Trouble mystery tour Epi.7 (4) byY
うう、重い。っていうか、足が抜ける…
本来耐えられないはずはない重さであるにも関わらずそんな風に感じたのは、偏に緊張感がなくなっていたせいだろう。
ものの数秒も飛ぶと、危機感は薄れ去った。通路の勾配が幸いした。ブルマ言うところの猛毒の熱水も、それから立ち上る蒸気も、通路を飛び進む俺たちに肉迫してくることはなかった。それでも俺は順路に戻るまでは気を抜かず、そこまで飛び続けた。
「ふう…」
「はぁ〜〜〜…」
小さく息を吐いて、まずは足に絡まる荷物を下ろした。キールは長く大きな息をつきながら地面に両膝をつき、ミルちゃんとリルちゃんは危機感がないどころか、まったく嬉々として、輝く瞳で俺を見上げた。
「すっごーい!今、あたしたち飛んでましたよ!」
「何なんですか、今の?」
「手品だ」
きっぱりはっきり、俺は嘘をついた。思った通り、それは通用した。
「へー、感激〜!そういう手品って見たことはあるけど、体験したのは初めてです〜!」
「どういう仕掛けなんですか?」
「それは内緒。それに今のは特別だからね。ってことで、ここで一時解散!」
「えー、何でですかぁ」
「最後まで一緒に行きましょうよ〜」
でも、両手を叩いての俺の促しには乗ってくれなかった。困り果てるというほどではないにせよ俺が言葉に詰まると、右肩に乗っていたブルマが、例によって文句を言い始めた。
「じゃあさっさと先に行って。この通路狭いんだから。あんたたちがいつまでも纏わりついてるから、あたしが下りられないじゃないの」
「あ、はーい」
「カンテラなくなっちゃったから暗いね。肝だめしみたーい」
双子はまったく素直に、その言葉に従った。…俺、立場ないなぁ。
「待って。今度は僕が前を歩くよ。ねえプーリくん、君確か懐中電灯を持ってたよね。あれ、貸してくれないかな」
「あ、はい…」
ま、変にあるよりいいか。
見事過ぎる虚勢を張って先を歩き出したキール(だってこいつは、今の今まで地面にへたり込んでいたんだからな)と、きゃらきゃらと笑いながらそれに続く双子を見ながら、俺は色々なことを考えた。…あの子たちも神経太いよなあ。あんまり怯えられても困るけど、それにしてもな。あの男もよくわからん。アクシデントよりフェミニズムか。弱いんだか強いんだかさっぱり読めん。二人の相手をしてくれるのは助かるけど。
「舞空術くらい、教えてあげればいいじゃない。隠すようなことでもないんだし」
こちらは神経太いというより明らかに強いブルマが、体を下ろしがてら、俺の思考に割り込んだ。俺はプーリを下ろしながらそれに答えた。
「面倒くさいじゃないか。説明するの」
俺が武道をやっていると言った時、双子がどういう反応を示したか。俺はそれを覚えていた。それに、自由に飛べるわけじゃないと思われていた方がいいんだ。今は緊急事態だったからいいものの、なんでもない時にあの子たちを抱いて飛んだりしたら(あの子たちのノリなら、絶対『もう一回飛んで』って言われるに決まってる)、きっとブルマが怖くなる。
「っていうか、できないんでしょ」
「…まあ、そんなとこかな」
「ほんっと、武道バカよね〜」
そんなわけで、俺は非常に不本意な境遇に甘んじた。どうして助けた俺がそんなことを言われなきゃならないのか。それを口にせずに済んだのは、そんなの今さらだったからだ。
「あの…」
「ん?」
ふいに、プーリが囁くように呟いた。粛々としたその態度も口から出てきた言葉も、この空気の中では実に新鮮だった。
「助けてくださってありがとうございます。それから、ごめんなさい…ぼくのせいでみなさんにご迷惑を…」
「そんな風に思ってないよ。あそこが爆発したのはきみのせいじゃないさ」
俺はことさら軽口を叩いた。プーリの心境がとてもよくわかったから――いや、伝わってきたから。隣にいる図太い大人に比べて、この子の繊細なことと言ったら。
「なくなる前に見れてよかったよ。俺たちは、もう二度とは見れない景色を最後に見た人間ってわけだ。な?」
「そうね。すごくきれいだったわ」
もちろん俺は、俺に応えてくれたブルマを揶揄しているわけではない。ブルマの気質は、俺の性に合っている。いや、合わさせられたというべきか。
「ただね、あそこにブルースモーカーがあったってことは、誰かに報告しといて。あのままだと危ないし、もしかしたら新しい観光スポットになるかもしれないわよ。あれはね、熱水噴出孔って言ってそれ自体は珍しいものじゃないんだけど、青いのはすっごく珍しいのよ。あ、それともう一つ。あんた、水難の相が出てるんじゃないの?船にいた時、海に落ちてたでしょ。気をつけた方がいいわよ」
それでも、この長台詞には呆れた。正確には、最後の忠告に呆れたのだ。
「それはおまえもだろ」
まるっきり他人事みたいに言いやがって。俺はおまえにこそ気をつけてもらいたいよ。俺はこの旅行中、トレーニングはほとんどしてないけど、なぜか武術は使ったぞ。そりゃ何もかもブルマのせいってわけじゃないけど、いつもそこにブルマがいたことは確かだ。
「ちょっと、なんでここでそういうこと言うのよ!?」
「だって、本当のことだろ。その他にも一度海で溺れたし、わけのわからん植物にも襲われたし。飛行機まで落としたし。そんなすごいトラブルメーカーが一緒にいるんじゃ、事故が起こらないわけないよな」
「それ、なんか違うのも混じってるわよ」
どこに?
そう訊くことはしなかった。俺は話の論点を覚えていたし、何よりブルマが言ったからだ。
「あんた、ずいぶん調子いいじゃないのよ。確かにあんたのおかげでみんな助かったんだけどさ〜」
「え、そんなつもりないけど」
「まったく、お調子者なんだから」
そうなのかな?
ブルマのその捨て台詞をではなく、その前の台詞を俺は吟味した。助けるのなんて、当たり前だと思ってたけど。確かに嫌みっぽかったけど、それは言葉の綾ってやつで…
「ほら、早く先行って。暗いんだから、ちゃんと誘導してよね」
「あ、それならぼくが…」
「大丈夫。こいつはこういう荒れた場所得意なんだから。ここは大人に任せときなさい」
ブルマが両手で強引に俺の体を押したので、俺はそれ以上の思考をやめた。そして、その途端に話の論点を思い出した。
「ま、そんなわけだから気にすんな」
とりあえず自分の心理は後回しに、プーリの心理を宥めてやると、プーリは純朴そうな笑顔と共に囁いた。
「はい」
その瞬間俺は、何をも忘れてこう思った。
笑顔がかわいいのは、女の子だけじゃないんだな。


前を行く灯りが見えなくなってから十数分後、鍾乳洞の外へ出た。
「あー、のびのびするー!」
途中から繋いでいた手を離し、大きく伸びをしながらブルマは言った。灯りもなく薄暗い洞内は、なかなか薄気味悪かった。とは、ついさっきまでのブルマの談だ。
「やっぱり外の方が空気はおいしいわね。鍾乳洞って涼しいのはいいんだけどね〜」
この天邪鬼め。
とは、ちょっと違うかな。意地っ張り?でもないだろうし…
ともかくも、俺がそんな気持ちになっていると、最後に出てきたプーリが笑顔でお辞儀をしながら言った。
「あの、いろいろとありがとうございました。ぼく仕事がありますので、ここで失礼します」
「そうか。じゃあな」
「がんばってね〜」
元気に駆けていくプーリに続いて、ブルマも歩き出した。だから俺も、それに続いて歩き出した。鍾乳洞の出口は岬の根本に位置していて、その先端にクルーズ船が停留していた。船尾に備わるウオーター・プラットフォームから海へと繰り出すボートと人々。270度の海に降り注ぐ燦々とした太陽。確かに、外の方が空気はいいな。こういう過ごし方をするなら船旅も悪くない……むしろ、いかにもって感じがするじゃないか。
「プーリー、バイバーイ。ブルマさん、ヤムチャさーん、やーーーっほーーー」
やがてパワーボートが二艘、近づいてきた。前のボートに男が一人、牽引された後ろのボートに女の子が二人。さっきから姿が見えなくなっていた、先発の三人だ。
「あんたたち、遊びに関しては素早いのね。ほら早くロープ解きなさい。前のボートが留められないでしょ」
「はーい、よいしょっ」
「きゃ〜、やだー、揺らさないでよ〜」
ブルマの声に答えんと、双子がわいわいやり出した。そこへキールが飛び移って、二人の会話が始まった。
「操縦上手ね〜。すっかり手慣れたものじゃない」
「そりゃあ、三回目ですからね。あ、ボートがじゃなくて、この海がですよ。この辺りは波が弱くて風も読みやすいんですよ。水も温かいし。だからイルカも好んで棲みつくんですよね。だからこそ僕は三回も…」
「ねー、ブルマさんたちはどの辺で遊ぶんですか?あたしたち、キールさんにうんと沖の方まで連れてってもらうんですけど〜」
それには即行双子が割って入ったが、俺の感覚は変わらなかった。
なんとなく気持ちが尖る。どうも俺、この男の笑顔が好きになれないんだよな。特にブルマに向けるこの笑顔が…
「あ、そうなんですよ。シュノーケル借りてきましたから、珊瑚礁も楽しめますよ。ブルマさんたちもどうですか?ご一緒に」
「そうね〜…」
それにさりげなく俺が無視されているのも気になるし。そう、さりげなくだがそうなんだ。ブルマは気づいてないみたいだけど。いっそ正面切って言い寄ってきてくれないかな。そうしたら、思いっきりやっつけてやれるのに。なんて思うのは、好戦的過ぎるか?
「はい、いってらっしゃい」
どちらにしても、俺はもう看過できなくなっていた。ブルマに振り回されるならまだしも、この男のペースに乗せられるのはごめんだ。だから俺もさりげなく無視してやった。ミルちゃんたちの言葉だけを尊重して、ボートをうんと沖へと蹴り出してやった。
なに、操縦者はいるんだから問題ない。両手に花で結構なことだろ。
「いってきま〜す」
遠ざかるボートの上で、ミルちゃんたちが両手を振った。 キールはよろけながらも操縦席に収まり、そのままの進行方向を保ち続けた。ふん、やっぱりここで戻ってくるほどの気概はなかったか。本当に弱っちい男だ。
「何笑ってんだよ?」
気の弱いペースメーカーがいなくなると、後は気の強いペースメーカーが場を支配することとなった。こいつもあの男がいる時は、なんとなくおとなしやかに振舞ってるんだよなあ(いつもよりはという程度だが)。いつも通りにしていれば、きっと絶対目をつけられないに決まってるのに。苦い思いと共にブルマを見ると、ブルマはそれまでくすくす笑いだったところを、腹を抱えて笑い出した。
「だって、あんた、わかりやす過ぎ!」
何のことを言っているのか、わからないわけはなかった。それでも俺は、否定も怒りもしなかった。ただブルマがするであろう言い訳を待っていた。
「まだやきもち焼いてんの?もう終わったのかと思ってたのに。地味にしつこいわね。しかもあんな子ども相手に」
「子ども!?何言ってんだ、ミルちゃんたちくらいならまだしも、一つ二つ違うくらいで子どもだなんて――」
だいたいその子ども相手に自分はやきもち焼くくせに。そう言ってやるべきだったのかもしれない。でも、そんな考えに至る前に、ブルマが言ったのだった。
「まあ、子どもって言うのは言い過ぎかもしれないけど。でも、五つも下なら完全に対象外よ。だいたい学生である時点で相手にする気になれないわね」
「学生?」
「あれ、言わなかったっけ?キールは大学生よ。卒業旅行なんだって」
俺は思わず黙り込んだ。それは単純な驚きからだった。そう、俺はあの男のことを何も知らなかったのだ。
「うーむ。とても見えん。てっきり同じくらいだと思ってた」
「老けてるわよね〜」
気勢を殺がれた俺の耳に、なんとものんびりとしたブルマの声が入ってきた。その声音こそが、本当にブルマにとってあの男は対象どころか関心外なのだということを俺に知らせた。
「じゃ、すっきりしたところで、ベーグ島へ行こっか。イルカと泳ぎに。そのためにここに来たんだから」
そして最後に、俺は自分自身の性質を知らされた。
終いには自覚していなかったやきもちのみならず、ついさっきまでのもやもやが、今度こそ本当にすっぽりとなくなっていた。俺はブルマと違って誰にでもやきもちを焼くという性質ではないらしい。それどころか、もはや豆粒と化した沖合のボートを見ながら、今ではこんなことすら思っていた。
「うーむ…」
…ちょっと大人げなかったかなぁ、俺。
「何よ、まだすっきりしないの?」
だがそこまではブルマにはわからなかったようで、海へと向かって岸辺に立っていた俺の横から顔を覗かせながら、こんなことを言ってきた。
「じゃ、キスしよ」
「……なぜ」
俺は即行で問い返した。当然だろう。
ブルマの突飛な申し出の理由は、これまた突飛なものだった。
「キスすればそういう気分は追い払えるからよ」
「…すごい論法だな」
俺はすっかり呆気に取られた。それはブルマと付き合って数年、初めて耳にした説だった。そもそも、ブルマがキス一つで何かを流したことなんてあっただろうか。
もちろん、ない。だから、ブルマがそんなことを言い出した理由は、はっきりしていた。単にそういう気分になったんだろ。所謂、仕切り直しってやつだ。
「でも、本当よ」
「じゃあ確かめてみるよ」
ブルマは笑顔で食い下がった。だから俺も笑顔で、負けてやった。ブルマの、こういう感情のねじ込み方が、俺は嫌いじゃないから。素直なのかそうじゃないのかはよくわからないが、悪い気がしないことは確かだ。
そんなわけで、結果的に俺はブルマの言う通りの気持ちになって、その唇に口づけた。念の為言っておくが、俺はブルマが言い出した時点で気分を回復させていたので、キスで誤魔化されたわけではない。そしてブルマ言うところの『やきもち』ももう焼いていなかったので、キスはごく軽いものに留めた。
あんまり言いたくないけどな、ここは周囲に遮るものの何もない、それは見晴らしのいい岬なんだよ。そして何もないくせに、人はいる。前面にはでかい船が大口開けて人を海に吐き出しているし、後背にはいつ人が出てくるか知れないでかい鍾乳洞が口を開けている。まったく、こんな目立つところでこんな風にキスするなんて、よくやるよ俺も。
「よーし出発!西に向かって全速力ー!」
だがブルマはそんなことはまるで気にした様子はなく、元気にボートに飛び乗った。機嫌を取ったというよりは、出発前の景気づけみたいだ。そして俺はそれを、軽いともデリカシーがないとも思わなかった。
まあ、俺がそれに続くなり、いきなり服を脱ぎ始めたことは、デリカシーないと思ったがな(いくら下は水着だとはいえ、少しは人目を気にしてほしい)。でも、文句を言ったりはしなかった。
そんなの今さらだ。言ったって直らないことはわかっている。他のやつがいるならともかく、俺しかいない状況でブルマが気を遣ってくれるとも思えん。
長年付き合っているが故の弊害と、そして長所。それと――
大人の余裕でな。
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