Trouble mystery tour Epi.6 (6) byY
俺に現実感覚を取り戻させたのは、双子の会話だった。
「あれっ、ブルマさんどっか行くみたい」
「なんかすっごい雰囲気あるぅ〜。ドラマみたーい」
「旅先のロマンスってああいう感じなんだあ〜」
ロマンス?冗談じゃない。あれは当てつけているだけだ。
ダンスフロアとは反対の方向へとゆっくりと人波を縫って行く男とブルマの後姿を見ながら、俺は空になったグラスを弄んだ。
そう、ブルマは当てつけている。だからこそ、全然その気がないにも関わらず、あんな風に男の好きなようにさせてるんだ。そうなんだよ。あいつはちっともさっぱりこれっぽっちもその気なんかありゃしないんだ。そんなの見てりゃわかる。
だが、それでも…
「ねえねえ、どこに行くんだと思う?」
「えー、やっぱここは夜景かな〜」
「あ、そっか。今って街の夜景が見えるんだっけ」
「ステキだよね。街の夜景と夜の海。ダブル眺望スポットじゃん」
「わー、あたしたちも行こう」
「…………」
…それでも。イラつくんだからしょうがないじゃないか!
グラスをカウンターに叩きつけると、それまでグラスを磨いていたバーテンダーが少しだけ驚いたように手を止めた。それから無言で問いかけるように視線を向けてきたが、俺は何も言わなかった。もう酒はいらない。
やめさせよう。これ以上好きにさせといてたまるか!
俺は席を立った。するとすでにそうしかけていた双子が、さも意外だといっ た顔で言った。
「あ、ヤムチャさんも来るんですか?」
「当然だ」
俺はことさらに強気でそう答えた。心の中で毒づきながら。
まったく…
…みんなして俺を甞めるなよ。


上には満天の星空。少し遠くにディーブルの街の夜景。肌寒く吹く風。
ブルマたちの後を追ってデッキへ上がると、途端に双子が歓声を上げた。
「ブルマさん見ーっけ!わ〜、星が超きれーい!」
「夜景も超きれーい!」
「シチュエーション最高だよね。ひょっとしてこの後キスとかしちゃうのかな?」
「わー、なんかドキドキしてきた〜!」
「…………」
…するわけないだろう。
などと、わざわざ口に出す気には、俺はなれなかった。
この子たち、本当に子どもだな。まるっきりテレビでも観ている気分になっている。恋愛は自分たちの蚊帳の外の出来事というわけか。
呆れたというのとは違う。夢は見ていてもいいと思う。この子たちの場合は、な。
だが、ブルマは…
俺は双子を尻目にして、ブルマと男のいる方向へと一歩を踏み出した。
まったく、一体いつまでそんなことをやっているつもりなんだ。
俺がいることを知っていながら――なら、まだマシだ。そう、きっとブルマは俺がここにいることにはまだ気づいていないだろう。さっきもそうみたいだったからな。それなのに男なんか引っかけて…俺に気づいたら見せつけたりして。俺が本気で怒らないとでも思っているのか?
「あれっ、ヤムチャさん、どこ行くんですか?」
「ひょっとしてブルマさんのところへ行くんですか?」
「当然だ」
「わあ〜、がんばってくださいね!」
「あたしたち応援してますぅ!」
俺は双子に後ろ手を振った。多分に義理の気持ちから。今少しだけブルマの気持ちがわかった。『見世物じゃないのよ!』――きっとブルマならそう言って怒鳴りつけてるところだろう。悪気がないのはわかるんだが、ちょっとな…
俺たちはこんなんじゃなかったよな。あの頃、俺は女の子に憧れていて、ブルマは恋人を欲しがってて…まさにパーツが嵌るように出会ったんだ。こんな、それっぽい雰囲気だけに流されての『旅先のロマンス』なんかじゃなかった。というか、雰囲気なんてなかった。
それが今はどうだ。ブルマのやつ、どうしてあんなに雰囲気があるんだ。あの時俺に向かって舌を出してみせなければ、他人なんじゃないかと思うくらいのものだ。そしてそれに、あの男は騙されているというわけだ。
思考は芋づる式に広がっていった。だがその根本にある考えは一つだった。何と言ってやればいいかだ。男に?いや違う、ブルマにだ。
一体何と言って怒ってやろうか。それともあいつがいつもするように無視してやろうか。俺はここにいるぞと教えた後で。そうだな、それがいい。その時、思いっきり睨みつけてやろう。今度は至近距離から。今度こそビビらせてやる。作り笑いすら浮かべられないほどに…
そう俺は思っていた。俺は本当に怒っていた。だがやがて一瞬のうちに、その思考と感情の両方が飛び去った。
いきなり船が揺れたのだ。ぐらりと小さく起こった横揺れに続いてやってきた、強烈な縦揺れ。
その、次の瞬間だった。ブルマが目の前からいなくなったのは。その体が船の外へと投げ出されたのは。一瞬浮いたようにも見えたブルマの体が海へと落ちて行くのを見た時、俺は男に対し先ほどまでとはまったく正反対のことを思った。
――まったく、手くらい差し出せよな!
その後はもう何も考えなかった。ほとんど無意識に俺の足は地を蹴っていて、気づいた時にはブルマを抱き留めていた。そのまま空中で止まると、ぽちゃん、と何かが水の中に落ちていく音が聞こえた。俺が足下の海へと目をやった時、胸の中でブルマが動いた。
「あっ…ありがとう。…あの、ごめんなさい。あたし…」
そして胸元に手を滑り込ませて俺の体を押しやりながら、そう囁いた。よそよそしくもしおらしい、そして何より素直な態度。それが誰に向けられているものなのかは一目瞭然だったので、俺はめいっぱい語気を強めて言ってやった。
「離れる必要はないぞ。助けたのはあいつじゃなくて、俺だからな」
途端にブルマの態度は一変した。それはもう憎らしいほどに表情が変わった。よそゆきの顔から、怒り顔へ。あまつさえ、こんなことを言った。
「ちょっ、ヤムチャ、あんた何で……は、放しなさいよ!」
「放していいのか?」
「何その言い方……ひゃああああっ!」
だから俺は少しだけ腕を緩めてやった。と言っても、がっちり抱いていたところを普通に抱くようにした、それだけのことだ。それでもブルマは叫び声を上げて、俺の体にしがみついてきた。そして自分の言ったことはすっかり棚に上げて、それは偉そうに叫び立てた。
「ちょっと、ちゃんと捕まえててよ!落っこちるじゃないの!」
…勝手なやつだ。
これまで何度も思ってきたことを、俺はまた思った。これまでと違うのは、その時心の中に湧いてきた感情だった。それは、いつものような呆れではなかった。
「なんか言った?」
だから、どうやら口に出してしまっていたらしいその言葉をブルマが咎めてきた時、いつものように笑って誤魔化す気には俺はなれなかった。
「勝手だと言ったんだ。だいたいそれが助けられたやつの言うことか?そもそもおまえは俺に助けてもらえる立場じゃないんだぞ。あんな風に他の男といちゃついておいて、本来なら――」
「じゃあ助けなきゃいいでしょ!」
「そういうわけにはいかないだろうが!!」
新たに湧いた怒りと戻ってきた怒りの両方を解放して、俺は怒鳴った。時折海の上を吹いていく風の音に負けないように。そして、何よりブルマに負けないようにだ。
「バッカみたい」
「バカはおまえだろ!!何なんだ、さっきまでのあれは!俺が来なかったら、一体何するつもりだったんだ!!」
「アレとかナニとか言われてもわっかんな〜い」
「おっ…おまえってやつは…!」
だが最後には言葉そのものを失った。ブルマは先ほどまでの激しさが嘘のように、カラリとした態度で俺と俺の話そのものを足蹴にした。っていうか、どうしてそこで惚けるんだ。当てつけてたんじゃなかったのか。わざとやってたんだろ?なのになぜ誤魔化す必要があるんだ。それともまさか…
「いちいち叫ばないでよ。耳が痛くなっちゃう。それに寒いし。早いとこデッキに降ろしてちょうだい」
「…………」
まるで話にならない。ブルマの言うこともその態度も、俺には絶対に認められないものだった。それでも、抱いているブルマの肩がとても冷たい、そのことだけは認めざるを得なかった。とりあえずジャケットをかけてその身をデッキへ降ろすと、ブルマは俺に背を向けながらそれは無造作に言葉を漏らした。
「あ〜あ、無駄な時間を過ごしちゃった!」
…何だそれは。
それはちょっとズルいんじゃないか。そんな一言で片づけるつもりなのか、おまえは?
そのまますたすたと昇降口へと向かっていくブルマの後姿を見ているうちに、一時横に置いた怒りがむくむくと頭をもたげてきた。そうさ。話にならない、じゃない。ならなかろうか何だろうが、言ってやる。何を言うかはまだ決めていないが、とにかく何か言ってやる!
まあ、寒くないところまで行ってからの話だが。そう思ってブルマの後をついて行くと、向こうからあの男がやってきた。
「あ、ブルマさん、こんなところにいたんですか。海に落ちたように見えたけど、無事だったんですね。もう本当にびっくりしましたよ。でもよかった、お怪我はありませんか?」
「あ…ええ…」
「大きな地震でしたね、陸ではきっと大変なことになっているでしょう。もう船内に戻った方がよさそうですね」
「あ…そうね。あたしも今そうしようとしてたところなの」
俺は自分のこめかみがひくつくのを感じた。今やすべてのことに対して腹が立っていた。まずブルマ。なんだ、その曖昧な態度は。この期に及んで品を作るな。やっぱりその気はないんだってことははっきりわかった。でもだったらさっさと追い払え!いつもの傍若無人な態度はどこいったんだ。まったく、相手を見やがって…
「ご心配なく。どこも何ともありゃしませんよ。ちゃんと俺が助けましたからね!」
俺はいつものブルマの態度に倣って、思いっきり嫌みたらしくそう言ってやった。…それからこの男も悪い。怪我してるかどうかなんて、見りゃわかるだろうが。わざとらしくいちいち触ろうとするな!しかもこんな時だけ。さっきブルマが海に落ちた時には、まったく反応できなかったくせに。
男は二、三、瞬きを繰り返したが、あくまで物腰は変えなかった。おずおずと、だが穏やかな物腰で会話を続けた。
「あ…ああ、そうですか。それはよかった。…えーと、あなたは確かブルマさんのお連れの方ですよね。前にエレベーターの中で会った…」
「その通り。ヤムチャだ。よろしく!」
「あ…はい。僕はキールです。よろしく…」
だから俺も物腰柔らかに、あくまで礼儀正しく、差し出されたその右手を握り締めてやった。骨は折らない程度に、ギリギリの力加減で。よく知りもしない相手に手を差し出すと痛い目に遭うということを、教えてやるのだ。
「…………」
「…………」
「ちょっと、ねえ、あの…」
何事かを話しかけるブルマをよそに、男は完全に無反応になった。そろそろ放してやるか。そう思ったところで、口元を押さえて笑いながらブルマが言った。
「ごめんね、キール。あたしの彼氏、やきもち焼きなの。だから、今夜はここまでにしとくわね」
「なっ…!」
それはおまえだろうが!
もっともらしい素振りで嘘をつくな!状況的に信じ込まれてしまうじゃないか!
「ほらヤムチャ、行くわよ」
ブルマは一転していつもの強気な態度で、俺の腕を取った。その言葉も態度も、俺にはとても納得できないものだった。でも、気づいた時には一緒に歩き出してしまっていた。…習性で。とはいえ、見栄も手伝ってその場では言わなかったが、昇降口を降り男の姿が視界から消えてしまえば、当然言いたいことはあるのだった。
「誰がやきもち焼きだって?誰が!」
俺たちの他には誰もいないエレベーターの中で、俺は今度はブルマに向かって思いっきり嫌みたらしく言ってやった。ブルマはというとけろりとしてそれに切り返してきた。
「あんたでしょ。それとも違うの?なーんだ、じゃああたし、キールのところに戻ろっかな〜」
「うっ…く…」
「冗談よ」
「冗談で済むか!おまえのやったことは立派な裏切り行為だぞ!それを謝りもしないで――」
だから、俺はこの上なくはっきりと言ってやった。まわりくどい嫌みはブルマには通用しない。そういうのはこいつの方が上手だ。でもだからって引き下がるものか。今は絶対にこいつが悪いんだから、それをわからせてやるんだ。
俺は怒っていた。本当の本当に怒っていた。なのにブルマは顔色一つ変えずに、それは軽やかに俺の正面へとやってきて、ついでのようにこう言った。
「じゃあ謝るから。ごめんね」
そして、唐突にキスをしてきた。まるで小鳥がついばむような軽いキス。一瞬、思考が飛んだ。同時に固まってもしまったが、それは単に不意を衝かれたからだった。感情は飛びはしなかった。
「…いや、あのな、そういうことじゃなくてだな…」
もちろん、納得もしていない。俺は謝らせるのが目的なわけじゃない。反省させたいんだ。その上で謝ってもらわないと。今のはどう考えても反省してる謝り方じゃないだろ。俺はあの男とは違う。決してそれっぽい雰囲気に誤魔化されたりは…
俺が緩やかに頭を振ると、ブルマは俺の胸元にもたれかかって上目遣いで誘いながら、さらに言った。
「許してくれないの?」
あ……あざといっ…!
なんというあざとい手を使うんだ。自分が悪いとわかっていながら。そう、ブルマはわかってる。でなければ、例えこんなやり方であっても自分から頭を下げたりはしない。何もかもわかっててやってるんだ。そんなのもうバレバレだ。だけど…
…だけど。あざといけど、かわいいということは否めない…
数時間ぶりに俺へと向けられる、険のない、星の光のようにきらきらと輝く瞳。頬は風のためか紅潮してまるで紅い薔薇のようだ。胸元に添えられた手も白く頼りなげで…
…うう。情けないけど、このブルマを突っぱねることは俺にはできない。でも、このままなあなあにはしたくない…
すでに、事はブルマとのではなく、自分との戦いになっていた。だがやがて、それすらも取って変わられた。
「えーっ。嘘ぉ。ティアラがなーい!」
いきなりブルマが素っ頓狂にそう叫んで、俺の手を押し退けたからだ。そう、肩へ回そうかどうか迷いかけていた俺の手を。ブルマはエレベーター奥にあった鏡の前へとすっ飛んで行くと、それを凝視しながらそれは素早い動きで髪を弄り始めた。そうしてついにはその事実を受け入れたらしく、その考えを導き出した。
「そうだわ、キールに訊いてみよ。彼はずっとあたしと一緒にいたんだから、訊けばわかるはずよ」
挙句にまたもや素早い動きでエレベーターコンソールへと手を伸ばしたので、俺は本気を出した超スピードでそれを止めた。今や俺はすべてのことに対して呆れていた。実のところは呆れて何も言いたくない。だが、言わねばならないのだった。
「ティアラならさっき海に落ちてったぞ。おまえの代わりにな」
だから、せいぜい嫌みを篭めて教えてやった。…俺のことよりティアラか。こんなに怒ってる俺のことよりティアラか…
するとブルマは当たり前のようにこう言った。
「えーっ。どうして拾ってくれなかったのよー!」
そんなものより命だろ!
そう怒鳴りつける気には、俺はなれなかった。そこまで切羽詰まってはいなかった、ということもある。でも何より、優先してやっておかねばならないことがあったのだ。
「気づかなかったんだよ。それに、おまえにはあんなもの必要ないさ。余計な飾りはない方が美人は引き立つってもんだ」
俺はせいいっぱいさりげなく、そして迂遠な言い方で諭しながら、ブルマにキスを返した。 ブルマがしたような取り繕ったキスではなく、本気のキスを。 …まったく、今さらまたあの男のところへ行く気か。どの面下げてそんなことができるんだ。っていうか、俺の立場は?甞めるどころか忘れてるだろ、そういうこと。
つまり、俺はブルマ自身に負けたのだ。決して色香とかティアラとかあの男とかに負けたのではない。
「…もう、いきなりなんだから…」
「どっちが」
はにかむように文句を言うブルマに切り返しながら、俺は少しだけ満足した。どうやら少しは意識を変えることができたらしい。その証拠に、ブルマはそれきりティアラのことを口にはしなかった。
「ま、いいわ。じゃあ行きましょ。そうね、バーにでも。何か飲みたくなっちゃった」
それどころか早くも機嫌がよくなって、足取りも軽くロビーへと飛び出した。それでいい。その方がブルマらしい。あのティアラはきれいだったけど、なんていうか…………柄じゃないんだよ、おまえには。
「それからその後、またデッキに行くわよ。すっごく星がきれいだったの。さっきは誰かさんのおかげでぜーんぜん楽しめなかったけどね!」
「ふーん、それは残念だったな」
「ふんだ。べーだ」
ブルマは隣を歩きながらも、まわりくどい嫌みを零した。だから俺も肩を抱きながら、それに切り返した。
今夜の酒の肴は、きっとこの一件に決まりだろう。この上なく不本意ながら、俺はとりあえずはそれに付き合おうと思う。
…そう、とりあえずは、だ。
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