Trouble mystery tour Epi.12 (5) byY
俺の予感は当たった。
と、言っていいものなのかどうか。ともかくも数十分後、俺は片時たりとも気を抜くことのできない状態に陥っていた。
「――ブルマ、少しスピード出し過ぎだぞ!」
「平気だってば、これくらい。ひゃっほーーー!」
俺はまったくもって後悔していた。この海沿いのドライブで、ブルマにハンドルを預けたことを。よもや気を抜いていたとは思わないが…
スピードメーターは150km/hを差していた。…俺は速度恐怖症ではない。車でめいっぱい飛ばすのなんて平気だし、戦っている時の体感速度だって相当だ。それでも、勢いに押される、ということはあるわけで――
「他にも同じくらい飛ばしてる車あるでしょ。あっほら、もうすぐブルーゲートブリッジの入口よ!」
他の車と一緒にするな。俺たちはオープンカーなんだぞ!
――ブッーブッブーーーー!!
俺のその声は、後方車からのクラクションに掻き消された。クラクションを鳴らした後には、しつこいパッシング。ったく、とっとと追い越し車線に行きゃあいいだろうが。そう思った俺の心に怒りはなかった。この手のマナー破りのドライバーに怒りが湧いたのは初めの一回だけ、二回目以降それは呆れに変わり、今は…
「お、おい、ブルマ…!」
「さーあ、かっ飛ばすわよー!喧嘩を売る前にちゃんと相手を見るよう、教えてやるわ!」
すでにかっ飛ばし始めているブルマが、不敵な笑みを浮かべながらそう宣言した。こうして何度目かのスピードレースが始まった。追い越し車線と走行車線を縫うように走りながら、どんどん加速していく二台の車。周りの車から本来の理由で鳴らされまくるクラクション。――…いやもう、勢いに押されるとかじゃないな。運転が荒過ぎるんだよ!っていうかな、オープンカーでスピードレースやるやつがどこにいる!!
ここまでは俺は、ほんのちょっぴりビビッていたに過ぎなかった。主には呆れつつ時々ビビッていたというか。だがやがて、本気で身の危険を感じる時がやってきた。
「どわーーーーー!!」
道は下り。そこに現れた急カーブ。おまけに工事中らしく、対向3車線からのいきなりの狭路。たちまち眼前にせまる防音壁――
悲鳴のようなブレーキ音 が響いた。俺は完全に飛び出す準備をしていた。シートベルトをちぎり、ブルマを抱え、車外へと飛び出す準備を。目を瞑ったり頭を抱えたりはしなかった。だから見た。
次の瞬間、開けた景色を。再び直線となった道の先に架かる橋を。止めていた息を吐き全身から力を抜いたところで、ブルマが言った。
「へっへーんだ。女だからって嘗めないでよねー。抜けるもんなら抜いてみなさい!」
その視線の先にあったバックミラーに 、危うく防音壁への激突を免れた競争相手の車が映っていた。安堵と共に怒りが湧いた。もうこれは、強硬な態度を取っていい段階だ。
「ブルマ、おまえなあ!運転代われ!!」
「えー?なんですって〜?」
俺が怒鳴るとブルマは口角と眉の上がった笑顔を見せながら、ハンドルを切った。すごい角度で車体が横に滑り、一台抜いて元の車線に戻った。そうしてさらにスピードを上げ、あっという間に次の車を射程に入れた。俺は自分の過ちを悟らざるをえなかった。
「…………代わってください、お願いします…」
「そこまで言われちゃしかたないわね〜。じゃ、ブルーゲートブリッジに入る前にいったん車降りましょうか。あのね、『スカイウォーク』っていう歩行者専用通路があってね、ブルーゲートブリッジの真下を歩けるのよ」
鼻歌でも歌いそうな雰囲気でブルマは言い、直後に鼻歌を歌いながら、その『スカイウォーク』とやらのパーキングに車を走らせた。ドライブに出て以来、初めてスピードを落として。
やれやれ。絶好調だな。そしていつの間にか、機嫌のいいこと…
…方向性が間違ってるけどな。見知らぬ街の夕陽に輝く海も美しい湾岸沿いの道で、レトロなオープンカーでスピードレースとは。確かに、見知らぬ通りがかりの街でよかったって気はするが…
「ったく、調子に乗りやがって」
やがて車を降り、無造作に放られた車のキーをキャッチした後で、俺は言った。ハンドルから手を離させた後だからこそ言える文句を。そしてそれに答えたブルマは、俺の予想以上に機嫌がよかった。
「へっへ〜。でも、調子悪いよりはいいでしょ?」
「…まあな」
それはにこやかに、実に堂々と俺の否定しえないことを言ってのけた。わかっててやってたのか。悔しいような呆れたような気持ちになりながら、キーをポケットにしまった。早くも通路に駆け込んだブルマの声が、木霊しながら耳の端に届いた。
「わあすごい。湾が360度で見渡せるのね」
他にも何組かのカップルが佇んでいるその場所からは、周囲の景色が一望できた。真下に海。湾を取り囲むように広がる街のシルエット。そのシルエットを浮かび上がらせる夕焼け空。思わず『やっほー』と叫びたくなるような爽快感。いかにもそうするように見えたブルマがそうしなかったのは、他人の目があったからに違いない。
そう。全面窓にへばりつくようにして景色を見ているブルマを、俺は見ていた。偏に、周りの雰囲気に感化されて。海の上から夕陽を眺めながら語り合う恋人たち。ある者たちは手を繋いで、ある者は肩を抱いて。…手を繋ぐのは、柄じゃないな。そう思い肩に手を伸ばしかけたところ、ブルマが急に身を翻した。
「じゃ、ドライブの続きしましょ。続きっていうか、メインね。海と落ちゆく夕陽を眺めながらブルーゲートブリッジをドライブ!」
そう言いながら閃かせた笑顔には、ほのかな色気が漂っていた。それでというわけではないが、俺は先ほどから感じていた感覚の一端を漏らしてみた。
「…なんか、旅行に来てるというよりデートしてるみたいだな」
「もともとそのつもりよ」
じゃあ、今のは何だ。
単なるボケか?…こいつ、いつも俺のことボケてるだの鈍いだの言うくせに、自分だってちっとも鋭くないじゃないか。
俺は怒るというより、呆れた。ブルマがあまりにも堂々と認めたので余計に。これ以上ないってくらい空気読めてないよな。これで後から『気が利かない』とか言われたら怒るぞ、俺は。
でも、今はまだ怒ってなかった。そして命令を下した人物が踵を返しかけたので、先ほど預けられたキーを探してポケットの中を弄った。その腕を、捕まえられた。俺が一番初めに諦めた、ブルマの手に。そのまま当たり前のように俺の腕に手を絡めて歩き出したブルマを見て、俺は思った。
なんていうか…本当に空気読めないっていうか(それともむしろ読んでるのか?)…マイペースなやつだなあ…
…ま、いいか。


結果的には同じような気持ちになったらしい俺たちは、その後普通にドライブをして、陽もとっぷり暮れた頃、ホテルに戻ってきた。
ごくごく普通の、海沿いのドライブ。俺は爽やかな海風を浴びつつゆったりとハンドルをさばき、ブルマはちょっと身を乗り出して夕陽を見ていた。…最初からこうすればよかった。『さくっとひとっ走りしたい』という言葉を、単純に受け取るんじゃなかった…
「あー、髪ぐしゃぐしゃ。レストラン行く前に直さないと」
「あんまり派手にかっ飛ばすからだよ」
「ヤムチャだって、結構飛ばしてたじゃない」
「俺はちゃんと安全運転してたぞ」
それについては軽く窘めて終わりにした。もう終わったことだ。もしまたやったら言ってやるよ。『髪ぐちゃぐちゃになるぞ』ってな。
「誰も乗ってこないわね。ここ宿泊客少ないのかしら」
「そうじゃないか?だからこそ、急な話にも関わらず部屋が取れたんだろう」
「あ、もう!あの兄妹の話はしないでよ。せっかく忘れてたのに」
「いや、だから俺もぼかして言ったんだけど…」
やがて乗り込んだ無人のエレベーターを無人のまま使い終わった頃には、話しがてらの念入りな撫でつけの甲斐あって、ブルマの髪はだいぶん落ち着いていた。エレベーターから廊下へと居場所を移すと、機嫌のよさそうな笑顔を見せながら、ブルマは言った。
「ねえ、夜ごはんどうする?あんまり道混んでないみたいだし、車で街に出てみない?あんたの食べたいもの食べに行くってことでいいから。ね?」
っていうか、やっぱり機嫌いいな。俺の嗜好を取り入れようとしたことなんて、これまで一度だってなかったもんな。これまでっていうか、いつもないけど。俺もすっかりそれに慣れてしまっていたが、一応自分の嗜好というものはあるのだ。味というよりはスタイルだが。
「いいよ。そうだなあ、俺、さっぱりと麺物とか食べたいな」
「麺か。じゃあネオ屋台村ね。一度は行こうと思ってたから、ちょうどいいわ」
そうそう、そういうラフな食事をしたいんだよ、俺は。肩凝るってほどじゃないけど、正直ちょっと食傷気味なんだよな、コース料理には。終いには最後まで食べ切らなくなってたもんなあ。…まあ、飯が喉を通るような精神状態じゃない時も確かにあったけどさ。
でも、今日はそうじゃない。んだけど、なんとなく…ラフにやりたい気分なんだよ。開放感あるっていうかな。
例の妙な開放感を感じながら、俺は開放感のある部屋のドアを開けた。他の何よりも一番最初に目につく、大きな窓の向こうに広がるスカイビュー…
「わぁ…」
先に部屋に入っていったブルマが、小さく声を上げた。どこか熱の籠った、驚きの声を。その理由を、俺は一足遅れで知った。
窓いっぱいに夜景が広がっていた。街並みが総じて低いためにすっかり見下ろせて、まるで光の海に浮かんでいるようだった。夜にだけ現れる燦然と輝く光の海。そして、それを見るブルマの瞳も輝いていた。
「…本当にきれいねえ。これ、360度から見たら素敵でしょうね…」
何よりも、言葉を呑んでいるようなその様が、いかに魅入られているかということを表していた。ブルマって、こういうの大好きだもんな。おまけに今は海沿いのドライブなんかをした後で、本人いわくデート気分で…
「じゃ、見に行くか?」
確かに俺も、きれいだと思う。でもやっぱり俺は、それを見るブルマの瞳を見ながらそう言った。ブルマの言葉と、そうだな、俺自身の感覚も踏まえて。俺は俺で思ったのだ。なるほどこの窓は邪魔だよな、と。
「屋上なんかないわよ、ここ」
ブルマはちょっとだけ目線をくれて、そう答えた。鈍い…というより、気を取られているんだろう。そう思った俺は、もう少しだけはっきりと言ってみた。
「なくたって行けるだろ。俺たちだけの特等席だよ」
ちょっと気障だったかな。でも、そういう気分なんじゃないかと思ったんだ。
ブルマは、俺のリップサービスを踏みつけはしなかった。二、三度大きく瞬きをした後で、俺の気持ちを酌んでくれた。
「そうね。じゃあ、食前酒はそこで飲みましょうか。夜景を見ながらワイン飲むのなんて普通だけど、ビルのてっぺんでそれをやる人なんてきっといないわよ。待ってて、何か一本持ってくる」
『髪を直す』と言っていたことも忘れて、いずこへか駆けて行った。そして本当にワインを飲む準備だけをして、戻ってきた。…いいんじゃないかな。少しくらい髪が乱れていたって、ブルマはきれいだ。夜景なんかよりもずっとな。…気障だな。これは言わないでおこう。
どうやら俺もそういう気分になってるみたいだ。ブルマを抱き上げ、ひさしぶりに街の上を飛びながら、俺はその思いと開放感が強くなっていくのを感じていた。途中、窓ガラス越しに目についたエイハンとリザの姿も、気にならない。ブルマも何も言わなかったから、きっとそうなのだろう。
――誰にも邪魔されない、俺たちだけの場所。
気障だが事実そうであるビルのてっぺんからは、何もかもが見渡せた。今や光の洪水と化した街。その向こうには、先ほど走ったブルーゲートブリッジがライトアップされて、暗い海の上に浮かび上がっている。そしてそれらの上に広がる広い広い夜空――夜景の美しさもさることながら、これが一番爽快だった。遮るもののない視界。どこまでも飛んで行けそうな広い空。
…どこかへ飛んで行きたいと、俺は思っているのだろうか。
ふと心に湧いたその疑問に、答える必要はなかった。
「おい、危な…」
「くはないでしょ、あんたがいるんだから」
自問した次の瞬間には、やっぱりブルマを見ていたからだ。そう、俺はブルマのためにここへやってきたに過ぎない。もし一人だったら、窓の景色など気づいても気にしなかっただろう。
この三週間ほどで、俺は完全にブルマのお目付け役になったのだ。この、公園のベンチに座るのと変わらない気軽さで高層ビルのてっぺんに腰かけ、無造作に足をぶらつかせている危なげな人間の――いや、女の、な。
「きれいね。今まで見たどの夜景よりもきれいだわ」
「ああ」
依然として瞳を輝かせながら、ブルマがゆったりとした笑顔でそう言った。それを否定する理由は、俺にはなかった。積極的に肯定できる理由もないが。と、ちらとでも思ったのが間違いだった。
「ヤムチャってば、本当にそう思ってんの?どうせ夜景なんか碌に見てないんじゃないのー?」
「う…」
ブルマは鋭く俺の心理を読んだ。そしておそらくニュアンスは違えど、表面的な事実は言い当てた。
俺は一人の時は夜景などほとんど気にしない。夜になってC.Cに帰る場合に、目印にするくらいだ。そして夜景を見るというシチュエーションに身を置いている時は、たいがいブルマを見ている。今だってそうだった。
「冗談よ。っていうか、別にいいのよ。こういうのは付き合ってくれれば、それでいいの」
なら、苛めないでくれよ。
俺は軽く呆れながら、ブルマの様子を観察した。少しお喋りになってきてるよな。さっきまでは見入る一方だったのが、調子を出してきた感じ。調子を出すと色気がなくなるっていうのが、こいつのちょっと困った資質だ。ま、かわいいと言えばかわいいんだけどさ。でも、そういう時に何かしようとすると、思いっきり空振りするんだよなあ…
数週間前の過去と数時間前の過去とを思い出して俺が躊躇っていると、俺のその感覚を肯定するかのように、ブルマがワインを弄り出した。すでに開けておいたらしいワインのコルクを軽い手つきで抜く。そしてボトルを傾け、深紅の液体を静かに注いだ。…一個のグラスに。ゆっくりとそれを回し、飲み干す様を、俺は呆れを深めながら見守った。
「…俺の分は?」
「ないわよ。だって、グラス一個しか持てなかったんだもん」
「おまえ…」
そして、ついには呆れ果てた。もはや色気がないとかいう問題じゃないよな、これは。マイペースの極致だ。もちろん嫌みだ。俺は別段ワインが飲みたかったわけではないが、さすがにこれには非難してやりたい気持ちになった。
…しないけどさ。だってそんなの虚しいし。いいんだ、どうせ俺はお目付け役だから。
言わずとも、すでに俺は虚しくなっていた。自ずと口が噤まったところで、ブルマがしれっと言った。
「注いでくれたら、次の一杯はあんたにあげるわ」
それは俺の虚しさを打ち消しはしたが、呆れを消しはしなかった。わかったからだ。ブルマの言葉の言外の意味が。…まったく。注いでほしいなら注いでほしいと…
「最初から言えよな。黙って手酌してないでさ」
素直じゃないんだから。そう、遠慮深いなんて思わんぞ。遠慮深いやつが自分一人で飲むもんか。
「そういう無理強いしてるみたいなのは嫌なのっ」
「なんだ今さら。そんなのいつものこ……っと」
おっとっと。ヤバイヤバイ。
自分が口を滑らせたということを、俺は自覚したわけではなく、ブルマの表情から悟った。ブルマが俺に何かやらせようとするなんていつものことだが、どうやら今は甘えたい心境だったらしい。だったら、ワイン開けてこなきゃいいのにな。コルク抜きからすべて俺に任せていたら(こんなもの俺は手で開けられる)、そのまま自然と俺が注ぐことになっていただろうに。例えグラスが一個しかなかろうと、それだけは間違いない。
「ちょっと、なーに!何言いかけたのよ、今!」
「な、何も言ってないよ。ほら、ワイン注ぐから…」
「そんなこと言って、誤魔化さないで!」
「誤魔化してなんかいな……おい、ちょっと待て、どうして喧嘩になってるんだ」
俺は慌てていたが、ビビッてはいなかった。怖いというより、まいったという感じだった。だから気づいた。
どうしたってこれは、しなくてもいい喧嘩だよな。しょうもない喧嘩っていうか。くだらない喧嘩っていうか。それを言ったら怒るんだろうが、でも絶対に…
「喧嘩じゃないでしょ。あたしは当たり前のことを言っただけ。それをあんたが…」
…ああ、はいはい、そうだな、俺が悪かった。
これで無理強いしたくないなんて、よくも言えたもんだ。そう思いながらも零しかけた謝罪の言葉を実際に声にしなかったのは、我を張ったからではなかった。偏に、気を逸らされたからだった。俺から目を逸らしたブルマのその仕種に、俺の気が逸らされたのだ。口のみならず体そのものの動きを止めて、呆然と何をかを見ている視線の先を、俺は追った。
ネオンが一つ、浮かび上がっていた。淡いオレンジ色の光の中にあって、目を引かれずにはいられないピンク色のハート。それが、すっかりそういう雰囲気を失った俺たちのまさに真っ正面で、輝き始めていた。
「…………」
「…………」
…なんという皮肉。きっとブルマもそう思ったに違いない。しばしの沈黙の後で、吐き捨てるように呟いた。
「…バッカみたい」
「まったくだ」
あー、バカバカしい喧嘩をした。
そうはっきり言ってやれないことが、実に歯がゆかった。そう、白けてしまったものは今さら仕方がないが、この上険悪になるつもりはない。喧嘩の原因となったワインにはもはや見向きもせずに、俺に食ってかかると同時に上げかけていた腰を再び落ちつけたブルマの隣に、俺も腰を落ちつけた。そしてブルマと一緒に件のネオンを見た――わけではなく、またしてもブルマを見ていた。そのネオンを食い入るように見ているブルマを。
その瞳はもう輝いてはいなかった。といって、このシチュエーションに飽きたというわけでもなさそうだった。あからさまに未練の色香を漂わせて、眼下に広がる景色を見ていた。まったく何も言わずに。そう、『帰る』と喚くでもなく、文句を零すでもなく、嫌みをぶつけてくるわけでもない。ひたすら黙って、きっとそうするがためだけに景色を見ていた。途中で一度、堪え切れなくなったのか、俺の方を見た。慌てたようにかち合った目を逸らす様を見て、俺の心に新たな呆れが湧いた。
まったく、こいつは…なんてわかりやすいんだ。そのくせ――
溜め息を飲み込みながら、俺は手を伸ばした。ブルマは避けなかった。頑なな態度だけはそのままに、俺のすることを受け入れた。頑なに背けている顔を少しだけこちらに向けさせ、頑なに俯く頬に顔を寄せ、頑なな唇に口づけながら、俺はそれでいて決して逆らいはしないブルマの一連の態度の意味を噛み締めていた。
本当に素直じゃないんだから。甘えたいなら甘えたいと…言わずともそういう態度を取ればいいのに。そんな不自然に様子見してないでさ。そんな意地張っていつまでも俺が動くの待ってないでさ。そして俺もそれをわかっていながら……でも、ここはこうするしかないよなあ、やっぱり。
「これでいいんだろ?」
「…その一言が余計よ」
ああ、そうですか。
ブルマの気持ちと唇を解き解した後には、俺の呆れは癪な気持ちに変わっていた。――ブルマのやつ、こういう時だけ自分からは動かないんだからな。ずるいよなあ。本当に女ってずるい…
「さてと。ワイン飲むか?」
だが、その癪な気持ちを表に出すわけにいかないことくらいは、俺にもわかっていた。それをやったら、すべて台無しだ。仕方ないよな、俺はブルマが好きなんだから。所謂、惚れた者の弱みってやつだ。別段俺が特に弱いということではないさ。
「うーん…そうねえ…」
一つしかないグラスを見ながら、俺はそう自分で自分を慰めた。ああ、自分でも苦しい慰めだということはわかっている。そう、わかってることならいっぱいあるんだよ。ただ、すべて自分ではどうしようもないってだけだ。
「やめとくわ。どこかで一緒に乾杯しましょ」
その時ブルマがそう言って、ワインに伸ばしかけた俺の手を止めた。そしてさらに言ったので、俺はようやく気がついた。
「で、飲むんだから、車は取りやめね。もうここから飛んで行っちゃお。誰かに見られたって、どうせ知り合いいないんだからいいわ」
ブルマの機嫌が、すっかり直っていることに。それどころか、俺が意図した以上に、よくなっているということに。それとも、未だ不満の残っている俺との落差で、そう感じるのだろうか。
「現金なやつだな」
「あんたがぐずぐずし過ぎなのよ。それに、旅先では臨機応変でしょ」
そうかもしれないな。
ブルマの言葉にではなく自分の考えに、俺は頷いた。そうしてみると、ブルマの言葉にも、感じるところがでてきた。ブルマが現金なのではなく、俺がらしくないのかもしれない。ブルマがお嬢様気質でマイペースなことなんていつものことなのに、ちょっと虐げられたくらいで今さら虚しくなるなんて。…ま、反動ってやつなんだろうけどな。なんとなくそういう気分になってたから、その反動…
と、そこまで考えて、俺はようやく本当にわかった。
ブルマがさっき、今さらなことで怒った理由。ブルマの甘えたい心境と、俺の格好つけたい心境の奥にあるもの。
同じだよな。ブルマは女で俺は男だから違うように感じるけど、きっと同じ気持ちなんだ。
「…どの辺だ?あのハートのネオンのある方か?それとも…」
「あっちは市街地。フライブレットタワーに行くんじゃなきゃ用はないわ。あのハート、きっとタワーの上から見える仕様なのよ。でもあたしたちには昇る必要ないから、反対側の街の方行きましょ。今夜はひさしぶりに夜遊びよ〜」
「本当にひさしぶりだな、そういうの」
「嫌なら嫌ってさっさと言わなきゃダメよ」
「嫌じゃないよ、全然」
いつもより少し優しく聞こえるブルマの咎めの言葉に、俺は心からそう答えた。
そう、嫌じゃない。
ブルマがちょっとだけ俺を立ててくれたこともわかったしな。
それがわかっただけで、俺はいいのだ。
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