Trouble mystery tour (5) byY
「ん〜。それじゃ、ぼちぼち取りかかろうかしらね」
ブルマがそう言って傍を離れた時、俺は思わず笑ってしまった。
ものすごく聞き覚えのある言葉と口調だったからだ。お茶の時間や俺に愚痴を溢した後でメカ弄りを再開する時にそっくりだ。どうやら完全に自分のペースになったな。そして、疲れも飛んだようだ。
俺はすっかり気を抜いて、ヘッドホンを頭につけた。そしてブルマの態度を少しだけ変えさせるべく、その台詞を口にした。
「取っ掛かりは俺がやってやるよ。コンタクト取って現況報告だな」
安心すると同時に、不本意でもあったからだ。こいつ、すっかり自分一人でやるつもりでいるんだから。それが遠慮や余裕のなさからきているものではないことは、すでにわかっている。どうしたって、もう様子見する必要のないくらい平常心だ。まったく平常心で、俺のことを見くびってやがる。もっと俺を使え。少しは俺にもやらせろ。そりゃ任せはしたけどさ、ここまで当てにされてないとさすがに立つ瀬がないじゃないか。
「何あんた、わかるの?」
「飛行機のデータくらい読めるさ。出し方は見ててわかった。このボタンだろ?切り替えの順番はこれから覚えさせてもらう」
心の中で口笛を吹きながら、俺は先ほどブルマが弄っていたボタンを、見よう見真似で端から順番に押していった。データは9割方理解できる。わからなかったら訊けばいいし、そんな場合じゃなかったら、面倒くさいけど自分で解析してみるさ。もうブルマは放っておいても大丈夫だ。
その感覚はすぐに裏付けられた。俺がデータを確認し始めると、ブルマはいかにも慣れているといった手つきで、最も上方にあった計器を弄り始めた。さっきも弄っていたな、そこ。とはいえそこに関しては、見てても全然わからなかったが。
結局のところ、それほど立つ瀬があるわけじゃない。それがこの時俺にははっきりわかったが、情けないとは感じなかった。俺はもう、自分の本分を果たした。…あんまり張り合いなかったけど。おまけに周りの反応は微妙だし。もっともったいぶったやっつけ方をするべきだったな。失敗した。
「こちらSkyFlyer327。管制、応答せよ。こちらSkyFlyer327――」
『ハロー、こちら管制…』
開きっぱなしだった無線は、すぐに機能を示し始めた。相手の声に混じっているノイズがさっきとは別種のものであることに、俺はすぐに気づいた。そして気づいたその瞬間に、ブルマがノイズブランカーからノイズリダクションに切り替えた。…だから、そういうことは俺にやらせろってのに。本当に立つ瀬がないなあ…
まったく落ち込むことなく、俺はそう思っていた。だから管制官が次のように応答してきた時、自然と俺はその言葉を口にした。
『ハロー、SkyFlyer327。よろしく、管制官のハロルドだ。…君が操縦者か?女性だと聞いていたんだが』
「助手ですよ。操縦者の連れです」
おそらくこれが最も正確な事実だ。俺の言葉に満足そうに微笑むブルマを横目にしながら、俺は先を続けた。
「こちらの状況を伝えます。現在の高度は15000m、残燃料8500kg、外気温はマイナス50℃。機内外とも異常なし」
『乗客の様子はどうだ?…君以外の乗客は。パニックになっていないか?』
管制官の言葉に、俺は思わず苦笑しかけた。その途端だった。
非常に規則正しい電子音が操縦室に流れ始めた。ディスプレイから顔を上げると、ブルマが流れるような手さばきで、計器類のそれぞれのスイッチとボタンを触り続けていた。『押す』というより、『触る』。さっき弄っていた時も充分に調子が出てきていると感じたものだが、今は何だか雰囲気が違う。…乗ってるな。乗り過ぎてるな。ついさっきまで不貞腐れていたやつとは思えん。生粋のメカキチだな、こいつ。
ひょっとすると、張り合いなく感じているのは俺だけじゃないかもしれないな。そんなことすら思いながら、俺は助手の任務を続けた。
「なに、落ち着いたもんですよ。全員避難用具を着用してます。犯人2人は休憩室の隅に転がしてます」
『あの機長がハイジャックとは…言うべき言葉もない…とにかく災難だった。30分遅れだが、幸い航路は確保できた。現在のレッチェルの天候は晴れ、視界も良好。通常と異なるのは滑走路のみだ。…操縦者、いいかな?着陸の説明に入りたいのだが』
ここでちょっと、ブルマのメカキチの弊害が出た。というより、少し前から出ていた。ブルマが管制官の声に全然反応しなかったのだ。本題に入りつつあることは、俺にさえわかっていたのに。しょうがないな、こいつは。ちょっと引き戻してやるか。
俺はそう考えたが、実際にそうすることはなかった。俺が引き戻すまでもなく、ブルマの方からやってきたからだ。切り変え終えたボタンの上に乗せた俺の手の横に、ブルマの手が。俺は反射的に顔を上げ、そして反射的に首を捻った。
…なんだろう?
『恋人同士力を合わせて』とかいう気分を出しているようにも思えないが。どちらかというと、緊張しているように見える……今さらか?
はっきり言って、俺にはブルマの気持ちがさっぱりわからなかった。でも、自分のするべきことだけはわかっていた。俺はハイジャック犯をやっつけた男であり、現操縦者の助手だ。でもそれ以前に、ブルマの宥め役なんだ。
だからただ、その強張った手を叩いてやった。軽口も叩いてやりたいところだったが、それはやめておいた。管制官の前ではきっと不謹慎だ。それだけではなく、不安に思われるに違いない。絶対にケンカしていると取られるだろうからな。
「…ハロー、OK。よろしくどうぞ」
ブルマはそれには何も反応せず、淡々と口を開いた。淡々と、管制官がそれに答えた。
『本来ならばパイロットの資格或いは必要飛行経験を確認すべきところなのだが、緊急事態である為急遽オートランドの許可が出た。最低気象条件はCategory3c、既存の設定215を修正して適用する』
「215のLEGを確認。修正値をどうぞ」
『QNH3000インチで3000kmへ降下。オートブレーキ1、スピードブレーキARM。機首方位350°で2000km。30°で1000km。1000kmでILSが動作する』
「QNH3000で3000km、オートブレーキ1、スピードブレーキARM。350°で2000km、30°で1000km。OK」
ブルマは淡々と答え続け、淡々とその手を動かした。俺は様子を見てはいたが、口を出す気はもうこれっぽっちも湧いてはこなかった。
そう、それでいいんだ。おまえは能力はあるんだからただ思うままに…思うままにってのは今はまずいか。でも、自然体でやればいいんだ。それで充分なんだ。
『…以上だ。盲目着陸により外部視界の確認は必要ない。ニアミス時のみ着陸はやり直しだ。その時はオートランドではなく手動ということになる』
「手動は嫌ね。そんなことになったら、爆破炎上させちゃうかもしれないわよ」
とはいえ、よくわからないやり取りの末にブルマがそう言った時、俺の姿勢は崩れかけた。…一般人相手に言うなよ、それを。そりゃあ言い出したのは俺だけどさ。でもそれが洒落で済まされるのは、俺たちの間でだけだ。実際、管制官だって洒落と受け取ってないし…
『規定の位置まではこちらでレーダー誘導する。滑走路手前でコントロールに降下承認を要求するように。…エアポート関係者一同、君の勇気と腕前に敬意を表する』
本気で考え込んだのか、流したのかはわからない。ともかく数秒の沈黙の後に、管制官はそう言った。ブルマはその最後の言葉を、今度は非常にいい塩梅で蹴飛ばした。
「そんなものはどうでもいいから、ワインを1ダース用意しとけって上の人に言っておいて」
「はは。了解した」
これには管制官からも笑いが返ってきた。…そうそう、そのくらいにしておけ。 そのくらいが一般的には適当だ。
こんな感じで、アプローチとの交信は終わった。そしてまたもや得たのは、がんじがらめの指示だった。
いやはや、本当に旅客機って面倒くさいな。もし乗客がいなかったら、飛んで帰ってしまいたいところだぞ、俺は。


「あぁ〜。終わったぁ〜!」
管制官の声が無線から消えると、ブルマは途端に相好を崩した。それはもう軽やかな笑顔になって、ヘッドホンを宙に投げ上げた。うんうん、ごくろうさま。俺はそう言ってやりたい気持ちになったが、ヘッドホンを受け止めた時にはすでに気を引き締めていた。
「終わったって…まだ着陸してないぞ」
めどは立ったが、それだけだ。…それだけってことはないか。とにかくゴールは着陸であって、着陸の設定をすることではないのだからな。手段が目的になるにしたって、時と場合を選んでもらわないと。乗客の命がかかっている(我ながら陳腐な言い方だ。おまけに全然そんな気しないな、あの乗客じゃ)んだからさ。
「あたしにできるのはここまでだもの。後はオートランドが使えない事態にならないことを祈るだけよ。手動で着陸なんて絶ーっ対に無理だからね!」
ブルマはたいそう偉そうに不可能を口にしたが、俺はそこは聞き流すことにした。どうせ無理って言いながらできちまうんだよ、こいつは。もったいつけやがって。だから、我ながら軽い心境で内輪話へと踏み込んだ。
「ニアミスなんてそうそう起こらないだろ。機器に異常だってないんだし」
そして、俺に答えるブルマはさらに軽かった。
「そうでもないわよ。一番多い原因は故障じゃなくて交信ミスね。指示を聞き間違える人が結構いるのよ。手動の離着陸時って指示が多くって、コクピット内大パニックなんだから。もしそうなったら、あんたが何とかしてね」
「俺が?どうやって?」
「そうねえ。外から飛行機を支えて下ろすっていうのはどう?あんただったらそれくらいできるでしょ」
「まあな。…たぶんだけど」
だから俺も、軽く答えた。途中で口篭ったのは、その時には少しは考えていたからだ。…旅客機ってかなり重いんだよな。正直言って、無理なような気がするんだが…
でも、すぐにそんなことはどうでもよくなった。というより、それどころじゃなくなった。
「それで十分よ。あたしだって、ほとんど当てずっぽうでやったんだから」
「はっ?でもさっき、何とかはわかるって…」
一瞬にして、俺は軽さを捨て去った。もったいつけてる?…にしてはなんか言い方が……
ブルマはさっくりと、だがある意味では非常にもったいつけた言い方で、俺の不安を助長した。
「EVSね。それは本当よ。だけど触ったことがあるのは実験段階の物だし、それだってもう何年も前の話だもの。…要するにね、知ってるのとちょっと違うのよ、このコクピットのEVS。特にこれ、このユニット、何に使うのかまるっきりわからないのよね。そっちに話振られたらどうしようかと思っちゃった」
「えぇぇぇぇ!?…」
『話振られたら』って…振られなきゃいいのか?わからないってことは、チェックしてないってことだよな。それって――
「こっちの計器もさっぱりわかんないし。アナログなのに予備計器じゃないなんて、わけわかんない。そもそもEVSなのに視界がカバーされてないっていうのが不思議なのよね。今はちゃんとディスプレイ見えるからいいけどさ。Category3の可能なエアポートでよかったわ。できるエアポートって、すごく少ないのよ。おまけに3cなんて大ラッキーよ」
台詞の端々に散りばめられたよくわからない単語が、より信憑性を高めた。そこまでわかっている人間が『わからない』と言うのは、本当にわからないということだ。…なんてこった。俺はそんなやつに乗客の命を預けちまったのか。他言できんな、こりゃあ…
「そんなわけで、オートがダメだったら次はあんたの出番だからね」
そんなこと言われてもなあ…
俺はできるだけ前向きに考えてみたが、思い浮かんだのはあの方法だけだった。『乗客を降ろしてから爆破』。少なくとも持ち上げて着陸させるよりは確実だ。エアポートの上空でそれをするとなるとかなり派手な事態になるだろうが、この際はしかたがない。命だよ。命が何より一番大切なんだ。それより重いものは、たぶんこの旅客機くらいしかないと思う。よし、決まった。
俺は気持ちを固めた。ほとんど同時に、ブルマが俺の肩を叩いた。そして次に、晴れ晴れとした表情で、壁のインターカムに向かって喋り始めた。
「もう少ししたら着陸準備に入るから、携帯電話切ってもらって。それからランチいただくわ。あまり時間ないから急いでね」
平静を超えてもはや無神経とも言える、この台詞。もうまったく宥める必要ないな、これは。
「ヤムチャ、あんたは?ランチ食べる?」
「どっちでもいいかな…」
腹が減ってるんだか、いないんだか。食欲があるんだか、ないんだか。それすらわからずに俺は答えた。食欲が湧かないほど絶望的なわけでは全然ない。でも、腹が減るほど働いたわけでもない。っていうか、きっとアテンダントは、俺の返事よりも状況説明がほしいんじゃないだろうか。そう思ったが、放っておいた。とても説明できる状況ではない。世の中知らない方がいいということがある。ここは全部ブルマに任せちまおう。
「じゃあ2人分。コースは別で。ワインは『シャソルナード・ピンク』、ボトルでね」
「ワインはやめておいた方がいいんじゃないか」
それでもさすがに、ここだけは口を挟んだ。だって、操縦者がワイン…しかもボトル…
「何言ってんの。ワインなしのフレンチなんてありえないわよ。…じゃあお願いね」
けろりとした顔でブルマは言い、同時にインカムを切った。俺は一瞬呆気に取られて、次には完全に口を閉じた。
ま、いいか。
どうせもう、にっちもさっちもいかなくなってるんだ。ワインの一杯や二杯で、今さら何かが変わるもんか。…別に、とめられないというわけじゃないぞ。ワインを飲むのをとめるくらいの勇気はある。でも、たぶん絶対言い合いになる。まさかこんなことでケンカになるはずはないが、ブルマの声は大きいからな。無線と、この形なきドアの向こうには漏れなく聞こえることだろう。この状況でそれはちょっとな。格好つかなさ過ぎるというものだ。それに、フレンチならワインは必要だと、俺も思う。
そんなわけで、結局のところ俺はすっかりブルマに付き合うこととなった。手元のグラスにピンクのワイン。腿の上には、なかなか、いやかなり、はっきり言ってものすごく美味しい料理の皿。時々背後に聞こえるアテンダントの囁き声。それ以上に耳に入ってくる管制官の声。3杯目のワインをブルマのグラスに注いだ直後、ブザーの音が鳴り響いた。
「助手。コントロールに降下承認くれないか訊いてみて。120.500MHzね」
「こちらSkyFlyer327。管制、応答せよ。こちらSkyFlyer327……降下承認をいただきたい」
『こちら管制。SkyFlyer327、滑走路01Rへの進入を許可する。降下して4000kmを維持せよ』
何度目かの助手の役割を、俺は黙って果たした。その隙に、ブルマが腿の上のメインの皿から一切れを奪っていった。ほとんど同時に管制が、この時初めて状況確認の言葉ではなく指示をくれたので、俺は言ってやった。
「ほら臨時機長、出番だぞ」
安心しているのか呆れているのか、それともひょっとして感心しているのか、自分でもまったくわからない心境で。
ブルマのやつ、わからないと言ったわりには、やけに堂々と操縦してるじゃないか。…そうしむけたのは俺なんだけど。おまけにいつの間にか、まるっきり俺を助手扱いしてやがる。…言い出したのは俺なんだけど。当たり前のように、ひとの皿をシェアしてるし。…たぶんそうするつもりなんだろうと思ってたけど。
「はい助手。次はタワーよ。118.100MHzね。途中で何か言ってくるかもしれないから気をつけて。着陸したらグランドに切り替えよ。121.700MHz。後は適当に答えておいてね」
それにしても、どうしてこのワインはピンク色なんだ。さっきなんか青だったし。どうして普通のワインを頼まないんだ。うまいからいいけど。
そんなことを考えながら俺はブルマの声に従い、今や俺にもわかりつつある事実を受け入れる気構えを作った。
『離着陸時って指示が多くって、コクピット内大パニックなんだから』――まさにその通り。さっきからやたらと無線が入ってくる。最もオート着陸なので指示ではなく確認だが。そしてパニックになりつつあるのはコクピット内ではなく、俺だけだが。
旅客機って大変だなあ。今度同じようなことがあったら、犯人は…そうだな、せめて副操縦士だけでも、生殺しにしておいてやるようにしよう。
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