Trouble mystery tour Epi.12 byY
――夜。
「あーっ、つっかれた!」
食事を終え部屋に戻ると、ブルマがそう言ってわざとらしく両手を挙げて、勢いよくベッドに倒れ込んだ。昨夜から何度か目にしているその姿は、今はドレスを着ているため余計にだらしなく見えた。
そして同時に、本当に疲れて見えた。どことなく力のない背中へ目をやりながら、俺は思った。…だから、部屋で食事しようって言ったのに。『最後だから絶対ドレスで乾杯する』ってきかないんだから。『部屋じゃドレス着る気にならない』とか、中途半端に説得力あること言いやがって。おまえは俺と乾杯するためドレスを着るのか、第三者のためにドレスを着るのか、かわいいのかかわいくないのか、どっちなんだ。…そりゃあ俺だって、わざわざ部屋で正装する気にはなれんがな。
でもそれでリザと接する機会が増えてたんじゃ、もう『ご苦労さん』としか言えないよな。おまけに、俺はだいぶんリザと話すのに慣れたけど、ブルマはだんだん引け腰になっていくんだから、世話がない。そんなに嫌いなら会わないよう避けてりゃいいのに、変に迎え撃とうとするもんだから、結果的に俺の気苦労が増えるわけさ。
とはいえ、腹は立たなかった。たまにブルマが弱い(というよりかは支離滅裂)ところを見せたからといって怒るのもなんだし、第一もう終わったことだ。後はこの暗闇が白むのを待つだけ――そう思い俺がブラインドを下ろすと、ブルマは顔だけをこちらへ向けて言った。
「ねえ、あたしお風呂入ってくるから、ルームサービス頼んどいて。あたし、シャンパンとビールね。つまみはチーズとフルーツ、それとソーセージにキャビア」
「なんだ、酒盛りするのか?」
「飲もうって言ったのはあんたでしょ」
「そんなこと言ったかな」
「言ったわよ。それで愚痴聞いてくれるって言った!」
ここで、いきなりブルマは飛び起きた。そしてほとんど一瞬にして目の前までやってきて、さらに俺が何を言う間もなく捲し立てた。
「ヤムチャってば、そういうことすぐ忘れちゃうんだから。でも今夜は、忘れてようが何だろうが、付き合ってもらうわよ。だってそれが彼氏の役目なんだからね!」
「ああ、うん、いいよ。わかったわかった、付き合うよ。えーと…、一時間半後ってところだな?」
俺は完全にその剣幕に押されて、了承した。はっきり言ってちっとも思い出せはしなかったが、その話自体に違和感はなかった。俺はいつだってブルマの愚痴聞き役なのだ。聞くだけなら、わかる話からわからない話まで、何でもござれだ。
「一時間後!」
もっとも、話はOKでも、多少の都合というものはあるのだが。やがてブルマが一歩下がりながらそう言い切ったので、俺は呆れながらも打診した。
「…俺も風呂入りたいんだけど」
「入ってもいいけど一時間後!」
「…はいはい…」
さらに体を引きながら言うブルマに、俺は押し切られた。でも、怖かったわけじゃない。俺はただただ呆れていた。俺の言うことなどお構いなしにすでにバスルームに消えかけている、ブルマの態度に。
まったく、我がままなんだから。こうと決めたら、何が何でもそうするんだからな。だいたい、シャンパンとビールだなんてめちゃくちゃじゃないか。しかし、それにしても…
…………思っていたより、元気だな。


酒を飲み始めても、ブルマは元気だった。
いや、飲んでますます元気になった。ブルマは酒を飲んで愚痴を零すことはあっても、肩を落とすことはない。もちろん泣いたりもしない。話を聞いてほしくはあるようだが、同情させて気を引くような素振りはない。あれだよ、典型的な『言いたいだけ言ってすっきりする』ってやつだ。もともとブルマは普段から言いたいだけ言ってるようなやつだから、変わらないと言えばそうかもな。
もっとも今日は、言いたいだけ言えなかったようだが。これが最後の日じゃなかったら、きっと愚痴じゃ済まなかったんだろうなあ。と思いながら、俺は酒の進みと共にあけっぴろげになってくる態度と愚痴に付き合った。
「あの背が高いところも威圧感ある原因よね。エイハンは小さいくせに、なんであの女はあんなに大きいわけ。兄妹なのにおかしいじゃないの」
「そうか?確かに結構でかいけど、俺はそういう感じの威圧感は受けないけどな」
「ヤムチャはタッパあるからいいわよ。あたしなんか、完全に見下ろされてるんだから」
っていうかこれ、愚痴じゃなくて言いがかりだよな。それもこの上なく子どもっぽい、な。ブルマって、酒が進むとだんだん子どもっぽくなるんだよなあ。もう明らかに理性が働かなくなっていってるのがわかるんだよ。酒ってそういうもんだし、おもしろいという程のことはないが、わかりやすくはあるよな。
「俺もブルマのこと見下ろしてるけど」
「あんたはそれ以前に怖さの欠片もないもの」
「ああ、そう」
などと偉そうに構えてはみても、俺も全然酒に呑まれていないというわけではなかった。俺は俺で、酒を飲むと少し気が散りがちになる。そして今みたいなちょっと脱線したことを言ってブルマにあしらわれるというのを、言った直後だけには自覚していた。
「おまけにあの目!なーんか目線吸い寄せられちゃうのよね。悪い意味で」
「それはあるなあ。でも考えてみれば、ブルマだって似たようなところあるぞ」
「はあ?何言ってんのよ」
「まっすぐ見られると逸らせないっていうか、こう、ドキドキしちゃうんだよな。釘づけにされるような感じ。あ、ブルマの場合は悪い意味じゃないけど」
「…………あんたそういうこと言ってて、恥ずかしくならない?」
「は?」
「…それは違うでしょ。あたしが言ってるのはそういうことじゃなくってぇ…」
この時には俺はまた自覚しており、自覚していたが故におとなしくブルマの次の言葉を待った。というのは建前で、実のところはちょっと眠くなってきていた。きっとシャンパンとビールのちゃんぽんがいけなかったのだろう。おまけに、ソファに座りシャンパンを注いでやっていた時点ではまだいくらかの緊張感もあったものの、いつの間にか床座りになり各々手酌となった今ではそんなものもまったくなく、ブルマの愚痴にも取り留めがなくなってきたもんだから…………
「…そういう『見つめられると困る』じゃなくて、『見つめられること自体が困る』って言ってんのよ、あたしは」
「それのどこが違うんだよ?…」
「も〜、お酒入ったバカって、本当に理解力低いんだから…」
っていうか、愚痴の矛先がなぜか俺に向いてきた。こりゃあそろそろ切り上げ時だな。そう思った時だった。
それまでとろんとしていたブルマの目が、急に据わった。と、次の瞬間猫歩き(または四つ足歩行)で目の前までやってきて、胸の谷間を見せつける間も短く、俺の唇にキスをした。
俺は一瞬で目が覚めた。ついでに酔いも醒めた。間髪入れず、まったく色気のない声で、ブルマは言った。
「ね?違うでしょ?それにしても、あんた酒臭いわねえ」
「…そりゃあ酒飲んでるんだからな。っていうか、おまえだって酒臭いぞ」
それで俺も、それに見合った色気のない返事を返した。ブルマのやつ、もう目が濁ってるからな…これで何かを感じろという方が無理だ。
「そういうことは思っても言わないの!」
「否定しないってことは、自覚はあるんだな。そろそろお開きにするか?」
「何言ってんの、まだまだ飲むわよ」
やれやれ…
俺は溜め息を一つついてから、ビールを口にした。酔いを取り戻すためではなく、熱っぽい唇を冷ますために。じわじわと湧きつつある気分を持て余しながら。…キス魔じゃあないはずなんだけどな。リザのキスに延々文句をつけてたくらいだし。でも、酔った勢いってやつであるには違いない。そう、次の日になったら覚えていない類の。
俺がほろ苦さを飲み込んでいると、ブルマが今度は肩に凭れかかってきた。先ほどソファから床に滑り落ちていった時にも似て、だんだん体が沈み込んでいく。俺はその体を抱こうとしてやめ、代わりに腕を軽く小突いた。
「おいブルマ、やっぱりもうお開きだ。ベッドに入るぞ」
「ええ〜、まだいいじゃな〜い。せっかくあの女のいない時間を楽しんでるんだからぁ」
「…寝ちまえばそれだけ早く朝がきて、リザが本当にいなくなるぞ」
「それもそうね。じゃあ寝るわ」
…引くの早いな…
もう言いたいだけ言ったってことか。それとも、それほどリザが嫌いということなのかな。
ともかくも、俺はブルマをベッドに入れ、自分も隣に転がった。布団の端を両手で掴み顔を半分隠しながら、ブルマは早くも最後の言葉を口にした。
「明日、起きれなかったら起こしてね。寝過してバタバタするの嫌だから」
「ああ、はいはい」
「じゃあね、おっやすみぃ〜」
酒のせいか、それとも昼間の疲れの賜物か。それから何分もしないうちに、ブルマは寝てしまった。片頬杖をつき時折睫毛の揺れる寝顔を見ながら、俺は一人置いてけぼり気分を味わった。
すっきりした顔しやがってまあ…
酔ったもん勝ちってやつかな。それとも俺が意識して引き過ぎるのだろうか。確かに、人が好過ぎだとウーロンに言われたことはあるが……でも、そういうのは俺は嫌なんだよ。
酔った勢いでとか。女の弱みにつけ込むとかさ。そりゃあ俺たちは最初っから付き合ってるし、今ではもうそういうことだってしてるけど、次の日覚えてないっていうのは、やっぱり違うよな。
やがて俺は腕を崩し、自分も布団の中へと潜り込んだ。髪を撫でたい衝動もキスを返したい思いもすべて抑え込み、先ほどどこぞへと追いやられた眠気を取り戻すべく、天井へと目をやった。
羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹…………




…………1、2、3、4コン、コン、コン、コン
ノックの音が響いた。…はずだ。この列車のバトラーは、いつも決まって四回ノックをする。
「ブルマ様、ヤムチャ様、おはようございます。ご機嫌いかがですか。朝食をお持ちしました」
だが、俺はそれに気づかなかった。声がして初めて、いつの間にか朝が来ていたことを知った。
朦朧とする頭を動かし、壁に掛かる時計を見た。いくらか頭が働いていれば、そんなことをする必要もなかったはずだ。ここのバトラーはいつだって時間に正確なのだから。
コン、コン、コン、コン…………その間にも、バトラーのノックは続く。
酒気を追い出す時間くらいはほしかったな。そう思いながら、体を起こした。それから隣に眠る人間の体へと手を伸ばし、引っ込め、少し深めに布団をかけ直して、自分一人でベッドを出た。
衝立があってベッドは見えないようになってはいるが、一応…………起こしたからって、必ずしもすっきり目覚めるとは限らないし。すっきり目覚めたからといって、怒らない保証があるわけでもない…
そう、最後の最後に、俺は昨夜ブルマに言われたことを思い出したのだった。

予想に反して、ブルマは怒らなかった。
とはいえ、ある意味では思った通りであることに、こんなことを言っていた。
「ん〜、目元すっきり、お肌も良好。お酒も残ってないし、調子いいわ〜」
「思いっきり寝坊したけどな」
「あら、いいのよ今日は。どこに行くわけでもないんだから」
そして、にこやかに笑った。ドレッサーに向かって、手は忙しく化粧を施しながら。ドレッサーチェアの背凭れには、脱ぎ捨てのネグリジェ。ベッドの上には、先ほど少し急ぎ気味に選び出された靴とバッグ。
とりあえずの身支度を終え、ベッドの上で胡坐を掻いていた俺は、そんな現状を見て安堵した。…二重に。
こりゃあ、すっかり忘れているな。やっぱり覚えていなかったな――昨夜、自分の言ったこと。覚えてて許してくれてるとは思えない。ブルマのことだ、許すにしたって文句の一つは言うだろう。そう、これは最初からまったく何も気にしていない笑顔だ。
「降車まではまだいくらか時間があるしね。…あ、ほら、街が見えてきたわ」
「郊外型ショッピングモールか。今までと雰囲気違うな。列車に乗ってこの方、こういう街って見かけなかったよなあ」
「そりゃね、エアポートのある街だもの、今までみたいな田舎じゃないわよ」
おとなしく寝ておいてよかった。何てことのない会話を差し挟みながら、俺はしみじみそう思った。ブルマに悪いのはもちろんだけど、俺自身もヘコみそうだからなあ、そういうのは。
「『Colorful life!グリーンバザール』…なんかいまいち意味のわからないコピーね。それにこんな時期にバーゲンやってるなんて、やっぱり田舎なのねえ。でもバーゲン自体はいいわね。ひさしぶりにバカ買いしたいわ〜」
それにしても、昨夜のことはもちろん、その前までのことも忘れたようだ。やがて溢された矛盾した独白を耳にした俺の中に、三つ目の安堵が広がった。もう全然ちっともまったくこれっぽっちも、リザのこと気にしてないよな。相変わらず見事な愚痴の解消ぶりだ。この後腐れのなさが、ブルマのいいところだな。だから愚痴も黙って聞いてやろうと思えるんだよ。
「ところでヤムチャ、あんたずいぶんのんびりしてるけど、荷物纏めたの?クロゼットちゃんと空にした?」
ふいにブルマが水を向けてきた。その言葉でもう完全に、ブルマが先をしか見ていないということがわかった。俺もそろそろ本気で腰を上げる必要があるようだ。
「ああ、トランクに移すよ、今な」
「じゃ、あたしのもやっといて。適当に入れちゃっていいから。トランクはクロゼットの横にあるわ」
「OK」
頼むというよりは命令口調のその言葉に、俺は一も二もなく頷いた。安堵はしても、多少の反省は残っていたからだ。俺がちゃんと起こしていれば、今頃はきっとティールーム辺りで最後の景色を楽しんでいたに違いないのだ。
もっとも、もしもそうしていたら、最後の一幕が上がってしまっていたかもしれんが。喧嘩していようがいなかろうが、まったくお構いなしにあの兄妹は声をかけてくるからな。
そういう意味では、寝坊してよかったのかもしれないな…
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