Trouble mystery tour Epi.11 (2) byY
「誰も来ないな…」
三杯目の水を飲み干した後で、俺は呟いた。双子が入ってきて以降、一度たりとも開かないバーのドアへと目をやりながら。
そこに籠められた意味には気づかず、バーテンダーがウイスキーの瓶を磨きあげながら、笑って言った。
「ロキシーマウンテンを通過した後は大概そうですよ。おそらくみなさまスパかお部屋におられるんじゃないでしょうか。朝食以外もお部屋で摂られる方が翌日は増えますし。もう一杯お作りしましょうか?」
「いや、もういいよ。そろそろやめておかないと、飲み過ぎだ。いくら旅行中だからって、まだ昼前だってのに」
「ここらの人は仕事中でも水代わりにビールやワインを飲みますよ」
「堕落しそうだなあ…」
すでに堕落しているかもしれないという思いと共にグラスを脇へ除けた。バーテンダーに背を向けると、相変わらずきゃーきゃー言いながらダーツをやっている二人の姿が目に入った。
「よし、じゃあそろそろ俺も参加させてもらおうかな。次のゲームから入っていいかい?」
「あっ、もう今すぐ入っていいですよ。あたしの代わりにどうぞ〜。ちょうど半分やったとこでだいぶん負けちゃってるんですけど、ヤムチャさんなら余裕で逆転できますよね!」
「あーっ、ミルってばずるーい。ヤムチャさん、あたしの代わりにやって〜」
「ダメッ、リルは勝ってるでしょ。こういう時は負けてる方と代わるものなの。ねー、ヤムチャさん」
「そしたらあたしが負けちゃうじゃん。そんなのダメ〜。ずるいするーい。あたしと代わるの〜」
「はは…そうだなあ、じゃあ、ジャンケンして勝った方と…」
言いかけて、俺はやめた。バーのドアが開いたことに気づいたからだ。開けたのは少し前から思っていた通りブルマだった。そしてこの時になって初めて、俺は自分の現況が少々危ういものであることに気がついた。
リザには捕まっていないが、双子には捕まってしまっている。怒られるとまでは思わないが、問い質されはするんじゃないだろうか。そう考え少しばかり身構えた俺に、だがブルマは一瞥をくれると、何も言わずに隣へとやってきて、腕に手を絡めてきた。
「…どうかしたのか、ブルマ?」
思いもよらないその態度に、俺は軽く面食らった。ブルマはさらに肩に頭を乗せながら、静かに答えた。
「セクハラされたの」
「何だって?あの男、本当にしつこいな。どこで会ったんだ?エイハン一人だったのか?」
「…女の方よ…」
その静かさが怒りを内包したものだと気づくのに、時間はかからなかった。もちろん、言葉の意味には、それよりも早く気づいた。
「女って……あっ、あー…ああ…」
「あーあーじゃないでしょ、もう。すっごく気持ち悪かったんだから。こう、指で首筋をなぞったりなんかして…あんたがキスマークなんかつけるから」
「あー…」
「もうっ!他人事みたいな顔してんじゃないわよ!」
気づくと同時にブルマの声音が変わった。当然のように態度も変わって、すがりつくように俺の腕を掴んでいた手は、一瞬にして俺を拘束する手となった。俺はすっかり気圧されて、引けない身を引いた。
「こんなことになったのは、あんたのせいなんだからね。あたしは女に好かれたことなんて、これまで一度だってないのよ。あの時あんたの代わりにキスされてなければきっと…」
「待った、待ったブルマ。あんまりそういうことは…人前では…」
「そんなこと言って誤魔化す気!?」
今泣いた(泣いてないけど)烏がもう怒った…
俺は言葉を失った。せめぎ合う呆れと怖れのために。そこへダメ押しの言葉が飛んできた。俺の気にしたギャラリーから。
「あっ、気にしないでください、ヤムチャさん。あたしたち、そういう話全然平気ですからぁ」
「そうそう、お二人のキスシーンは前にも一回見てるしぃ。またしちゃってもいいですよ」
「あ、いや、そういうことじゃなくってね…」
「何を考えてるのよ、あんたたちは!」
ドラマ的なことだろ…
俺は思わず一人ごちた。ブルマに聞き取られなかったのは幸いだった。『そういうことを訊いてるんじゃない』、そう怒られずに済んだからだ。わかってる、わかってるんだよ、俺だって。でもブルマの言ってることがわかるのと同じくらい、この子たちの思考法も読めてきちまってるんだよなぁ…
この子たち、すっかりおもしろがってるんだから。俺とブルマがケンカするの。それでメロドラマ的な展開を期待してるんだよな。
「もう、ブルマさんてば怖いんだからぁ〜」
「あっそうだ、それで思い出した。ねえブルマさん、今日一緒に出かけませんか?」
「そうそう、午後からのシルビー湖、一緒に行こうって言ってたんだ」
呆れる俺をよそに、双子はどんどんと話を進めていった。そう、もう完全に双子のペースだった。ブルマも口を挟む隙がないくらいに。あまり他人には聞かれたくない会話をぶち切られ、話の主導権がブルマの手を離れたことに俺は感謝したが、それも一時のことだった。
「あのねブルマさん、あたしたちバスケットにお菓子いっぱい持ってくの。だからみんなで行って、ピクニックにしましょ!」
「湖の畔でピクニックなんて素敵でしょ?ヤムチャさんはOKしてくれましたよ!」
いやいや、してない、してないよ。
再び怒り顔を向けてきたブルマに、俺は慌てて手を振った。ミルちゃんとリルちゃんは大変な誤解をしている、そう思いながら。
そういう、なし崩し的に事を運ぼうというやり方は、ブルマには通用しないんだよ。だいたい俺の意思なんか、ブルマは尊重しないんだから。デートや遊びのことなんかに関しては特に、まったく取り合わないんだから。それどころかこの場合は逆効果なんじゃないだろうか。っていうか、俺はOKしてないぞ。だから、俺に怒りの矛先を向けるのはやめてくれ。
この間、わずか数秒。でも、俺にとっては長かった。肉体のスピードが早いと、汗を掻くのも早い。…わけはないんだろうが、汗を一掻きしてもなお、困った沈黙は流れ続けた。気まずい重い沈黙が。だからやがて、俺の腕を離し眉を上げながらブルマがこう言った時、俺はかなり驚いた。
「…そうね、一緒に行ってもいいわよ。どうせみんな目的地は同じなんでしょうからね」
「えっ…」
「わーい、やったぁ!」
「みんなでピクニックだ〜!」
どちらかというと、拍子抜けに近い感じかもしれない。もともと誘い自体を受ける可能性が低そうなところにきて、この双子の誘い方。まず断ると思うのが当然だろう。
「おいブルマ、本当にいいのか?」
「いいわよ、あたしはね。だから嫌なら、あんたが自分で断るのね」
「いや、俺は別に…ブルマがいいならそれでいいんだけど」
「ならいいじゃない」
いいのか?…
予想外に軽いブルマの態度に、俺はかえって考え込んだ。機嫌がいいようには到底見えなかったが。いきなりこの子たちのことが好きになったというのも考えにくいし…
「じゃ、話も終わったようだし、そろそろお昼食べに行きましょ。食前酒を頼む必要もなさそうだしね。あんた、ここんとこ着実に酒量増えてってるわよね。ダーツやるって言ってたくせにね、まったく」
「あー…」
「わっ、本当、もうすぐお昼ごはんの時間だ。ミル、あたしたちも行こ。ダーツはあたしの勝ちだから、デザートあたしにちょうだいね!」
「ちぇ〜っ。違うもの賭けとけばよかったなぁ。あっ、ブルマさん待って、せっかくだから、お昼も一緒に食べましょうよ〜」
「嫌ぁよ。あんたたちうるさいんだもの。あんまり調子に乗らないでね。ピクニックに付き合ってあげるだけでも充分だと思いなさい」
「はぁーい」
考えにくいどころか、まったく変わってないな。相変わらず邪魔者扱いしてやがる。…でも、じゃあ、なんでかな?
「じゃあ、みんなごはん食べたらラウンジに集合ー!」
「わざわざ集合なんかしなくても、列車から降りたところで落ち合えばいいでしょ」
「えーっ、でもぉ〜…」
「バスケット持って降りるの大変だしぃ…」
「あー、はいはい、じゃあ到着5分前に集合ね。さ、もう行くわよ、ヤムチャ」
「あっ、ブルマさん!それまでヤムチャさんとケンカしちゃダメですよぉ〜」
「ちゃんと一緒に来てくださいね〜」
「うるっさいわね、本当に!ほらヤムチャ、早く行って!」
…ま、いいか。
別に何か困るわけじゃないしな。わけもわからずケンカされるよりは、わけもわからず仲よくされる方がずっといい。
ブルマに背中を押され、バーを切り上げさせられると同時に、俺は思考をも切り上げた。
そう、いいんだ、俺も。ブルマが嫌じゃなければな。無理をしてるとか、気を遣ってるっていうことも、絶対になさそうだし。そうともなればここは素直に、年上の大人としての寛大な措置を歓迎してやろうじゃないか。
俺はそう思っていた。『一体どういう風の吹き回しだ?』などと、軽ーくからかってやる気にもなっていた。だがレストラン・カーのドアを目前に、レディファーストを行使するためちらとブルマの顔を見た時、その気持ちは吹っ飛んだ。
「…なんだ?」
ブルマがどうにも胡散臭そうな、値踏みするようなじっとりとした目つきで俺を見ていることに気づいたからだ。さらに、俺が訊くと、わざとらしく片手の指を折りながら、こんなことを言い出した。
「いつもながらモテるわねーって思ってね!ダーツに昼食にピクニックの誘い…」
「…言っとくけど、おまえがOKしたんだぞ?」
「ええ、そうよね」
本当にいいんだろうな…
実は嫌なのにOKしたとかはやめてくれよ。おまえにはそんな我慢強さはないんだからさ。
どう見ても不貞腐れているブルマを横目に、俺はちょっとだけ考えた。女同士の人間関係ってやつを。はっきり言って男である俺にはよくわからない上に、ブルマは昔からあんまり女の子とつるんだりしてなかったからなあ。何かやりたいことがあるとなれば、俺が付き合わされてて。だから、慣れないが故に甘くなってしまったとか…なさそうだけどな、やっぱりどう考えても。
と、考えながらもドアを開けたところで、その女同士の人間関係の一端が垣間見えた。ふと、ブルマが足を止めたのだ。
「どうした、入らないのか」
「…やっぱり部屋で食べる…」
「え?」
「あの女の顔見ながら食事するなんて、冗談じゃないわ!」
「ああ…」
なるほど、最奥のテーブルにリザがいた。ブルマのこの反応を見るまで、俺は気づかなかったが。
「ええい!いい加減にその気のない返事やめなさいよ!」
「あぁうん、わかったわかった、ブルマの言う通り、部屋で食べよう、な?だから…」
だから、八つ当たりするなよ…
呆れと怖れの入り混じる感情を抱きながら、俺はブルマの背を押した。今来た道を反対方向へ向かって。ブルマの言葉の意味はすぐにわかった。怒る気持ちも理解できる。だから素直に部屋へと向かった――…一抹の不満を抑えて。
なんで俺に怒るんだよ?おまえの怒りはもっともだが、それは俺じゃなくてリザ本人にぶつけろ。俺がそうしたように、おまえもはっきり言ってやれ。もう言ったのかもしれないけど、引き下がるまでとことん言ってやれ。
何、一抹どころじゃない?いや、あくまで一抹だ。なぜなら、俺はわかっていたからだ。
そんな風に考えられるのも、他人事だと思えばこそだ、ということを。そう、リザが俺ではなくブルマに矛先を向けていると思えばこそ、言えることだ。試しに自分に置き換え戻してみれば、不満は自ずと解消される。
リザ本人に、あの目を見ながら怒りをぶつけることができるか?――文句は言えるかもしれないが、『怒り』となるとちょっとな…
はっきり言ってやれるか?――言ってやったのに、全然効いてなかったぞ。
引き下がるまでとことん言ってやれるか?――引き下がることなんか、ないんじゃないだろうか。
何しろ蛇女だからな。見た目だけじゃなくて、その中身も。
ロキシーマウンテンで対峙して以来、俺個人はリザに声をかけられていない。だから、かつて肌で感じた怖ろしさは薄まっていた。しかしその反面、客観的に見た怖さというものは強まっていた。今、目の前にある事実がそうさせていた。
…なんたって、ブルマでさえも、逃げ腰になるほどなんだからな。


もっとも、逃げ腰になったからといって、弱気になるわけではない。行動を控えるわけでもない。
怒りを発散させるように料理にナイフを突き立て、不満を消化するようにすべての皿を平らげた後には、ブルマはちょっと落ち着いて、ドレッサーの前に座り込んだ。
「ほーんと、美しいって罪よねえ」
「は?」
俺はというと、ベッドの上で胡坐を掻いてそれを見ていた。時々は言葉を差し挟みながら。
「それから、あんたも罪よ。普通、男がいる女は狙わないわよ」
「…ああ、リザのことか」
「決まってるでしょ。相変わらず鈍いんだから」
鈍いとかいう問題じゃないと思うんだが…
普通は、女が女に対してそんな風にぼやいてるなんて思わない。自省するにしたって、そういう方向にはいかないと思う。
「いくらあたしが美人だからって、あそこまであからさまに迫ってくるのはおかしいわよ。その気ないって言ってんのに」
「だったら化粧とかしなきゃいいのに…」
おまけに、自省しながらさらに磨いてるんだから、世話ないよな。張り合う相手ならそうするのもわかるけどさ、もうリザはそういう相手じゃないんだから…。キスされたことを怒りながら、そういう風に唇を整えるのって、一体どういう心理なんだよ。誤解されても知らんぞ。
それには、すぐに答えが与えられた。やがて吐き出された怒気の籠った言葉を通して、俺はブルマの心理というか、その性格を再確認することとなった。
「どうしてあたしが地味にしなくちゃいけないのよ?迷惑かけられてる方が引っ込まなきゃいけないなんておかしいでしょ。それともまた触られる方が悪いとでも言うわけ?」
「そんなことは言ってないだろう。…でも、それなら、部屋じゃなくレストランで食事すればよかったんじゃないか?」
「それとこれとは話が別なのっ」
いや、一緒だろ。
俺はすっかり呆れて、言葉を呑んだ。その語気には押されながらも、言葉にはちっとも負かされなかった。…なんだな。どこまでも強気なやつだ。強気で、意地っ張り。負けん気が強いのは構わないが、何も俺にまで気を張ることはないのに…
「まあいいや。それより、そろそろ行った方がいいんじゃないのか?5分前集合だろう」
「いいのよ、列車が止まってからで」
「あ、そう」
らしいんだか、らしくないんだか。
投げやりなブルマの言葉を受けて、俺はベッドに後ろ向きに倒れ込んだ。まったく、天の邪鬼…とは少し違うかな、これは。俺と双子に対しては、いつもの態度だもんな。ただリザに対してだけが……一見強気に見えて逃げ腰というか、逃げ腰なのに気張ってるというか。
まあ、気持ちはわかるけどな……前は俺がその立場だっただけに。怖いからな、あの人。ブルマとは違った意味で。なんか精神を脅かすオーラ放ってるんだよ。ブルマは怒ると怖いけど、リザは笑顔が怖い…
それでも、俺はその怖い女を相手にしようという気持ちになっていた。そう、ブルマが逃げ腰になっているなら、その分俺が牽制してやらなきゃいけない。俺が逃げ腰だった時、ブルマがそうしていたように。何、正面切って相手にするのと、横から牽制するのとじゃ、精神的疲労度が違う、大丈夫さ。ブルマもそうみたいだが、他人事だと思えば、強気に出れるものだ。
ほら、あの、『愛する人のためなら強くなれる』ってやつ。あの場合の『人』っていうのは、『他人』のことなのかもしれないな。
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