Trouble mystery tour Epi.7 byY
『おはようございます。今朝はディーブルから、ちょっとおもしろいニュースをお届けします。非常に珍しい、トビウオの集団滑空です。こちらは今朝がた沖合を運航していた漁船がカメラに収めた映像ですが、ご覧のように一匹のトビウオを追うように、無数のトビウオが滑空しています。通常トビウオはマグロやシイラなどの捕食者から逃げるために滑空すると言われていますが、この時は他の種類の魚は一切見当たらず、口に何か光るものを咥えた先頭のトビウオに他のトビウオがまるで追随するように…』
「キールの好きそうな話題ね〜」
バスルームから出てきた俺の耳に飛び込んできた第一声が、それだった。
「それにしてもタイミング悪いわよね。どうせならそういうのはあたしたちがいた時に起こってほしかったわ」
ついでのようにブルマはそう言い、テレビを消した。続いて大きく伸びをしたその姿を見て、俺の疑惑は確信に変わった。
…全然反省してないな。
それどころか、気にしてもいないようだ。まったく、呆れるな。このタイミングで他の男の名前を出すか?しかも、あの男の。
「あ、シャワー終わった?じゃあ、さっさと用意してね。服の下は水着着用!でもまずは、デッキで景色を見ながらブランチだからね」
無造作にバスローブを脱ぎ、派手なピンクの水着を着けながら、ブルマはさらに言った。俺は何を言うこともなく、その言葉に従った。
身なりにも振る舞いにも、あの男といた時のシックさなど欠片もない。
そんなこと、言う気にもなれなかった。


「何これ、すっごい人じゃない」
促されるままにデッキへ上がると、そこは人で埋め尽くされていた。テーブルの置かれた舳先の視界は開けていたが、席は軒並み埋まっているようだった。
「ちょっとこれは座れそうにもないわね。う〜ん、立ち見かぁ。でもごはん…食事を取るか景色を取るか、これは悩みどころだわ…」
はいはい、ゆっくり悩んでくれ。
俺はさして気を長く持つこともなく、選択権をブルマに預けた。ま、結果はだいたい見えてるがな。空腹を抱えてまで景色を楽しもうという人間は、あまりいないもんだ。
とまあ、俺はほとんど踵を返しかけていたわけだが、ブルマはしばらく考え込んでいた。そんなにいい景色なのかな。そう思い進行方向に視線を飛ばすと、舳先のいかにも眺望がよさそうなテーブルで一人グラスを傾けていた男が立ち上がった。
「おはようございます、ブルマさん」
「あら、おはよう、キール」
今では俺もその名を知っている、キールだ。やつは例によって大仰に隣の席を示しながら、見ればわかる事実を口にした。
「どうですか、ご一緒に。隣空いてますよ」
「ええ、そうね…」
ブルマはちょっと口籠って、チラリと横目で俺を見た。俺の顔色を窺うような、わざとらしい上目遣い。だがそこに、怖れや機嫌取りの気配はなかった。なんというかな、そういうことは関係なしにただ単純に俺の反応を見ているだけ。すでに呆れていた俺は、これで完全にブルマの反省を促すことを諦めた。
もう放っとこう。…面倒くさくなってきた。
「じゃあ、お言葉に甘えようかしら。席がなくて困ってたところなの」
「どうぞどうぞ。三人だからボトル開けましょう。『ガルダ・メルロー』、どうですか?これは元船乗りのオーナーが海にちなんでラベリングしたものなんですが、甘く香りも良くすばらしい出来ですよ」
ブルマ言うところの紳士的な態度で(昨夜そんなことを言ってた)キール氏が俺をも頭数に入れてくれたので、俺は遠慮なく同席させていただくことにした。…嫌みだ。もとより遠慮するつもりはない。
「本当に海が好きなのね。それともワインが好きなのかしら?」
「残念ながらワインにはそれほど詳しくありません。海との付き合いは長いですが、ワインと付き合い始めたのはごく最近なのでね。僕が一番最初に飲んだワインが、この『ガルダ・メルロー』なんです。成人したその日に祖父がプレゼントしてくれて。祖父は有名なワイン商なんです。『アンティーク・ワイン・カンパニー』といって、東の都で…」
『海の男』って感じじゃないよなあ。
どっちかっていうと、海の男を雇うボンボンの方だよな。実際もそのようだが。そんなことを思いながら、俺はキールの話を聞き流した。思うところがあったからではない。おっとりした雰囲気から繰り出される弾丸トーク。まるで男版ママさんだ。ママさんとの違いは、ママさんに対するのとは違ってまともに相手をしているブルマが、なんだか控えめに見えてくるところだ。
「あ、拠点は東の都なのね。あなたも普段はそこにいるの?」
「はい、うちはもう四代に渡って東の都です。あ、最初の島が見えてきましたよ」
人間、腹が減ると怒りっぽくなる。故にその反対もありなのかもしれない。やがてウェイターが運んできたブランチのグラタンをつつく頃には、俺はあまりキールのことが気にならなくなっていた。『たいして記憶にも残らない、ひ弱そうなやつ』――かつて抱いたその第一印象が、嫌みじゃなく定着し始めていた。
「きれいですよね。島も海も…あー、この海のどこかにイルカがいると思うと、わくわくするなあ…」
どこかうっとりとした目でそう呟く目の前の男は、好きなタイプかというとそうではないが、とりたてて毛嫌いするほどのやつではないように思えた。っていうか、なんか覇気がないんだよな、こいつ。聞けば俺たちよりはミルちゃんリルちゃんに近い年齢だというが、とてもそんな青春真っ只中の年には見えない。落ち着いていると言えば聞こえはいいが、正直なところおもしろみのないやつだなあ、と言わざるを得ない。
それに――というか、こっちが主たる理由なのだが――ブルマが全然相手にしてないんだよ、こいつのこと。昨夜俺に向かっては『気が利く』だの『ノーブルな雰囲気』だの言ってやがってくせして、今はちっとも自分から構おうとしない。
「この島ってね、それぞれに全部名前がついてるのよ。1000くらいあるから、さすがに全部覚えてはいないけどね。どう、当てっこしない?」
それどころか、こんな色気のないことをそれも俺に言ってくるんだから、もはやまったく眼中にないことは明らかだ。一昨日あんなにいい感じでダンスしてたのは何だったんだ、と言いたくなる。
だが実際に俺が言ったのは、別のことだった。
「覚えてないのに、どうして当たってるってわかるんだ」
「犬に似てるから犬島、とかほとんどがそんなのなの。だから、そういう当てっこよ。ちなみにさっき見たのは犬島とゾウ島ね。じゃあ、次の島から。あっ、ほら、見えてきたわ。あれ、なーんだ!」
「うーん、じゃあ…ウサギ」
「ブッブー。残念。あれは闘鶏島でしたー!」
「なんだそれ。そんなのありか。どうしたらそんな風に見えるんだ」
「あの二つの出っ張りが鶏の頭に見えるんじゃない?」
「いや、あれはどう見たって耳だろ。ウサギのながーい耳!」
あとはもうお決まりのコース。軽口の応酬。良くも悪くも遠慮のない――
「ですよねー。あたしもそう思いますぅ」
「っていうか、闘鶏って何って感じですよね〜」
するとそこに、遠慮のない女の子二人が乱入してきた。今日は俺の背後からやってきたミルちゃんとリルちゃんに、例によってブルマが怒鳴り声を投げつけた。
「ちょっと、何よあんたたち。その椅子どこから持ってきたの!」
「あー、これですか?チップあげたらあのおばさんがくれました」
持参した椅子ごとテーブルに入り込みながら、さっくりとミルちゃんがそれに答えた。すでに空席を埋めていたリルちゃんはというと、早くも切り込みを開始していた。
「キールさん、昨夜はありがとうございました。ステップ、だいぶん踏めるようになりましたよ」
「今度はターン教えてくださいね〜」
なるほど、こういうメリットがあったのか。わざとらしく品を作っている(でもあまり似合ってない)双子をあくまで傍観者の立場で見ながら、俺は思った。この男がいれば、俺の役割は軽減されそうだ。俺とは違って気が利くそうだから、相手が二人でも大丈夫だろう。おまけに、ブルマの怒りも軽減される。
「じゃ、次の島。言い忘れてたけど、一つ間違えるごとにしっぺだからね」
「なんだその不公平なルールは」
あらゆる意味で双子を無視することにブルマが決めたようなので、俺は少しだけおもしろいような気持ちになりながら、のんびりと目先のことに対して怒った。
この子たちがこの男にちょっかい出しても、ぜーんぜん怒らないんだな。わかりやすいやつだよ、本当に。『うるさい子どもは嫌い』とか何とか言ってたけど、結局そういうことなんじゃないか。やきもち焼きなんだから…
そんなことを思っていたわけなので、俺の怒りは口先だけのことに過ぎなかった。でも、次にブルマがこう言ったので、少し本気の怒りになりかけた。
「別に不公平じゃないでしょ。当たったらあたしがしっぺよ」
「そんなこと、俺がお前にできると思うのか」
できることはできるが、絶対その後怒られるだろ。痛いとか加減しろとか、文句を言われまくるのが目に見えてるんだが。
「だいたい、海を見ながらワイン傾けてて、なんでしっぺなんだ。色気がないにも程があるってもんだろ」
「まー、言ってくれるじゃない。鈍いくせしてえっらそうに!」
「お前だって、言うほど鋭くないぞ」
「なーんですってえぇー!」
まあでも、『軽口の応酬』の範囲内ではあると思う。実際そう感じる人間が、ぼちぼち現れてきたようだ。
「あの、島の名前なら僕だいたいわかりますから、どうか喧嘩なさらずに…」
考えてみれば俺とブルマの通常会話を初めて聞いたに違いないキールがそう言うと、ミルちゃんとリルちゃんが笑ってそれを流した。
「あ、大丈夫ですよ、キールさん。ヤムチャさんとブルマさんは喧嘩しても、あんまり大変なことにはならないですから。わりとしょっちゅうしてるし、してもちゃんと仲直りするんだから」
「そうそう、あたしたちもう何回も見ましたよ。結構すぐ終わっちゃうんだよね。それよりデザート頼みましょうよ。チョコレートフォンデュ。あれ三人前からなんだけど、五人もいるんだからいいですよね?あのー、すいませーん」
ははぁなるほど、それを食べるために俺たちのテーブルに来たのか。
単なる便乗以上のちゃっかりさを感じ取って、俺は兜を脱いだ。この子たちのこと、だいぶんわかるようになってきたと思ってたんだけど、まだまだだな。朝っぱらからチョコレートを食べまくるという発想はなかった…
「あんたたち、朝っぱらからよくそんなもの食べられるわね。さすがお酒も飲めない子どもだわ」
ブルマが呆れ顔で、俺の気持ちを代弁した。それから当てつけるようにワインを飲み干したので、俺は残りのキール氏の好物ワインをすべて注ぎ入れた。レディファースト。ノーブルなやつならわかるだろ。
そうこうしているうちに、双子が件のオーダーを通した。ブルマの嫌みなど、露ほども気にしてはいないらしい。俺は呆れなかった。そういう性質だからこそ、ブルマに懐くことができるのだ、ということはもう十二分にわかっていた。
ちなみに、ゆっくりと食事を終えた後とはいえ、ブルマがそのチョコレートフォンデュに浸したイチゴをもりもり食べたということを付け加えておく。
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