Trouble mystery tour Epi.12 (6) byY
フライブレットに来て一日目の夜。喉を焼いた。
「あ、うまい。うまいな、この湯麺」
「辛ッ!!何これ、すっごい辛さ!よくこんなの食べられるわね、ここの人」
「どれどれ?…………がはッ!!何だこりゃ、辛いなんてもんじゃないぞ。の、喉が焼ける…!」
「そんなに一度に口にするからよ。辛いって言ったのに。はい、水」
「う゛う゛…」
この土地で初めて摂った食事で、ブルマの皿を摘み食いして。何、意地汚い?そんなことないだろう。小皿料理をいろいろと注文して自由に楽しむ、それがその屋台のスタイルだったのだから。
「まずいな。本気で喉が痛い」
「『ブラッド・スピリッツ』より数段辛いわよね、この料理」
「ああ、あの酒…」
「バチが当たったのよ、きっと。あたしを騙したりなんかしたから。その証拠にあたしはなんともないもんね〜」
「ちょっとしか食べなかったからだろ?」
まあ、さしたる支障はなかったが。痛いと言ったって少しひりひりする程度だし、アクシデントというほどのことでもない。酒の肴みたいなもんだ。
「これは無理ね。とてもじゃないけど食べられないわ。フライブレットって、たまにこういうすごい味の食べ物があるらしいのよね。虫の飴とかさ」
「先に言ってくれよ、そういうことは」
「忘れてたのよ」
いつの間にか後出し気味になっているブルマの薀蓄も、気が乗っていないことの表れではなかった。むしろ今を楽しんでいるというか、はっきり言ってすこぶる機嫌がよい。
「う゛ーん、ビールがちょっとひりつくな」
「そういう時は甘いものを食べるといいわよ。あたしのデザート一口あげるわ。はい、あーん」
「ん…」
そして俺も悪くない気持ちだったので、その言葉に従い匙を受けた。少しだけ周りの目を気にしながらも、それを含めて思っていた。
こういうのも旅の思い出の一つなんだろうな。…と。


肩肘張らずにのんびり飯を食った後は、夜の街を散策。それなりに遊んで部屋に戻り、夜景を見てしっぽりする。
そんな旅先でのデートを終えた翌日は、いかにも旅行らしい観光。フルーツフラワーパークとやらへ行くべくツアー客が集っているエグゼクティブラウンジへ、俺はブルマより一足先に赴いた。ブルマの支度に時間がかかりそうだったからそうしたわけだが、部屋で待っているよりラウンジで待っている方が気楽だとは一概には言えないということに、ラウンジに着いてから気がついた。より正確に言うならば、ラウンジにいたある人物に声をかけられて、気づいたのだった。
「やあおはよう、ヤムチャくん。はて、君のお姫様はどうしたのかな?機嫌でも損ねたのかい?」
大げさに驚いてきょろきょろと俺の周りを見回すエイハンは、それは晴れやかな笑顔だった。だから、俺も笑顔で言ってやった。
「鏡の前でにらめっこしてるだけですよ。そのうち来ます。そちらこそ、リザさんと喧嘩したんですか?お一人のようですが」
「ははは、まさか。私たちは喧嘩なんてしないよ。いや、実はうちの妹も鏡と首っ引きなんだ。いやはや、女ってやつは支度が長くて困ったもんだね」
同士か…
たいして嬉しいとも思えんがな。だいたいこれに関しては、世の女連れの男はほとんどが同士なんだろうからな。
「俺は全然気になりませんよ。もう慣れました。それでよりきれいになってくれるんだから、いいんじゃないですか」
「ふうん。君はなかなか心が広いね」
気さくなんだか不躾なんだかわからないエイハンと長話するつもりは、俺にはなかった。向こうもそのようであったので俺は遠慮なく彼から離れ、ある先客のいるソファへと近づいた。
「おはよう。ここ、座っていいかな?」
「あ、おはようございます、ヤムチャさーん」
「おっはようございまーす」
ミルちゃんとリルちゃんの明るい挨拶を、俺は諒承の印と受け取った。間に半人分程度の隙間を置いて、二人が寄っているのとは反対側の端に座る。他に空いているソファがなかったわけではない。一人で座っていたくはない理由が、今となってはできていたのだ。
「ヤムチャさん一人ですかあ?ブルマさんは?」
「まだ部屋にいるよ。あ、喧嘩したわけじゃないよ。ちゃんと後から来るからね」
どれくらい後かはわからんがな。おまけに、リザより先に来るかどうかも神のみぞ知る、だ。そして、もしもリザが先に来た場合、俺は十中八九彼女の相手をすることになるだろう。その時、隣が空いてない方がいいんだよ。
打算的且つ後ろ向きな理由で隣に座った俺に対し、双子たちは無邪気だった。俺は思いがけなく、本来持て余していたはずの時間を、賑やかに過ごすこととなった。
「ねえねえ、ヤムチャさん、見てください、これ!今日のおっやつ〜」
「フライブレット名物、蟻のキャンディ!さっき近くのキャンディショップで買ってきたの。かっわいいでしょ〜」
「か、かわいい?…いや、すごいね。その中に入ってる虫って、本物なの?」
「みたいですよー。ひょっとすると偽物かもしれないけど、それは食べてみてのお・た・の・し・み〜。後で教えてあげますね」
「ほらほら、これなんか芋虫ですよ。これは友達へのお土産にするんだよね〜」
「それが土産か…う゛ーん…」
「あれえ?ヤムチャさん、なんか声が変ですよお」
「う゛ん…昨夜ちょっと喉を痛めてね。喋ると少し辛いんだ」
「わー、かっわいそー。のど飴とか舐めた方がいいですよ〜」
「この飴食べますう?」
「…いや、遠慮しとくよ」
「貰っとけばー?甘いものは喉にいいわよ〜」
やがてリザより先にやってきたブルマは、それにちょっと非難気味だったが。それでも、嫌みを言う瞳に険はなかったので、俺はさほど困らずに済んだ。
「やっと来たか。まったく支度長いんだからな、待ちくたびれたぞ」
「あらそーお?この子たちと楽しくお話できて、よかったんじゃないのー?」
…いや、やっぱりちょっと困ったかな。
無理矢理俺と双子たちの間に割り込みながらそんなことを言うブルマに、俺は呆れを感じずにはいられなかった。素直じゃないとは言わんが…あんまり苛めんなよ。また喧嘩してると思われるぞ。
「おはようございます、ブルマさーん」
「おっはようございまーす」
「はい、おはよう」
幸い、双子の態度は変わらなかった。慣れてしまったのかどうでもいいのか、何事もなかったかのように明るい挨拶を響かせた。おざなりに返されたブルマの声も、ある意味ではいつも通り、とりたてて何かを感じさせるものではなかった。
と、ここへ一人先ほどとは態度の違う者がやってきた。
「やあおはよう、ブルマさん。今日もきれいだね。まるでお姫様のようだ」
「あら、あなたいたの」
俺一人に見せていたのとは微妙に違うエイハンの物腰に、俺は一瞬イラつきかけたが、すぐに吹き出してしまった。理由は言わずもがな、ブルマがあまりにさっくりとその言葉を流したからだ。
「酷いなあ。ずっといたよ。ずっと君のことを見ていたのに」
「あなた、朝っぱらからよくそんな歯の浮くような台詞が言えるわね」
さらに、間もなく会話が思いっきり漫才の様相を呈してきたので、俺はもう完全に笑いを堪える観客に成り下がった。
「だーって、エイハンさんはロズの人だもんねーっ」
「ロズの人って、そういうこと言うのが礼儀なんだよね。ガイドブックにそう書いてあったよ〜」
「ああ、そう言えば。ってことは、あんたたちも何か言われたわけ?」
「えっとねー、あたしたちは双子の天使だって。心優しい女神の卵なんだって。ねー、エイハンさん」
「ステキでしょ?詩人だよねー、エイハンさんて」
「ちょっとちょっと、みんなして苛めないでくれよ…」
俺も何か言ってやりたい気はするが、いかんせん口を開くと笑いを堪え切れそうにない。いやあ、今日のブルマは強いなあ。もうすっかり吹っ切ってるよな。ミルちゃんとリルちゃんのこともうまいこと使って、完全に本調子だな。まあ、口では泣き言を言いながらもエイハンはたいして堪えていないようではあるが。でも、昨日みたいに隙をついてくることはないんじゃないかな。だって、隙がないんだから。
そんなことをしているうちに、リザがやってきた。トラベルコーディネーターと連れだって。それで、自然と漫才は終わった。すぐにトラベルコーディネーターが出発の意を告げたからだ。
こうして俺たちは、リザとは話すどころか接触することすらなく、一日を始めることとなった。
今日はなかなか幸先いいな。ブルマに腕を引かれてホテルのロビーを歩きながら、俺はそう思った。


まあそれも、僅かな間のことであったが。
「も〜、あんたも笑ってばかりいないで、ああいう時はなんか言ってやりなさいよね!」
「いやあ、ちょっと無理だろ、あれは…」
「何が無理なのよ?なっさけないんだから、ほんっと!」
「いや、そういう意味じゃなくってさ…」
笑いを堪え…きれてはいなかったようだが、一応は我慢しただけで満足してほしいものだ。
軽くブルマに咎められながらホテルの外に出た直後、俺は足を止めた。出かかった反論の言葉を呑み込むためにではなく、降りかかってきた雨に気を取られたからだった。
雨というより霧かな。身体にまとわりつくような霧雨。
「さっきまでは晴れてたのに、いつの間に…どうする?行くのやめるか?」
「え?ああ、大丈夫よ。フルーツフラワーパークは透明ドーム式だから」
「ドーム式?」
「そ。ほら、西の都に空中遊園地あるでしょ。あれをモデルにしてんのよ。さしずめ空中植物園ってところね」
「じゃあ、傘もいらないわけか。なんだ、田舎都市っていうけど、結構進んだ街なんだな」
「所詮二番煎じだけどね」
「だけど、行くんだろ?」
「もっちろん!」
でも、この一連の会話を受けて、雨から、雨を気にもしていない人間の心境へと、注意が移った。
ブルマのやつ、素直じゃないなあ。いや、素直なのかな、これは。確かに、楽しみにしてるってことは、はっきりわかるもんな。なんだかんだ言いながら行くんだよ。
そして、最終的には俺も雨のことは気にせずに、リムジンバスに乗り込んだ。もともと、雨自体を気にしていたわけではないのだ。ブルマがそれを気にするかどうかを、気にしていただけなのだ。
ブルマがいいなら何も言うことはないのだ。


「あら、この辺は晴れてるのね。ラッキー。日頃の行いかしら」
だから、その後バスが市街地を離れ郊外に入りブルマがそう言った時も、俺は何も言わなかった。
心の中では思っていたが。よく言うよな、と。そう、一般的にはなんてことない常套句だが、ブルマが言うと異常に頭に響く。ブルマは悪いやつじゃないけど、日頃の行いがいいとはあんまり言えないよなあ。俺、ブルマが好きだし守ってやりたいと思うけど、ここで『そうだ』と言い切ることだけはできないな。
とにもかくにもまたもや幸先がいいことに、パークに近づくにつれ天候は回復し、パークに到着した時には、朝に見たものと同じ雲一つない青空が頭上に広がっていた。
「結構人がいるなあ」
「そうね。あっ、見て見て、観覧車のゴンドラが果物の形だわ」
こうして、フルーツフラワーパークでの時間が始まった。他のツアー客とはゲートにて解散。夕方集合ということの他に注意事項は何もなく、中では完全に個々の自由なのだった。俺たちは軽く腕を組みながら、ゆっくりと歩き始めた。やがてブルマの口から出てきた聞き覚えのあり過ぎる言葉を耳にしたところで、俺は思った。
「観覧車は最後ね。まずはこのフラワーガーデンを歩きましょ。そしたらその後フルーツガーデンに行くわよ」
こりゃあ、デートだな。今さらもういちいち言わないけど、紛うことなきデートだ。ブルマの言うことが、遊園地なんかに行った時とほとんど同じだ。
違うのは、ほんの少しだがどことなく、おとなしめな雰囲気が漂っていることだ。アトラクションに向かって駆けていくのではなく、色とりどりの花を眺めながらのんびり歩いたりしてるからだろう。花畑を散歩するとか、そういうタイプのデートは普段しないからなあ。
「きれいね〜。定番だけど、やっぱりチューリップ畑が一番きれい。あら、池だわ。あっ、ボートがある!ねえヤムチャ、あのボート乗りましょ」
言ってることはいつも通りなんだけど、口調が少しおとなしい。おとなしいっていうか、かわいげがある。字面じゃわかりにくいけど、それほど命令口調じゃないんだよ。
「ボートか。ひさしぶりだなあ」
それで俺はちょっとした意地悪を言ってみた。それは実に素直に通じた。
「んもう、茶化さないでよ。だいたい一昨日のは無しでしょ。雰囲気ないなんてもんじゃなかったわよ」
「じゃあ、今日は雰囲気出して漕いでやるよ」
『睡蓮の池』と名付けられたその小さな池の周りには、あまり人がいなかった。フラワーガーデンのみならずパークそのものの端に位置しているので、みな素通りしてしまうようだ。俺たちがボートを浮かべて少しすると他のボートもいなくなったので、俺はまったく何を気にすることなく漕ぐことができた。手早くだがゆっくりと、赤と白の睡蓮が水面を覆うように群生している池の真ん中に、ボートを寄せた。
「わー、すごーい。こんなにいっぱいの睡蓮見るの、あたし初めて。結構きれいよね、睡蓮って。清楚で可憐で見てると気が落ちつくっていうか」
「なんかそれっぽいこと言ってるなあ」
「茶化さないでってば。っていうかあんた、それのどこが雰囲気出してんのよ?」
ブルマに咎められて、俺は笑った。ブルマの声にも瞳にも、険がまったくなかったからだ。そう、俺たちは軽口を叩きながらも、なんとなくそんな感じになっていた。ブルマがデート気分なのはもう一目瞭然だったし、俺は俺でそれにだいぶん感化されていた。いつもながらの気取りのなさと、花を眺めてボートに乗るという、いつもとはちょっと違った新鮮さ。初々しいのか落ちついているのか、それはよくわからんが、なかなかに爽やかなデートの雰囲気。やがてブルマが睡蓮から俺の方へと視線を戻した時、俺はふと思い出してブルマに言ってみた。
「漕いでみるか?」
ブルマは片手を頬に当てながら、なんだか他人事のような口調で答えた。
「うーん、そうね〜。あたし、そういうのは男の仕事だと思うのよね〜。別に漕ぎたくないってわけじゃないけど、漕ぎたいわけでもないっていうか〜」
「ははは、そんなところだろうと思ったよ。…俺とリルちゃんが一緒に漕ぐのを邪魔しなかった時点でな」
間接的に、俺は一昨日の不満を吐き出した。別に燻らせていたわけじゃない、もうすっかり埃を被って記憶の中に埋もれていた。たまたまなんとなく掘り返されただけだ。むしろ意識してたら言わなかっただろう。意識してたら、やぶ蛇になるということにだって気づいていただろうからな。
そう、やぶ蛇だった。俺の言葉を受けて、ブルマもまた過去の不満を吐き出し始めた。
「あのね、この際だから言っとくけど、あたしだけじゃなくて、世の中の女はみんなそう思ってるわよ。『漕いでみたい』なんて嘘。そんなの、ただの口実なのよ。相手の男に近づくためのね。いい機会だから覚えておくのね」
「はいはい、わかりましたよ。でも、リルちゃんは違ったみたいだけどな。すごく楽しそうに漕いでたじゃないか」
「あの子はまだ子どもだからよ」
軽く息をつきながらそう言い切ったブルマを見て、俺はまた笑った。よもやこんなに穏やかに、あの子たちのことを話す時がこようとは。そう、こんなことを言っているブルマの態度は、ちょっとつんけんしてるけど、全然怖くなかった。本当はもうあの子たちのこと好きになってるんだけど、意地張ってるんじゃないかな――そう俺が思った時、ブルマの眉が上がった。
「だけどね、あんまり甘く見ちゃだめよ。子どもは子どもだけど、なかなか抜け目ないんだから、あの子たち。もっともそれ以前にね、あんたのその態度が問題よ。彼女と一緒にいる時に、他の女の話するってどうなのよ?」
…やっぱり、ブルマはブルマか。
怒ってないとはいえ、油断するのは禁物だな。少し雰囲気に流され過ぎてたようだ。
「ごめん、ちょっと思い出しただけだよ」
「思い出すのもダメ!デート中はデート相手のことだけ考えるものでしょ!」
迂遠だなあ…
『あたしのことだけ考えて』…そうはっきり言やあいいのに。もっとも、怒らずにそんなこと言ったら、ブルマじゃないけどな。
少しずつ考えを改めた挙句に、俺はそういう心境に行き着いた。今や怒気を孕み始めたブルマの声は、だがやっぱり怖くはなかった。少なくとも、俺には怖く感じられなかった。
…なんともちくちく苛めやがってまあ。でも、そのちくちくぶりがかわいいんだが。この場の雰囲気のせいか、はたまた俺の気分のせいか――いや、やっぱりそれほど怒ってはいないよな、ブルマのやつ。そっぽを向いてさえいないもんな。ものすごく珍しいことに、正面切って文句言ってる。ああ、ブルマはいつだって正面切って文句言うけど、この文句はそういう文句とは違うんだよ。…今日は幸先というより、風向きがいいのかもしれんな。いつもはこういうこと、めちゃくちゃ怒って言うからそりゃあ怖いもんだけど、今日はちょっと眉が上がってる程度だから、むしろかわいい。こんなにかわいい焼きもち焼かれたの、俺、初めてなんじゃないかなあ。
「そうだな、ごめん。でも本当にふっと思い出しただけで…その時以外はずっとブルマのこと考えてたよ」
「あんた、そういうこと…」
「恥ずかしくないよ、別に。本当のことだからな。それよりブルマも、漕ぎたくなくても漕ぎたい振りしておくべきだと思うな」
「はあ?何言ってんのいきなり?」
――いきなり、か。
「口実がないと近づけないんだからさ、こういうところでは」
その言葉を噛み締めつつ、俺は誘われるままにブルマの唇にキスをした。そうさ、誘ったのはブルマだ。この場所へも、この流れへも。そのくせなんか惚けてるけど。人をその気にさせといて、自分はそんなこと考えてもいないみたいな顔しやがってな。
そう、ブルマはキスを返してくれるどころか、ぴくりともしなかった。なんかすっかり呆然としてた。100歩譲ってブルマにとっては『いきなり』だったとしてもだ、そこまで驚くことはないだろう。正直、不本意な気持ちに俺はなったが、その後の反応がかわいかったので、思わず許した。
「も〜…あんた何もこんなところで…」
片手で口元を隠す仕種も、困ったように下がった眉も、薄く染まった頬も、照れたように俯いた顔も、すべてが妙に初々しかった。それでいてそんな台詞を言うところが、また俺の何かをくすぐった。…嫌じゃないんだよな。当たり前だけど。これで嫌がられたりしたら、俺は本当の本当にショックを受けるわけだけど――
「大丈夫、誰もいないよ」
なんともほのぼのとした余韻を感じながら、俺は軽く周囲に視線を流した。なんか本気でかわいいな、ブルマのやつ。仕種とか見た目とかじゃなくってさ。なんていうか、中身が。こう、滲み出てる雰囲気が。たぶん素なんだろうから余計に。こんなの、なかなかないことだぞ。いや大変失礼だが、滅多にないことだ。こんなに自然に『キスしたい』って気持ちが湧き上がってくることなんて、もう滅多にな…
「…………あれっ?いた…」
その時ふいに気づいた事実が、俺を少しだけ現実へと引き戻した。周囲に目をやったのはあくまで確認のためだったが、目にした事実は俺の予想とは少し違ったものだった。他のボートはいなかったが、池の周りを行き交う人々はいた。っていうか、急に混んできてるんだが。どういう因果だ。
「あちゃ〜…さっきまでは誰もいなかったんだけどなあ。…じゃ、行こうか」
「ふぅ〜〜〜…」
俺が思わず頭を掻くと、ブルマはあてつけるような大きな溜め息を吐いて、シートに深く身体を凭れかけた。でもそれ以上何かを言ってくることはなかったので、俺は笑ってボートを漕ぎ出した。なおもいつもよりは緩やかな事実を感じながら。
ブルマは怖くないどころか文句も言ってこないんだから、俺には謝る必要すらないのだ。
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