Trouble mystery tour Epi.5 (5) byY
「あっ、ランチさん見っけ!ほらあの、砂浜のところ!」
砂浜に近づくと、ブルマが目敏く行き交う人波の向こうにちらつくランチさんの姿を見つけた。
「ランチさん、ランチさーん!!!」
そしてバカでかい声で叫び始めたので、何事かとこちらを見ている周囲の視線に耐えながら、俺はジェットスキーを止めた。
「ここからじゃ聞こえないよ。俺マリンショップにジェットとボードを返してくるからさ、おまえ先に行ってやれ」
そしてブルマを降ろした。ブルマって、時々すごく目が早いんだよな。ショップの服の洪水の中から一枚を見つけ出したりとか。俺が気づいてもいない女の視線をキャッチしたりとかさ。なんてことを考えながら。だが、それが失敗だった。
クルーズ船にいた時はちゃんと注意していたんだ。でもここに来てからそういうことが全然なかったから、ちょっと油断してたんだよな。
「オッケー。早くしてね!」
笑って岸へと駆けて行くブルマの後ろ姿は、とても健康的に見えた。飛び散る飛沫に、少しだけ焼けた肌、日差しにきらめく菫色の髪、揺れる南国の花――元気溌剌、まるきり天衣無縫に見えた。でも、それは気のせいだった。というより、そう思い込もうとしていた。そのことを、間もなく俺は認めざるを得なくなった。
「誘ったことにするって何よ。誘ってんのはあんたじゃない!」
やがてマリンショップを後にした俺の耳に、そんな怒鳴り声が飛び込んできたからだ。俺は思わず駆けていた足を止め、聞き慣れた声の主を探した。前方の、昨日よりもさらに多い人波からちょっと外れたところに、ブルマとランチさん、そして見知らぬ男が一人いた。何が起こっているのかはひと目でわかった。そのくらい、男の風貌はわかりやすかった。色素の抜けた長い髪、安っぽい金ぴかメッキのネックレスにこれまた安っぽいサングラス、ひ弱な、色だけは黒い体…
「だから、そういうのはもういいって。あ、じゃあこうしようぜ。誘うきみを、おれが誘った。うん、いいね。なかなか素敵な出会いだ。おれって詩ー人〜」
「どこがいいのよ!あたしは誘ってないでしょ!!」
「わかったわかった、確かにきみは誘ってない。誘ったのはそっちの子だもんね。でも誘われてよかったって思ってるよ。きみみたいな子が待ってるなんてさ」
…そして、ペラペラとよく動く口。いけすかないとまでもいかない軽過ぎる男に、ブルマはたぶん本気で怒っていた。ランチさんはどうやら話がよくわからずにいるようで、黙って二人の顔を見比べていた。ただ一人俺にだけ、その男の言い分が通った。
うーん…そうか。やっぱり俺の気のせいじゃなかったか。他のやつの目からしても、そう見えていたか。またあの台詞を返されそうだったし、なによりランチさんが何も言わなかったから見逃していたんだが…。そうだよなぁ。どうしたってそう見えるよな、その水着は。出てる肌の面積はそれほどたいしたことないんだけど、デザインがな…ビキニかと思えば変に繋がってるし、ワンピースにしてはカットがきわどいし、肌の覆い方がなんだか不自然で、すごく気になるんだよ。うっかりすると目がいくばかりか、つい考えてしまう。ここの布いらないんじゃないかなって…………い、いや、とにかく気になるんだ。ひょっとすると男にしかわからない感覚かもしれないが。ああそういえば、ウェイクボードで遊んでる時も、いつもより視線が多かった。特にブルマがやってる時。俺はブルマの叫び声のせいだと思っていたのだが…
もやもやとした思考を渦巻かせながら、俺は再び足を速めた。ともかくも、すべきことだけはわかっていた。だが三人のところへ辿り着いた時、その対象者が変わった。俺は男のではなくブルマの手を掴む羽目になっていた。
「何をやってるんだ、おまえは…」
掴んだブルマの手の中にはオレンジ色の花があって、まさにランチさんの鼻先に当てられたところだった。俺は口では訊いていたが、まさかわからなかったわけはない。まったく、物騒なことするんじゃない。俺を呼べ、俺を。どうしたってここはまず俺を呼ぶところだろ。
「あ、ヤムチャ」
「あ?何だよ、おまえ」
仰け反って俺を見たブルマの呟きとその男の声は、ほぼ完全に被っていた。『てめえこそ何だ。ぶっ殺されないうちにとっとと失せろ、この野郎!』きっと現れなかったランチさんなら、そう言っていたに違いない。未発に終わった事態を脳裏に描きながら、俺はとりあえずゆっくりと答えた。
「こいつの男だ」
意図的に胸を張り肉体を誇示しながら。銃を構えるよりはマシだろう。そう思っていたのだが、男は予想だにしない反応を見せた。
「きっ…きったねえぞ」
汚い?…一体何が。
「お、おまえら、こんなとこでそんなことやっていいと思ってんのかよ。くそっ、旅行者の振りなんかしやがって…か、金ならねえぞ。それにどうせすぐにとっ捕まるぞ!」
相変わらず口はよく動いていたが、その腰はすっかり引けていた。かと思いきや、次の瞬間には破竹の勢いで目の前からいなくなった。
「…あっ!おれは何も知らねえからな。何にも関係ないからなーーー!」
「…………」
遠くから飛んできた思いもかけない捨て台詞に、俺は思わず呆然とした。この時にはわかっていた。どうやら結果的に俺も脅したことになってしまったようだ。それもランチさんよりも性質の悪い方向で。
「何よあれ、バッカじゃないの?妄想たくましいにも程があるわね」
わかってるんだかいないんだか、呆れ半分罵倒半分といった感じで、美人局が言い捨てた。そして使わなかった花を振り振り歩き始めた。
「でもまあ、これでもうこのビーチには来ないでしょうよ。さ、早く行きましょ。なんか怒ったら急にお腹空いてきたわ。それとスカッとビールでも飲みたいわね」
当然のようにレストランの方向へ。その言葉にも仕種にもまったく色気はなかったが、それでも言わないわけにはいかなかった。
「…なあブルマ、その水着どうにかしないか?パレオ巻くとか…」
「えー?持ってきてないわよ、そんなもの。どうしてそんなこと言うのよ?」
「ちょっと気になるんだよ。その胸の下の無意味な穴とか…」
「このキーホール?どこが気になるって言うのよ。何にもないわよ、ここ」
「何もなくても気になるんだよ。その、へそだけ隠れてるのも不自然だしさ」
「これはこういうデザインなの。…あんた、一体何が言いたいのよ」
ふと足を止め、ブルマが俺を睨みつけた。俺はすっかり言葉に詰まった。それでもやっぱり、言わないわけにはいかなかった。
「…だから、気になるんだよ。その…感覚的に。…はっきり言うとだな、なんか雰囲気がやらしいんだよ、その水着」
「それはあんたがやらしいことを考えてるからでしょ!」
そして、やっぱり言われた。半ば予想していたせいか、俺は怯まなかった。言ってしまえば、続く言葉はすぐに出てきた。
「そうじゃない!さっきの男も言ってただろ。誘ってるみたいだって」
「誘うわけないでしょ。男連れで、しかもこんな高級ビーチで。あんた何考えてんのよ」
「だからそれは俺じゃなくてさっきの男が言ったこと…」
「でもあんただってそう思ってるんでしょ!?」
だが、瞬く間に押され始めた。微妙にズレた方向へ。まったく、一体どうしてそういう話になるんだ。それも一方的に決めつけやがって。…当たってるけど。それにしたって、なんだって助けた俺がそういうことを言われなくちゃならないのか。どうしたって筋違いだろ。女王様気質にも程があるぞ。
「違うって。俺が言いたいのは…ええとその…」
「あの…」
意気込みはあれど口では勝てず。まさに俺が敗北に陥りそうになったその時、それまで口を噤んでいたランチさんが頭を下げた。
「ごめんなさい。私があんな人に捕まっちゃったから…」
「ランチさんのせいじゃないですよ、こいつが」
「ランチさんのせいじゃないわよ!こいつが!」
それで俺たちは一転して意見の一致をみた。のみならず声も揃えていたが、でもだからといって手に手を取って喜びあえるわけもなかった。数秒睨みを効かせた後にブルマは目を逸らし、再び歩き始めながら違う攻撃に出た。
「ねー、ランチさん。ヤムチャって小うるさいでしょ〜」
「あのな、俺はおまえを心配して…」
俺はすっかり態度を崩されていたが、ブルマは一向に態度を変えようとしなかった。
「うるさいことに変わりはないわよ」
すっぱりきっぱり言い捨てて、一歩先へと進みながら、それはわざとらしく両手で髪を掻き上げた。一瞬反った胸が次の瞬間大きく揺れ、その仕種に数人の男が強い視線を浴びせた。…こいつ、本当にわかってないのか?実はわざとやってるんじゃないのか。新たな文句の種を胸に苦虫を噛み潰しかけると、ランチさんがまたもや頭を下げた。
「ええ、意外でしたわ。お二人とも本当に仲がいいですわね」
「どこが!!!」
そして俺たちはまたもや声を揃えた。今度は一字一句タイミングまでも同じだった。俺とブルマは思わず顔を見合わせ、ランチさんの忍び笑いがくすくす笑いに変わったところで互いに顔を逸らした。やがてランチさんの伏せた顔がすっかり笑顔になっているのを見て、俺は認めた。
確かに気はあっているようだ。こんなしょうもないことだけな。


険悪、というのとは違う。でも許されてはいない。まったく口を利かないわけではないが、さりとて直截水を向けられることはない。そうだな、さりげない無視、といったところか。
そんな空気を引き摺って俺たちはレストランへ行き、ビールと数皿の料理を注文した。二皿目の料理が空になった時、何回目かの女の会話が始まった。
「それでランチさん、ホテルは見つかった?」
「それが…今日はどこも満室だそうで、明日になれば空きもでるそうなんですけど」
「そっかぁ。週末だもんねえ」
内容的には、特に『女の会話』といった感じではない。とりたてて特筆すべきこともない日常会話だ。だが、俺がなんとなく二人の間に割って入れないことが、結果的に『女だけの場』を作り出していた。まああれだ。昨夜と同じだ。いや、今日はより傍観度が高いかな。ブルマが俺の顔を見ないから。
「ま、明日空くんならいいじゃない。午後からは一緒に遊びましょ。何しよっか。ダイビング?ジェットスキー?グラスボトムボート?ここ何でもできるわよ。遠慮しなくていいわよ。あたしカード持ってるし、ヤムチャもここんとこ小金持ちだから財布を軽くさせてやるといいわ。ね〜、ヤ・ム・チャ!」
それでも、完全無視というわけではなかった。こんな風に、時々いびりの言葉を投げてくる。ビールは俺が奢れとか。この皿は量が少ないから俺は食うなとか(まったく、子どもの苛めか)…
「あら、何かあったんですか?」
「あっ、そうなの。聞いてよランチさん、こいつ船の中のカジノでさぁ〜…」
そして今度はあからさまにひとをネタにし始めたというわけだった。俺は呆れつつも黙ってそれらの声を聞いていたが、やがてブルマがウェイターに声を投げかけたので傍観者の立場を捨てざるを得なくなった。
「ビールちょうだい!できるだけ早くね!」
「おいブルマ、ちょっと酒のピッチ早過ぎだぞ」
これまで何度か口にしたものにも似た、昨夜の教訓からくる苦言だ。女同士だからか何か知らんが、ブルマのやつランチさんと一緒に酒を飲むと、妙に口が軽くなるんだから。本人は気にしてないのかもしれんがな、俺はいたたまれないんだよ……苦言というよりすでに頼みごとだな、これは。ぶっちゃけるにしたって、俺のいないところでやってほしいもんだ。
「だって、料理こないからヒマなんだもん」
「だからってそんなペースで飲んでたら、あっという間に潰れちまうぞ」
退屈そうに両手の上に顎を乗せながら、ブルマは溢した。少しばかりテーブルに身を乗り出しながら、俺は諭した。
「もう、うるさいわね〜。子どもじゃないんだから、お酒くらい好きに飲ませなさいよ。そういうの、もう耳にタコができちゃったわよ」
すると瞬く間に、怒りの嵐が発生した。荒っぽく空のジョッキをテーブルに叩きつけるその様に俺は一瞬怯んだが、言うべき言葉は呑み込まなかった。
「飲んでも一人で歩けるようなら、俺だって言わないさ。飲むたびに手を引いてやってるのは俺だぞ」
「そんなの当たり前のことでしょ。何よ、えっらそうに!」
「当たり前っておまえ――」
そして一言のもとに粉砕された。だって、それを言ったら身も蓋もないぞ。そもそも俺は手を引くことの是非を言っているんじゃないんだが――
「何!?なんか文句あるの!?男が女の手を引く、それが当り前じゃなかったら何なのよ。それとも反対の方がいいわけ!?」
「あ、いや…えーと、それは…」
気づくと話はもう完全にすり替わっていた。確かに最初にそれを言い出したのは俺だが、それにしても……すでに酔ってるんじゃないのか、こいつ。いや、いつものことか…
有耶無耶のうちに俺は言葉を失った。話がズレているうえに、なんというか人前で話すことではない。そもそも俺に反論の道はあるのか。つまるところまた負けたわけだが、それにはまたランチさんのくすくす笑いがついてきた。
「……何?ランチさん」
少しばかりの沈黙の後に、ブルマが繕うような笑顔を見せた。ランチさんは口元を押さえてはいたが笑いはちっとも抑えずに、下げた目尻から涙を溢しながら答えた。
「いいえぇ〜。ごめんなさい、笑っちゃって。ただお二人とも…いえ、なんでもありませんわ。ええ本当に」
「…………」
そんなわけで、ブルマの言葉を封じ込めたのはランチさんだった。…そうだよな。笑うよなぁ。俺でも笑うよ。そっちの立場になれたなら、すぐにでも笑うよ。
笑い続けるランチさんを目の前に、不貞腐れたように口を噤むブルマを横目に、俺は敗北の味、羞恥の味、その他いろいろなものに味付けされたほろ苦いビールを飲み干した。
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