Trouble mystery tour Epi.6 (7) byY
運動をするとアルコールが早く抜けるというのは嘘だな。
それとも、厳密には運動じゃないからダメなのかな。汗は掻いたんだけどな…
そしてその汗を流さないままに、昨夜は眠ってしまった。そのことに、朝、目を覚ましてわりあいすぐに俺は気づいたが、どうにもベッドから出る気にはなれなかった。
「おはよう、ヤムチャ」
珍しく爽やかなブルマの声を聞いても、それは変わらなかった。俺は半ば無意識に布団へと潜り込みながら、片手でこめかみを押さえた。
「う〜…」
頭痛え…
頭を内側からハンマーで叩くと、こんな感じなんじゃないだろうか。痛くて重くてじーんとしてて、ああもう、これ以上は何も考えたくない…
「ねえ、ヤムチャ。ねえったら。そろそろ起きるわよ」
そんな俺とはまったく対照的に、ブルマは溌剌としていた。俺が無理矢理体を起こすと、不満気な口調のわりには機嫌のよさそうな顔が目に入った。
「ちょっと、何よ、その顔?」
「頭痛いんだよ…」
「えー、風邪ひいたの?こんな時に。だけど変なの。海に潜っても何ともなかったくせに、ちょっと夜風に当たったくらいで…」
「いや…」
…二日酔いだよ。
そんな聞いたところなんてことない事実を、だが俺は呑み込んだ。…理由が情けなさ過ぎるからだ。昨夜は立て続けに飲んじまったからなあ。ドライ・マティーニなんて強いものを、しかもほとんど一気飲みで。確かに俺はとりたてて酒に強いというわけではないが、それにしてもこんなひどい二日酔いは初めてだ。俺がこんな目に遭っているというのに、ブルマときたら、すっきりした顔しやがってまあ…
「…ちょっとシャワー浴びてくる」
「はい、いってらっしゃい」
俺がどうにか言葉を紡ぐと、ブルマは実にさっぱりとした態度でそれに答えた。…いつもとまるで反対だな。それだってブルマのせいなんだけど。
とはいえ、俺にはもうそのことを持ち出す気はなかった。それは昨夜のうちに一応片をつけた。気分的にも解消した。思うところがあるとすれば一つだけ、それも自分に対してだけだ。
…自分があんなに嫉妬深かったなんて知らなかったなぁ…


シャワーを浴びると、精神的なだるさは消し飛んだ。
だが、頭に残る酔いの産物はどうにもならなかった。やっぱりこめかみを押さえながらバスルームを出ると、ネグリジェをはだけたままのブルマの笑顔が俺を迎えた。
「どう、少しは頭痛治まった?」
「…全然」
「大変ね。昨日あたしがいない間にそんなに飲んだの?一体何杯飲んだのよ」
「さあ…」
「わかんないくらい飲んだの?まー、珍しいこと。一体何があったのかしらね〜え?」
「放っとけ」
まったく、こいつには同情心ってものがないのか。
二日酔いの辛さを知らんわけはないだろうに、にこにこしやがって。完全におもしろがってるだろ。同情しないにしてもだな、少しは悪いと思ったりとか…しないな、こいつは。
然るべき結論を導き出すと、それが現実になった。ブルマは凭れていたソファから身を起こして、さっくりと言ったもんだ。
「あっそ。ま、そんな口がきけるなら大丈夫ね。朝ごはん食べたら出かけるからね」
「どこに?」
「街。ショッピングよ、ショッピング」
俺は思わず呻いた。そして、まずは率直に思っていたことを確認した。
「昨日で終わったんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけど、やっぱり行きたくなっちゃった。この辺にゆっくり来れることなんてそうそうないもんね」
それからうんと遠回しに自分の感覚を表明した。
「…………昨日の地震の被害は?」
「なんともないみたいよ。船はもちろん、ディーブルの街も。まったく何のニュースにもなってないわ」
まるで用意していたかのようにつるつると、ブルマは反論を口にした。そして俺が心の中でも無言になったところで、またもやさっくりと言った。
「じゃ、あたしもシャワー浴びてくるから。ちゃんと用意しといてね。ルームサービスも頼んどいて。あ、頭痛薬も貰っておくといいわよ」
…………鬼。
「なんか言った?」
「いいや。何にも」
うっかり溢してしまった呟きを、俺は急いで打ち消した。こんなことで怒られてはたまらない。ブルマの怒鳴り声は、それは頭に響くんだ。
もはや昨夜のように畳みかけるような覇気は、今の俺にはまったくないのだった。


二度あることは三度ある――
というわけでもないのだろうが、今日もやってきたディーブルの免税地区で繰り広げられた光景は、昨日とほとんど同じだった。
「あ、あったあった、これこれ。ラッキー、まだ残ってたわ。やっぱりこれ買っちゃおーっと」
「それとそうだ、あの色違いのやつも」
「これなかなかいい色だから、いくつか纏めて買っとこ」
昨日買ったものにも似たスーツに、昨日買ったものとは色違いの靴に、昨日買ったものとまったく同じ口紅。――あ、これが二度目か。いかんな、頭が働いていない…
まるっきり違ったのは、無事一緒に帰ってくることができた、というところだけだった。最も、そこまで同じとあっちゃたまらんというより情けないのだが。
「ふあぁ…」
二度目の慣れと退屈と、無事終わった気の緩み。それと治まりつつある頭痛が、俺に大欠伸をこかせた。すると一歩先にタラップを上っていたブルマが、やたらとおもしろそうな顔をして俺の顔を覗き込んできた。
「大きな欠伸ね〜。あたしより遅くまで寝てたくせにね」
「たいして変わらんだろ」
「でも、あたしが起こさなかったら、きっとずーっと寝てたわよ」
…じゃあ、ずーっと寝かせておいてくれたらよかったのに。
朝にも言わなかったそのことを、俺はこの時もやはり言わなかった。望むべくもないことは、言わない方がいいのだ。お互いのためにな。
「わー、きれいな夕焼け!」
だからその話はそこで終わりとなり、やがてブルマは歓声を上げて再び一歩先にデッキへと駆け上がっていった。続いて俺もデッキへ上がると、ブルマの言った通り、夕焼けが広がっていた。遠くの空と近くの海の両方に。かさばるショッピングバッグを軽く持ち直した俺を置いてけぼりにデッキの手摺りに飛びついて、ブルマは言った。
「きれいねえ。昨夜も思ったけど、この港ってなかなかいい感じよね。まるで映画に出てくる港みたいじゃない」
『危ないぞ』。そう言う前に、俺は吹き出してしまった。同じような台詞を、昨夜聞いたばかりだったからだ。どうやら女も女の子も、根は同じとみえる。それでこの後キスするんだろ?映画かドラマならば。
さりとて、現実はそうはいかない。なぜならば、俺たちと同じように暮れゆく夕陽を眺めている人たちが、周りにうじゃうじゃいるからだ。いくらいい感じだからといって、そんなところでキスしてたまるもんか。
俺の頭は少し捻くれた感じに目覚めてきていた。二日酔いのアンニュイだな。それと、今日ここまでの記憶はいま一つ曖昧だが、昨日のことははっきり覚えているから…
「何よ?」
「いや、何でもないよ」
…いるからこそ、俺は口を噤んだ。自ら双子たちを話題に出す気にはさすがになれなかった。昨夜喧嘩してた間のことともなればなおさらだ。話を蒸し返されるのはごめんこうむりたい。
「あ」
俺がある意味夕焼け気分に浸っていると、ブルマが眉間に皺を寄せて手摺りから離れた。俺は半ば反射的に、半ばは予想しながら、その視線の向かう方へと目をやった。今日はブルマのよりも多いショッピングバッグを抱え込んだミルちゃんとリルちゃんがそこにいた。
「ブルマさんヤムチャさん、こんばんはー。よかった、仲直りしてたんですね!」
「だから言ったじゃん。あれはぜーったい元鞘の流れだって」
「えー、わかんないよ、そんなの。途中で一回いなくなっちゃったしさ〜」
「あれがミソなんだよー。途中でいなくなるのなんて、お約束じゃん」
「リルはそういうの鋭いからなぁ。ねえねえブルマさん、それであの髪の赤いおにーさんとはどうなったんですかぁ?やっぱり振っちゃったの?」
「…………」
俺は最初は呆気に取られ、最後には意識して、無言になった。表向きは双子へ、しかしその実ブルマへと視線を走らせながら。ブルマが何と答えるのか、聞いてみたかった。 だが どうやらブルマは無視することに決めたらしくそっぽを向いて再び手摺りに凭れてしまったので、俺は目覚めたばかりの思考を駆使して双子を窘めにかかった。
「あのねきみたち、そういう話はもう少し人のいないところで小さな声でこっそりとするもんだよ。周りの人に迷惑だからね」
「はーい」
「わっかりましたぁ」
「あっ、そうだ。あのねヤムチャさん、あたしたちティアラ買ったんですよぉ。ブルマさんの持ってるやつにもちょっと似てるんですけどぉ、いろんな色の石がついててかわいいの。だから今夜も一緒にダンスパーティ行きましょうよぉ。それであたしたちと代わりばんこで踊って…」
「ダメよ!それはあたしのなんだから!勝手に使わないで!」
それ…
俺の背後からまさにすっ飛んできたブルマの、行動にではなくその態度に、俺は眉を顰めた。双子からのこの両手に花的誘いをブルマが許さないだろうことはわかり切っていた。唐突に割って入ってくることだってすでに珍しいことではない。だが、その言い方は…
「あ、違いますよ、ブルマさん」
「ブルマさんのじゃないですよ。あたしたちもティアラ買ったんですってばぁ。お揃いの色違いでかわい…」
「あたしが言ってるのはティアラじゃなくて、こっちよ、こっち!」
こっち…
双子たちはすぐにはピンとこなかったようだが、俺はそうじゃなかった。
その上、なんというかな、非常に理不尽なものを感じたんだ。
「おいブルマ、その言い方はないんじゃないか」
『それ』とか『こっち』とか、まるで俺を物みたいに扱いやがって。それ自体は意外なことじゃないとしてもだ、どうして今そんな態度を取れるんだ。あの男とダンスパーティ――おまえが態度を弱くするべきようなことが、話題になっていると思うんだがな。
でも、ブルマはそんなこと、すっかり忘れてしまったようだった。もうまるきりいつもの傍若無人な態度を発揮して言った。
「何よ。何か文句あるの?それともまたOKするつもりだったんじゃないでしょうね」
「まさか!」
「どうだか」
俺が慌てて否定するとそれは嫌みったらしく言い捨てて、俺にまでもそっぽを向いた。それでいて、そこを立ち去ろうとはしなかった。三度手摺りに凭れかかって、海を見ている振りをしていた。そう、振りだ。実は何をしてるのかなんて、まるわかりだ。俺が頭を下げるのを待ってるんだ。あーもう、いつもの態度過ぎて嫌になる…
「こんばんは、ブルマさん」
「あ…こ、こんばんは」
と、一人の男が手摺りに沿って歩いて来て、そのままブルマに声をかけた。赤い髪。中背のひょろりとした体躯。見覚えのあり過ぎるその男とブルマの会話は、今日は俺に筒抜けだった。同様に、本人たちはこっそりと交しているつもりらしいミルちゃんとリルちゃんの内緒話も、筒抜けだった。
「あっ。ねえリル、見てほら、ブルマさんに話しかけてるの、あれ昨夜の人じゃない?」
「ホントだ。昨日の続きかな。がんばるー」
「だけど、あの人いつからこの船にいたんだろ。全然気づかなかったなあ」
「だよねー。ねね、後で声かけてみようよ」
双子はよくも悪くも野次馬根性を発揮して、その場に留まっていた。未だ存在を気づかれていない二人の傍観者と、昨夜名乗ったはずの俺をよそに、男は朗朗と喋り始めた。
「海を見てたんですか?」
「ええ、まあ」
「夕方の海ってきれいですよね。燃えるような夕焼けと、それを映して輝く水面。一人だと切なくなってしまったりもしますけど。僕は朝の海の次にこの時間の海が好きで…」
ぐわー。体が痒くなってきた!
なんだその演劇調の喋りは。おまけにその夢見るような眼差し。こいつ、まだ夢から醒めてないのか。
「ねえキール、あなた一人で旅行してるの?友達とかは一緒じゃないの?」
「はい一人です。普通の旅行なら友人と一緒にすることもありますけど、船旅だとまず誰も付き合ってくれませんね。時間を取られますからね、船は。だから時々退屈するんですよ。夜なんかは特にね。なのでダンスパーティには毎晩行ってます。それでもいつもはほとんど壁のシミなんですけど、昨夜はブルマさんがいてくれたので、楽しく過ごすことができました。よかったらまたお相手してくださいよ」
それに回りくどい。おまけに…ええい。他人の彼女をついでのように誘うな。
「そうねー…」
そしてブルマのやつも頷くな!
今の今まで怒りまくっていたブルマが和やかに受け答えている様を見て、俺の頭は完全に目覚めた。さらに、何と言ってやろうか、そんなことを考える必要もなかった。
「はいストップ。そこまで!」
荷物をほっぽり出してとりあえずは強引に話に割り込むと、ブルマと男はそれは意外そうな目で俺を見た。…こいつら、俺のこと完全に忘れていたな。まあ男に関しては、そうでなきゃ話しかけないだろうとも思うが、ブルマ、どうしておまえが忘れてるんだ。無視するにも程があるってもんだろ!
「これは俺のですからね。勝手に手出さないでくださいよ!」
初めからこう言っておいてやればよかった。そんなことさえ思いながら、俺はさっきブルマに言われた言葉を返してやった。 ブルマは一瞬ぽかんとした顔をして、次の瞬間俄然怒り出した。
「『これ』って何よ、『これ』って。人を物みたいに言わないでほしいわね!」
「何だよ。おまえだって言ったじゃないか」
「あたしはいいのよ!」
一体どういう理屈だ、それは。
そう俺は思ったが、口にはしなかった。言っても無駄だ。どうせこいつが法なんだ。こいつの世界ではな。でもそのことと俺が自分の権利を主張することは、相容れないことではないのだ。
その証拠に、俺がその肩を引き寄せても、ブルマは『放して』とは言わなかった。だから俺は、本気では怒らずに済んだ。もし今昨夜のように抗われていたなら、俺は本当の本当に怒っていたことだろう。
「…………」
「…………」
「ちょっと、ねえ…」
盛んに視線と言葉を飛ばしてくるブルマとは対照的に、男はすっかり黙り込んでいた。まったく、情けないやつだな。何も言えないなら、とっとと退散しやがれ。そう思ったところで、傍観者が乱入してきた。
「あのー、こんばんはぁー」
「はじめましてー」
「あたしはミル。こっちはリルです。双子なんですー」
「あの、あたしたち昨夜ダンスパーティに出てたんですけど、おにーさんすっごくダンス上手ですね!」
…どこかで見たことのある展開だな…
初めて俺に話しかけてきた時とそっくりだ。ということが、わからないわけはなかった。ただ少し、感じ入っていたのだ。…なるほど、傍から見ているとなかなか紋切り型というか…………結構わざとらしいな…
「そうそう、ステキだった!」
「それでお願いなんですけど、今夜あたしと踊ってくれませんか?」
「あたしともお願いしまーす。代わりばんこでいいですからー」
「…あ、こんばんは。僕はキールです。えーとそうだね、そういうことなら…」
でも嫌な感じはしないから、つい応えてしまうわけだ。
双子と男の会話は、俺に様々な感覚を与えた。なんとなくブルマの怒る理由がわかった、という冷静な気持ちと、でもこんな社交辞令的やり取りにいちいち嫉妬されてちゃかなわん、という思い。そして、ちょっと悔しいことに今俺も同じようなことをしていたらしいという認識。
最後の感覚は、ブルマが何も言わずに場を離れたことに因るものだった。そう、ブルマは、俺の時とは違って、怒りもせず、また割って入ってもいかなかったのだ。そんなこと、わかっていたことだ。
俺は少々自分を恥じ入って、もはや言う気のない文句を完全に忘れることにした。ブルマもまた先の問答を再開するつもりはないらしく(今の横槍で気が殺がれたのかもしれん)ただただ海を見ながらどことなく気だるい沈黙を落とし続けた。気まずいというほどではない、気だるい夕暮れ。輝く波間にウミネコが羽を休めた時、ブルマがぽつりと呟いた。
「…ねえ、ヤムチャ」
「ん?」
「あんた眠いんじゃなかったの?早いとこごはん食べてさっさと休んだら?あたしなら適当に遊んでるから」
「ああ…」
ものすごく現実的なことを。非常にブルマらしからぬ、クールなことを。いや、らしいと言えばらしいかな。天邪鬼だという点で言えば。
相手が何を言おうと――いやむしろ、何も言わせずに従わせるのが、いつものブルマなんだから。拗ねてるってほどじゃあないけど、なんか突っ張ってる。
「いや、いい。一緒にいる」
とはいえ、俺がそう言ったのはブルマのためじゃなかった。その肩を抱く手に力を入れたのも、空気を読んだからではなかった。俺は気だるくしっとりとした夕焼けの雰囲気を味わってはいたが、決して気を抜いてはいなかった。
「ふーん。そう…」
だから、曖昧に呟きながら俺の肩に頭を凭れてきたブルマにキスをしたのは、その伏せ気味の瞳に誘われたからではなかった。雰囲気に流されたからでもない。
単に、俺の存在を忘れさせないためにだ。ブルマと、何よりどこにいるかもしれない男に。それと…
ちょっとした懺悔の気持ち…かな。
inserted by FC2 system