Trouble mystery tour Epi.12 (3) byY
やがて乗り込んだニューブレット発フライブレット行の飛行機は、俺にひさしぶりにこの旅行が金持ちのためのものであるということを、強く感じさせた。
宛がわれたファーストクラスのシートが、ちょっとすごかったのだ。いやもう、シートとは呼べないな。なにせ個室なんだから。ベッドもありテーブルもあり、壁際のサイドテーブルにはミニバーまであり、その他個人用の収納場所にコートのクロゼット、化粧デスク、オーディオ・ビデオのチャンネルは約500チャンネル。むろん飛行機なので面積そのものは限られるが、ここで一晩過ごすとかではなく、たった数時間乗るだけなんだからな。無駄に豪華だと呆れるのも、当然だろう。
とはいえ、個室であること自体は、今の俺たちにはありがたかった。人目を気にせずくつろげるから、という本来の理由からではなしに。
「…ぁーーー、もうっ!」
最初のサービスとして出てきたウェルカムシャンパンを一気に煽ると、ブルマはベッドに背中から倒れ込んだ。先ほどすべてが空振りに終わったせいだろう、今頃になって怒りの嵐が渦巻いているようだった。
「まったく、あの田舎者!無礼にも程があるわ!」
そう、愚痴ではなく怒りだ。今は主にエイハンへの不満が強いためか、ブルマはそれは激しく怒っていた。
「自分でもそう言ってたな」
「あんた、あいつの言ったこと鵜呑みにしてんの!?」
すかさず上半身を起こして拳を握ったブルマに『八つ当たりするなよ』などと言う気力もなく、俺は自分もベッドに転がりながら答えた。
「まさか。でも、ああ言われちゃしょうがないだろ」
「何がしょうがないのよ。人の胸触っといて!」
「胸は隠しとけ」
俺はそれしか言えなかった。だってまったく脈絡なく、しかもあんなに堂々と手を出してくるんじゃな。気づいた時には手遅れだ、とてもじゃないけど間に合わないよ。俺が悪いわけじゃないよな。
「そういう問題じゃないでしょ!」
「そんなこと言われたってさあ…」
ブルマより上手のやつに、俺が勝てるわけないだろ。昨日は一日のことだと思って相手したけどさ…
弱気と冷静は紙一重。いや、冷静だったからこそ一歩を引くことができたというべきだな。とにかく俺は、人目を気にせず怒りを撒き散らしているブルマに、無駄な釈明をする代わりに、至極現実的な忠告をすることができた。
「俺たちが喧嘩してどうする。それとだな、もう少し声のボリューム落としとけ。聞こえるぞ」
誰になどと言うまでもない。そもそも『誰に』どころか、周りの人間全員に、なんだからな。確かにこの席、周りは壁の個室だけど、天井は開いてるんだよ。
途端にブルマはむくれた。唇を尖らせ頬を膨らませ、それは見事なふくれっ面となって、無視の体勢に入った。
「なあ、そんなに拗ねるなよ」
「うるさいわね。放っときなさいよ!」
「放っとけるわけないだろうが」
「じゃあ、もっと言い方変えなさい!」
なんだそれは…
俺はと言うと、怖さ半分呆れ半分で、その態度に付き合った。ブルマの顔にも声にも、本気でビビるほどの険はなかった。自分には非がないから、そう思えるのかもしれんがな。でも、見ていて笑ってしまうほどかわいいというものでもなかったので、これからしばらくこの狭い個室で共に過ごす者としては、宥めざるをえなかった。
「なんかよくわかんないけど。じゃあ、とりあえず、もう少し声を小さくしてく…」
「だから何なの、その態度は!!」
「いや、だから、声大きいって…」
この時には俺はベッドから体を起こしブルマの隣に座っていて、その怒気と怒声をほぼ正面から受け止めていた。そしてそうしてみると、少し感覚が変わってきた。
…ヤバイなあ。なんかちょっと怖くなってきてる…
っていうか、完全に俺とブルマの言い合いになってる。しかも、何で言い合いしてるのかわからん。いや、俺にはわかっているが。八つ当たりって言うんだ、これは。
と、ふいにドアを外からノックする音が響いた。見ると、ドアの小窓からミルちゃんとリルちゃんの顔が覗いていた。さらに、開いた天井から元気な声が流れ込んできた。
「ブルマさん。ヤムチャっさ〜ん」
「一緒にお茶飲みませんかぁ?ほら見て見て、あの列車から持ってきたお菓子」
「飲まないわよ!!」
即行でブルマが怒鳴りつけた。ドアも開けずに。それでいてきっと、何の苦もなく聞き取れる大声で。
「え〜、なんで〜?ブルマさんだって、このお菓子おいしいって言ってたじゃないですかあ」
「せっかくフリードリンクなんだから、一緒にお茶会しましょうよー。アテンダントの人はいいって言いましたよ」
「もうすぐお昼ごはんでしょ!おとなしく席についてなさい!」
取りつく島もないとはこのことだ。二人ともごめん…そう言いかけて、俺はやめた。そうする前に、双子がこんなことを言い出したからだ。
「じゃあ、エイハンさんたちのとこ行こっか。エイハンさんもこのお菓子好きだって言ってたもんね」
「そうそうブルマさん、エイハンさんたちにはもう会いましたか?あのね、この飛行機に乗ってるんですよ。あたしたちと一緒に行くんだって!」
「途中からだから全部一緒ってわけにはいかないかもしれないけど、しばらくは同じホテルに泊れるんだって」
「ああ、その話は今は…あんまりブルマを刺激しないで…」
俺は慌てて二人の会話を止めた。ブルマの額に筋が立ったことに気づいたのだ。
「ごめんね。ブルマちょっと今機嫌…いや、気分が悪いから。また後でね。お菓子は他の人と食べてね」
弱気と冷静は紙一重。再びむくれたらしいブルマが、むくれているに留まっているうちにと、俺はドアを開け双子に手を合わせた。双子は無邪気な顔をこちらに向けて、たぶん邪気のない軽い冗談を言った。
「そぉなんですかぁ」
「大丈夫ですか、ブルマさーん」
「たーいへーん。今ハイジャックに遭っちゃったらどうしよう?なーんてね〜」
でも俺にはそれが、ブルマを逆撫でしたのがわかった。なんていうかな、背後から殺気みたいなものが……とにかく、わかったんだよ。
「と、とにかく、また後でね。悪いけどしばらく放っておいてね」
「はーい」
返事はいいんだけどな…
心の中でそう漏らしつつドアを閉め、さらに小窓のブラインドを下ろしてから振り向くと、そこには再び見事なふくれっ面となったブルマがいた。今度はブルマは俺を無視せず、俺が何を言う間もなく言い放った。
「機嫌悪くて悪かったわね」
「いやあ…………そんなことはないと思うよ…」
「あらそーお?じゃ、さっきの台詞は何よ?」
「う…………」
俺は冷や汗を掻いた。心の中でも、実際にも。
…あー、なんか、疲れそう。
これからの数時間、すっごく疲れそうだ…


「そういうことだけやってりゃいいってもんじゃないんだからね」
それが、昼食を食べ始めた際の、ブルマからの第一声だった。より正確に言うと、俺がワインを注いだ後に言ったのだが。やや独白的に響いたこともあって、俺は無言を貫き通した。
これは言わば捨て台詞だ。それをわざわざ拾い上げて、話を蒸し返すことはない…
「…………で、今日この後は何をする予定なんだ?」
できるだけ自然を装って話題を変えると、ブルマはわりあいすんなりとそれに乗ってきてくれた。
「ツアーの方の予定としては、何もないわ。ホテルに着いたら、後はずっと自由行動よ」
「だからって、何もしないでホテルにいるわけじゃないんだろ?時間もあるみたいだし…」
「そうね〜。じゃあ、ストレス解消にドライブでもしようかしらね。ブルーゲートブリッジをオープンカーでぶっ飛ばすの。制限速度ギリギリまで。すっきりするわよ〜、きっと」
「…………」
だからといって完全に、さっきまでの話を忘れてくれたわけではなかった。わざとらしく眉と口角を上げながら、これまたわざとらしい口調で言って首を傾げるブルマを見て、俺は思わず料理を口に運ぶ手を止めた。瞬時に湧いた呆れと怖れを、どうにかして料理の代わりに飲み込んだ。そう簡単に機嫌が直るわけないとわかってはいるが…ブルマのこの、嫌みを言う時の迫力にはまいるな、本当。
「…………ブルーゲートブリッジって?」
「ブルーゲート湾に架かった吊り橋よ。できた当時は世界一高い吊り橋だったらしいわ。今じゃ世界8位くらいのものだけど、眺めはいいって。後はそうね、やっぱりできた当時は世界一だったフライブレットタワーとか。フライブレットの名所って、そういう『過去の遺物』ばっかりなのよね」
「相変わらず詳しいな」
「まあね。この街に関しては、調べるのちょっと手間だったわ。言わば流行りの終わった街だから、ガイドブックがほとんど出てないのよ。わざわざ地元の雑誌取り寄せたんだから。昔は西の都よりも大きかったらしいけど、今じゃすっかり田舎の都市になり下がっちゃってるのよね」
「それはそれは…」
…じゃあ、その手間と努力に敬意を表して、しばらくはこの話題で行こうか。
前菜、スープ、また前菜、そしてサラダ。機嫌が悪い時の常でどんどん料理を片付けていくブルマを前に、俺はそう決めた。
少しずつだけど、確かに口調が軽くなってきている。ブルマって、知識自慢をしてる時は、機嫌がよくなるからな。メカとか研究の自慢だと俺も困ってしまうけど、こういう話なら苦がなくていい。
「でもまあ、そういうところもいいじゃないか。穴場って感じして。古いから楽しめないってわけじゃないし。っていうか、おまえだって『わりと遊べる』って言ってただろ」
「まあね〜。見どころ自体はあるのよね。明日行くフラワーテーマパークとか。それと夜景とネオ屋台村って屋台街…」
「ふんふん、それから?」
「そんなもんよ。田舎の都市だって言ったでしょ」
…どうやら、ショッピングの予定は入っていないようだ。
そのことを確認した頃には、ブルマはほとんど普通の態度になっていた。それで俺もようやく安心して、すでにメインに差し掛かっていた料理を味わい始めた。心の片隅に小さな翳りを抱きながら。
…なんか、つい先日にもこんなことあったよな。まったく、俺たちって…………

…途中まで同じだったからといって、最後まで同じとは限らないわけで。
というか、先日とは断然違ったことに、最後にデザートの乗ったワゴンが部屋に運び込まれると、ブルマはこんなことを言い出した。
「あたし、デザートはパスするわ。それで、ちょっと休ませてもらうわね」
「なんだ、珍しいな」
「胃がもたれたのよ。いくら何でもチーズが多過ぎだわ、このメニュー」
そうだったかな?
それに同意することは、俺にはできなかった。メニューの記憶がほとんどなかったからだ。一昨日のように料理が喉を通らないほど怖いわけではさっきのブルマはなかったが、何を食べたか思い出せないほどには気を遣わせられた。とはいえ、わざわざそれを言う気にもなれなかった。早々と席を立ちベッドへ居場所を移したブルマは、だがもう怒っていないし、嫌みを言っているわけでもない、そのことはよくわかっていた。そして俺はブルマと違って、相手がデザートを食べないことに言及するつもりはまったくなかったのだ。
「ああ、すいません。食事終わりましたんで、下げてください」
だから俺はアテンダントを呼び出し、そう告げた。すると途端に、ブルマの方が言及してきた。
「別に付き合ってくれなくてもいいのに…」
「俺はもともとデザートなくてもいいんだよ」
「あっそ」
憂えたような、呆れたような口調で。…いや、気だるい、というのが正解かな。ともかくも、先ほどまでの険はどこへやら、ブルマの声には精彩がなかった。俺がその隣に転がると、ブルマはベッドに足を乗せながら、さらに愚痴めいたことを言い始めた。
「やっぱり田舎路線よね。豪華は豪華なんだけど、なんとなく全体的に垢抜けない感じ」
「あんまり大きな声で言うなよ。ここ天井開いてるんだからさ」
「だってさ〜。っていうか、否定しないってことは、あんただってそう思ってるんじゃない」
「俺は別に…。だいたい、世界一周旅行なんだから、田舎にだって行くだろ。むしろ田舎っぽかったりするのがいいんじゃないか」
「そりゃそうだけど。しっかし、あんたもマメにフォロー入れるわよね。マメ過ぎて嘘っぽく聞こえるわよ。軽いっていうかさ」
やけに絡んでくるなあ。すぐに俺はそう思った。なんていうかな、根拠のないことで文句言い過ぎだよな。田舎路線だとかさ――そりゃ西の都に比べれば、たいていのところは田舎だろうよ。俺のフォローがどうとか――そんなんじゃなくて、話聞いてるだけなのに。でも、腹は立たなかった。なんとなくだが、わかったのだ。
「失礼なやつだな。…でも確か、『そういう姿勢の方が旅行は楽しめる』んだったよなあ」
「は?何それ?」
「何それって、おまえが言ったんじゃないか」
「あたしが?いつよ?」
「一番初めの日。西の都のエアポートで。ほら、パフェ食べながらさ」
「よく覚えてるわね、そんなこと」
「言われた方は覚えてるもんだ」
今はそれほど酔ってはいないが、昨夜とほぼ同じ状態であるということに。そして今は昨夜とは違ってすでにベッドの上にいたので、俺は何を言うこともなく、そのうち本格的に寝る態勢を取り始めたブルマの頭を撫でてみた。
ゆっくりゆっくり、さりげなく。でもだからといって、気づかないはずはない。なのにブルマは何も言わず、そのまま寝てしまった。昨夜に勝るとも劣らない、寝つきのよさだった。
きっと、少し疲れてきてるんだろうな。もう3週間になるし。昨夜、酒盛りしたし。さっき、ショッピングセンターで奮闘してたし。いつもすごく元気だからうっかり忘れちまうけど、あんまり体力ないやつだからなあ。
まあ、このツアーは都会の富裕層の子どもからご老人までを対象にしているんだから、さほど心配ないとは思うが。時々はゆったり過ごさせてやらなきゃいかんな…
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