Trouble mystery tour Epi.9 (2) byY
食事の後はショートカクテル。そう、夜はまだまだ長い。
ブラインドの下ろされていないラウンジの窓の外を、俺はもうまじまじとは見なかった。もう三日目だからな。それに今日は、田舎を肌で感じていたし。見るまでもなく、何もないだろうということがわかっていたよ。
「本日はつまみとしてビアリのスモークがご用意できますが、いかがですか」
「せっかくだけど、もうお腹いっぱいだから、食べ物はいいわ」
「では、葉巻はいかがですか」
「葉巻か…そうだな。貰おうかな」
「いいわね。気分出る〜。二本いただくわ」
「おまえも吸うのか?」
「一人で楽しもうなんてずるいわよ」
そうして、実にひさびさに葉巻なんかを吸うことになった。ひさびさっていうか、これが二度目だ。
前に吸ったものがどんな銘柄だったかなんて、まるで覚えていない。とりあえず適当に買ったものだったからな。でも、吸った時のことは覚えている。一日の修行の後、夜気に当たりながら吸ったんだ。
あの時腰を下ろしていた岩場とは対照的な座り心地の ソファにゆったりと背を凭れ、俺はその時間を楽しんだ。あの時とは違って、葉巻の味ではなくそれを吸う空間と時間を楽しんだ。吸う場所も違えば相手も違う。今一緒に吸っているのは友人ではなく恋人で、シチュエーションも映画やドラマなどに似て、なかなかそれっぽく見えた。
「あたし葉巻って初めて。これ一本に30分以上もかけるなんて、贅沢な時間の使い方よねえ」
「俺は安いやつなら吸ったことあるぞ」
「一体いつどこでそんなもの吸ってんのよ、あんた?」
「いや…物は試しって感じで…」
「答えになってないわよ」
うん…
我ながらもごもごと俺は口を噤んだ。別に知られちゃまずいわけではないんだが、またからかわれると思うとなあ。ブルマのやつ、すぐそういう方向に持っていくから。…俺が天津飯と何かしたと言うだけで。ま、女に男の友情がわかるわけもないけどさ。
「結構おいしいわね。だけど…カクテルに合わない〜」
「そりゃそうだろ。葉巻にはブランデーだ」
「確かに映画とかじゃそうだけど、それちょっと渋過ぎない?」
「じゃあポートワイン。酒じゃなくてもいいならチョコレートケーキ」
「…あんたなんでそんなこと知ってるのよ。甘いもの好きじゃないくせに」
「さあ?」
「何惚けてんのよ。何か疾しいことでもあるの?」
「いや、まさか、そんな」
でもやがてすぐに、もう一つの方向に持っていかれた。からかうか責めるかどっちかなんだからな、もう。たまには素直に褒めるとかしてくれたって…
…まあ、ブルマが素直に俺を褒めたりする時は、絶対裏に何かあるんだけどさ。
「きっと、酒買いに行った時にでも聞いたんだよ。リカーショップとかでさ」
さっぱり記憶にはないが、最も可能性のありそうなところを、俺は口にした。小さな町へ買い物に行くとよそ者の珍しさからかよく女の店員に話しかけられる、とかは言わなくてもいい。そんな会話、こんなシチュエーションでしたくない。まったく、せっかく優雅に葉巻なんか燻らせてるっていうのに、ブルマときたら…
「この不良武道家!」
「武道家だって酒くらい飲むぞ。半年に一度くらいは仲間と酒を酌み交わしもする!」
「えーっ、ずるーい。あたしも連れて行きなさいよ〜」
「ダメ。男同士の付き合いだから」
「ケチッ」
…本当に態度が子どもなんだから。しかも、こないだこの話をした時よりも子どもっぽくなってるぞ。ほとんど駄々っ子だ。こりゃああまり話を重ねない方がいいな。そのうち背中にへばりついてでも、来ようとするかもしれん。
「おまえとはこうして90日もの長〜い旅行に付き合ってるだろ。ほら、何か別の飲み物頼むか?」
「ふんだ、機嫌取りっ」
はいはい、どうせ俺は機嫌取りですよ。
憤然として葉巻を咥え直したブルマを横目に、俺はその言葉を呑み込んだ。いつにも増して呆れた気持ちで。取らないと怒るくせにな。取ってもなお怒られるとは。それにしても、似合わないことこの上ないな。何がって?葉巻がだよ。ブルマには煙草もあまり似合わないが、葉巻はもっと似合わない。見た目じゃなくて、中身の問題だ。こんな豪華なラウンジでそんな優雅なドレス着て葉巻吹かしてて、一体どうしてそんなに駄々っ子なんだ。なんか今日…っていうか昼過ぎから、妙に子どもじみて見えるんだが。…王女を見た後だからかな。
言えば絶対に怒られるだろう言葉を、俺はやはり呑み込んだ。その時だった。
「ふふっ、まあ〜あ、かわいいこと。仲よくケンカしちゃって、子どもみたいね」
俺の呑み込んだものにも似た言葉が、すぐ近くから飛んできた。俺は思わずぎくりとして、そちらを見ようと反射的に動きかける体を止めた。
この強く艶を乗せた声……リザだろ。よく知りもしない人のことを悪く言うのは嫌だが、彼女はちょっと……年上、色気のあるタイプ、いかにも男を手玉に取りそうな感じ……できればお近づきにはなりたくない。ブルマがいる今は特に。個人的にもすごく怖いし。
「あのね、ブルマさん。リザさんって占いできるんだって。それがすっごく当たるんだって!」
「町の人はみんな結婚する前にリザさんに占ってもらうんだって。だからあたしたちも占ってもらうことにしたの!」
「あんたたち、結婚相手なんかいないでしょ」
「ふふ、それも含めて占えてよ。お二人さんも占ってあげましょうか」
「結構よ」
最も、お近づきになる道はすぐに閉ざされた。ブルマの鉄壁のガードによって。建前も何もない、この上なくわかりやすい拒否の言葉。いつもながら手厳しいな。俺、出る幕ないどころか、存在すら忘れられてるな。…俺だって、相手が男ならズバッと言ってやれるんだがなあ。男になら、力に訴えることだってできるし。しかし、それにしても…
「…また占いか。何か妙に因縁あるな…」
自らの危機感が去ってしまうと、後には自らの守るべき者への危機感が首を擡げた。俺はあくまでリザではなく、リザのいるテーブルの上を覗き見た。一枚ずつ並べられ始めている、白地に水色の文様のカード…
「田舎ってそういう根暗な遊びが好きな人多いのよ。娯楽がないからね。あーあ、すっかり気分壊されちゃったわ。ねえ、シャンパン頼みましょ。それで乾杯し直すわよ!」
俺の気遣いではなくリザの茶々によって、口直しの乾杯が決定された。何考えてるか見え見えだけど(ここで立ち去らない時点で、見せつけようとしてるとしか思えない)、付き合ってやるか。なんて思っていると、今度は違うところから茶々が入った。
「どうぞ、ブルマ様。こちら『リトル・プリンセス』でございます」
「はっ?」
ウェイターがグラスを一つテーブルに滑らせながら、恭しく頭を下げた。グラスの中にはガーネット色の液体が揺れていた。
「あたし、こんなの頼んでないわよ」
「エイハン様からです。メッセージを言付かっております。失礼をしたお詫びとお近づきの印にと…」
…キザだな。
それともステレオタイプというべきかな。どちらにしても、食い下がるなあ。さっきは打診して断られたから、今度は打診なしで、というわけか。しかし残念、ブルマに強引な手は通用しないぞ。
「いらないわ。向こうのテーブルに返して」
「は、しかし…」
「妹さんにどうぞって言っといて。あたしたち、もう部屋に戻るから。ヤムチャ、行こ!」
「あ、ああ…」
思った通りのブルマの反応は、だが少し意外でもあった。ここで撤退するのか。リザに絡まれた時は踏み止まったのに、エイハンには酒を振舞われそうになっただけで撤退か。いつもと違うな…っていうか、わかりやすいな。もうとことんタイプじゃないんだな。この面食いめ。
そんな感じで、通りすがりのやつに軽く目をつけられているブルマを見ても、俺の心の中にはちっとも波風立たなかった。せいぜい、俺にはできない手を使いやがって、と思うくらいだ。だって、俺はずっとブルマと一緒にいるから、『あちらの彼女に』とは言えないもんな。おまけにすでに、飲ませるんじゃなくて、介抱してやるポジションだ。
「やあ。カクテルはお気に召さなかったようだね」
席を立つと、エイハンが実に陽気にそう声をかけてきた。その雰囲気にはまったく感化されずに、ブルマが冷たく言い切った。
「あなたにお酒を振舞っていただく理由はありませんから」
ブルマとエイハンそれぞれの取る態度は、今やまるきり北風と太陽になっていた。物語と違うのは、いくら太陽が明るく温かく振舞っても、一向に勝ちが見えてこないところだった。
「そう硬いこと言わずに仲よくやろうよ。しばらく一緒に旅をする仲間じゃないか」
「好きで一緒になったわけじゃないわ。金輪際あたしに構わないで。失礼するわ!」
おおこわ。
容赦ないにも程があるな。ほとんど初対面だってのに。と、この時には俺は思うようになっていた。やがて部屋に入るや否やブルマが放った言葉にも、首を傾げるほどになっていた。
「まったく、面の皮の厚い男だわ!人に乱暴しといて平気な顔で話しかけてくるなんて」
「痴漢じゃなかったとか」
「そんなわけないでしょ!」
そうかなあ…
俺は言葉は呑み込んだが、思いは呑み込むことができなかった。あのエイハンという男が、そこまで暗いところのある人物だとは思えなかったのだ。確かに時々やらしい雰囲気は醸し出すが、いいとこナンパ中年って感じだぞ。武天老師様のイトコ分っていうか。ちょっとしつこいけど、無理強いはしてこないしな。
「どう見たって部屋に連れ込もうとしてたわよ。あそこであたしが元に戻らなかったら、大変なことになってたんだからね!」
そうか。
でもすぐに、その思いも呑み込むことに決めた。まあ本人が言うんだからな。それに、ブルマは武天老師様相手にもいろいろ被害にあってたし。俺の知らないところでもあってたみたいだし…今回もそれだと思っておいた方がいいだろう。ブルマと、何より俺自身のために。
「もうあんな目に遭うの嫌だからね。あんたもちゃんと気をつけてよ。あいつは外面はいいけど、人がいないところじゃ何するかわからないんだから。あたしがあんな目に遭ったのは、あの時あんたがいなかったせいなんだからね!」
俺の感覚はまったく正しかった。ブルマは実にヒートアップしていた。そういう時の常で、話が少しズレてきていた。
「それは……仕方ないじゃないか。あんなやつがいるなんて知らなかったんだから。いや、もちろん気をつけるけど。でも、あの時はそれどころじゃなかったんだ。王女とかドラゴンボールとか、いろいろと考えることがあった…」
いや、ブルマはズレてないな。俺がズラしたんだ。ブルマが俺を盾にしようとするのは当然だ。ブルマは女で、俺は男なんだから。時々忘れそうになるが。だってブルマ強いからさ…
だが、だからといって、守りたくない、なんて思ったことはない。目を離してしまった免罪符になるとも思っていない。でもさ……ブルマにも少しはわかってもらいたいんだよな。
俺だってキツかったんだってこと。あんな普通じゃないことが唐突に起こった上に、助けようとしている当人からあの仕打ち…そりゃ、ブルマのせいじゃないんだけどさ。ブルマにはどうすることもできなかったってわかってるんだけどさ。
そう、どうすることもできなかった――ブルマだけじゃなく、俺も。いや、本当にどうすることもできなかったのは、俺だけだ。そうなんだ。結果的に俺は何もしなかった。そのことが、俺の心をすっきりしないものにしていたのだ。
だって、格好つかないなんてもんじゃないんだから。気がついたらあんなことになってた上に、気がついたら元に戻ってたなんて、そんなのブリーフ博士にも説明が…あれ、そういえば博士に連絡してないな。ブルマが元に戻ったって。
「それなのよね。そこでドラゴンボールを使おうなんて、ちょっと大げさ過ぎない?」
その事実に気づいてちょっと頭が冷やされた時、今度はブルマが話の矛先を変えた。それは実に盲点で、しかも突然だった。
「そんなことしなくても、あんたが一つキスをしてれば、きっとあたしは戻れたわよ」
なんで、と訊く前に答えを出された。それは無造作な口調で。さも当然と言った態度で。
その言葉自体もだが、何より言葉と態度のギャップに放心して、俺は小さく声を漏らした。
「…そうか?」
「そうよ」
そんなの当たり前でしょ。そう言わんばかりの顔つきで呟いて、ブルマはベッドに座り込んだ。俺はというと、思わず呆然としながら、放心と感心の両方を味わった。
そんなもんか?っていうか…さらっとすごいこと言うなあ…
それってつまり…俺がすごく特別だってことだろ?俺とのキスが王女を追い出し、果てはブルマを惹きつける――確かに、あの避け具合からすると王女はそうなってもおかしくなかったかもしれんが、ブルマに関しては…
「ふーん…」
キスなんかで元に戻るほど、こいつ俺のこと好きだったのか…
俺の心はすっきりした。心の底に残っていたやり残し感が、次は絶対助けてやろう、という原動力に変わった。もっとも、次はない方がいいんだが。ともかくもそう心の落とし所を見つけたところで、体をもベッドに落とし込んだ。
いつものように、ブルマの隣に座った。ブルマは当たり前のように、こちらに体を寄せてきた。軽くではあるが、肩に凭れかかってきた。だから俺も、その背中に手を回した。深くは考えずに。いつものように。昨夜のように。秋ならぬ異国での夜長、一つ込み入った話が終わった後の、気だるく気の抜けた時間…
だけど、そこから先は、昨夜のようにはいかなかった。
だって、そうだよな。そう思うだろ?やっぱりここはキスするだろ?
「んっ…」
押し殺した声を漏らすブルマの体を、ゆっくりとベッドの上に横たえた。…ちょっといきなり過ぎるかな。だけど……なあ?
あんなこと言われたら、そんな気にもなるよ。なあ?
深くゆっくり、俺はブルマに口づけた。その体に乗りながら。足の間を割りながら。首筋を撫でながら。
俺がこんなことをしても、ブルマは抗わない。ただちょっと身を捩って、声を漏らすだけだ。それこそが、ブルマがブルマである証だ。
今こうしていることこそが、何もかもが元に戻った証だ。
深い感慨と共に、首筋にキスを移した。撫でていた手を、そのさらに下へと滑らす。その次の瞬間だった。
「…ね、ヤムチャ」
「ん?」
「何か飲まない?一杯だけ。乾杯したいの」
…………。
俺はすっかり言葉に詰まった。思考が停止した。…やっぱりいきなり過ぎたか。ちらとそう思ったが、その思いもすぐに霧散した。
そうじゃない。だって、ブルマは抗わなかった。言葉でも体でも拒否しなかった。黙ってされるがままになるようなやつじゃないということは、今日の昼に実証済みだ。だから…
…この空気の読まなさ。流れも何もかもぶったぎって我を通す無神経さ。それだけならば王女と同じだが、その先にあるものが、たかが『ちょっと乾杯』であるというこの事実。もちろん、乾杯は一人ではできない――…これがブルマだ。
俺は苦々しい喜びを噛み締めながら、ブルマにキスをした。できる限りさりげなく感じられるよう心がけて。嬉しく思うべきなんだよな。それくらいわかってる。…さて、果たしてこのキスの意は『またね』となるか、『後で』となるか――
どっちでもいい。そう思うべきなんだよな。ちゃんとわかってるよ。
…頭ではな。
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