Trouble mystery tour Epi.6 (5) byY
やがてレストランを出てから、俺は双子の荷物を半分だけ持ってやった。
「ブルマさん歩くの早ーい。どこ行くんだろ?」
「ねえねえヤムチャさん、どうして声かけないんですかー?」
「うーん、まあ…」
妥協的選択だ。一緒に歩くのにまったく持ってやらないというのもなんだからな。
「あ、なんだ、このまま船に戻るんだあ」
「ケンカしたままでいいんですかー?」
「うーん…」
遠くの前方、時折人波に隠れながらもちらつくブルマの後ろ姿を見ながら、俺は考えた。
喧嘩…なのかな?
なんか、虫の居所が悪かっただけっていう気がしてきたんだが。さっきまであんなに機嫌よかったのにどうして急にそうなったのかは謎だが。いや…俺が失言をかましたからか。そうだな、あれが発端だ。でも、あんなことで?
俺がこんなこと言える立場じゃないのはわかっているが、ちょっと短気過ぎやしないか。何も無視までしなくてもと思うのは、俺の傲慢だろうか。
それに、その無視の仕方がなんかいつもと違うんだよな。
軽く考えているのか重く受け止めているのか自分でもわからぬままに、俺は歩き続けた。クルーズ船の搭乗デッキまで。そこで立ち止ったのは、ブルマが船内へと消えたから、そしてミルちゃんとリルちゃんがにっこり笑ってこう言ったからだった。
「荷物持ってくれてありがとうございました、ヤムチャさん」
「すっごく助かりましたあ。ブルマさんと仲直りできるといいですね!」
ははは…
俺はちょっと引きつった笑いを浮かべながら、さっさと船内へと去っていく二人に手を振った。呆れたというか何なのか。この子たち、さっぱりしてるな…
…さて、じゃあ俺も戻るか。
どこになどと言うまでもない。今、俺の戻るところは一つしかない。まあ、いつもだって結局は一つしかないんだけどな。そう考えると90日の旅行というのは、C.Cに滞在してるのとたいして変わらんな。…変わるか。ここではほとんどトレーニングしてないからな…
――さあ、お姫様のご機嫌はいかがかな。
軽い皮肉を心に呟いて、部屋のドアを開けた。一歩を踏み入れたリビングに、ブルマの姿はなかった。ただベッドルームのドアが閉まっていた。ドアの向こうに感じられる、静かなでも何をかはしている気配。…例によって篭っているな。あいつも芸がないなあ…
やっぱり喧嘩だったか。ソファに体を預けながら、俺は息を吐いた。溜息ではない。…いや、やっぱり溜息かな。くだらない喧嘩をしたなあ、という溜息。きっとそう言ったらブルマは怒るんだろうが、俺はやっぱりそう思う。だって、あんなの流れで言っただけじゃないか。あそこで無視できるやつがいるか?それとも流れに従って、『そうだね、重そうだね』とでも言っておけばよかったのか?そんなの間抜けもいいところじゃないか。だいたい、ああいう時に荷物を持ってやるよう俺に教えたのはブルマなのに。習性にしたのはブルマなのに、ちょっと相手を間違えたくらいでそんなに怒らなくても…
ふう。俺はまた溜息をついた。今度は自戒の溜息だった。…どうも俺にも捻くれ具合が移っているな。そういうことじゃないはずなのに。事は明解。俺は女の子に親切にした。ブルマはそれが気に障った。それだけだ。この上なく単純な嫉妬。だから俺は四の五の言わずに頭を下げておけばいいんだ。
少しの時間をかけて、俺は散り散りになっていた感情を纏め上げた。いつもの作業だ。大抵は毒を吐くウーロンなんかを相手にしながら考えを纏めるのだが、今は毒を吐くやつがいないので、自分で毒を吐いてしまったというわけだった。そういうことにしておこう。なんとなく違和感があるけど、それには目を瞑って、天の岩屋の戸を開けよう…
と、思った瞬間、天の岩戸が開いた。
「じゃーん!」
間髪を容れず、まさに意気揚々といった様子で、ブルマがベッドルームから飛び出してきた。その顔には笑顔が浮かび、足つきは軽やかでさえあった。俺が呆気に取られていると、ブルマは軽く足を組み、誘うような声音で言った。
「どう?素敵でしょ。あたしダンスパーティに行ってくるから、あんたは先に寝てていいわよ。じゃあね、おやすみ!」
そして、高笑いでもしそうな表情で口元に手を当てて、すたすたと部屋を出て行った。もはやすべてのことに唖然としながら、俺はその後姿を見送った。


…なんだ、あいつ。
部屋のドアが静かに閉められた数瞬後、我に返った俺が思ったことが、それだった。
一体どこの舞踏会へ行く気だ、あいつは。
ブルマが怒っているということはわかっていた。瞳の奥に宿る怒りの炎に気づかなかったわけはない。それにあの、吐き捨てるような『おやすみ』の言葉。あれは『ついてくるな』ということだろう。
それでも俺は、ブルマの言動よりもその格好の方が気になった。なんだあの格好。やたらと石のついた裾の長いドレス。豪華に巻いた髪に燦然と輝くティアラ。いや、別におかしくはない。でも…………ハマり過ぎだな。一瞬どこのお姫様かと思ったぞ。
あいつ、あんな派手な格好して一体どこへ行く気…なんて、そんなのわかってるけど。ダンスパーティって言ってたもんな。それにしても、気合い入り過ぎだぞ。なんで喧嘩してるのに、そんなにやる気満々なんだ。そりゃ落ち込んだりしないやつだってことはわかってるけど、それでもいつもは今に比べりゃおとなしく部屋に篭ってるのに。
俺にはさっぱりわからなかった。わからないままに、開放されたベッドルームへ行き、クロゼットを開けた。
そしてすでに着慣れたタキシードを引っ張り出した。それからジャケットと、すでに首元を緩めていたシャツを脱ぎ捨てた。
俺も着替える。そしてダンスパーティへ行く。どうしてかって?
これもまた、習性だ。


俺が習性に従ってブルマを追いかけ始めると、少しもしないうちにロビーで双子たちと鉢合わせた。
「どうですか、ヤムチャさん」
「ブルマさんと仲直りできましたか〜?」
双子は揃って胸元に大きなひまわりの並んだ薄いグリーンのミニドレスを着ていた。相変わらずのアイドル風。そして相変わらずのさっぱりとした態度だ。とはいえ、俺はちょっと困って言葉を濁した。
「うーん、まあ…」
すると途端に双子たちが盛り上がりを見せた。
「ダメじゃないですかあ。ちゃんと仲直りしなくっちゃー」
「前みたいにキスして仲直りしたらどうですか〜?」
「そうそう、あれあれ。あれステキだったよねー!」
「ドラマみたいだったよね!もう一回やってくださいよ〜」
「…………」
俺はすっかり言葉を失くした。見抜かれてる…っていうか、覚えられてる。忘れてくれないかなとまでは思わないが(自分でしたことだしな)…まいったな、これは。
「で、ブルマさんはどうしたんですか?」
俺が困り続けていると、ミルちゃんがけろりとした顔でころっと話題を変えた。俺は拍子抜けしながらも、事実を伝えた。
「ダンスパーティに行った。…はずだ」
「あ、それで追いかけてたんだあ」
「そうこなくっちゃ!」
何が?
などという突っ込みをするつもりは、俺にはなかった。双子たちの思考回路が、今ではだいたい読めていた。女の子って、ドラマと現実をすぐごっちゃにするんだからな。それも、ブルマはドラマに現実を重ねるタイプだが(こんな男が現実にもいたらな〜、なんてことをさらりと言ってくれたりする)、この子たちは現実にドラマを重ねるタイプのようだ。
「じゃあ早く行きましょうよ」
「あたし、またあのカルアミルク飲もうっと」
「え、君たちも来るの?」
俺が思わず目を瞬くと、双子は瞳を輝かせてこう言った。
「もっちろん!通りかかった船ですから!」
「仲直りするとこちゃんと見届けなくっちゃね!」
何か期待してるな…
俺は呆れながらも、二人を退けようとはしなかった。二人に悪気はないということがわかっていたからだ。『通りかかった船』…言い得て妙じゃないか。乗りかかってはいないんだよな。やっぱりこの子たちのせいにすることはできない…
おまけに二人はドレスもすでに着ている。あのクラシカルなダンスパーティでは絶対に浮くようなドレスではあるが、この船のドレスコードは女性には甘い。だから、この上俺が言うべきことは一つだけだった。
「カルアミルクは結構アルコールが強いから気をつけてね。飲みやすいからって飲み過ぎちゃダメだよ」
「はーい」
双子は揃って明るい声でそう答えた。その素直な返事を聞きながら、俺は思った。
――ブルマのやつも、こんな風に素直に納得してくれればいいんだけどな…


パーティ会場に着いたら、双子たちとは別れるつもりだった。
この子たちを引き連れてブルマに話しかけるほどバカじゃない。そんなの話がこじれるだけだ。むしろ何もしない方がいいほどの愚かな行為だ。
それなのに、そうすることができなかった。それは単に、目に映る一つの現実のためだった。
「カルアミルク二つくださーい」
「あー、おいしい。さってっと、ブルマさんはどこかな〜」
真っ先にカウンターバーへと行ってしまった双子は気づかなかったようだが、俺はすぐに気づいた。ダンスフロアを一目眺めてすぐに。それくらい、目立っていた。
さっき『どこのお姫様だ』と思った人物が、柔らかなライトを浴びて踊っていた。ゆっくりとステップを踏むブルマは、すごくきれいに見えた。優雅に翻る美しいドレス。淡いネイビーブルーに映える少し焼けた肌。…水着の跡が気になるから胸は出さないんじゃなかったのか。思わずそんな風に思ってしまった胸元は、でもほとんど見えなかった。ブルマの前に一人の男が立っていたからだ。
…なんだ、あの男。
今度はそう思いながら、カウンターに席を取った。ダンスフロアの方へと体を向けて。ブルマはダンスフロアの真ん中でこちらに背を向けながら、いかにもそれらしく手を取られていた。腰に手を回されてもいた――細の細い赤毛の男に。誰だあいつ、見たことな――いや、どこかで見たような気がするな。だが、思い出せない。つまり、所詮はその程度の男だということだ。たいして記憶にも残らない、ひ弱そうなやつだ。ブルマにとっても、きっとそうに決まってる。
「…ドライ・マティーニ」
事実を一つ断定したところで、俺はバーテンダーにそう言葉を投げた。それから再びダンスフロアへと向き直った。疑念を一つ片づけても、まだ気になることがあった。そして、それは容易に片づけられそうにもなかった。
…ブルマのやつ、えらく乗ってるじゃないか。
そりゃあ、俺はダンスなんかしたことないさ。でも、それはブルマも同じだったはずだ。だが、それにしてはずいぶんとスマートに…言ってしまえば、ものすごく雰囲気を出して踊ってやがる。
バーテンダーがグラスを滑らせてきた。俺は一瞬それに目をやり、次いで一気に飲み干した。あー、苦い。でも、のんびりと啜る気になどなれない。声をかける気にはなれないのに、黙って見てる気にもなれない。一体何なんだ、これは。
「ドライ・マティーニ」
再びバーテンダーに声を投げてから、俺は自問した。
ブルマってあんなにきれいだったか?
そりゃ美人だけどさ。確かに間違いなくかわいいけど…でも、他者を寄せつけないほどの美しさではないと思っていたのに。それが今はオーラさえ感じられる。流れる髪。輝くような笑顔。…果たして俺と踊っていた時もあんな風に見えたのだろうか。
二杯目のグラスを空にした。最後の疑問が、俺の心に影を落としていた。あのティアラ。あんなものが似合うほどに淑女然としているブルマを、俺は見たことがなかった。一瞬それっぽく見えてもすぐに馬脚を露わすのが、俺の知ってるブルマだったのに。それが今は、別人のようだ。
ブルマと、あの男。二人が悔しいほど優雅にダンスフロアを回っていく様は、まるで気の合ったパートナー同士のようで…
「…ドライ・マティーニ!」
三杯目のグラスに口をつけた。その苦味と共に、俺は苦々しさをも呑み込んだ。
…いや、そんなことはない。っていうか…そんなやつに体触らせるなよ…
思わず本音が出たところで、双子が俺の隣へとやってきた。どうやら俺の視線の先に気づいたらしい。それまでカクテルに夢中になっていたのが、一転して黄色い声を上げ始めた。
「あーっ、ブルマさんたら浮気してるぅ!」
「ホントだ!あたし浮気現場見るの初めてー!」
「…………」
その声と、途端に向けられた周囲からの視線を、俺は無視した。だって、一体何を言えというんだ。
その間にも、双子のお喋りは続いた。
「あっ、見て見て、ブルマさんの頭!ほら、ティアラつけてる。かっわい〜、ステキ〜!」
「ホントだ。いいなあ、お姫様みたーい!」
「あたしもあんなの欲しいなあ。決ーめた!明日買おーっと」
「あっ、ミルずるい。あたしも!あたしも買う〜!」
「あ、飲み物なくなっちゃった」
「あたしも。すいません、カルアミルク二つくださーい」
「おいしいよね、これ。あたし大好き!」
「あたしもあたしもー!」
「…………」
完全に他人事だな…
そりゃそうだよな。他人なんだから。それなのにあんなに激しい焼きもちを妬くなんて、ブルマもどうかしてるよ。
「ドライ・マティーニ!」
双子の会話は、俺に現実感覚を取り戻させた。新たなグラスに口をつけながら、俺は今度はコの字型カウンターの向こう側、バーテンダーの後ろに見え隠れするある席へと視線を動かした。
そこにブルマが来たからだ。赤毛の男を伴って。いや、伴われて、かな。なんかいちいちわざとらしいエスコートをするやつだな。そんな大げさに誘導しなくても空いてる席なんか見りゃわかるだろ。と思わず言ってやりたくなるほどのキザな素振りで男がブルマを座らせた、それが事実だ。それからカクテルなんかを飲み始めた二人を、俺は自分もまた飲みながら見ていた。
妙な気分だ。
あれは俺の役目なのに。ブルマをエスコートすることが、俺の仕事だったのに。俺がいなくても何の問題もなくブルマは笑って…――いや…
…そうでもないか。
男は何やら熱心に話をしていたが、ブルマの方は必ずしもご執心とわけではないようだった。しおらしげにグラスを傾けてはいるが、その目が男を見ていないことは明らかだった。男は気づいていないようだが、俺にはわかる。俺はちゃんとブルマを見ているからな。それっぽい雰囲気に誤魔化されたりはしないのだ。
と、そのブルマを見ていた俺の視線と、宙を漂っていたブルマの視線がかち合った。軽く目を瞬いたブルマを、俺はここぞとばかりに睨みつけてやった。俺の心境は先ほどまでとはまるで違っていた。もう取り成そうとかわかってもらおうなんて思わなかった。それはブルマのやるべきことだ。だって、俺を無視するのと、他の男を相手にするのはまったく別のことだろう?
ブルマは驚いたりビビッたりはしなかった。でも、ちょっとだけ化けの皮が剥がれた。眉間に皺を寄せ口元をへの字にしたその顔を、隣の男が目を白黒させて見ていた。ふん。わかったか。おまえの隣にいる女は今はなんだかぶっているが、本当はそういうやつなんだよ。
それでも、男は手を引かなかった。それともブルマがうまく化けているというべきか。二人は何事もなかったかのように笑い合い、席を立った。来た時と同じようにエスコートしエスコートされて。
…だから。腰に手を回すなよ…
つい顰めてしまった眉は、だがすぐに上げられた。ブルマがこちらを振り向いたからだ。男に体を預けたままで。そして舌を出した。満面の笑顔で。
このお…!
「ドライ・マティーニ!!」
俺はまた一杯グラスを空けた。一瞬目を白黒させてしまった自分を不覚に思いながら。
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