Trouble mystery tour Epi.5 (2) byY
どこからかフルーツの香りがする。
それと華やかな花の香り。どちらも甘い、南国の匂いだ。
夢の中にも匂いってあるのか…そんなことを思った時、麝香が漂ってきた。同時に胸元に何かが滑り込んできたので、俺は予感と共に薄目を開けた。
香りの正体はこいつか…
昨日言いそびれたこと。ビーチでうっかり寝入った時に起こったに違いないことが、今度はベッドの中で起こっていた。ブルマが、寝ながらにして俺の体に抱きついてきていた。ほーらな。やっぱり俺のせいじゃない。さて、どうやってこの事実を突きつけてやろうか。…とまでは、俺は考えなかった。俺自身、まだ頭が起きていなかったので。ただなんとなく片腕を除けた。邪魔だろうと思って。つまり受け入れたわけだが、それは半ば条件反射だった。寝惚けて潜り込んでくるなんて、かわいいもんだ。寝惚けてベッドから転げ落とされるよりずっといい。
やがて、ふいにブルマの腕が動いた。唐突にこちらへ向かって伸びてきた。でも、それには何とも思わなかった。実際目にしたことはあまりないが、まあよくあることだ(俺が目にするのは後になってからのことだ。その腕に叩かれて目を覚ました後)。おまけに勢いもなかったので、放っておいた。
ここまでのブルマの動きが寝相ではなかったということに、俺は気づいていなかったのだ。
だから、ブルマがキスしてきた時、俺は結構驚いた。そしてそれがなかなか終わらなかったので、さらに驚いた。ブルマは寝惚けているわけじゃない。寝惚けてこんなことをされたことはない。第一、寝惚けているやつがするようなキスじゃない。そう、終いに俺はキスそのものにではなく、そのキスの雰囲気に頭を悩ませた。
これは…応えるべきか…
向こうの部屋にはランチさんがいるんだが…
『ブルマの好きにしていい』…確かにそう言ったのだが、いざそうなるとちょっと躊躇われるな。酒が抜けちまってるから余計にな…
俺は考え続けた。そして、考え続けているということが、すでに答えを指し示していた。そう、俺は断れない。だって、ブルマがこんな風に何も言わずにある意味ストレートに求めてくることなんて、滅多にないんだ。
重ねた唇から途切れ途切れに漏れてくる吐息。それを感じながら、俺はブルマにキスを返した。少し反れた喉に触れると、ブルマは黙って体を震わせた。ゆっくりと肌に唇を落とすと、微かに息だけが漏れた。俺は少し安心して、自らの言葉を実行することにした。
ブルマの好きにしてやろう。
うんと、好きなことしてやろう…


むせるような蜜の香りを感じながら、たっぷりと蜜を舐めとった。『むやみにべたついてこないで』『ウザいくらい纏わりついてくる』…数々の暴言を吐いた末に自ら求めてきた女を半ば一方的に相手にした俺は、だがすっかり満足していた。
かわいかった……
言葉に尽くせないほどかわいかった。初めてした時のことを思い出した。あの時と違うのは、ブルマがイキまくっていたことだ。そして俺もすごく気持ちよかったこと。
ああ、大人になったんだなあ。そんなことを、俺は思った。わかりきっていることをことさらに思ったのは、きっと幸せだったからだ。求められる幸せ。そりゃあブルマの暴言なんか慣れてはいるけど、だからといって嬉しいわけもない。本当はかわいいやつだってわかってても、やっぱり実際にかわいい方がいい。当然の感覚だよな。
あー、いい朝だ。
なんとも晴れ晴れとした気分を味わいながら、ベッドから体を起こした。最後のキスはまだしなかった。一つには、ブルマが妙にもぞもぞとタオルケットの中へ潜り込んでいったからだ。きっと照れてるんじゃないかな。少しそっとしておこう。そうするだけの余裕がこの時にはあった。精神的にも、時間的にも。窓の外はすっかり明るかったが、たった今そうなったばかりだった。俺はベッドの膨らみにことさら触れないようにしながら、サイドテーブルのミネラルウォーターへと手を伸ばした。と同時に、タオルケットが大きく捲れ上がった。
「あっ、おい、ブルマ…」
がばりと体を起こして、ブルマがベッドを出て行った。俺は一瞬呆気に取られて、次の瞬間慌ててタオルケットの下にうつ伏せた。ブルマがドアへ向かっていたからだ。ブルマはネグリジェを着たままだった――俺が脱がさなかったので。なんかそういう余裕なさそうだったから(俺じゃなくてブルマの方に)。だが、それにしたって唐突過ぎた。
「おはようございます、ブルマさん」
やっぱりいた。思いっきり開け放たれたドアの向こうから聞こえてきた朗らかな声を耳に、俺は身動ぎしないことに専念した。たぶん起きてるんじゃないかと思ったんだ、ランチさんのことだから。ランチさんじゃなくたって、起きててなんらおかしくはない時間だし。でも、俺は寝てますよ。普段なら絶対起きてる時間だけど、今日は寝てます。ブルマは起きてるけど、俺は寝てる。だから当然服は着てます。そういうことにしてください。
とはいえ、俺はそれほど冷や汗を掻いていたわけではなかった。相手がランチさんだったからだ。もしこれがウーロンだったなら、穴があったら入りたいところまで追いつめられるに違いないが。
「…おはよう、ランチさん。あたしちょっと忘れ物…」
どこか絞り出すような声で、ブルマは言っていた。そしてなぜかドアを閉めた。それはそれは静かに。直後に零された声を聞いて、その理由がわかった。
「そうだった。ランチさんがいたんだっけ…」
――忘れてたのか!
ここにきて俺はどっと冷や汗を掻いた。まさか本当にそうだったとは。本当に、記憶が飛んでしまっていたとは。ランチさんにバレないよう、声出すの我慢してるのかと思ってたのに。それでしっとりしてるのかと思ってたのに。あれは偶然か。単なる偶然だったのか…!
自分がとんでもない賭けをしていたことに、俺は気づいた。おまけに今だって、こいつ下着穿いてないんだぞ。
「ねえ、あたしのパンティどこ?」
やがてまったく悪びれた様子なく、ブルマがそのことを口にした。それにバカ正直に応えるつもりは、俺にはなかった。
「もっと小さな声で喋れ!」
ランチさんに聞こえるだろうが。下着を忘れたなんて、何の誤魔化しも効かないじゃないか。それ以外にありえないだろ!せっかく俺が眠った振りをしてたっていうのに。
「あんたの声の方が大きいわよ。ねえどこよ?」
「ベッドの下だよ…」
それでも結局は答える羽目になった。ブルマがあまりにも堂々と声を張り上げたからだ。怒鳴られる前に話を切り上げておかないと。そんな喧嘩だけは絶対にしたくないぞ。恥を晒すにも程がある。
こいつだっていくらかは恥ずかしがってもいいはずなのに。何の躊躇いもなくベッド脇に腰を落としたブルマを、俺は非常に苦々しい気持ちで見つめた。普通はこういう時って、女の方がうんと恥ずかしがるもんなんじゃないのか。それが何だ、ブルマのやつ、思いっきり無造作に尻突き出しやがって。さっきまでの恥じらいはどこいったんだ。…ちょっとスカート捲り上げてやろうか。
かなり本気で思ったそのことを、俺は実行しなかった。俺は大人だからな。そんな子どもっぽいことはしない。…それに、きっと俺も困っちまうし。意識して表情を崩さず、意識して視線を外したその時、ブルマが少し体を起こして俺の顔を覗き込んだ。
「起きないの?」
同時に、くりくりとした大きな目がきょとんとした表情の中で輝いた。俺は努めて明後日の方向を向きながら言っておいた。
「俺は寝てるんだ」
「寝てないじゃない」
ばっさりと切り捨てると、ブルマはベッドに体を乗り出してきた。こっちくんな。男の機微のわからんやつめ。言えない言葉を心の中で呟きながらすでに起きていた体にタオルケットを重ねてかけると、ブルマは朗らかに笑って言った。
「いつまでもぐずぐずしないの。大丈夫、ランチさんは何も気にしないわよ」
俺はすっかり言葉を呑んだ。直後にブルマが軽くキスをしてきたが、やっぱり何も言えなかった。…いや、だからこそ余計に。だから次の言葉も黙って聞いた。
「言っとくけど、これはおはようのキスだからね」
当たり前だ。
ここからまた始められちゃかなわん。気分的には悪くないが、状況的には相当かなわん。…よなあ、やっぱり。
「じゃ、あたしシャワー浴びてくるわね」
あっさりとブルマは体を離した。そして元気よくベッドを飛び降りた。その瞬間、俺は不可抗力的に困った事態に陥った。
「おい、下着!」
思わず大声を出すと、恥知らずにも思いっきりスカートを翻した女は、服を抑えもせずにけろりとした顔でこう答えた。
「あ、忘れてた」
「ったく…」
再び無造作にベッド脇に腰を落としたブルマを、俺は先ほどとは違った心境で見つめた。脱がされるのは恥ずかしいのに脱いだらもうどうでもいいっていうのは、どうなんだ。だいたい穿いてないのに気づかないなんてありえるのか?一体どういう感覚してるんだ。
まったく鈍感…じゃないよなあ。じゃあ無頓着…で片づけていいのか?無遠慮…は何か違うし。
ブルマは素早く下着を着けると、今度は半分ほどドアを開け、そのまま部屋を出て行った。俺がそのことに気がついたのは、ドアがぴったりと閉まった後のことだった。…あの格好で出て行かせてよかったのだろうか。結構微妙な格好してると思うんだが。健全とはちょっと言い切れないよな。だいたい、あれ着てる時って全然健全じゃない。多分に漏れず、今もそうだ。
とはいえ、問題はそこではなかった。訝りながらも俺がベッドを抜け出ると、ドアの向こうからその足を止めさせる声が聞こえてきた。
「まあ、かわいいですわね、そのパジャマ」
「でっしょ〜。ルートビアで買ったのよ。ランチさんもこういうの好き?お店教えてあげよっか。あ、でも天津飯さんが困っちゃうかしら。あの人、ヤムチャと違って硬派だからなぁ」
昨夜に引き続いての、女の会話。…いや、ランチさんはきっとただ言ってみただけだろう。だが、ブルマの答え方が…どうしてそこで俺たちを引き合いに出すんだ。しかも何だその言い方は。一体どういう意味だ。俺だって困ったぞ。ものすごーく困ったぞ。今だって困ってる!それなのにおまえは…男心のわからんやつめ。
俺はすっかり憮然として、ベッドに腰を落ち着けた。ちょっと、すぐには出ていけそうにもなかったからだ。…いろいろな意味で。
…本当に、困ったもんだ。


ややもして、女の会話は終わった。どうやらブルマはバスルームへ行ったようだ。それで俺は簡単に衣服を身に付けて、できるだけさりげなく、起き抜けの顔を装って、リビングへと足を踏み入れた。
「あら、ヤムチャさん。おはようございます」
「…おはようございます、ランチさん」
何の含みもない声で、ランチさんは笑った。俺は少しばかりの緊張を解いたが、それはまだ早かった。笑顔はそのままに、声だけを悪戯っぽいものに変えてランチさんが言ったのだ。
「ヤムチャさんがブルマさんより後に起きてくるなんて、意外ですわ。カメハウスではいつも反対でしたのに」
うっ…
俺は一瞬、完全に言葉を詰まらせた。自分でも気づいていなかったのだ。…旅行初めの頃は、俺は確かにブルマよりも先に起きていた。それがいつの間にか一緒に起きるようになり、挙句に最後までベッドに残るようになってしまっているとは…
「…はは。すっかり怠惰な生活になってしまって。恥ずかしい限りです」
「あら、そういう意味じゃないんですよ。ちょっと新鮮に感じただけですわ」
「そ、そうですか?」
「ええ。旅行なんですもの、ゆっくりなさって悪いわけがありませんわ」
「そ、そうですよね。ははは…」
「うふふ」
…あー、疲れる。
何だか笑顔が引きつってきた。やっぱり同室は問題だったな。しなきゃまだよかったんだろうがな。まったく、こんな時に限ってブルマのやつ…そのくせけろっとした顔で引き下がりやがって。
悶々とした思いは、今やいつもの呆れへと変わっていた。この旅行始まって以来初めて感じる、いつもの呆れ。そう、そういう気分屋なところがブルマにはある。なんだかひさびさにその真髄を見た気分だ。
俺はうっかり苦虫を噛み潰しかけたが、すんでのところでそうせずに済んだ。それはランチさんの存在に気がついたからではなく、ふいにバスルームから出てきたブルマが、大声で新たな誘いをかけてきたからだった。
「あ、ヤムチャ起きたわね。じゃあ朝ごはんにするわよ。ヤムチャ、ルームサービス頼んで。ランチさんがいるから今日は『スペシャル』ね。あたしベッドルームにいるから、きたら呼んでね」
バスローブの前が少々はだけていることを、咎める気にはならなかった。そんなの今さらだ。昨夜だってはだけていた。ブルマは気にしていない、ランチさんはきっと見て見ぬ振りをしてくれている。そう、どうせ困っているのは男である俺だけなんだ。
「頼むのはいいけどさ。俺もシャワー浴びたいんだけど」
だから、言わねばならないことだけを俺は言った。それにはブルマではなくランチさんが笑顔で答えた。
「いいですわよ、どうぞ浴びてらして。お食事がきたら私がお呼びしますわ。お電話もしましょうか?」
「そこまではいいですよ」
「そうよランチさん、そういうのは男の仕事よ」
はいはい、まったくその通り。
昨夜にも似たブルマの言葉に、俺は心の中で毒づいた。深い諦めと共に。ブルマのやつ、もうすっかり色気が抜けてやがる。さっきのかわいさは一時の夢か。
まあ、求められていると言えば、言えるよな。召し使いとしてだけど。


…ま、もともと俺はエスコート役だからな。
最後に冷水を浴びて頭を冷やすと、そう思えた。心身共にすっきりとしてバスルームを出ると、間もなく朝食となった。二度目の三人以上でとる朝食は、三度目の『スペシャルブレックファスト』だった。
「おいしいわ、このパンケーキ。あらヤムチャさん、シロップかけないんですか?」
「あー、俺はそういうのはあんまり…」
「メープルシロップ合いますわよ。ハニーコームバターと一緒に食べると、とっても素敵なお味ですわ」
甘いパンケーキに舌鼓を打つランチさんの向かいでは、ブルマが早々とデザートに手をつけていた。こちらも甘いソースとフルーツのたっぷり入ったヨーグルト。どうやら今日はシェフまでもが女性の味方みたいだ。
「ランチさん、あたしたちこの後ビーチに行くつもりなんだけど、ランチさんはどうする?」
ランチさんの差し出したシロップをかけるかどうか迷っていると、ふとブルマがそうランチさんに水を向けた。ランチさんの視線が自分から外れたのを認めて、俺は自分の意を通すことに決めた。
「私はホテルを探しますわ。もうじきチェックアウトの時間だから空きも多いと思いますし」
「そう。しばらくグリーンシーニにいるつもりなの?」
「そうですわねえ。ブルマさんたちは明日までなんですわよね。じゃあ、私はその後の船に乗ることにしますわ」
「どうして後なの?一緒に乗ればいいじゃない」
聞くともなしに耳に入ってくる二人の会話は、実に和やかなものだった。ランチさんがちょっとはにかんだようにそう言うまでは。
「そこまでお邪魔はできませんもの」
「あら〜、邪魔だなんて、そんなことないわよ〜。ねっ、ヤムチャ!」
俺に振るな、俺に…
俺は再び笑顔を引きつらせて、カトラリーを持つ手を止めた。…卑猥だなあ、その『邪魔』って言葉。ブルマが言うとなぜか。なんだか異常に居た堪れないぞ。
「でもそうね。じゃあ、お昼ごはんは一緒に食べましょ。ビーチのすぐ傍にいいお店あるのよ。あたしたちきっと海で遊んでると思うから、適当に声かけてね」
「ええ、そうさせていただきますわ」
とはいえ困ったのは俺だけで、ブルマはもちろんランチさんさえも、何事もなかったかのように話を進めた。さっきから思っていたのだが、どうも俺とこの二人の間には温度差がある。そしてそれは女二人に男一人だから、じゃないような気がひしひしとしてきた。
やはりブルマの言う通りあれか?
『邪なことを考えていた』からなのだろうか。
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