Trouble mystery tour Epi.7 (7) byY
俺は怒り上戸ではない。まずくだを巻くことはなく、たいていは笑っておいしく酒を飲む。
そもそも今は、酔っぱらってしまうほど酒を飲んではいない。だから、到って冷静だったと言い切れる。
…どの面下げて来れるんだ。
それでも、そう思った。パーティ会場に一歩足を踏み入れた瞬間に。先頭を歩くキールと、特に俺の隣を歩くブルマに対して。
思い出したりしないのか…?たった二日前のことだぞ。もう忘却の彼方に消え去ってしまったというわけか。そんなはずないだろ。おまえの脳みその皺は俺より格段に多いはずだ。まったく、なんとまあ豪胆な…いや、無神経なやつなんだ。
「あれ?なんか今日、人少なくない?フロアが広ーい」
「みんな遊び疲れて休んでるんだよ。今日みたいな自由行動は疲れるからね。特に年配の人なんかにとっては」
「そっかー。じゃああたしたちでフロアを独占だー!キールさん、またダンス教えて〜」
「あっ、ずるい。あたしも踊りたいよ〜」
「えー?しょうがないなあ。じゃあじゃんけんね」
「よーし。じゃーんけーん…」
俺はなかなか複雑な気分になっていたが、口に出しては何も言わなかった。一緒に来ていたミルちゃんとリルちゃんが、そういう気分を吹き飛ばしたと言ってもいい。
「…あたしたち、一杯飲んでからにするから。ヤムチャ、あっちでなんか飲みましょ」
「はいはい…」
分断、或いは分担。結果的に俺の立場は尊重されたので、俺はブルマに促されるままカウンターバーへと足を向けた。もう何も言うまい。ブルマにデリカシーがないことなんて、いつものことだ。
「ウィスキー・ソーダ」
「あたしストロベリー・マルガリータ」
バーテンダーに声をかけスツールに腰を下ろすと、ブルマがカウンターを指でこつこつと叩きながら言った。
「ここよね、確か」
「何が?」
「一昨日あんたが睨み利かせてた席」
…おまえ、それはデリカシーなさ過ぎなんじゃあないのか…
っていうか、覚えてるんじゃねえか!
心の中では叫び出しながらも、俺は口を噤み続けた。今さら『どういう神経してるんだ』とか言いたくない。こいつの神経なんか、もうとっくにわかってる。この上遊ばれてたまるもんか。
やがて目の前に置かれたグラスを、俺はそのまま黙って口にした。ブルマはくすくす笑いながら口にした。乾杯の音頭はなし。そんなもんしないぞ、俺は。そしてブルマも、そこのところに文句を言いはしなかった。それどころか……ああ、ああ、まったく楽しそうだなー、おい。
「じゃあ、踊ろっか」
…一体何が『じゃあ』なんだ。
やがてグラスを空にしたブルマがそう言った時、俺は当然そう思った。だが、またもや口には出さなかった。わかりきっていたからだ。もう十分前戯は楽しんだし、ってことだろ。俺は何にもしてないがな。
「人が少ないのは少ないで気持ちいいわね。ゆったりしてて」
俺が手を取ると、ブルマはそう言って笑った。ああそうだ、俺はブルマの手を取った。こんなにおちょくられているにも関わらず、わりあいすぐに。…ふん、こうなったらうんと見せつけてやる。どうせこいつだって、それを望んでるんだろ。俺とは対象が違うんだろうけどな。
あの時の、いかにも浸っているような色気を振り撒くブルマの姿を思い出しながら、俺はごくごく普通にダンスの相手をした。俺はあんな風にブルマを見せたいとは思わない。俺はブルマのことをダンスのパートナーだとは思ってないから。そういう意味では、俺はキールのことを敵だと思ってるわけじゃないんだ。あいつはマメに声をかけてはくるけど、いかにも狙ってますって感じじゃないから。その気がないわけではないんだろうが、まるで危機感を感じない。だけどやっぱりなんかさ…
…………本能だよな。これは男の本能だよ。
見せつけたいどころか、むしろ隠しておきたい。その本心に気がつくと同時に、現実にも気がついた。俺たちはいつの間にかフロアを一周していて、前回一緒にここに来た時と同じように、ミルちゃんとリルちゃんがカウンターバーの横で待っていた。ついでに、キールもそこにいた。ブルマがそちらに向かって手を振った。ちなみに、俺は前回ほぼ同じ場面で、ブルマが俺に何と言ったか覚えていた。
…男女差別じゃなくて、ダブルスタンダードだな、これは。
まあブルマがそういうやつであることはとっくにわかっていたので(『あたしはいいのよ』とか普通に言うからな、こいつ)、それに関しては俺は目を瞑った。
「ブルマさーん、パートナーチェンジしましょうよ、パートナーチェンジ!」
「あのねえ、これはフォークダンスじゃないんだから…」
「だってあたしたち、ヤムチャさんとも踊りたいんだもーん」
「ブルマさんだってキールさんと踊りたいでしょ?」
「こないだあんなにノリノリだったじゃないですかー」
「僕は喜んでお相手させていただきますよ」
「ん〜そうねえ。じゃあ一曲だけ…」
…お・ま・え・な。
だが、そこから先の展開については目を瞑ることはできなかった。さすがにその心の叫びは声となって口から漏れた。かつてブルマがほぼ同じ状況で俺と双子たちに何と言ったか。だいたい、いくらなんでも反省がなさ過ぎるってもんだろ!
「いいじゃない、一曲くらい。最初はちゃんとあんたと踊ったでしょ。それにもう最後なんだから」
ブルマはけろりとした顔で言った。俺の気持ちを汲んでるんだかいないんだか、微妙にわからないことを。おまけに意味もわからない。
「最後って何だよ?」
俺は思いっきり不機嫌そうな顔を作ってそう訊いた。だがそもそもこれが、すでにブルマのペースに嵌められていたのだと、後で気づいた。
「キールはこのまま船旅。あたしたちは明日から陸路。正真正銘、最後の夜よ」
「…ああ、そう…」
そのブルマの言葉を聞いた時、俺は非常に複雑な気持ちになった。そういう問題じゃない、と強張る気持ちが半分、そうと知って緩む気持ちが半分。
その、自分に都合のいい方の気持ちだけをブルマは汲み取った。それはおもしろそうに、目を輝かせて言ったもんだ。
「安心した?」
「べ、別に俺は何も…」
「うーそうそ。ヤムチャのキールを見る顔ったら、こーんなになってるわよ」
ブルマがわざとらしく指で眉を吊り上げるのを見て、俺の心は吹っ切れた。やり込めようとまでは思わない。でも、言うだけは言っておいてやろうと思った。
「それはおまえだって同じだと思うが。ミルちゃんとリルちゃんに対する態度なんて、えらい差別じゃないか。意地悪とまでは言わないけど、素っ気ないにも程が…」
俺はあくまで冷静だった。だから、声を荒げはしなかった。でも、聞こえなかったわけはない。だがブルマは無視することに決めたようで、わざとらしく横目でじろりと睨みながら、白々しくもこう言った。
「今何かすっごく耳障りなことを言われたような気がしたけど、気のせいよね!」
「いーや、言った」
「そこが『何でもない』って言うとこでしょ!」
俺は負けずに言い切ってやったが、途端にタイを絞められた。俺は体は鍛えているが、首を絞められるのはどうしたってキツイ。素手で絞められるのなら、力のないブルマのことだ、たいして効きはしないが、タイを絞められてはどうしようもない。まったく、卑怯な戦法だ。
「かっわいくないんだから。素直に止めればいいのにさ。キール、次の曲一緒に踊りましょ!」
「一曲じゃあたしたちどっちか一人しか踊れないから、二曲にしてくださ〜い」
「はいはい、二曲ね」
「わーい、ヤムチャさん踊ろ〜」
「言っとくけど、一曲ずつだけだからね!」
こうしてなし崩し的に、パートナーがチェンジされた。まずは、ブルマとキールがゆっくりとダンスフロアへ出向いて行った。
「…じゃ、俺たちも行こうか」
「は〜い」
俺は諦めると共にある気分を発揮して、俺に答えたリルちゃんの手を掴んだ。軽く引っ張りながら、先に行った二人を追い抜く。…許したのはブルマだ。だから、後悔するのもブルマであるべきだ。
「結構上手だね。身長差あるけど、辛くないかな?」
「大丈夫。キールさんにコツ教えてもらいましたから。ヤムチャさんのリードも上手だし」
「いや、俺は初心者だか…」
程よく空気を読んで俺とキールを同列に扱ってくれるリルちゃんの肩越しに、二人の姿が見えた。そういう風になるように、位置取りしていたのだ。それは気持ちよさそうに、キールは踊っていた。ブルマは気になる程度には体を預けていたが、あの時ほど夢中になっている様子はなかった。なんていうかな、あの時みたいな目の輝きがないんだよ。さっき俺をおちょくっていた時の方が楽しそうだったくらいだ。
それでも、俺は目を離せなかった。意外にしっかりとステップを踏む目の前の小さな淑女よりも、手の届かないところにいるじゃじゃ馬の方が気になった。
悔しいが、やっぱり俺はブルマを単なるダンスのパートナーとして見ることはできない。いくら本人がそれだけの気持ちであろうと、乗ってようがいまいが、それは変わらない。
ふと、キールが背中を向けた。自然こちらを向くことになったブルマと俺の目が合った。今ひとつ気の入っていないブルマと、それを凝視していた俺。なんだかあの時に似てるな。
だが、そう思ったのは一瞬のことで、デジャビュの光景はすぐに終わった。ちょっと目配せしたかと思うと、ブルマがそれはわざとらしく舌を出しやがったのだ。
こいつ…!
自分でもわかるほど眉を上げてしまってから、俺は思い出した。…いや、こんなことまであの時と同じか。くそ。
「いきなり何ですか、ヤムチャさん」
「…別に。何でもないよ」
舌打ち代わりに舌を出し返してやると、リルちゃんが不思議そうに首を傾げた。俺はそれに答えながら、自分を宥めた。
落ち着け、落ち着け。ブルマがああいうやつだってことは、わかり過ぎるほどわかってるじゃないか。あいつは自信家のくせにやきもち焼きという、非常に面倒くさいやつなんだから。その性質がダブルで表れているのが今だ。どうせ一過性のものなんだから、まともには相手しないのが得策だ。だいたい、二度も同じ手に引っ掛かってたまるもんか。もう一周もすれば曲は終わる…
この時、俺はブルマがやきもちを焼いているということに、気づいていながら気づいていなかった。ただやっぱりおもしろくなくて、そこへブルマがあんな態度を取るものだから、謂わば火に油を注がれた状態だった。それが表向き冷静を保っていられたのは、ただ偏にプライドのためだ。だって、ブルマがこうしようって言ったんだから、ブルマが後悔するべきなんだ。
「やっほー、ミル。どう、あたしとヤムチャさん、いい感じでしょ〜」
でも、やがてリルちゃんがそう言いながら手を振って、俺の目にもその姿が映った時、それが崩れた。
…そうだった。もう一人いたんだった。
ちくしょう…
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