Trouble mystery tour Epi.6 byY
グリーンシーニ最後の一日(より正確に言うと半日)は、ショッピングで費やされた。
女って本当に買い物が好きだよな。そりゃ土産くらい俺だって買うけどさ、それに半日かけたりはしないぞ。
「あっ、このムームーかわいい〜。お揃いのシャツもあるわ。ねえ、ちょっとこれ当ててみて」
「少し派手過ぎないか?」
「大丈夫、あんた派手なの似合うから。よし、これ買っちゃおっと。帰りはこれ着て行きましょ」
そしてそれはいつしかいつもの買い物ともなり、気づけば今さらペアルックなんかをすることになっていた。もうすっかりご満悦だ。俺は非常にわかりやすいその事実を呆れ笑顔で受け止めた。ブルマは普段はペアルックみたいないかにもっていうことはほとんどしない。だいたいこういう現地のスタイルはそこにいる間にするものだよな。
とはいえ、別に俺はケチをつけているわけではなかった。ただブルマのいつになくセンスを無視したはしゃぎっぷりに気がついたというだけだ。
そんなわけで俺たちは、いかにも南国といった明るい柄の服を着て、来た時よりも幾分重たいトランクを持って(持ったのは俺だけだが)、ホテルを後にし港に向かった。一週間ぶりに乗ったリムジンが、旅気分を思い出させた。思えばこの地では本当にのんびりしていた。それなりにいろいろあったが、忙しなくはなかった。退屈なのにどこか忙しないクルーズ船とは正反対だ。
「あ、また同じ船なんだな」
そのクルーズ船が港に入ってきた。リムジンが港に着くとほぼ同時に。2本のファンネルの後ろから差し込む光に目を細めながら呟くと、いきなりブルマが口を尖らせた。
「もう、そういうこと言わないの。せっかくの気分に水差さないでよね〜」
「え?いや、俺は別に…」
文句言ったわけじゃないんだが。むしろ――
「しょうがないでしょ。この航路ではこれが一番ランクの高い船なんだから」
みなまで言わせず、ブルマはリムジンを降りた。どうやら文句があるのは他ならぬブルマ自身であるらしい。どうせなら新しいのに乗りたかった、ってところか。俺なんかは移動手段は慣れているものの方がいいと思うが。どちらにしてもむくれるほどのことではないはずだが、まあ浮かれているからこそ余計にそういうことが気になるんだろう。
それがわかったので、俺は黙ってその後に従った。トランクに腰掛けるブルマを横にタラップが下ろされるのを待っていると、ふと声をかけられた。
「やあやあ。元気そうでなによりじゃわい。それに仲よくやっとるようじゃし」
ボケ役老人のフレイクだ。フレイクは俺たちに負けず劣らず派手なシャツを引っかけていて、おまけにわざとらしいサングラスもかけていた。そして俺の知っているご老人にも似た素振りでサングラスを直しながら、こんなことを言った。
「ペアルックとはこりゃまた若いのう。わしもそのくらい若かったら、奥方に監視などされる羽目にならずに済んだだろうて」
この時になって俺は気づいた。フレイクの目の下、頬の上あたりにうっすらとではあるがはっきりと手形の跡があることを。
「どうしたんですか、その頬…」
「いや何、街の方に行った時にちょいとごたごたに巻き込まれてな。それが元で奥方にバレちまって。君がボディガードしてくれなかったからじゃぞ」
「…………」
俺は言葉を呑んだ。それは申し訳ないことをした。などと言っていいものかどうか、非常に迷うところだ。
「こんにちは、フレイクさん」
沈黙を縫うように、ブルマが言葉を投げた。途端にフレイクが余所行きの顔を――というより女性に対する時の顔を取り出した。そう、この御仁は老師様に比べれば遥かに体面というものを保っているが、確かに相手が男か女かで顔つきが変わるのだ。
「やあ、こんにちは」
「後ろで奥さんが睨んでるわよ〜」
「やや、そりゃいかん。では失礼」
俺にわかるくらいだから、ブルマにわからないわけがない。何十年も一緒にいる奥さんならばなおさらだろう。気づいていないのはきっと本人ばかりなり。
そんなわけで幸せな恐妻家はあっという間に目の前からいなくなった。あからさまに焦って離れたところにいた奥さんの元に駆け寄る後ろ姿を見ながら、ブルマが言った。
「あの人もしばらくは大人しくなりそうね」
そして俺の腕を取りながら、さらに言った。
「あんたも変なこと考えちゃダメよ。さ、行きましょ」
『君のところもご令嬢がなかなか強いようじゃからの。わしの気持ちがわかるんじゃないかと思ってなぁ』――かつてフレイクに言われたその言葉を思い出しながら、俺はトランクを手にした。


勝手知ったる船のバルコニーからグリーンシーニが見えなくなると、ブルマは弾かれたようにバルコニーについていた頬杖を解いた。
「よし、じゃ、着替えよっと!」
そして唐突にそう言い出したので、俺は思わず目を瞬いた。同時に思わず呟いたその言葉が前に言っていたものと同じだということに気がつくまでには、少々時間がかかった。
「何、また着替えるのか。なんで――」
「なんでって、この格好じゃパーティ出らんないでしょ」
「…ひょっとしてまたウェルカムパーティがあるのか?」
「とーおぜんっ!」
金持ちって暇人だな。たいして間を置かず乗った同じ船でまた同じことをするのか…
俺は少なからず呆れたが、それを口に出すつもりはなかった。まったく今さらな理由で。例え何か言ってみたところで、どうせ引っ張っていかれることに変わりはないのだ。それならば首根っこを掴まれてではなく、堂々とエスコート役として行こうじゃないか。
だから俺は黙ってリビングへと戻った。ブルマは一足先にそうしていて、すでにトランクに手をかけていた。それからベッドルームのドアを開けながら、勢い込んで言った。
「今度は前みたいな恥ずかしい思いはさせないでね!」
「…何言ってんだ、あれはブルマが――」
――バタン!
一瞬の後に俺はその言葉の意味に気づいたが、俺が言い終える間もなくブルマはベッドルームのドアを閉めていた。とはいえクラシカルな手動のドアは、俺の声を遮りこそすれ俺たちの間の空気を遮りはしなかった。やがて勢い余って反動で開いたドアの隙間から、乗りに乗った明るい声が流れてきた。
「ふんふふんふふんふふ〜ん♪」
…機嫌いいなあ…
良過ぎて困るな。いつにも増して強引で。押しが強いっていうか、元気過ぎるっていうか、せっかちっていうか…………まあ、いつものことか…
「ふんふんふんふふ〜ん」
俺はブルマの鼻歌を聞きながら、そのままリビングでトランクを開けた。ひさしぶりに着るタキシード。スラックスを穿いてシャツを着てベストを着けて、心持ち慎重にタイを結んだ。前の時タイをつけるのを後回しにしていたらブルマに首を絞められたことを思い出したのだ。最後にチーフをジャケットの胸ポケットに押し込むと、すっかり準備は終わってしまった。ゆっくりとソファに腰を下ろしながら俺は考えた――女の着替えって時間かかるんだよな。また着せ替えごっこをするようなら、時間潰しに煙草でも買おう――
だが何の時間潰しの方法もない今はとりあえず窓の外の大海原へと目をやると、またブルマの声が聞こえてきた。
「うぅ〜〜〜…むむむ…」
先ほどまでとは打って変わって不機嫌そうな唸り声。それで俺は暗黙の了解を破って、ベッドルームのドアを押し開けた。
「おーい、何してるんだ?」
ブルマは俺の顔を見るなり、それはもう苛々とした口調で叫んだ。
「この首の後ろのところのボタンが留められないの!」
「あー、はいはい」
その語気の荒さに驚いたというより呆れながら、俺はブルマのドレスに手をかけた。いつにも増して感情の振り幅が大きいな。機嫌がよくても悪くても、同じだけ手間のかかるやつだ。
「ふんふふ〜ん」
背中のボタンを留めてやると、ブルマは再び鼻歌を溢し始めた。同時に鏡に向かって笑顔を溢すその様を、俺は非常に安心した気持ちで見ていた。ブルマはどことなく見覚えのあるドレスを着ていた。しっとりした雰囲気の黒のロングドレス。 首の後ろにホックが付いたホルターネック――
でも、着回しでないことは明らかだった。腕ぐりこそ開いているが、それ以外の部分では実にきれいに体のラインを出すにとどめた、おとなしいデザインだったからだ。どうやらブルマはついさっきまでの南国の開放的な気分を持ち越すことはやめたらしい。なぜかは知らんが、いいことだ。あの南国の地と違ってこの船には他人の目というものがあるのだから。
「…何よ?」
ふと、ブルマと目が合った。鏡の中で。今は唯一の他人である俺の視線に気づいたようだ。少し寄った眉を見ながら、慎重に俺は言葉を紡いだ。
「…いや、珍しく首の回りがあったかそうだなと思って…」
どうせなら慎重に口を噤んでおけばいいと思うかもしれないが、そうはできないところが俺の弱みなのだ。
ブルマは寄せていた眉を上げて、偉そうに言い放った。
「水着の跡が残っちゃったから、胸元出したくないのよ」
「…それはよかった」
だから俺も言ってやった。我ながら自嘲とも嫌みともつかない言葉を。前の時には俺が何を言っても露出を控えようとはしなかったのに、今は日焼け一つでそれか…
「ふんっだ」
ブルマはそれを鼻息一つで吹き飛ばした。それから鏡にも俺にもいったんは背を向けておきながら、唐突に振り向いて詰め寄ってきた。
「あんたは用意できたの!?何よこのシャツ、襟元開け過ぎ!だっらしないわね!」
そして、パーティ会場に入る直前で留めようと思っていた俺のシャツの襟を締め上げた。シャツのサイズは合っているのだから締めつけられるはずはないのだが、それでも締め上げられた。俺は慌てて諸手を挙げた。…今日は本当に怒りの度合いが強い――いや、いつも通りか…
「わかったわかった、悪かった。ちゃんと後でボタン留めるから…」
「今留めなさいよ!」
ブルマは俺のシャツを掴みながら、息巻いてそう叫んだ。それで俺はどうにかその手を離して、きっちりとボタンを留めた。
「まったく怖いんだから…」
「なんか言った?」
「いいや。何にも」
偉そうに腰に手を当てるブルマを横目に、俺はエントランスのドアを開けた。ブルマの目がそうしろと言っていたから。そうじゃなくとも、俺は自分の役割をわかっていたから。
どうせ俺はエスコート役なんだから。この船の中では特にその毛色が強くなるんだから。これから何をどうすればいいかも、だいたいわかっているんだから。
慣れと諦めって紙一重だ。
inserted by FC2 system