Trouble mystery tour Epi.5 (4) byY
「きゃああぁぁっほ〜!気っ持ちいい〜!!」
――やっぱりバイクだな。この感覚は舞空術では味わえない。
ジェットスキーそのもののもたらす感触ではなく後ろから伝わってくる手応えが、特にそう感じさせた。ひさしぶりに感じる反応だった。確か初めて一緒に空を飛んだ時もこんなだった。それが今じゃブルマのやつ、俺が空を飛ぶことにはすっかり慣れちまってるんだから。意識は低いくせにな。
「きゃー!…ねー!島の周りぐるっと回ってー!」
やがて小島の白砂を肉眼に捉えると、後ろから歓声混じりにそう指令が飛んできた。だからそれに従うと共に、また少しスピードを上げた。ジェットスキーというのは体感速度が速いだけだ。だからブルマも平気で口を開いている。まだまだいける。俺はそう思っていた。
「…きゃっ!きゃああああ!あっ…………!!」
だが、その悲鳴がふいに途切れた時、そうではなかったことを知った。後方の牽引感がなくなった。振り返った視界にはさらに後方へと吹っ飛んでいくボードしかなかった。アクセルをOFFにすると同時に、大きく息を吸ってジェットスキーのフロアを蹴った。
ウエイクボードをしている自分の影が海底にくっきりと映るほどの澄んだ海の中でブルマを見つけるのはたやすかった。ブルマは口から吐き出された空気の泡の下を、泣きそうな表情で沈んでいった。それでもまだ力はある手を掴まえて、口移しで空気を送り込んだ。そのまま体を抱き抱えうっかり片手で水を掻いた後で、舞空術の存在を思い出した。
「…ぷはぁっ!」
海上へ顔を出すと、ブルマが勢いよく水を吐いた。その反応に俺は少し安心して、すでに止まっていたジェットスキーへとブルマを乗せた。倒れかかる体を抱き留め背中を叩いてやると、やがて水は咳に変わった。
「おい、大丈夫か!?悪い、ちょっと飛ばし過ぎたな」
「ぅ…げほっ…ちっ…違…」
咳が声になった。背中を叩く手を止めると、途端にブルマが叫び立てた。
「攣ったの。足が!痛かったーーー!!」
それはもう大きな声で。…なんだ、全然元気だな。わずかに残っていた危惧の思いは一瞬にして消えた。気づくと俺は口走っていた。
「足が攣ったって…そりゃおまえ、やっぱり日頃の運動不足…」
「え!?」
「…い、いや、遊び過ぎだよ、遊び過ぎ!ここんとこ体を動かしっぱなしだったからな、疲れたんだよきっと」
青白いどころか怒りで顔色が赤らんできているブルマを見て、俺はすっかりいつもの調子になった。でも、ブルマ言うところの『水中キス』をしたことにも気づいていないらしい程度には命の危機だったということはわかっていた。
「とにかく少し休もう。足もちゃんと揉んでおいた方がいい」
俺が言うと、ブルマはやっぱり元気な声でこう答えた。
「んじゃ、そこの島行って。もう目と鼻の先なんだから」
「島?もう岸に戻った方が…」
「どっちだって同じよ。だったら近い方がいいでしょ。それに今日なんだかビーチに人多いし。どうせなら静かなところで休みたいわ」
「うーん…」
説得力のあるようなないような。とにかく海から引き揚げるつもりはないということだけはわかった。確かに、それならどっちでも同じだな。どうせ俺が足を揉まされることになるんだろうから、人気がない方がいいかもな。
そんなわけで、ジェットスキーは当初の予定通り小島へと向けられた。予定と少し違うのは、ブルマが俺の後ろではなく前にいるということだった。
「もしまた攣りそうになったら教えろよ」
そして思惑と違うのは、ブルマがこれに答えなかったことだった。いや、答えたには答えたのだが、いま一つ意味がわからなかった。
「器用ね、あんた」
でも、なんとなく気持ちは伝わった。
独り言のようなその口調と、何よりおとなしく抱かれている様が決定的だった。俺は肩を抱いただけなのにするりと胸元に滑り込んできたそのことが、ブルマの心境をよりよく表していた。
まったく、意地っ張りだな。怖かったなら怖かったと言えばいいのに。空元気なんか見せてないでさ。
俺はどこかしっとりとした気持ちになりながら、ジェットスキーを走らせた。できるだけ感じられないスピードで。
ゆっくり、ゆっくりと。


手前に広がる白砂の浜辺はパスして、奥の入り江に回り込んだ。なるべくなら歩く距離は短い方がいい。ブルマがどこを目指すかはわかっている。
「あ、オレンジのブーゲンビリア」
島の裏側は表側よりはこんもりしていて、岩と樹木の多さが目についた。俺は少しブルマの足のことを気にしたが、当の本人はどこ吹く風だった。
「ねえ、あそこの花取って。背伸びするとまだ少し足が気になるのよ」
言葉ではそう言いつつも、その口調はすでに空元気とは程遠いものだった。それで俺はそれまで掴んでいたブルマの手を離して、頭上の一枝へと手を伸ばすこととなった。
「ほら、これでいいか?」
「うん、サンキュー」
「それにしても、おまえがそんなに花が好きだとは知らなかったな」
あちこちに花が溢れているせいもあるだろうが、ここグリーンシーニに来てからのブルマの花飾り装着率はかなり高い。俺が仕向けたところもあるにせよ、ブルマだって外さなかった。そして今のこの、どこかで見たような赤い花。
やがてのんびりと返された次の言葉は、俺を大いに納得させた。
「好きっていうより、気分よ気分。やっぱりこういうところは気分あるわよね」
そうだよな。じゃなきゃルートビアで花束をつっ返された俺の立場がない。
ブルマはその花のついた枝を振りながらどんどん歩いていった。すでにその手を取る必要を感じなくなっていた俺は途中まで隣につき従い、終いにはいつものようにその後ろを追いかけた。思っていた通り、ブルマは前にも来た小高い島の中央へと分け入っていった。悠然と腰を下ろしたブルマの隣に並んで座ると、一見かわいらしく首を傾げ聞いたところさりげない口調でブルマは言った。
「あー、空気がおいしい。じゃあ、ここで一休みね。ついでに足揉んどこうかしら」
何が『ついでに』だ。そもそもそのために来たんだろ。などと無駄口を叩くつもりは俺にはなかった。ブルマの思惑など端っから読めていた。
「つったのはどこだ?ふくらはぎか?」
「うん、そう。左足のね」
「じゃあうつ伏せになってだな…」
視線といい言葉といい、まるで誘うような受け方。果たしてこの回りくどい命令の仕方は俺のことを慮ってのことなのか。でもそれならこういう人気のないところでじゃなく、人前でこそそうしてほしいと思うんだよな。
ともかくも俺は自分の責務を果たし、ブルマの運動不足の成果を解消してやった。
「…とりあえずほどほどにな。普段使ってない筋肉をいきなり刺激するとよくないから…おい、寝るなよ。いくらなんでも昼寝にはまだ早いぞ」
「ちゃんと起きてるわよ。サンキュー。すっごく気持ちよかったわ」
ふー、やれやれ。
『戦うよりマッサージする方が向いてる』。ブルマがそうは言わなかったので、俺は黙ってその賛辞を受け取った。体を起こしたブルマの隣に再び並んで座り込むと、愛でるように空を見上げながらブルマが呟いた。
「もうここも明日までね。もっと長くいたかったな〜…」
言葉とは裏腹に、春を目指す燕のような雰囲気だった。まさしくこの旅行はそういう感じだ。一通り楽しんだと思いや新たな楽しみを求めて次から次へと海を渡るのだ。
「次はどこへ行くんだ?」
「ディーブル。あんまり大きくはないけど、免税地区があることで有名な街よ」
「そこまでは船なんだよな?何日くらいで着くんだ?」
「翌々日の朝には着くわ。…あんたも段々気にするようになってきたわね」
ふとおもしろそうな顔をして、ブルマがこちらを覗き込んだ。さらに俺が何を答えるより早く、悪戯っぽく瞳をきらめかせた。
「空飛んでいけば早いのにって思ってんでしょ」
「そ、そんなこと…」
そして先ほどの枝をひと振りして、その花で俺の口を塞いだ。俺は一瞬言葉に詰まったが、次の瞬間には認める気になっていた。
「…まあな。クルーズ船ってどうも体がなまるんだよ」
別に悪いことじゃない。いや俺は武道家なんだから、む
しろ当然の感覚だ。
「プールとかジョギングトラックとかあるじゃない。あ、ジムもあったような気がするわ」
「そういうことじゃないんだよな。おまえのいうところの気分だ、気分」
とはいえそれ以上のことを言うつもりは俺にはなく、ただ口元をくすぐる花から逃れて草の上に横になった。まあ、単なる愚痴だ。それ以上のものではない。今さら逃げ出そうなどとも思わない――実際、船の中にいた時でさえそんなことは思わなかった。この南国の地があまりにのびのびとしてるから、感覚が強まってるだけのことだ。きっとそのうち慣れる。いつの間にか旅行にも慣れてしまったんだからな。
だからそのまま黙って空を見上げながら、頭の後ろで組んでいた腕を解いた。ブルマが隣に寄り添うようにして体を転がしてきたからだ。俺が片腕を投げ出すと、ブルマも黙ってその上に頭を乗せた。それから甘えるように手を俺の胸の上に置いた。新鮮さと自然さの同居する甘い空気を感じながら、俺は僅かに残っていた愚痴吐き気分を追い出した。
こんな風に、ブルマが何も言わずに自分から(この二つが重なるところがミソだ)くるなんて珍しい。なんか昨日から、ずいぶん露骨に酔ってるよな。酒とか、雰囲気とか、その他いろいろなものに。そういえば初日なんかはこんな感じだったっけなあ…
ブルマの気分を感じ取ると共に、俺は俺の不満の裏側にあった気分を感じ始めた。天高く広がる空。気持ち良く流れる白い雲。あるがままの自然の世界――時折荒野などで感じるものにも似た感覚を、少しの間味わった。少しの間しか味わえなかったのは、すぐに俺の隣にいる人物が幅を利かせ始めたからだ。まずは胸の上にあった指がとんとんとステップを踏み始めた。やがてそれが治まったかと思ったら、今度は花で俺の口元をくすぐり出した。それでそんなことをしている当のブルマはというと、ひたすら無言で俺の顔を見つめている。俺は腕を貸してやったことを後悔しながら、ともかくも黙ってブルマの額にキスをした。俺の方はその表情を窺うまでもなく、ブルマの意がわかっていた。
以心伝心?いや、ここまで露骨にやられりゃ誰でもわかる。まったく、まるっきり誘い目線なんだから…
「さて、戻るか。もう昼だしな」
なんともいえない溜息を隠してそう告げると、ブルマはあからさまに不満の声を上げた。
「えー、もう?」
「遅くなるとランチさんが困るだろ。きっとこんなところにいるなんて思わないだろうからな」
「…あ。そっか、ランチさん…」
だがそれにではなく最後に溢した呟きに、俺は心の中で文句をつけた。まったく、また忘れてたのか。自分から呼んだくせして、ひどいやつだ。
「じゃあ、早く戻らなくちゃ。ランチさんきっと探してるわ。あまり土地勘よくなさそうだったものね」
何のためにここへ来たのか、もはやそれをまったく感じさせない足取りで、ブルマは立ち上がった。そしてつい今までのおねだりぶりをも感じさせないさっぱりとした雰囲気で、来た道を戻り始めた。拍子抜けに似て非なる心境で、俺はその後を追いかけた。
男は女と違って、そうそうすぱっと切り替えできないんだよ。っていうか、こんなところで誘うな。しかもそんな格好で。
黒に鮮やかな花柄の、なんだかよくわからないカッティングのワンピース水着。へそを隠すのはどうでもいいとして、その上に開いてる穴はなんなんだ。だいたいそこまで脇をえぐるんならいっそビキニでいいんじゃないかと今でも突っ込みたくなる。別にどこか見えてるわけじゃないし露出が高いわけでもないから黙っていたが、そういう時にはかなりどきっとするデザインだ。本人は何も感じていないらしいのもいいんだか悪いんだか…
「ねえ、早くー」
せっつくような声と共に、ブルマが俺の手を引っ張った。どうやら帰りは一人では行かないらしい。その理由はすっかりわかっていたので、やがて入り江についた時、俺は自主的にジェットスキーのハンドルを掴んだ。
「ちょっと急ぐわよ。なんか今日人多いから、ぐずぐずしてるとまたレストラン満席になっちゃうかもしれないわ」
「はいはい、わかりましたよお嬢様」
そして、我ながらあからさまな嫌みを一つ言っておいた。どうしてかって?うーん、ちょっとこの心境は説明し難い。なぜだか急に、ブルマのマイペースぶりを突っついてやりたい気持ちになったんだ。
「『はい』は一回!」
とはいえそれがブルマに通じた気配はなく、さっき取ってやった花がまるで鞭のように俺の後頭部を打った。いてえ。そう言ってやりたい衝動に駆られながら(実際には痛くも何ともない)、俺はジェットスキーのエンジンをふかした。
お嬢様に『お嬢様』って言った俺がバカだった。でも『女王様』って言うのは嫌だしなあ。特に今は。なんかハマり過ぎててな…
ふと忍び寄ってきたその感覚を、俺は再び打ち消した。一度目は朝。ランチさんが何も言わなかったので、俺も黙ることに決めたのだ。
でも、それは間違いだった。ということに、その後俺は気づくこととなった。
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