Trouble mystery tour Epi.9 (3) byY
やはり列車というのは狭いもので、四日目ともなると、完全に行動がパターン化してきた。
まずはベッドの中で目覚ましの朝食。それからどちらからともなくシャワーを浴びて、フォーマルとまではいかないちょっと気取った服に着替えて、なんとなくラウンジへ。おそらくはみな同じような行動を取っているのだろう、ほぼ席の埋まったその一角で、なんとはなしに茶など啜りながら、とりとめのない話をする――
そのとりとめのない話というのも延々としていれば場がダラけてくるもので、今朝は特に話題とするべき事柄がなかったこともあって、俺たちは三次元チェスをすることにした。
「はい、じゃあここにビショップね。リザイン・オファー!」
「えっ?いやいや、何言ってんだ。リザイン・オファーなんてものがあるか」
いきなり聞いたことのない言葉を投げつけられて、俺は声を荒げた。オファーするのはドローの時だけだろ。いくら優勢だからって負けを促すのは無神経過ぎるぞ。
「でも次、チェック・メイトしちゃうわよ」
「えぇ!?うぅ〜ん…じゃあ、待った。さっきの手やめて、キャスリングすることにする」
「またぁ?待ったするの、これでもう三度目よ」
わかってる。待ったすること自体が禁じ手だってことも、わかってる。
でも、やっぱり待ってくれよ。そこにビショップが飛んでくるなんて、これっぽっちも予想してなかったんだからさ。おまけにチェック・メイトとか…いくらなんでも早過ぎだろ。もう少し粘らせてくれよ。
ほとんど頭を抱えていた俺に対し、ブルマは笑顔でシュークリームなんかを食べていた。小さいとはいえ、今さっき朝食を食べたばかりだってのに。よく食べるなあ。などと言う余裕は、だが俺にはなかった。
「まあいいわ。でも、仏の顔も三度までだからね。普通だったら絶対に許されないんだから。ほら、どこへでもお逃げなさい」
「サンキュー」
「あら、そこだと今度はナイトが飛んでくわよ」
「えっ…」
「こっちに逃げれば二手は持ち堪えられるけど」
「…おまえはそれで助け船を出してるつもりか」
二手持ち堪えたから何だというんだ。そんなの、真綿で首を絞められるだけだろ。
「あらー、これが精一杯のアドバイスよ。そこまで崩れちゃったら、もうどうしようもないもの。だからリザインしろって言ったでしょ」
「はーいはい、わかりました。リザインしますよ。まったく、リザイン・オファーなんて、それこそありえん行為だぞ」
「だって、ヤムチャ弱いんだもの」
「たは…」
そういう問題じゃないだろ。と言ってやれない自分にがっくりして、俺はテーブルにうなだれた。でも調子に乗ったブルマがこんなことを言ったので、すぐに姿勢を正した。
「やっぱりルークだけじゃなくビショップも落とそうか」
「ダメだ。これ以上ハンデをつけることは許さん」
「強情ね〜。ルーク落ちでも勝てないくせに」
「だからこそだ。そのうち絶対に勝ってやる」
俺が言うと、ブルマは笑って手駒を並べ始めた。と、チェス盤の電源スイッチを切り替えて、声も明るく宣言した。
「じゃ、次は二次元でルージング・チェスやりましょ。あたし二枚落ちね。これなら単純に取ってけば勝てるからたいして頭使わないし、少しはゲームになるでしょ」
「…本当にひどいやつだな、おまえは」
「どこがよ?こんなに気を遣って相手してあげる人、そうそういないわよ」
その、容赦なく人を弱者扱いするところがだ。
と言ってやれない自分を情けなく思いながら、腕を捲った。そっちがその気なら、俺だってもう容赦しないぞ。…今までだってしてなかったけど。まったく、調子もよくって機嫌もいいのは結構なことだがな、少しは隙ってものを見せろ。いや、これ以上の手抜きはしなくていい。勝機くらい自力で掴み取ってみせる。そりゃあブルマの方が上手なのは確かだがな、ハンデありでも勝てないほど俺は弱くはないはずだ。現にいつもはもう少しやれてる。ここまで短期決戦で連敗するほど、歯が立たないわけじゃない。今日はただちょっといつもより勘が悪くて、反面ブルマが調子よ過ぎるだけ…
「ってなとこで、その前に一杯ワインでも飲みましょ。景気づけと頭覚ましを兼ねてね。いまいち頭冴えてないみたいだからねー、あんた」
「悪かったな」
さらに飛んできた調子のいい言葉に、さすがに今度は憮然を表に出した。だがブルマは気にした様子もなく、からりと笑って言い放った。
「毎晩あんまり張り切るからよ。いくらあたしが魅力的でもたまには自重するのね。すみませーん」
思わず愕然とした俺をよそに、ブルマはすばやく片手を挙げ、近くを通りかかったウェイターを呼び止めた。聞こえなかったのか聞こえなかった振りをしたのか、ウェイターは例によってそれは恭しく傍らに跪いた。それで俺がブルマに『恥知らず』と言ってやる機会は、永久に失われた。
「グラスワインを二つちょうだい。そうね、きりっとしてすっきりとした頭が覚めそうな味のものがいいわ」
どんなワインだそれは…
嫌み絶好調だな。おまえは混濁しそうなものでも飲んどけ、とでも言ってやろうか。…いや、虚しい反撃だな、それは。
羞恥心と負け気分、両方の作用によって、俺は口を噤んだ。わかったのかわからなかったのか、涼しい顔でウェイターは答え、場を流した。
「それでしたら、ド・メースドロズ・ベルジュリード・ロズというロズを代表する白ワインが、ご希望にぴったりかと思います。エイハン様がみなさまにとお持ち込みになったものでございます」
「ああ……。…そう、わかったわ。もういい加減に飲んであげるわよ。…じゃあ、それ二つね」
「かしこまりました」
そして、その流れは少々意外なものだった。選択は任せたとはいえ、ブルマがオーダーしたのは、三度あの男から差し向けられた一杯。…昨夜はあんなに強気で突っ撥ねていたのに。さすがのブルマも根負け…
と思いかねんところだが、そうじゃないな。単に今朝はブルマの機嫌がいいというだけの話だ。つまりは俺のおかげだ。
「ワインに罪はないからね。あの男が作ったってわけでもないし」
「そうだな」
はにかむように釈明するブルマを、俺は悪くない気持ちで眺めた。なんというかな、こんな風に緩まっているブルマを見るのは悪くない。俺に対してずけずけ言うのは、ただ遠慮してないだけだってことも、わかってるさ。
その証拠に、会話が途切れると、ブルマの態度は変わった。テーブルに肘をつき両手を組んだ上に乗せた顔に浮かぶ表情は、最初は窺うようなものだったが、そのうちにうっすらとした笑みになった。だから何だというわけではないのだが、やがて俺たちは、それぞれの口は閉じたまま、互いに笑いながら互いを眺めるような形になった。甘いというよりは、どことなく平和な感じのする一時。そしてそれは、俺の一言から会話が再開されても続いた。
「ん、なんだかスピードが落ちたな。もう停車するのか?」
「ああ、ううん、違うわよ。今日はね…」
「お待たせいたしました。グラスワインをお持ちいたしました。間もなく当列車はロキシーマウンテンに差し掛かります。ロキシーマウンテン通過の間は列車の速度を下げ、展望車の窓を全開放いたします。雄大な山を眺めながら緑溢れる景色の中の旅を肌でお楽しみください」
「…というわけ。もう少ししたら行ってみましょ」
途中で差し挟まれたウェイターの言葉も、それを邪魔しなかった。グラスを合わせ、頭を覚まさせるはずの一杯を口に含みながら、俺は思った。
今日はたぶんブルマには勝てないな。というより、負かすことができないだろう。負かそうなんて、もうとても思えないもんな。
ブルマの機嫌がいいと、俺も嬉しい。それでもいつもはどこか小生意気だったりして、そこに触発されるものだが。今はそういうところもない。
…………今日はいい日だ。


さらに一つ黒星を増やしてから、ラウンジを後にした。
ブルマには言えない黒星をも一つ増やして。いや、表向きは何も起こっていない。俺にだけわかる、精神的な黒星だ。…リザだ。
ラウンジに入った時に目配せしてきた、最奥のテーブルにいたリザが、出ていく段になってまた目配せしてきたのだ。気のせいではないと思う。気のせいだったら、こんなにビクつくもんか。
何か言ってきたりしてきたりしたわけじゃないから、どうにか無視できたが。あの女性はどうも苦手だ。昔、女が苦手だった時以上に苦手だ。っていうか、『苦手』のベクトルが違うんだよな。昔の苦手は好きが故の緊張だったが、今のは…
なんか怖い。うん、やっぱり怖い。嫌いじゃないんだけど、怯えてしまう。好きなんだけど怯えてしまう彼女を持っている俺ではあるが、そういうのとも違う(当たり前か)。
ま、昔と違うのは、そこにいるだけで固まっちまう、とかいうことはないことだ。その証拠に、すぐに忘れることができた。ラウンジに入った時も、出てきた今も。一人だったらどうだったかわからんがな…
「あっ、ブルマさん!おはようございまーす」
「おはようございます、ヤムチャさーん」
さっきは目の前のブルマとの勝負に、今は周囲を取り巻くのどかな風景に。それなりに入り込もうとしたところ、双子の声が飛んできた。その瞬間、俺はクルーズ船にいた時のことを思い出した。
「遅いですよ、二人とも〜。あたしたちなんか、朝ごはん食べてすぐに場所取りに来たもんね〜」
「ねー、真ん前で見るんだもんね〜」
「…あらそう、それはご苦労なことね」
…いや、今は約束してないよな。ここがこうして開放されること自体、知らされていなかったし。
などと胃の腑に落としているうちに、ミルちゃんとリルちゃんがにこやかに切り出した。
「聞いてくださいよ、ブルマさーん。あたしたちの初体験、22歳なんだって〜」
「おっそいよねー。22歳なんてまだ5年も先ですよぉ。でもリザさんの占いは絶対だって言うし」
「…あたし『たち』?」
俺は思わず呆然とした。…なんて話を振ってくるんだ…。ブルマのやつも止めやがれ。普通に混ざってるんじゃねえ。
「はい。ほとんど同時だって。あたしたち、そういうのいっつも被るんですよ。欲しい物とか、好きな人とか」
「虫歯になったり、テストの点も同じだし。だけど、初体験の相手も同じだったらどうしよう〜」
「やだぁ〜。3Pとか最悪〜」
…………絶句。
それ以外に、俺には反応のしようがなかった。無視しようにも声がでか過ぎる。恥ずかしくないのか…いや、それとも――
「あー、いい天気だなあ…」
思わず進んでしまう思考を止めるため、俺は敢えて遠くの空へと目をやった。さすがにぶっちゃけ過ぎと気づいたのか、ブルマが今さらのように双子を咎めた。
「…やめなさい、あんたたち。周りの人……ゼンメルさんたちに聞こえるわよ」
俺のことはどうでもいいのか。自慢じゃないがそういうこと、おまえに会うまで考えたこともなかった男だぞ。などと、本当に自慢にもならないことを心の中で呟いていると、双子がさらに言葉を重ねた。
「いいですよ、ゼンメルさんにはもうさっき話しましたから。あのね、ゼンメルさんたちもリザさんに占ってもらったんだって」
「それで奥さんが『失われた者が戻ってくる』って言われたんだって。…ね、ね、ね、『失われた者』って何だと思います?」
「きっと昔の恋人ですよね。すっごい。ドラマみたーい」
「まっさか、不倫再開に決まってるじゃん。昔の恋人なんて、一体何十年前の恋人だと思ってんの」
「えー、そんなー。でも、それもいいかもー。お昼のメロドラマみたいだよね」
――これは本気で知ってるな…
目は流れる景色を追いながらも、俺の意識は完全に双子へと持っていかれた。そういえばブルマがこの旅行の最初の頃、『この子たちはそういうことわかってる』って言ってたよなあ。本当にその通りだ。おにいさん、すっかり騙されちゃってたよ。――まったく、最近の若い子は――…おまけに、自分がえらく年を取ったような気もしてきたよ。
「あー、なんかジャングルみたいになってきたなあ…」
「あっ、本当だ」
「わーい、ジャングル!」
それでも、やがて俺が零した呟きに、双子は嬉々として反応した。それまでの色恋話(?)を一瞬にして投げ捨てて、前方の手摺りに身を乗り出して、齧りつくように景色を見始めた。反対に少し後ろの方へと移動するブルマに付き添いながら、俺は非常に時間と空間を持て余した。
ひさしぶりに、そういう方面で気まずいな。なんかもう、何言えばいいのか本気でわからん。他人事だから謝ることもできないし、お手上げだ。
「ははは…まいったなあ、もう」
我ながらしどろもどろになる俺に、ブルマは顔は向けずに視線だけを動かして言った。
「どうしてあんたがまいるのよ?」
「いや、だってなあ…」
「ませてるでしょ。思ってたより」
「…うん」
依然目の前の景色を眺めながら、諭すように言うブルマ。思わず言葉少なに頷く俺。
「これで自分が女見る目ないってわかったでしょ」
「う…………え?」
だが最後まで頷き通すことはできなかった。そこまで気圧されていたわけではない。
「何よ、まだわかんないの?」
「いや、それは…同意していいところなのか?」
俺が言うと、ブルマはハッとしたように一瞬言葉を切ってから、叫んだ。
「『あたし以外の』女を見る目に決まってんでしょ!」
「ああ、はいはい」
そういうことね…
絶対後付けだろうけど、まあいいか。あまり深入りしたくない話題だし。そう、『女を見る目がない』とだけは、俺は思いたくない。それは、俺のここまでの半生の全否定だ。ブルマは手が焼けることはあっても、手に合わないわけではない。…と思いたい。
なんてことをいきなり考えてしまうこと自体、ペースを崩されてる証拠だ。まあ、あんな話を聞かされれば誰だって崩れもするか。女3人寄ればかしましい――かしましいというより、あけっぴろげ過ぎるよな。双子たちも最初はあそこまで露骨なことは言ってなかったはずだが……ブルマの恥知らずさが伝染しているのだろうか。
そこへいくと俺は何年付き合ってもブルマのそういうところにだけは毒されていないので、この際はむしろ遠慮心を刺激されて、ゆっくりと手摺りに凭れた。同じように隣に佇むブルマから心持ち離れて。感覚的には、肩が空いてるなーと思うんだが、今はちょっとな。さっきラウンジでもなんか言われたし。自重するというよりは、自ずと心が醒めたという感じだが。醒めたって言うと語弊があるか。じゃあ、落ち着いた。無事に一晩経ったことだしな。
「おっと、蔓がこんなところまで…本当にジャングルみたいなところだな」
「ここの森は大きいからね。おまけにちょっと特殊なの。一日に1900リットルもの水を蒸散するコースト・レッドウッドっていう木が多く生えていて、周りの天気に関係なく、ほぼ毎朝大量の雨が降るの。つまり自力で雨を降らせることのできる森なのね。だから、ここだけこーんなにこんもりとしてるってわけ」
「グリーンシーニにあった森より特殊な森なんてないと思うがな。それにしても相変わらず詳しいな、おまえ」
「あんたとはここの出来が違うからね」
「言ったな」
時々車内に侵入してくる蔓を除けながら、俺たちはなんてことのない話をした。俺はもう何かを思い出しても心配することはなく、肩を抱く代わりに額を小突いた。
もうすっかりいつも通りだ。でもそれでいいと思う。平常な日常が一番なのだ。
「森を抜ければ一気に景色が変わるわよ。最大透明度世界一のベイク・リバー、そしてロキシーマウンテン。ロズの見どころの一つよ」
「ふうん」
まあ、厳密には日常ではないのだが。しかし20日間も旅行していると、かなり日常に近くなるな。常に移動しているから新鮮さは失われないが…
やがて、その時々やってくる新鮮な時が訪れた。その頃には展望車内には人がひしめき合っていて、視界が開けると共にあちこちから歓声が上がった。
「わぁ〜、すっごぉ〜い」
「本で見たのとおんなじー!」
「本当に壮観ですなあ」
「なんてきれいなのかしら」
「ちょっといいかい。写真撮らせてくれ」
列車の横には、吸い込まれそうに美しいエメラルドブルーの河。その岸に沿って立ち並ぶ緑の濃い針葉樹。その向こうに凛として連なる雪を頂いた山々…
「へえ…」
山。河。林。それとカーブしながら続いていくレールの他には何もない、この上なく単調なはずの景色は、だがいくら見ていても飽きることはなかった。むしろいつの間にか身を乗り出している始末。そんな俺を見て、ブルマが笑った。
「あんた、やっぱりここ見たことなかったのね」
「こういう角度からはな」
そう、いつもいつも真上から見下ろすばかりで、それも場所を決めたらすぐに降り立ってしまうせいで、景色として見たことなどなかった。知っているはずの場所が、全然違って見える。まさに『新鮮な日常』だ。
「じゃあ、来たことはあるわけね。まったく、旅行のし甲斐があるのかないのか、わかんないわね〜」
「大丈夫、すごく楽しいよ」
「何が『大丈夫』なんだか」
何もかもだ。
ブルマの減らず口を聞きながら、俺は心に呟いた。落ち着いたと言いながら、少しだけ憂慮――いや考慮かな――の気持ちが湧いた。どうもこの旅行は、定期的に何かが起こるからなあ。ブルマに起こるアクシデント半分、ブルマに落とされる雷半分。
でも、今現在はまったくその気配はない。列車はゆっくり安全運行だし、ブルマの態度だってゆるゆるだ。
だから俺も緩く構えて、手摺りの上に頬杖をついた。いつもは始点であるはずの、広い空を仰ぎ見る。空の高みから見下ろしている時とは別の開放感が心に満ちた。合理的であることだけが、心地いいわけじゃない。俺はもう飛んで行こうとは思わないばかりか、それではちょっとつまらないとさえ思い始めていた。足を踏み入れることのできないものとして景色を楽しむのも一興か。遠くであるからこそ美しいということもある…
なるほど、確かにそれは事実だった。やがていくつ目かのカーブに差し掛かった時、俺はそれをまったく違う視点から確認することになった。
「うわっ…」
その瞬間、そこかしこから小さな響めきが起こった。俺は軽く揺られただけだったが、多くの人は大きく傾いた列車と共にその体を振られていた。俺はすぐに自分の隣へ手を伸ばしたが、一瞬遅かった。
「フッ、お嬢さん、大丈夫かい?」
この上なくキザな口調でエイハンがそう言った。いつの間にか後ろに来ていたらしい彼の両手は、ブルマの両肩にかかっていた。
「この辺りは山道でカーブが多い。ちゃんと捕まっていないと危ないよ」
「ありがとう、と言いたいところだけど、余計なお世話よ」
さりげなく抱き寄せる彼の片手をブルマが払った。それで俺も呆気に取られかけた自分を捨て、ブルマの体を引き寄せた。
「お気遣いありがとうございます。俺が捕まえておくので、もう大丈夫です」
ことさら笑ってそう言ってやると、エイハンもまた笑いを閃かせて言い放った。
「そうしてあげなさい。それもレディファーストの一つだよ、ボディガードくん」
そして身をも閃かせて、離れて行った。わざとらしく後ろ手を振りながら。
「まったく、油断も隙もないな」
俺は思わず呟いた。さすがに今のは看過できない。声をかけてくるくらいなら性分だと思ってやるが、手を出してくるとなれば話は別だ。しかし一体どういう心境の変化だ?昨日はここまで図々しくなかったと思うが。
「あたしのせいじゃないわよ」
「おまえに言ってるわけじゃないよ」
「あ、そう」
そう、ブルマのせいじゃない。ブルマはまるで相手にしていなかった。…だからだろうか。まったく相手にしないから、いつまで経ってもイメージが崩れないのだろうか。ブルマは外見だけなら美人だから。いつまで経っても、その美人というイメージのまま…
「それならいいわ。あ、ウェイターが飲み物サービスしてるわ。乾杯しましょ」
「ああ、はいはい。…あ、こっちに二つ頼む」
いろいろと考えながらも、俺は表面上は余裕たっぷりに答えておいた。抱き寄せた体は離さぬままに。牽制を兼ねたレディファーストを発揮して、ウェイターを呼び止めグラスを受け取った。
エイハンの行為は非常に気に食わなかったが、ものすごく困るというものではなかった。とにかくも、やつは引いてはくれるんだ。物腰は柔らかいが、のらりくらりかわすというわけではない。わかりやすく近づいてきて、追っ払えばいなくなる。ということは、これはやつ自身も言ってた通り、俺が守れってことだろ。
ああ、守ってやるさ。俺はただのボディガードじゃないんだからな。
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