Trouble mystery tour Epi.12 (9) byY
…朝起きた時に、隣に自分がいる。こんな体験をしたことがあるだろうか。
ああ、双子ならあるかもしれないな。俺の知ってる双子は、あんまり顔似てないけど。
それを言ったら、俺たちだって似てるわけじゃないけど。でも、まさにそれが問題なんだよなあ…

翌朝。
窓から差し込む強い光に照らされて目を覚ました俺は、ベッドの中でぼんやりとそんなことを考えた。
目は開けたものの、未だ現実感がなかった。なんだか、夢の中の出来事のようで…
…いや。わかってはいるのだ。昨夜、自分の身に起きたこと。それに対し取った行動。とりあえず夕飯くらいは普通に食うか、と思ったこと。ちょっとやりにくいなと感じながら、服を脱ぎ風呂に入ったこと。その後、『半日陽に当たったから』とかいう理由で、顔にパックを塗りたくられたこと。それから急に疲れが出てきて、これからのことをさして話さぬままに、ベッドに潜り込んでしまったこと…
そう、疲れて寝ちまったんだ。意思に反して早々にな。なんか疲れやすいんだよな、この体。おまけに、いろいろしち面倒臭いことはあるし。ドレスはやたら動きにくいし、部屋に戻ってようやく楽な格好になれたかと思えば、肌の手入れだなんだとやらされるし。俺、『女はいいよな』とか思うこと時々あったけど、それはあくまで精神面のことでであって、肉体面について言うと、女って面倒臭いことだらけだな。
そんなわけで、体は女・心は男の俺は、ひょっとすると最もハズレクジな存在なのかもしれなかった。ブルマがやけに楽しそうに俺を演じていたことも、その感覚を裏づけた。まあブルマも、トイレがどうとか風呂がどうとか、ちょっとは文句言ってたがな。でも、それに関しては俺は敢えて聞き流すことにした。だって…なあ。なんか微妙じゃないか。風呂とかトイレに関しては、俺だって違和感…と言い切るには複雑過ぎる気持ちになるんだから、ブルマだって何かを感じていて当然だろう。そして、それが何なのかは…あまり考えたくない。単に男のことについてだけ何かを感じるならまだしも、そうじゃないに決まってる…いや、もうこれ以上は考えないぞ。
と、そこまで考えて、ようやく頭が起きてきた。体に圧しかかるだるさを押し退けどうにか体を起こすと、隣で寝ていたはずのブルマがいきなり起き上がって、布団を跳ね飛ばしながら開口一番叫んだ。
「おっはよ!じゃなくて、おそようかしらね?」
「元気だなあ…おまえ」
「別に、普通よ」
…ああ、そうかい。
わけもなく、俺は否定的な気分になった。本当になぜだろう。どうしたって、ここは感心すべきところなのに。ブルマがこんなににこやかに、起き抜けの挨拶をしてくるなんて、滅多にないことなのに。
「ゆっくり眠れた?」
「どうだろう…結構眠ったはずなんだが、いまいち頭がすっきりしなくてな…」
「そういう時は熱いコーヒーを飲むといいわよ。それも濃ーいやつをね」
「ああ…」
「ルームサービス頼んであげるわ。ついでに軽食も持ってきてもらって、部屋で朝食にしましょ。そうすればゆっくり支度できるから。その前にシャワー浴びるといいかもね。熱いお湯で頭すっきりさせてきなさいよ。あたしはラバトリーで顔洗うだけにするから、ゆっくり浴びてきていいわよ」
どう見たって、ブルマは上機嫌なのに。ものすごく優しさと思い遣りを発揮してくれているのに…
「シャワーか…うーん、どうしようかな…」
なのに俺は、その言葉に素直に乗ることもできなくて、ただただぐずぐずしている。頭もだが、体もいかんせんしゃきっとしないのだ。
「本人の言うことは素直に聞いとくものよ」
「…じゃ、行ってくる」
だが、やがてブルマが俺の額を指で突きながら笑ってそう言ったので、俺はついにその言葉に従った。反省ならぬ理解を抱いて。
なるほど、これが低血圧ってやつか…
我ながら行動が、寝起きの悪い時のブルマとまったく同じだ。ブルマの起き抜けの不機嫌って、こういう不機嫌だったのか。とすると、俺も今、あんな仏頂面をしてるのか。まいったなあ…
…あ、俺じゃなくてブルマか。見た目はブルマだったっけか。ってことは、光景としてはいつもと同じか。…いいんだか悪いんだか。
それにしても、目の前に俺がいるのに、それでも自分のことを俺だと思い込むとは。ようやく起きたと思ったけど、まだ起き切れてなかったんだな。それとも、それが普通だろうか。確かに、こんなことにすんなり慣れられるわけはない。ブルマが俺になってることと、俺が俺じゃないってこととは話が別…
困惑、混乱、苦悩、疑問。様々な感覚に頭を悩まされながら、俺はベッドから出た。
なにはともあれ、シャワーを浴びよう。
四半世紀ほどもこの体と付き合ってきた本人のアドバイスに従ってな。


とりあえずシャワーを浴びるためパジャマを脱いだ時点で、俺の頭は醒めた。
そりゃあ、醒めるさ。この姿を見ればな。体が細いとか、小作りだとかいうことはともかくとしても、この決定的な違いはなぁ…。見慣れたとはいえ、見飽きたわけでは決してない女の体。それが今は文字通り自分のものであるという違和感……以上のもの。特に胸なんか、ちょっと下向いただけで目についちまうんだからな。たまらんよなぁ…
そして、僅かに掻いた汗とだるさと、その他いろいろなものを流しながらどうにかシャワーを浴び終えてもなお、たまらんものはあった。
…バスルームから出て行ったら、またあのしち面倒臭い『お肌のお手入れ』とやらをやらされるんじゃないだろうか。やってたよな、朝も確か。それと化粧な。とはいえ、出て行かないことにはどうしようもないんだが。
で、少しの逡巡の後に出て行ったわけだが、そこで俺が見たものは、バスルーム続きのラバトリーの鏡の前で、口の端を両手で大きく広げて歯を剥き出しているブルマならぬ自分自身の姿だった。
「…何やってんだ、おまえ」
呆気に取られながらも、俺は訊ねた。まあ、答えなんて聞かなくたってわかるけど。…ひとの顔で遊ぶの、やめてほしいな。おまけに、そのガキみたいな表情。気が抜けるというか何というか、…マイペースだよなあ、ブルマのやつ。相変わらず危機感の欠片もない…
「あら、おかえり。…あ!ごめん、ルームサービス頼むの忘れちゃった。今頼むわね。すぐ済ませるから、あんたはドレッサーの前で待ってて。ご飯が来るまでにスキンケアしちゃうから」
どうやらブルマは、正真正銘のマイペースであるようだった。外見である俺の方のペースじゃなくて、中身であるブルマのペース。自分から言い出したはずのルームサービスを忘れていたというのが、その証だ。でも、そのこと自体には腹も立たない。人前でならともかく、俺たち二人だけの時にまで、あんまり俺らしくされちゃかなわん。俺が俺なんだから。こんな時こそ、自我を保たなきゃなって思うのだ。
それで俺は、自我を保つべく努めながら、肌にいろいろ磨り込まれた。ローション、クリーム、パウダー…目元と頬に簡単な化粧まで。どうにも女装させられている気分になるが、そうじゃないんだよな。それは鏡を見ていればわかる。おまけに、顔と体はブルマであるせいだろう、生理的にはそんなに嫌じゃないんだ。粉っぽいとか気持ち悪いとか、全然思わない。…だからなおさら、複雑な気分になるのだ。
そしてその儀式が終わったところで、ちょうどルームサービスが届いた。コーヒーポットが二つ(濃いのと薄いの。ブルマは俺の体・・・に対する気遣いを発揮して、俺がいつも望む濃さのコーヒーを別に頼んだようだ)に、新鮮なオレンジジュース、トーストに卵とベーコンのシンプルな一皿。デザートはなし。一見普通のメニューだったが、俺は密かに感心していた。ブルマのやつ、適応早いな、と。それはまさに、本来の俺好みのラフな朝食だったのだ。
その見た目には非常に満足の、でも食べてみると少し物足りない(今、俺の体はブルマだからな。たぶんデザートを欲しているのだと思う)朝食を、ほぼ食べ終えたところで、ブルマがこんなことを言い出した。
「ねえヤムチャ、あんたまだ機嫌悪いの?」
「…え?いや、そんなことないけど。どうしてだ?」
「だって、さっきからあんまり喋らないじゃない」
「そうかな。じゃあそろそろこの後のこと…」
それを皮切りに、俺は昨夜以来封じられていたその会話を再開させてもらうことにした。同時に、ブルマの口にした事実を打ち破ることもできる。そう、俺は自分の口数の少なさを自覚していた。理由もちゃんとわかっていた。機嫌が悪いわけじゃない。むしろその反対なのだ。
なんかゆったりしてきてるんだ。シャワーを終えた後あたりから。そして、それを認めたくないのだ。だって、こんな風に化粧なんかさせられてもちっとも不快に感じないっていうのは、どういうことだ?こんな状況で甘いデザートを食べたくなったりするのは、どういうわけだ?…いや、わかってるさ。わかってるけど…
曰く言い難い理性の河の端っこに、俺はしがみついていた。一方ブルマはすでにその河を、渡り切ってしまったようだった。
「あ、今日は一日自由行動なのよ。って言っても、まだ全然行き先決めてないんだけどね〜。観光スポットへはあらかた行っちゃったからなぁ。フライブレットタワーくらいかしらね、行ってないのは」
もうまったく何の心配もしていないかのように、笑ってそう話を持っていった。俺は呆れたというより、困ってしまった。
「いや、そうじゃなくってさ」
「ちょっと!股開いて座んないでよ。昨夜も言ったでしょ!」
「え?ああ、悪い…」
そして、思わず謝ってしまった自分に、失望した。
「いやいや、そうじゃないだろ」
今日の予定はどうでもい…くはない。少しくらい股間が見えてたってどうってこと…ある。あるけど、ズレてる。ブルマがズレてることは昨夜すでにわかってたけど、俺までそれに引き摺られてどうする。
「まさか今日も帰らないつもりか?ブルマおまえ、本当に何を考えてるんだ」
俺の声は自然と荒いだ。僅かな不快と大きな不解に煽られて。それは俺自身かなり聞き覚えのある、ブルマの声だった。俺がいつも躊躇ってしまう、質問を越えた詰問口調。
だが、それは呆気なく俺ならぬ俺の声に切り返された。
「どうせ今日帰ったって、何もできないわよ。まだドラゴンレーダーできてないからね」
「どうしてそんなことわかるんだ?」
「電話して聞いたからよ」
「電話した?一体いつ?」
「あんたが寝てる間によ」
「そ…」
「だから、今日は一日自由行動なの。あらゆる意味でね」
「…………」
俺はすっかり意表を衝かれた。のんびりしてるように見えても、ブルマはブルマか。そうだよな、ブルマの本質は科学者なんだから。なんかすっかり楽しんでるように見えたからつい疑っちまったけど、何も考えていないわけはないんだ。やはり目下のところは、ブルマと博士に任せておくべきなのだ。危機感どころか緊張感もないから、思わず口を出したくなるけど…
俺は改めて口を噤んだ。先ほどまでとは違う意図で。だが、その途端にブルマが危機感に緊張感、さらには脈絡までもないことを言って、俺を慌てさせた。
「よし!なんか気乗りしないみたいだから、今日はパーッと街でショッピングしましょ!」
「は!?なんでそうなるんだ」
「むしゃくしゃした時はショッピングに限るわよ」
「それはおまえの場合…」
「そうよ。そして、今のあたしはあんたなのよね〜え」
ここで、俺は思わず絶句した。ブルマならぬ俺の体から、それを感じたからだ。
ショッピングの時にだけ現れる、特別な力。それが何か妙なオーラとなって、ブルマ(っていうか俺)の全身から立ち上っていた。
幻覚かもしれない。だがこの気配…………まさかとは思うが…これは気か!?
「ま、本人の言うことはお聞きなさい」
絶句し続ける俺に向かって、ブルマは言った。先と同じ台詞を、先と同じように俺の額を指で突きながら。だが、俺にはわかっていた。
今のこの言葉は、先の言葉とはまったく意味が違うということを。思い遣りなどから出ているものではないということを。完全な口実だということを。
なのに、それにも関わらず、断り切れなかった。俺はこれまでとは違う理由で、ブルマのショッピング熱に気圧されていた。
――買い物好きなやつだとは思っていたが、気が高まるほどだとは、知らなんだ…


女の身支度って、本当に手間がかかるな。
さんざん弄られたと思ってたのに、まだすることがあったとは。着替えはともかく、口紅を塗りたくられたのには本当に閉口した。さすがにこれは慣れられん。この匂い、この味。今まではたまに『まずいなぁ』って思うだけだったけど、自分がつけることになると…
なんでこんなものつけるんだろう。つけなくたって問題ないと思うけどなあ…少なくとも、ブルマの場合は。
「さ、行くわよ。パンツルックだからって、行儀悪くしないでね」
「ああ…」
とはいえ、似合っていないわけではない。むしろ、鏡を見ている限りでは、とてもきれいに見える。だから俺は口紅のことは横に置いて、代わりにより現実的な不満を解消することにした。昨夜一時をドレスで過ごして、いくつか気づいたことがあったのだ。
「なあ、こっちの低い靴履いていっていいか?」
女のヒール靴の辛さ。ロングスカートの動きにくさ。…ブルマが短いボトムばかり穿くわけがわかったよ。靴だって確かにカジュアルなものが多い。この旅行中はちょっとめかしこんでるけど…だけど、俺はめかしこむのは無理だ。男としてならともかく、女としては絶対にな。
それで、膝丈のパンツとヒールの低いサンダルというラフな格好で許してもらった。それに対しブルマは、Tシャツにフェイクタイシャツさらにはジャケットという、カジュアルでありながら手の込んだ服装をし、街へ躍り出るなり当然のように腕を突き出しこう言った。
「何いつまでも突っ立ってんの。早く腕組みなさいよ」
「…いや、それはちょっと」
俺は思わず体を引いてそう答えた。身はともかく心までは女にさせないでくれよ。その泣き言は心の中で呟くにとどめた。
「どうしてよ。まさか恥ずかしいの?人にはいつもさせてるくせに」
「そういうわけじゃないけど…」
「じゃあ何よ?…まあいいわ。なら、手ね。どっか掴んでないとあんたすぐ視界からいなくなるんだから」
そんなわけで、今日は手を引かれてショッピングへと繰り出した。それは小さな違いでしかなかった。普段手を繋ぐことはあまりないが、ショッピングの時だけは別だ。ショッピングの時は、腕、手、首根っこ、服の端と、あらゆるところを引っ張られる。そうしてあらゆるところへ連れて行かれるわけだが、それについても今日は少し違っていた。
連れて行かれた先が、メンズショップだった。どうやらブルマは今日は俺として買い物を楽しむようだ。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「特に目当てがあるわけじゃないんだ。西の都から来たんだが、何かおもしろいアイテムがあったらと思ってね」
「それでしたら、こちらはいかがでしょう。地元デザイナーの今季の新作です。シンプルでありながら遊び心溢れるデザインで、今とっても人気なんですよ。特にこのジャケットはお勧めです」
「ふーん。ボタンが二つしかないのか。そして七分袖…仕立てはいいみたいだけど、ちょっと着こなしが難しそうかな」
「大丈夫ですよ。お客様はお洒落でいらっしゃいますから。身長もおありですし、絶対にお似合いですわ」
「はっはっは、やっぱりそうかなぁ」
にこやかに迎えた女店員と俺の姿をしたブルマとの、傍目にはそうとは知れない女の会話を、俺はなかなか複雑な心境で聞いた。
まったく、すっかり俺になりきりやがって。とはいえ、俺自身は店員とこんなに親密にやり合ったことはない。 特に女の店員とはな。そんなことしたら、一体どうなることか。試してみる前にきっと妨害が入るから、結果は永遠にわからないだろう。本当にブルマはやきもち焼きだからな。本人は『彼女の前で他の女と話すのはマナー違反』とか言っていたが、今自分でやってるってことは、やっぱりやきもちだったんじゃねえか。まあ、今さら突っ込むまでもないことだが。それにしても、この店員もなぁ…
「今お召しになっているシャツにもぴったり。確かに着こなしの難しいアイテムですけど、だからこそすごくセンスがよく見えますわ。ほら、袖を少しロールアップして5分袖として着こなすと、もっと格好よく決まりますよ」
「いやあ、確かにそうだな。じゃあ、これをもらおう。さて、色はどうするかな。黒はシック、グレーはカジュアルって感じだけど…」
これだけ話し込んでるんだから、いい加減少しは気づけ…るわけないか。俺たちは中身が代わっただけであって、外見的にはそのままなんだもんなあ…
「どちらの色もお似合いですよ。両方揃えられたらいかがですか?中に着るものでかなり雰囲気の変わるアイテムですし、彼女の装いにも合わせられますよ」
「はっはっは。なるほど、そうだね。まったくあなたの言う通りだ。じゃあ、両方もらおうかな」
「はい、お買い上げありがとうございます」
…それにしても、楽しそうだな。
一頻りの会話の後、店員はキャッシャーへ、ブルマは他の陳列棚へと移動していった。俺はというと、どちらにも声をかけられないのをいいことに、今初めて目にした光景を反芻した。
あの女店員に対する、ブルマの口調と態度。違和感がないなんてもんじゃなかったな。ひょっとしてブルマって、男の方が合ってるんじゃないか?思わずそんなことを考えてしまったりもする自然さだった。そう、自然な笑顔だった。
自然な笑顔。自然な態度。自然な雰囲気…
…じゃあ、俺は?本来、男である俺は…?
俺はふと、店内の一角に目をやった。試着を要求されない今日は向き合う必要のない全身鏡が、そこにあった。そっと近づいて、だが視点は一歩引いて、自分ならぬ自分を観察してみた。
ほっそりした膝下丈のパンツにシンプルなカットソー、パンツと同色のジャケット。どう考えてもカジュアルなのに、きれいな髪と女らしい体つきのせいで、セクシーに見える。すっきりとした目元。間近に見ているせいかいつもより大きく見える瞳。艶やかに塗られたルージュが唇をしっとりと色付かせ、耳元のピアスもきらびやかに、ほんのり笑みを浮かべてみれば…
鏡に映ったその表情は、そう見慣れないものではなかった。機嫌のよさそうな笑顔。溌剌とした微笑み。とはいえ、これまで意識したことはなかったが、してみるといかにも女っぽく見えた。とても自分のものとは思えない。
自分のだと思っていたら、これほど見入るはずがない。こんな時なのになぜだろう。――すごくきれいに見える…
「何やってんの?」
その時ふいに声がして、俺は思わず吸い寄せられそうになっていた鏡の世界から引き戻された。ちらと鏡の向こうに見えたブルマならぬ俺の顔は、小首を傾げた訝り顔だった。
「う…あ…ち、違う、これは…」
「何あんた、朝からずいぶんおとなしいと思ったら、あたしを意識してたんだ。そうやってずーっとあたしの姿にドキドキしてたんだ〜。やっらし〜い」
「違う!俺はどうしようもなく違和感を感じて、それで――」
「こ・と・ば・づ・か・い!」
でも一瞬の後にはわざとらしいにやけ顔となって、それからすぐにそれは厳しい怒り顔となった。朝にやっていた何面相かの成果を見せてくれたわけだ。
「はい、じゃあここは終わり。これ以上ボロが出ないうちに退散!」
そしてその後涼しい顔でそう言って、俺のその部分へと手を伸ばした。今日はブルマの方が背が高いせいだろう、いつにも増してがっちりと俺は首根っこを掴まれ、いつにも増して早々と店の外へと引っ立てられた。
くっそぉ〜〜〜…
俺は思わず黙ってしまった自分に失望し、なお且つ自分の首を引っ張っている自分自身の姿にも怨望した。
自分だって人の顔で遊んでたくせに。自分だって今言葉遣い緩んでたくせに〜…
これは言ってもいい文句のはずだ。だが、俺は言わなかった。それはなぜか?…言葉遣いを注意されながら喧嘩ができるか!
ずっとおとなしくしてるのだって、そのせいなんだ。昨夜さんざん言われたからな。それがムカついたんじゃなくて、そんなに気を遣ってまでなんてことない話する気になれないんだよ。
「さて、次はどこに入ろうかな〜。なんか姉妹店があるらしいんだけど、行ってみる?今なら、彼氏が見立ててるように見えるのよね。…でも、その仏頂面じゃ無理かしら」
まるで何事もなかったかのように、ブルマは笑っていた。いつもならこの笑顔に釣られて、俺も気分を取り直すところだ。でも、今日はそうならなかった。そりゃそうだろう。自分の顔だからな…
やっぱりいいことないよな、何も。まったくもってメリットなどない状況だ。どうしてブルマが楽しそうにしていられるのか、さっぱりわからん。
「決〜めた!次はここ!このショーウィンドウに飾ってある服、見せてもらうわ。今度はあんたも参加したら?自分の服なんだからさ。言葉遣いに気をつけてね。せっかくいい感じなんだから」
やがて、ブルマが上機嫌な笑顔でそう言った。俺はというと、すっかり否定的な気分になって、心の中で嘆いた。
いい感じ?どこが。
…いや、ブルマがどうあろうと知るもんか。
俺は全然いい感じじゃない。何もかもが不自然だ。早いとこ元に戻してほしいよ…
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