突き抜けるような青い空。手前に薄くたなびく白い雲。
さらにその手前に菫色の髪が現れた時、ようやく俺はそのことに気がついた。
「おはよ。よく眠れた?」
いつしか自分が眠ってしまっていたということに。気づいた時にはブルマはすでに体を起していて、それはにこやかな笑顔で俺を覗き込んでいた。
「あー…」
「そう。それはよかったわ」
すっきりとした表情に、軽やかに響く明るい声。これはたぶん結構前から起きていて、俺が目を覚ますのを待っていたな。それもなかなか機嫌よく。次にそのことに気づいた俺は、用意していた言葉をすっかり呑み込んだ。どうやら文句の応酬はしなくて済みそうだ。そう思った直後だった。
ちょっ…………
いきなり視界が塞がった。それとまったく同時に口も塞がれた。
…………息が…!
まさに押し倒さんばかりの勢いでブルマに深くキスされて、思ったことはそれだった。ちょうど息を吐き出したばかりだったのだ。さらに、ブルマのキスは長かった。いつもよりというわけではないが、息を吐いた後と、殊にこんな場所でするものとしてはどうしたって長かった。
「ちょっとブルマ、いきなり何…」
再び寄せられる周囲からの強い視線に耐えながら、俺は訊いた。そういう無粋な質問をしたくなるほど、俺から唇を離したブルマには余韻も雰囲気もなかったのだ。
「何って、あんたがやったのと同じことよ」
ブルマの声は非常にきっぱりとしていた。それで本当の本当に、俺の目も覚めたというわけだった。
「わかった?そういう気持ちなの!いきなり人前でキスされたりくっついて寝られたり、する方は好き勝手してて楽しいかもしれないけどね、される方はたまったもんじゃないのよ。わかったら、むやみにべたついてこないで!」
「は…」
「ほら、目が覚めたんならさっさと起きる!」
「はい…」
俺はすぐさま頷いた。さっぱりわけがわからぬままに。頭が、起きはしたがまだ働いていなかった。いろいろと考えることができるようになったのは、ともかくも息を吸ってからのことだった。
あー、苦しかった。びっくりした…
なんて激しいやり方をするんだ。こんな公衆の面前で。『目には目を』にも程があるぞ。恥ずかしくないのか?さっき俺が頬にキスした時はあんなに恥ずかしがってたくせに。今のはどうして恥ずかしくないんだ。
だいたい、キスはともかく(キスだって、今のブルマのに比べれば――いや比べずとも、常識の範囲内だという自信がある)、今は俺はそんなにくっついていなかった。たぶんおまえがくっついてきたんだろ。こいつ時々、それはよく寝入っている時に限って、抱きついてきたりするからな(そして本人はそれを覚えていないのだ)。…これは言ってやりたいな。でも今このタイミングで言うのはなあ…『じゃあ傍にも来ないで』とか言われかねん。それはさすがにちょっとなぁ…
俺が頭を掻き掻き立ち上がっても、ブルマは何も言わなかった。強気な瞳。無表情な口元。おまけに姿勢さえ変えないその様を見て、俺はそれだけは言っておいてやろうと思った。
「…たぶん絶対、俺とおまえの味わった気分は違うと思うぞ」
「何それ、何が違うって言うのよ」
「だってなあ…」
だって、ブルマは応えてくれてたじゃないか。その後に手を繋いでも嫌がらなかったし、今だって黙って俺が起きるのを待っていた。その他の時だって…そう、俺にはブルマの心理がわかっていた。わからいでか、そんなもん。こいつは人目を気にしているわけじゃない。気にしてたら今みたいなことするもんか。ただ『好き勝手する方』に自分がまわってないのが嫌なんだろ。女王様気質なんだから…
「だって、何よ?」
「い、いや!何でもないよ…」
と、そこまで思考を進めてしまってから、俺は考えを改めた。やっぱり言うのやめておこう。これは絶対やぶへびだ。その上もう今さら確認するまでもなく、『言ってもしかたのないこと』だ。ウーロンなんかはめげずに時々言ってるけどな。でも、ブルマは全然変わらない。そしてそれこそがブルマのブルマたる所以なのだ。
「そんなことより、カイトボーディングやらないか?あれタンデムできるからさ。空を飛んでるみたいで気持ちいいぞ」
だからもうこのことに関しては何も言わないことに俺は決めて、数十分前に砂浜を踏んだ時の初志に戻った。ブルマは少し眉を寄せたが、今さっきまでの問い詰める様な雰囲気はすでになかった。
「いいけど、あんたあれ舞空術使ってない?スポーツする時にそういうのはなしよ」
「使ってないよ。そんなの使わなくても、軽ーく飛べるんだ」
「あら、そうなの」
ブルマはもう完全にいつもの口調で、さっくりと言っていた。胸を撫で下ろしながらも、俺は思った。…これで『たまったもんじゃない』とか言われてもなあ。説得力なさ過ぎるってもんだよな…
だがもちろんそれも言わないことにして、俺はブルマと共に海へ向かった。気づきさえすればそう思えるブルマの性質を、俺はわかっているつもりだった。
その説得力のないところがな、こいつのかわいいところなのだ。うん。


時々思うことがある。
俺もずいぶん女に対して豪胆になったもんだな、と。そのことにというよりはその理由に感慨を感じる形で。そう、理由はわかっている。俺は女を今のところ一人しか知らず、そしてその一人の女というのがそれはもう豪胆なのだ。
ここぞというところでカイトを動かすと、体が高々と宙に浮かび上がった。同時にブルマが高らかに叫び声を上げた。
「きゃああああ!ちょっとちょっと、ちょっとヤムチャーーー!」
「うん、うまいうまい。そこでもう少し足を引いて…」
「違ぁう!これは落ちてんのーーー!!」
わかってるよ。
心の中で呟いてから体をひねり、落ちゆくブルマの体を抱きとめた。同時に舞空術を使ったが(さすがに抱いたままボードに乗ることはできない)、この時ばかりはブルマは文句を言わなかった。まあ、この時ばかりと言っても、もう何度になるか知れないのだが。
「あー、怖かった…もう、ヤムチャってば調子に乗り過ぎよ!」
何度目かの文句はそれだった。ちなみにさっきは『少しは手加減してよ』だった。その前は『信じらんない』だったか…とにかくブルマは飛ぶたびに叫び、ことごとく俺の胸の中に収まり、毎回違う文句を言って、再びボードに乗るのだった。これを豪胆と言わずして何と言おう。それとも懲りないと言うべきなのか?でも、それは何か違うと思うんだ。だからこそ、俺もやめられなくなったんだよな。
ちょっと脅かしてやろうと思っただけだったんだ…最初はな。でも、ブルマがあんまり楽しそうに叫ぶもんだから。ついそのまま2回3回と…そして、引っ込みがつかなくなっちまった。
まぁいいけど。これはこれで楽しいし。完全に違う遊びになってるけどな。フリーフォール的な…
そう思いながら、カイトボーディング(みたいな遊び)を終えた。部屋に戻る道すがら溢されたブルマの文句が、さらにその思いを助長した。
「あーん、喉が痛〜い。すっかり声枯れちゃったわ」
「おまえ、叫びっぱなしだったもんなあ」
「誰のせいだと思ってんのよ?」
それは偉そうにブルマは眉を顰めていた。俺は反射的に視線を逸らしたが、心の中では当然思っていた。…さんざん遊びまくっておいてそれか。説得力がないにも程がある。
「まるでフリーフォールにでも乗ってるみたいだったわよ。さんざん付き合ってあげたんだから、何か奢ってよね。そうね、カクテルがいいわ。フルーツいっぱい入った南国っぽいやつ。あ、ブルーハワイじゃないやつね。あれはもう飽きちゃった」
「いいけど…昼から飲み続けだな」
「平気よ。ほとんど汗になっちゃってるもん」
いつもながらの会話。この上なく日常的なやり取り。すでに俺は何らの感慨をも感じることなく、そろそろ歩き慣れてきた道を歩いた。それでも海に洗われた体をシャワーで洗い流すと、いくらか清新な気持ちになった。そして二日ぶりのまともな夕食をとるため(昨夜は部屋で適当に済ませた)例のビアホールへと行くと、さらに気分が変わった。
「今日はどこも混んでるな。どうする?他行くか」
「そうねえ。相席は嫌だし…」
店内を埋める観葉植物と、さらにその隙間を埋めるようにちらつく頭。ほとんど満員御礼のその様子に、俺はひさしぶりに曜日というものを思い出した。そして次に現れた顔を見て、他人の捜索劇を思い出した。
「よう。おまえら、狭くてもいいならここへこいよ」
「あれっ、ランチさん」
どうやら今日は酒に呑まれてはいないらしい。そのことを除けば、ランチさんの様子は、一昨日の夜とほとんど変わりなかった。片手には氷の入っていないグラス。テーブルの上にはウィスキーボトル以外に何もない。いや、一昨日はスツールから投げ出されていた両足が、今日はテーブルの上に乗っていた。
「どうしてこんなところにいるの?天津飯さんを探しにルートビアに行ったんじゃなかったの?」
ブルマの声は驚きと、何より好奇心に満ちていた。思わず貝になった俺をよそに、ランチさんが淡々と口を開いた。
「ああ、行ったぜ。たった今戻ってきたところだ」
「えぇ?だけど、あれからまだ二日しか経ってないわよ。二日で往復なんてとても――」
「あんなところ、飛行艇ならほんの数時間で行けらあ」
「飛行艇?でもここ飛行禁止区域よ。飛行場設備だってないし」
「表向きはな」
淡々と喋る口調で紡がれる言葉の数々が、彼女の現況を俺に教えた。…なるほど。酒に呑まれてないんじゃなくて、今から飲むところか。そして天津飯を捕まえに行ったにも関わらず、彼女は一人でここにいる。何だか荒れそうな予感がするなあ…
だが、女同士の会話がすでに始まってしまっていることは明らかだった。おまけにウェイターがオーダーを取りにもやってきた。それで俺は腹を決め、ブルマにメニューを手渡した。
「じゃ、せっかくだから座らせてもらうわ。お酒はヤムチャの奢り、料理はあたしの奢りね」
こうして三者三様の役割分担の下に、酒の席がスタートした。テーブル席であったため、俺は二人の間に挟まれることはなかった。おまけに発言権も貰えた。より正確に言うと、口を差し挟まねばならないところが多過ぎた。前回にも似た適当さでオーダーを済ませると、ウェイターがいなくなるなりブルマがこう言ったのだ。
「ねえ、ランチさんは天津飯さんとどこまでいってんの?もうエッチした?」
「バカ!おまえ、何てこと訊くんだ」
「えー?いいじゃない、このくらい」
「何が『このくらい』だ。そりゃあ想像つかないぶん気になるのはわかるがな…」
いくら何でも、話の取っ掛かりが激し過ぎるぞ。だいたい訊くにしたってだな、俺のいないところで訊け。そういうことを目の前で訊くってことはだな…いや、もういいか。今さら隠したってしょうがないな…
腹を決めたというよりは、諦めた。興味があることもまた事実だった。なんとなく俺たちが口を噤むと、ランチさんは意外にもおとなしく会話を引き取った。
「んなこたぁどうだっていいじゃねえか。そんなことより問題はあいつの目がよ過ぎるってことだ。おまえら、世界旅行してんだろ?またどこかであいつを見かけたら教えてくれよ。オレはそれを言いに戻ってきたんだ」
「あら、また逃げられちゃったの?」
「…まあな」
「ふーん、そっか」
俺はすっかり感心した。軽く訊ねるブルマに、(わりあい)素直に答えるランチさん。なんか普通の恋愛(?)談議みたいになってる。『女は女同士』って誰にでも言えるんだな。ひょっとして俺、お邪魔虫かな…
いつしか俺はそんな心理にさえなっていた。それでもやはり、口を差し挟まねばならないところは存在するのだった。
「ね、ランチさんも天津飯さんの前で危ない目にあってみたら?そしたら逃げずに助けにきてくれるんじゃない?」
「なんだそりゃあ」
「ずっと傍にいないと心配、みたいな気持ちにさせるのよ。天津飯さんて騙されやすそうだもの、きっと簡単に引っかかるわよ。うんと心配させてやったら、その後ウザいくらい纏わりついてくるようになるわよ〜」
「おまえ、何てこと言うんだ…」
なおかつ、それは多過ぎた。はっきり言って、俺はどこから突っ込んでやればいいのかわからなかった。『ウザいくらい纏わりつく』って何だ。いくら何でもあんまりな言い草じゃないか。そのくせやけに楽しそうに言いやがって。嫌なのか嫌じゃないのかはっきりしろ。だいたい、普通そういうことは本人のいないところで話すもんだろ。そもそもがああいう深刻な事故をそんな軽々しく扱うな。俺は本当に心配したっていうのに。デリカシーのないやつだな。
だが間もなく、それらの気持ちは一つの感情に集約された。やがて発されたブルマのとどめの言葉がそれはもう振るっていたのだ。
「あ〜ら、事実に基づくアドバイスよ。所謂『経験者は語る』っていうやつよね〜」
「…………おまえというやつは〜…」
なんて恥ずかしいやつだ…
よく平然とそういうことが言えるな。本当に恥ずかしくないのか?…まあ、嫌じゃないということはわかったが。嫌だったらこんなこと笑って言うわけないからな。
「そんなわけだから。一度やってみたら、ランチさん」
それはさっくりとブルマは言った。完全に先駆者の微笑みだった。こいつ、軽く言ってるけどその実本気で勧めてるな。事ここに至って事態は『女同士』の話では済まされなくなってきた。
「やめろ。そんな知恵つけたことがバレたら俺が天津飯に怒られる」
あいつは眼力が強いからな。酒が入ると余計に強くなるところがまた始末に負えない。おまけに何も言ってないのに看破したりするんだから…
「どうしてあんたが怒られんのよ?あっやし〜い」
「何があやしいんだよ?」
一昨日にも聞いたような台詞をブルマは言った。一昨日と違うのは、目の前にランチさんがいるということだった。
「えー、だってぇ、ランチさんやあたしが怒られるんならわかるけど〜。あんたたち一体どういう付き合い方してるわけぇ?ただの修行仲間にしては仲良過ぎなんじゃないの?やーらし〜」
「わっ、わけのわからないことを言うな!」
「じゃあ、あたしと天津飯さん、どっちが大切?」
「いきなりどうしてそういう話になるんだ…」
「ふぅーん、答えられないってわけね〜」
だがブルマはまったく何も気にしていないかのように話を続けた。ランチさんのことも、自分に起こったことさえも、もうどうでもいいようだった。まだ酒も飲んでいないというのに、上機嫌だった。それはそれは傍迷惑なほどに。
「まったく、幸せなやつらだぜ…」
さすがと言うべきか、ほとんど動じた様子もなくランチさんが呟いた。嫌みというよりはクールに聞こえる彼女の声。それに俺は心の中で苦笑しながら答えた。
…ああ、俺も本当にそう思うよ。
薄暗い天井。周りを囲む緑。賑わう人々の声をBGMに喋り続けるブルマの声を聞きながら、俺はしみじみと思っていた。
平和だなあ。…と。
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