Trouble mystery tour Epi.9 (8) byY
周囲は360度の山また山。山と山との谷あいには湖があり川が流れ、木々がまるで絨毯のように敷き詰められている。これまで通ってきたところと、これから通って行くところ。それらすべてが、まさに一望のもとに見渡せる山の頂上。
「んーっ、気っ持ちいーい!」
そこへ引っ張り上げてやると、途端にブルマは文句を言うのをやめた。そしてひんやりとした風に髪をなびかせ実に清々しそうにそう言ったので、俺は呆れを横に除けて、笑顔で水を向けた。
「ほらな、がんばってよかっただろう?」
するとブルマは一転して怒り顔となって、俺の言葉を切って捨てた。
「何よ、偉そうに。別にがんばらなくたって、こういうところに立てば気持ちはいいものよ」
「ああ、そうですか」
それで俺も笑顔を捨てた。ブルマの放った文句の欠片が、俺を怒り顔に染まらせた。
ったく。かわいくないよなあ。
わかっちゃいるけど、かわいくない。今の今まで笑ってたくせに――俺がブルマの傍の岩に腰を下ろすまで――俺が話しかけるまで。報われないエスコート役だよなぁ、俺って。やはり飛んでやるべきだったのか…
怒りはたちまち嘆きに変わってしまった。もともと俺には、ブルマに厳しくするつもりなどない。山頂は自力で目指すべきだなんて、これっぽっちも思っちゃいない。だけどなんとなく助け損ねて……あんまりブルマが騒ぐから。人目が気になるのと引っ込みつかなくなったのと半々で……俺もブルマと変わらないかな。自分じゃ気づかなかったけど、少し天邪鬼だったかも。いや違う、俺は飛んでもいいかなって思ってたんだ。だけどブルマが……
「…ま、『登った』っていう達成感があるぶん、少しは違うかもしれないけどね」
ふいにブルマがそう言った。あらぬ方向に目をやりながら、いかにも付け足しといった感じで。そしてやっぱりあらぬ方向に目をやりながら、隣へとやってきた。俺はちょっと目を瞬いて、その後すぐに諒解した。理由はわからなかったが、そのことはわかった。
ブルマが少しだけ、譲ってくれたということは。天邪鬼な文句を天邪鬼な態度で和らげる、という天邪鬼なことをやってくれているということは――だからふつふつと湧いてきたその感情を呑み込んで、唯一困ったところにだけ手を出した。ブルマの頭を撫でつけてちょっと強引に視線の向きを変えて、後は心の中で思うだけにした。
よしよし、いい子だ。かわいいかわいい。なんて、口にしたら絶対に怒られるだろうからな。俺自身、どうしてそんな子ども扱いするようなことをいきなり思ったのか、わからないし。…あれかな。さっき、あんまりうるさかったから、そういう感覚になったのかもな。まるっきり駄々っ子だったもんな、登ってる時。
でも、今はそうじゃない。駄々っ子から、少し甘えたな大人に戻ってる。ブルマは何も言わないが、俺にはわかる。…わかるに決まってる。この手。この、岩についてる俺の左手にさりげなーく被さってる手。さりげないけど、絶対にわざとだろ。ブルマが偶然他意もなく、こんな仕種をするとは思えない。だけどなあ、少しは場所を考えろ。ここは山頂だぞ。こんな一番人の集まるところで、一体俺にどうしろっていうんだ。
「どれ、じゃあそろそろ下りるとするか」
来る時とは違う種類の呆れを感じながら、俺は立ち上がった。ブルマは自分もまたそうしながら、登った時と同じような文句を、登った時とは正反対のニュアンスで零した。
「できれば下りたくないわね。せっかく苦労して登ったんだから」
「なるほど、本当に達成感あったらしいな」
「こんなしんどい思いしたの、ドラゴンボールを探しに行った時以来よ」
それは大変そうだな。
おまえは一体どれだけ運動してないんだ。後者の思いを前者の思いが紙一重で上回った。さらに、理性ではそういうことじゃないとわかってもいた。
体力じゃなく、気持ちの問題なんだよ。別にブルマ、そんなにひ弱いわけじゃないし。
普通の女としては、そう運動神経が悪い方でもないし。グリーンシーニなんかじゃ、泳ぎまくりだったし。
単に疲れることに取り組もうとする根性が薄いだけ…………要するに、甘ったれなんだよな。


まあでも、甘ったれが許せないというわけでは、俺はないのだ。
許せなかったら、ブルマと付き合ってない。ブルマが甘ったれだってことなんて、最初からわかってたことだ。ブルマはそういうの、全然隠さないからな。甘ったれだけじゃない、自分勝手も、わがままも、気の強さも、おっちょこちょいなところまで、全部わかってた。わかってて、付き合ってきたんだ。何もかもを許せるわけではないが、かなり免疫はついていると思う。
考えるまでもなく自分のスタンスを認識しながら、俺は山を下った。登ってきた時とは反対に、ブルマの体を受け止めながら。急勾配の下り坂。その下に立ちはだかる岩盤。それらを覆い隠す木々。行きの道が険しければ、帰りの道も険しかった。同じ山なのだから、そう違いがあるはずもない。だがすでに往路の疲れを蓄えた一般人にとっては明らかに往路より辛いらしく、だんだんと人が疎らになってきた。
「ふー。結構、道が険しいわねえ。下りだから楽かと思ってたんだけどな…」
時折漏れるブルマの溜め息も、そのうち俺以外には聞く者がなくなった。心配というよりは単純にそう考えて、俺は訊いてみた。
「大丈夫か?ちょっとキツいか?」
「大丈夫じゃなかったら、どうするって言うのよ?」
途端にブルマは声を強めた。下がっていた眉を上げて、口元を尖らせてそう言った。登りの道中さんざん見せられたその態度は、だが下りの道中では初めてのものだったので、俺はたいして呆れずに済んだ。
「負ぶってやるよ。周りに人もいないことだしな」
「え?」
「まあ、おまえがどうしても自分の力で地上が見たいって言うなら、やめとくがな」
「そんなわけないでしょ」
そうだろうな。
偉そうに言い切るブルマの態度に、俺は呆れではなく笑いを誘われた。まったく、素直なことだ。こんなことだけな。
「じゃ、ほら」
俺が背中を向けると、ブルマはちょっと予想外の態度でそこに乗ってきた。さも当然といった無造作さな飛びつき方ではなく、どこかおずおずとした遠慮がちな体の預け方。もっとも、その理由はすぐにわかった。
「一体どういう風の吹き回し?」
往路の不満の裏返しだ。確かに、俺がブルマの立場でも思うだろう。さっきと態度が違い過ぎる、ってな。でも、自然と思ったんだ。
達成感を味わったのなら、もうそれでいいじゃないか。何も最後までキツい思いをすることもあるまい。…と。きっと、ブルマが何も言わなかったからだろう。登りとは違ってそう文句も言わずに一生懸命歩いていたから、なんだか手を差し伸べたく…………やはり俺にも天邪鬼が移っているな…
「どういうも何も、これが今日の俺に課せられた役目だろ」
「そうだけど、さっきはしてくれなかったじゃない」
「さっきはさっき、今は今。過去のことは気にするな」
「…まあいいけど。ねえ、じゃあいっそ飛んでっちゃわない?その方が早いし、あんただって楽でしょ」
「それじゃ雰囲気出ないだろ」
おまけに、感覚も移っている。俺は言ってしまった後で、そのことに気づいた。これはまさしく旅行前にブルマが俺に向かって言った台詞だ。
「雰囲気?何の?」
「一緒に山登ったっていう…雰囲気というより気分だな」
感覚だけじゃなくて、言葉もか。言葉も移ってしまっている。
それも仕方のないことかもな。俺は少しくしみじみとしながら自答した。もうずいぶん一緒にいるからなぁ。ブルマとの付き合いは長いし、一緒に住んでだっているけど、ここまで何から何までを一緒にしたことはなかった。C.Cは広いし、ブルマもいつでもどこでも俺と一緒にいたいというやつじゃないからな。…ブルマに俺が移るんじゃなく、俺にブルマが移ってるってところに、ちょっと引っかかるものはあるが。
まあでも、いいさ。俺に限らず、他の誰かの色に染まっちまうなんて、そんなのブルマじゃないからな。


ブルマが甘ったれているというより、俺が甘いのかもしれない。
結局、下りの山道のほとんどを、ブルマは俺の背中の上で過ごした。それも遠慮がちだったのは初めだけで、途中からはそれはべったりと背中に抱きつき、そのうちにはその姿勢のまま崖っぷちの花を見に行かされたりもした。最後、トレイルの手前で下りはしたが、それだって『最後くらいは』などと思ったからでは決してなく、単に視界に人影がちらつきだしたからに他ならなかっただろう。
「…はーい、到着!サンキュー。ご苦労さま!…意外とあっという間だったわね。標高4000mって、案外たいしたことないわね〜」
「現金なやつだな、おまえは」
きびきびとトレイルを歩きホテルへと向かうブルマからは、山道中の不機嫌さがすっかり消えていた。おまけに高地であるため、息は切れ頬も紅潮しており、まるで本当にがんばったかのように見える。現金な上にずるい。まあそんなの、今さら始まったことではないが。
「えへへ。でも、ヤムチャだって疲れてないわよね。このくらいへっちゃらよね?」
「当然。俺は鍛えてるからな」
「よーし!じゃあ、予定変更よ。ホテルでお茶する前に庭園迷路行くわよ」
「庭園迷路?」
「ほら、あそこ。ホテルの庭の一部が迷路になってるの。高山植物の生垣で作られた迷路よ。このままホテルに行っても、どうせ人がいっぱいで待たされるに決まってるんだから、あれ先に行きましょ。ゴールまで競争ね!負けた方が奢るのよ」
「…普通、この流れで俺が奢るってありえるかな…」
俺は思わずぼやいた。別に、見返りを期待していたわけじゃない。だがどうしたって、ここは助けられた方が奢る場面だと思うんだが。
ブルマはからからと笑って、さっきまでは頼り切りだった俺の背中をぴしゃりと叩きながら、言い切った。
「何もあんたが奢るって決まってるわけじゃないでしょ。単純な賭けだもの、確率は五分五分よ」
「まあ、そういうことにしておくか」
まったく、恩を感じないやつだな。本当に、助けてもらったくせに容赦ない。何が五分五分だ。そういうのは断然おまえが有利だろうが。
それらの言葉を、俺は呑み込んだというわけではなかった。何と言うか、思いはしたが別にいいのだ、そういうことは。俺にも恩を売るつもりはない。たいしたことしたわけじゃないし、自分からやってやるって言ったんだし、それに何よりいつものことだ。手を貸してもらうことを当然と思っているお嬢様。ブルマは基本的に、それなのだ。
その表現に一抹の違和感があるのは、それ以外のところがいまいちお嬢様っぽくないからだ。お嬢様の気品とか、清楚さとか、慎ましい優雅さとか、断言してもいいくらいないからな、ブルマには。あったらおかしいと思えるくらいだ。だから王女が憑いた時、すぐにわかったわけだ。
俺はふと王女のことを思い出したが、もうブルマに重ねてはいなかった。過去の記憶として思い出しただけのことだ。今はドレスを着ていないこともあって、ブルマはもうブルマにしか見えなかった。だからその生垣の迷路の入口を前に、まったく安心してブルマに手を振り、ブルマが行ったのとは別の方向へと歩いた。
この時点で、どちらが正解の道を辿っているかというのは、単純に運によるな。でも俺、そういう運もないんだよなあ。
などと、軽くぼやきながら。
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