Trouble mystery tour Epi.8 (7) byY
この朝俺は、腕枕をしたままで、目を覚ました。
非常に珍しいことに、ブルマが俺を押し退けていなかったからだ。だから俺は昨夜伸ばした左腕をそのままに、うつらうつらしていた。昨夜は灯りを消すのが早かった上に何の邪魔も入らなかったから、存分に眠れた。故に朝方自然と目が覚めた。それでもベッドの中に留まっていたのは、ここ数日のうちについた怠け癖のせいだ。それと今現在の状況――半缶詰状態――のため。起きてもどうせやることないんだから、ブルマと一緒にごろごろしていようと思ったわけだ。
そしてそのうちにブルマが大きく身動ぎしたので、俺は目を開けたのだった。そのまま隣へ目をやると、ブルマはなんだかものすごく怯えた顔をして、俺を見ていた。
「…ん。何だ、どうしたブルマ?」
「さ…触らないでください…」
「…………何だって?」
ブルマの言葉にではなくその声音に、俺は驚いた。まるで蚊の鳴くような細い小さな声。そんな女っぽい声を出させるようなこと、今何かしただろうか。
たいして触ってないよな?ちょっと髪に触れただけで…悪戯したりもしてない。だいたい俺は起き抜けのブルマに悪戯したりしない。されたら返すが、自分からは絶対しない。…あ、いや、したことあったか。まあいいや、とにかく今はしてないんだ。
「それ以上近づくと許しませんよ。それから、お間違えにならないで。私の名はブルーナです」
「は?」
お間違え…?
一瞬引っかかってから、俺は気づいた。引っかかるべきところが違うことに。あまりにも真に迫っていたのでびっくりした。女は女優だと言うが、まさかブルマがお姫様の役をやれるとは…
「なんだブルマ、ブルーナ王女のこと気に入ったのか?一昨日は嫌がってたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?でもびっくりするから、出し抜けになりきるのはやめてくれよな」
特にその口調だ。強気と女らしさが相まって、妙に貫録が出てるぞ。そういう雰囲気だと結構それっぽく見えるな。ブルマはもともと顔立ちは整ってるからなあ。
俺は軽く笑って言ったが、その笑いも長くは続かなかった。ブルマが神妙な顔をして、さらに食い下がったからだ。
「二度も名を間違えるとは無礼な。あなたは他国の方ですか?ならば、覚えておきなさい。私はブルーナ・ウェルシュ、この国の第一王女です」
ん?…
「あなたは誰ですか。ここで何をしているのです。なぜ私のベッドに入っているのです」
…んんんんん?
この時になってようやく俺は、ブルマの顔に張りつく表情に違和感を感じ始めた。ちょっと…ジョークにしちゃしつこ過ぎないか?あんまりおもしろくないし。なんかブルマらしくないっていうか…
だいたい、なんだその顔。どうしてそんな冷たい目で俺を見るんだ。それが夜を共にした相手を見る目つきか?
それに…今うっかり流しかけたが、俺の手叩いたよな?たいして痛くなかったから、気にしなかったけど。昨夜あんなやり取りをしていた時でさえ、叩いたりしなかったぞ。
「…………ブルーナ王女?」
非常に信じ難かったが、俺は信じ始めていた。どこか冷たい目をしたブルマの戯言を。だって、こんな目で見られなくちゃならないようなことなんて、何もしてないんだ。
幸せに眠ったはずだった。眠っていたはずだった。さっきまで。だから…
「ですから、先ほどからそう言っています」
だから、本当なのだ。一体どうしてそうなったのかはわからんが、これはブルーナ王女なのだ。ブルマの姿をした…そうだ、姿はブルマだ、それは間違いない。髪が肖像画の長さじゃないし、何より一緒のベッドにいた。
「質問に答えなさい。あなたは誰なのです」
「俺は…あなたの恋人で――」
「わたしの恋人はジエラ様ただ一人です」
「…じゃあ、付き人みたいなものです」
果たしてそんな言い訳が通じるものなのか、懸念しながらも俺は答えた。王女は小さく頷いて、いつしか体に巻いていたシーツの端を頑なに握りしめた。…納得したのではなく、そう思いたいといったところか。なかなかプライド高いな。
「ここは王城ではありませんね。私はどうしてこんなところにいるのです」
「あなたは今旅行中で…」
「旅行?一体どこへ行くというのです」
「それはちょっとわからないんですが…」
「ブルマ様、ヤムチャ様、おはようございます。ご機嫌いかがですか。朝食をお持ちしました」
ここで会話は中断した。話はさっぱり進んでいなかったが、時計の針は進んでいた。――今は放っておいてくれ――昨日の朝と同じような心境になりながら、俺は昨日の朝と同じような台詞を吐いた。
「あっ、はい。ちょっと待ってください」
そして、いつまでもベッドの中から出ようとしないブルマ――もといブルーナ王女に声をかけた。
「とにかく服を着てください。あなたの服はそこのクロゼットに入っています」
王女は何も言わずに、俺の言葉に従った。そのクールでありながらもしっとりとした身のこなしを見て、俺は思った。
…やっぱり、冗談じゃないんだな。


焼きたてのクロワッサンに香り高いコーヒー。とろけるようなオムレツに、ピンクの薔薇の形をした美しいチーズケーキ。それらを、俺たちは言葉一つ交わさずに、黙々と食った。
王女は一体何を考えてるんだろう。
いきなりこんな時代に来て(ブルーナ王女にしてみれば、何百年も未来のはずだ)、戸惑ったりしてないんだろうか。まるで何事もなかったかのように、コーヒーなんか飲んでるけど…………言いたいこととか訊きたいことはないのだろうか。
「あの…ブルーナ王女」
俺にはあった。王女が静かに食事を楽しみたいのだとしても、よしんば虚勢を張っているのだとしても、それらを無視して訊いておかねばならないことがあった。
「何です」
「あなたに訊きたいことがあるんです。その…ブルマはどこへ行ったんですか?」
ちょっとおかしな表現だな。でも、しかたがない。目の前にいる女性は絶対にブルマで、だけどブルマはそこにはいないんだから。幽体離脱って言うのか、こういうの?だからといって、なぜいきなり王女になったのかはわからんが…
「ブルマとは誰ですか」
「昨日まであなただった人なんですが」
「あなたの話は、わからないことばかりです」
俺もわからないよ。
非常に虚しい気持ちで、俺は食事を終えた。すごくおいしい食事なのに、ちっとも喉を通りゃしない。コーヒーを流し込むのが精一杯だ。
「ですが、私も訊きたいことがあります。ジエラ様は今何をしておいでなのでしょう」
「そのジエラ様というのは、あなたとはどういう関係なんですか?」
俺はたいして聞きたくなかったが訊いた。情報収集のために。実のところは訊かずとも、大体想像がついていた。おおかた王子かなんかだろ。王女の相手は王子と相場が決まってるんだ。
「ジエラ様は私の最愛の人。永遠の契りを交わした方です」
王女の返事は予想の斜め上をいっていた。熱を上げているということはわかったが、それ以外のことはまったくわからなかった。俺は少なからず呆れた。この王女、本当に聡明なのか?確か聡明って言ってたよな、バーテンダーが。でもこの王女は、確かに冷静ではあるが、聡明とはちょっと違うような……ブルマとは正反対だ。ブルマは頭はいいくせに、すぐ感情的になるからな。
そして、俺がさらにブルマとは違うと感じたことに、やがて王女はフォークをおいた。デザートの皿をそっくり残したままで。
「あれ、食べないんですか?」
「もう充分に食べました。それに、甘いものはお茶の時間だけと決めております」
「あ、そうなんですか」
「食事と菓子を一緒に食べるなど、非常に行儀の悪いことです」
「そ、そうですか…」
うーむ…
見た目は似てても(似てるも何も今はブルマなのだが)、性格は似ても似つかないな。ブルマは意地汚いってことまではないにせよ、こういう禁欲主義的なところはまったくないからな。完全に正反対……やはり他人の空似だな。
俺は少しだけ考え始めていたのだった。どうしてブルマが王女になってしまったのかを。昨日の占い師のせいかな。或いは、城で取り憑かれたって線もあるか。その前から妙に王女との因縁を感じさせられていたからな。顔も似てるし、霊が勘違いして選んだとしても不思議はない…か?
そんなことを考えているうちに、バトラーが皿を下げにやってきた。こうして、朝食の時間は終わった。
何の進展もしないままに。


「部屋にずっといるのもなんですから、外にお茶を飲みに行きませんか。外と言っても列車の中ですが」
そう言って、俺は王女をティールームへと連れ出した。
お茶が飲みたかったわけではない。ただ、部屋にいたくなかったのだ。この王女と二人きりで部屋にいると、息が詰まりそうになる。
「いいでしょう。ただし、あなたとは同席しません。目下の者とは狎れ合いません。ここにはテーブルが一つしかないゆえ許しましたが、衆目の中ではそれはできません」
そして、それは正解だったと思う。この王女の返答を聞いただけで、俺は息が詰まりそうになってきた。
かっわいくないプライド持ってんなあ。選民思想もここに極まれりだな。しかもこんな時だってのに。絵で見た王女とは別人のような雰囲気じゃないか。あの爽やかな緑の中で咲かせていた花のような微笑はどこ行った。
俺はそう思いながら、王女とは別のテーブルに向かい合わせになるよう着席した。するとやがて、その微笑を目にする機会がやってきた。
「まあ…ジエラ様、ごきげんよう」
一人のウェイターが現れると共に、王女の雰囲気ががらりと変わった。それはもう別人のように優しくなった。頑なだった声はそよ風のように流れ、冷たかった瞳は幸せそうに細められた。
「は。私の名前はジュエルです、ブルマ様。ですが顔を覚えていただけて光栄です。お飲み物はいかがなさいますか」
「ジエラ様じゃありませんの…」
「ジュラートが本名です。でも、今からジエラを通称にいたします。カクテルになさいますか?それともお茶になさるのでしたら、イレブンジーズもご用意できます」
「困ったわ。私はそのようなことはいつも侍従に任せていて…」
「お迷いのようですね。この街道ではみなさまシャンパンから始められる方が多いようです。ブルマ様もそうなさいますか?」
「ええ…」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
最もそれは、ウェイターが去ると同時に消え去ったが。その瞬間までを見ていた俺の心の中には、しばらく何とも言えない棘が残った。
なんという外面の良さだ。あまりにも露骨な相手の立て方…っていうか、そいつウェイターなんだが。いくら顔が似てる(んだろ。この感じからすると)からって、それでいいのか。目下の者とは狎れ合わないんじゃなかったのか。そいつには突っ込み入れないのか。自分はブルーナだと言い張らないのか。
まるで盲目だな。そんなにそのジエラという男が好きなのか。…もういないのに。
そいつはその男じゃないのにそんなに喜んで…そんな晴れやかな顔をして。俺には見せない瞳を向けて。そう、王女としても、ブルマとしても、俺は目の前にいる女のそんな顔など見たことがなかった。そんな目で見られたことなどなかった。これは嫉妬じゃない。ただ、漠然と思ったまでだ。
なんだろう、この感覚…………嫉妬もしない。ただかわいそうで…淋しい気持ちしかない。
王女の望む相手はいないんだという事実。ブルマはそこにはいないんだという事実。
「ヤムチャ様はお飲み物はいかがなさいますか。…ブルマ様と同じものをお飲みになりますか?」
「ああ、それでいいよ」
少し居心地悪そうにやってきたウェイターの言葉に片手間に答えてから(居心地が悪いのは俺の方だ)、俺は考え始めた。
そろそろなんとかしなきゃならんな…
今の調子で王女の相手をしていたら、何の進展もないままに一日が終わってしまう。ここは強引に動かないと……だが、どうすればいい?あの占い師のところにもう一度連れていくか?どうだろうな…降霊した人間(占い師本人は降霊に成功したと思っていたはずだ)を除霊もせずにそのまま帰しちまうようなやつだぞ?とても当てにはできないよな…
「あれー?ヤムチャさんとブルマさん、まーた喧嘩したんですかぁ?」
ここで後ろの車両から双子たちがやってきて、いつもの調子でそう言った。俺は少し悪びれながらも、黙ってその言葉を受け取った。
「もうすぐビアリに着きますよ。早いとこ仲直りした方がいいですよー」
そういう話ならまだよかったんだがなぁ…
それならばどんなに大変でも、時間さえかければ何とかなる。だが、実際にはまったく反対だ。どんなに時間をかけても、今の事態は俺の手には負えん。
「ビアリから先はロマンティック・ロードなんですから、喧嘩してる場合じゃないですよぉ」
「…なんだい、それは」
「そういう名前のついたルートですよ。この列車、その横を通って行くんです。やっぱそういうとこで喧嘩してちゃダメでしょ」
「まあ、そうだろうね…」
俺は我ながら気の乗らない声で頷いた。
そういうことは…今の俺たちには関係なさそうだな。特にあの王女には。あの王女は俺とどこかを歩くより、ここであのウェイターと話をしていた方が楽しいんだろうからなあ。
「ヤムチャ様、シャンパンをお持ちしました。お味見を…」
「ああ、いいよ、他のもの飲む気ないから。つまみとかいらないから、この子たちのオーダー取ってやってくれ」
俺はやがてやってきたウェイターを片手間にあしらいながら、王女の方へと視線を戻した。王女は俺の方などまったく見向きもせずに、ウェイター相手に笑顔を振り撒いていた。ブルマのからっとした笑顔とは似ても似つかない、上品めいた笑顔。でも、ちょっとわざとらしいなぁ。もしブルマがあんな顔をしたら、一体何を企んでいるんだ、なんて思ってしまうところだ。
「イレブンジーズ?それって何ですか?」
「午前のお茶のコースでございます。シュルズベリービスケットとミニトライフルを添えてお出ししています」
「へー。じゃあそれ。お菓子多めにしてね!」
「あたしも!」
元気にオーダーを通す双子たちを正面の席に迎えながら、俺は思った。
今あそこにいるのがブルマだったら、絶対に許さないところなのにな。なんてことを。
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