Trouble mystery tour Epi.7 (6) byY
この旅行中、俺は何にもしていない。ブルマもまた何にもしていない。
だから、すっかり忘れていた。まあ、普段だって普通に話をしてる分には、思い出させられるようなことほとんどないけど。
「へえ。トリプルレインボーを見たんですか。すごいなあ。ものすごく珍しいんじゃないですか、それ」
「そうね。飛行機なんかに乗ってるとわりと目にするけどね。地上で見られるのは滅多にないわね」
「ああ、あの翼の反射光と窓の反射光でできるやつ。あれはちょっと違うでしょう。自然現象じゃないですし。確かにきれいだけど、感動したことはないなあ。ああいうのは自然に起こるってことが大事ですよね」
みんな揃って移動してきたバーで、キールとブルマは科学談義を始めた。最初は確かに景色のことなんかを話していたのだが、いつの間にかそうなったのだ。
「そうかもね。ここには無機的な物がまったくないし、空も海もすごくきれいだから、とっても絵になってたわ」
「そう、自然の中でこそ輝いて見えるものなんですよ。僕もね、人工的なものには価値を感じない人間でして。例えば水族館とかね、あれ、よくないですよ。確かに環境は整備されているし快適なんでしょうけど、どうも生命の輝きってものがないんだなあ」
例によって白々しい気分で、俺はそれを聞いていた。俺はこの手の話題が得意ではない。今は何を話しているのかわからないようなことはないが、それでも会話に混ざる気にはなれない。そういう切り口自体があまり好きではないのだ。変わった研究品のことなんかならまだしも興味はあるものの、景色をそんな風に分析するのはなあ。素直に感動してりゃいいじゃねえか。っていうかな、水族館は好きだぞ、ブルマは。最近じゃすっかりご無沙汰だけど、ハイスクールの頃には何度か行ったぞ。それなのに…
「まあ、水族館にいるイルカより海にいるイルカの方が生き生きしてるっていうのはあるでしょうね。だって、それこそ生きていってるんだし。水族館のは飼ってるわけだから」
…今はこんなこと言うんだよなあ。まったく外面作ってるよな。まあ強硬に言い立てるほどのことではないし、話合わせてるだけっていうのはわかるんだが。『あら、あたしは好きよ』ってぽろっと言っちまわないところに、らしくなさを感じるのだ。
それにしたって、こんな話してて酒がまずくならないのだろうか。
思わず呆れてしまうような倫理的な方向に話が向かいかけた時、ミルちゃんとリルちゃんがこの際はものすごく女の子らしい発言をした。
「ん〜、何が違うのかよくわかんな〜い」
「どっちのイルカもかわいいと思うけどなぁ」
そう、人は――特に女の子なら、そういう感覚である方がかわいいと思う。俺は心から頷いたが、それを表に出すことはしなかった。
「ブルマは科学者だから、そういううるさいこと言うんだよ」
ブルマだって、さっきまではそうだったことを知っていたからだ。こんな四の五の理屈を叩いたりはせず、普通に遊んだり寝てたりしてた。もともと研究している時以外は異常に女の感情を発露させるやつだ。キールが誘導するからいけないんだよ。
「へー、ブルマさん科学者なんですか〜」
「すごぉーい。それでいろんなこと知ってるんだぁ。プロだったんですね」
「あんたたちが知らなさ過ぎるのよ」
そうして双子が会話に混ざった途端、ブルマはその女の感情を発動させた。終始一貫して双子に見せる、素っ気なさ。それはもう笑っちゃうくらいわかりやすかった。
おまえは本ッ当に、男女差別の激しいやつだな。


俺たちは、またもや揃って海に乗り出した。
薄く月が浮かび上がる夕べ。夕べというにはまだまだ空が明るいが、きっと船へ着く頃には、空の色も変わるだろう。
「わぁ…月が…こんなに大きい…………」
夕景鑑賞も兼ねて、行きよりもさらにゆっくりとボートを走らせた。ボートの後部で腰を浮かせながら、ブルマは言った。
「やっぱり月はあった方がいいわね。ないと夜空が淋しいし。ねえ、こんなに大きく見えるんなら、あんたでも壊せるんじゃない?」
「あった方がいいんじゃなかったのか…」
まるっきり支離滅裂だ。もうすっかりいつものブルマだ。
「冗談よ、冗談」
ブルマはカラッと笑ってみせたが、そのあんまりおもしろくない冗談は、隣を走るボートの乗員にはスルーされた。というか、意味がわからなかったんだと思う。こんなことを訊いてきたくらいだからな。
「そう言えば月って、何年か前まで全然見えなくなってましたよね。あれは何があったんですか?」
「あ、それあたしも気になってた。ずーっと見えなくなってたのに、気がついたらいつの間にか見えるようになってて、不思議だった〜」
…ジェネレーションギャップだ。もともとこの双子は子どもだとは思ってたけど、本当に異世代なんだな。月が壊されたあの武道会には、テレビ局も入っていたのに。直った瞬間は俺だって見てないけどな。
それにしても、武道も理解できなかったこの子たちに天下一武道会を説明するのか。長い道程になりそうだ……
と、半ばスルーしかけていた俺に対し、ブルマはきっぱりとその態度を撥ねつけた。
「何もないわ。なくなってたのよ、本当に」
「えぇー!?」
「じゃあ、どこになくなってたんですか?」
まったく説明する気のないらしいブルマは、今度は答えもしなかった。自然、双子の声はプロならぬアマチュアの学者へと向いた。
「キールさん、わかりますぅ?」
「さあね…僕もなくなってから気がついた口だから」
おまえはそういう世代じゃないだろ。
思わず心の中でそう突っ込みを入れてしまってから、俺は気づいた。いや、そういう世代だったか。とてもそうは見えないけど、こいつは俺よりもだいぶん年下なんだった。
「ただ月が見えない時はいろいろとおかしなことがあったよ。潮の満ち引きが弱くなってたり」
「へー。でも、海の水がしょっぱくないといいですよね。体がベタベタしなくって」
「うーん。でも、動物も潮の満ち引きに影響されたりするんだよね。出産とか…」
潮…出産……
…何もおまえが出産するわけでもないだろうに。だいたい、産んだって死んじまったら何にもならないだろうが。
感覚、理屈、双方の点から、俺は呆れた。壊された経緯はともかく、修復された経緯を思うと、そうならざるを得なかった。
「平和だよな、世の中は。俺たちは大変な思いをしていたというのに」
もともと参加するつもりのなかった会話から完全に身を引いて、俺は呟いた。
「何?あー、武道会のこと?」
「んー、まあ、他にもいろいろ」
「あたしたちだって、今は平和でしょ」
ブルマも軽く呟いた。さらに笑って言ったもんだ。
「どっちにしても、今はそういうこと言いっこなし!それが旅行を楽しむコツよ」
「おまえが思い出させたんだろ」
「いつよ?あたしはただ月がきれいって言っただけでしょ」
「そんなこと一言も言ってないぞ」
「行間を読みなさいよ」
それは話が違うだろうが。
その突っ込みを、俺はまた心の中にしまい込んだ。さっきから自分が言葉を呑みまくっていることには気づいていた。その理由となる心理についても。
ミルちゃんとリルちゃんに、あの突っ込みを入れられたくないのだ。
…特に、この男の前ではな。


クルーズ船に着いた頃には、夕陽が落ちかかっていた。そこかしこから集まってくるボートにディンギー。次々に船へと引き揚げる人々。すっかり人影がなくなって、まさにそれだけとなった海と空。暮色に包まれた景色が、一日の終わりを告げる…
…わけでは、なかった。
「着替えたら、夕食をご一緒しませんか。レストランの予約、取ってあるんですよ。頭数も揃っていることですし、チーズフォンデュなんかどうです?」
ボートを降りた直後、ウオーター・プラットフォームから一歩も出ないうちに、キールがそう言ったからだ。
「わーい、チーズフォンデュ大好き!」
「ひさしぶりだな〜。おじいちゃんがいる時にしか食べられないもんね」
まずは双子が一も二もなく賛成した。それに流されたのだとはまったく思わないが、ブルマも機嫌よく言葉を返した。
「そうねえ。せっかくだから、一緒しましょうか」
一体何がせっかくなんだ。
その不毛な突っ込みを、俺はもちろん口にはしなかった。心の中で言うことさえ飽きてきた。まったくこいつは男女差別…(以下略)。
そんなわけで俺たちは、またもや朝と同じ面子で飯を食うことになった。部屋に戻り例によって正装に着替えてから、今朝よりは幾分微妙な心境で、俺はそのテーブルについた。朝は成り行き上のことだと思ってたけど、これは違うからな。ブルマのやつ、双子たちとだけ一緒した時にはあんなに不機嫌だったくせにな。まあ、この男がいると、俺の役割は軽減されるから、その点では助かるかな…
「チーズフォンデュのコースを6人前お願いします。飲み物は『ガルダ・メルロー』と『ソンマルムスト』を」
いろんな意味で俺は従者扱いされていることがもはや明白だったので、俺は表向きは場をキールに任せ、第三者的な視点で自分のテーブルを見回した。
「明日はリュスティック海ですね。楽しみだなあ。クジラはちゃんと南下してきてるかな。見つからなくてスタンバイ・チケット貰う羽目にならなければいいんだけど。一番遭う確率が高いのは6月なんですよね。その次が7月で90%…」
「あたしたちはもともと航路上だからスタンバイ・チケットとかないのよね。まあ、貰っても困るけど。まだ先があるからね」
「そうなんですか。僕はこれが目的のウォッチングクルーズですからね、スタンバイ・チケットはもちろん使いますよ。スケジュールもバッチリ空けてありますしね。後は近くに来てくれるかどうかだなぁ。こっちから100m以上近づくのは禁止されてるんですよ。だからあっちから来てくれないと…」
「あっ、このハムとパン一緒にチーズにつけるとおいしー!」
「えー、ポテトが最高だよぉ」
…見事に分断されているな。
大人と子ども…いや、建前派と本音派か。かくいう俺は……二人の会話にはたいして興味はないけど、双子たちのように食事にだけ集中できるほどでもないんだよなあ。
依然微妙な心境で、俺はワインを注ぎ続けた。ブルマのグラスと、自分のグラスに。飲み過ぎないようにしないとな。そんなことだけをしっかりと考えながら――キールがこう言うまでは。
「僕、この後ダンスパーティに行くつもりなんですけど、ブルマさんもいかがですか?」
「いいわよ、一緒に行きましょ」
…そして、ブルマがそう答えるまでは。
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