Trouble mystery tour Epi.12 (10) byY
俺はかつてないほど強い不満を抱きながらブルマの買い物に付き合ったが、それも途中までだった。
時間にして約三時間。店の数にすると十…何軒目?ともかくも昼を過ぎてしばらくした頃には、その不満は枯渇していた。
解消したのではない。あくまで枯渇だ。不満を保ち続けるだけの元気がなくなったのだ。
疲れた…………
すげえ疲れた。いつも以上に疲れた。エネルギーがなくなったというか…体がもう歩きたくないって言ってる。
確かにいつもよりは時間内に回る店の数多いけど…(俺の体だからか?ブルマはいつもよりきびきびしてる)、その代わり荷物は持たされてないし、特に何かをさせられてるってわけじゃないのに。本当にブルマのやつ、疲れやすいんだから。っていうか、気合いが入ってなきゃこんなもんなのか。
「…ブルマ、そろそろ休もう。もう昼過ぎたし…」
それで、メインストリート裏の大きなアーケード街が終わりに差し掛かった辺りで、俺は小声で切り出した。今や気合いも体力も充分の買い物の鬼に向かって。ブルマは大声で、まったく繕わない返事を寄こした。
「オッケー!でも一軒!この店だけ!最後にこのシューズショップだけ見てくるから!」
…それのどこがオッケーなんだ。
喉元まで出かかった突っ込みを、俺はゆっくり呑み込んだ。今では俺はもうすっかり、一呼吸置いてよく考えてから小声で話す意識が身についていた。
ブルマは素で叫んでもそれほどおかしくないのに、俺は素で喋ると言葉遣いがどうとか言われるんだよ。まったくもって不公平じゃないか。だけど、もっと男っぽく喋れ、とか言うのはなんか嫌だし。だいたいそうしたら、俺にももっと女っぽい言葉遣いをしろ、と言ってくるに決まってる。そうしたら、もっと男っぽい言葉遣いで喋ってほしいわ、とか俺は言わなきゃならんわけで…
疲れるよな。そういう意味でもすごく疲れてる。ちょっとこの第三者の波から離れたい…
「…じゃあ、外で待ってていいかな。荷物は持っててやるから…」
「わっ、サンキュー!助かる!ちょっと邪魔だなって思ってたんだ。じゃっ、行ってくる!」
笑顔全開でブルマは答え、俺の手にショッピングバッグを押しつけると、店へ向かってずかずかと歩き出した。と、一端そのドアの手前で立ち止まり、気障なウィンクを一つ放った。これら一連の動作すべてに、俺は軽く眩暈を感じた。
ブルマのやつ、言葉遣いはともかく口調と仕種に関しては、さりげなくだが確実に男っぽくなってきてるぞ。元に戻った時に支障が出ないといいんだが…
俺はなんとなく頭を掻きたい気分になったが、両手が荷物で塞がっていたので無理だった。だからそうはせずに、ゆっくりと店の軒先にあった柱の前へと移動した。軽く背を凭れて、ショッピングバッグを持ち直す。荷物はそれほど重くはなかったが、いつもより手が小さいので、少し持ちにくかった。どこかにベンチでもないかな――そう思い辺りを見回すと、ちょうど斜め向かいにオープンテラス式のカフェがあった。さらに折よく、テラスのテーブルがいくつか空いた。
うん、あそこならブルマの様子もよく見えるし、すぐに出られて具合もいい。待ちついでにアイスクリームでも食べて、エネルギーを補充しよう…
疲れた時には甘いもの。体の内から湧いてきたその感覚に、俺は素直に従うことにした。もはやブルマは、完全に俺を満喫している。なら俺だって、少しは染まってもいいだろう。昼食を入れる腹を残しておけば文句も言われないはずだ。
そんなわけで、俺はブルマとしての一歩を踏み出した。が、二歩目を踏み出そうとする前に、呼び止められた。
「や、彼女。何してんの?友達でも待ってんのー?」
「…まあ、そうだけど」
「両手重そうだね。オレが手伝ってあげようか」
――あ、ナンパか…
足を止めあまつさえ返事を返してしまってから、俺は気づいた。当たり前だけど男にナンパされたことないから、わからなかった。
「いや、いい。…です」
「まぁまぁ、遠慮しないでよ。オレも友達待ってんだ。だから待ってる者同士、ちょっとお茶でも飲もうよ。ねっ」
「結構です」
いつもよりはさっくりと、俺はそのナンパ相手を切り捨てた。男のナンパはわかりやすくていいな(一瞬だけわからなかったけど)。はっきり誘ってくるから、こっちもはっきり断ることができる。
「そんなこと言わないでさ。待ってるだけなんて暇じゃん。すぐそこにカフェあるし。あそこなら友達が来たらすぐわかるし、友達が来たら出てけばいいじゃん」
…その代わり、しつこいけどな。おまけに、さっきまでの俺と同じこと考えてやがる。
「…私、かの…いや、彼氏いるんで。悪いけど他当たって――」
「あ、そうなんだ。まぁそりゃそうだよね。彼女かわいいもん」
こうして俺はカフェへの道を閉ざされた。だって、ここでカフェに行ったら、ついてくるに決まってるだろう?
そう、男は引かなかった。逆ナンだったら、彼女いるって言えば大概引いてくれるんだけどなぁ。
「でも、ちょっと話するくらい、彼氏だって文句言わないよ。それもただの時間潰しだし。だいたい、こんなにたくさんの荷物持って立ちっ放しなんて、大変でしょ。ちょっと座った方がいいって」
「それは…」
「あ、これ、ナンパとかそういうんじゃないよ。こんなに大変そうにしてる人、放っとけるわけないじゃん」
「…………」
思わず俺は言葉に詰まった。とはいえ、この男の言うことを信じたわけでは、無論ない。
髪の根元のみ黒い、不自然な金髪。俺と同じくらい陽に焼けてはいるが、とても健康的とは言い難いひ弱そうな体。首元と手首、他至るところでチャラチャラと音を立てるアクセサリー。…見た目で判断するなって?でもなぁ…
「そうですか。でも結構です」
やっぱり、この手合いの言うことを素直に信じるほどには、俺は純粋じゃないんだよ。或いは、そこまで田舎者じゃないっていうかさ。
とはいえ、これがまずかった。この時相手を観察してしまったことが。わかりやすく言うと、俺は一瞬この野郎と目が合ってしまって、それで野郎がさらにやる気を出したというわけだった。
「きみ、どこに住んでるの?この辺りよく来るの?」
「…いいえ」
「あっ、じゃあオレが案内してあげるよ。オレ、ここらには詳しいんだ。ところでお腹は空いてない?」
「いいえ」
いつしか元いた場所へと後退させられていた俺は、再び店の軒先の柱を背にして、無理矢理視界に入ってこようとする男の視線をかわしながら、ひたすらNOを繰り返した。そうして柱を一周したところで、さすがに堪忍袋の緒が切れかかった。
…しつこいなあ、もう。
いくら気の長い俺だって怒るぞ。ブルマの荒っぽい往なし方を何度か非難したことがある手前、踏ん張ろうと思ったが、いい加減うんざりしてきた。こっちがおとなしくしていればつけ上がりやがって。
「ねえ、立ち話もなんだから、やっぱりそこのカフェ入ろうよ」
「いいえ…あっ」
ここで男が急に俺の手首を掴んだ。俺の脳裏に、昨夜の光景が蘇った。いつの間にかエイハンに手を握られていたあの時。だが今日のはあまりにも強引で、おまけに二度目ということもあって、俺は流されなかった。
「放せ…いや、放して」
「大丈夫、何もしないよ。荷物持ってあげるだけだよ」
「そんな口実――」
ああ、まだるっこしい。
俺は男なの!おまえだって男と×××ピーしたいわけじゃないんだろ!?
そう言ってやることができたら。…まあ、言うだけなら言えるんだけどな。信じてもらえないだけで。
「友達も来ないみたいだし、いいじゃん」
いいわけないだろう!
そう言い捨て男の手を振り解こうとして、俺は愕然とした。
――振り解けない。それどころか、掴まれている方の腕が、まったく動かせない。なんだこいつ。ひ弱な振りして、ずいぶんと力が強…いや、俺が弱いのか!?
手にある荷物を投げ捨ててもいいものかどうか。俺はすでにそんなことを考えていた。今では俺は、すっかり得心していた。
…なるほど。いきなり引っ叩くなんて乱暴な、とか思ってたけど、引っ叩かないと振り解けないのか。そうか…
事実の意外な側面というやつが、一瞬、目の前のことから俺の意識を逸らした。その隙を突いたように、男の力が強まった。
「痛っ…」
力が痛みに変わった。俺は思わず声を漏らすと同時に、自由な方の手を閃かせた。その時だった。
「やあ。そこのきみ、何してるんだい。もしかしてナンパ?」
気が抜けるほど穏やかな声が、どこからともなく聞こえてきた。実際、俺は気が抜けた。だが未遂に終わった平手を下ろした次の瞬間には、息を呑んでいた。
「残念、彼女はずっとデートは予約済みなんだ。ナンパなら他の子にしてくれるかな?」
気障な野郎だ…
いつもならそう思うに違いない台詞の主は、俺だった。俺が、俺と男の横に胸を張って立ちながら、瞳だけを動かしてこちらを見ていた。挑発するような笑み。甘く光る瞳。その芝居がかった俺の姿をしたブルマを見て、俺は思わず赤面した。
…恥ずかしくて。ブルマのやつ、ドラマの見過ぎだ。恋愛ドラマのワンシーンじゃないんだから、往来で変な色気出すんじゃねぇ。
要するに、俺は自分にいたたまれなくなったのだった。だがナンパ男にはそういう機微を持つ義理はないので、この場を離れようとする素振りすらなく、俺ならぬブルマに突っかかっていった。
「はあ?なんだよおまえ。横から掠め取ろうとしてんじゃねえよ。ここはオレのシマなんだよ、わかったらあっち行ってな」
完全に甞められてるな。そりゃあその優男ぶりではな。ブルマがそういうのが好きだってことは知ってるけど…
恥ずかしさに呆れを混じらせながら、俺は演じてる感たっぷりのブルマを見ていた。でも、そこに男のエッセンスが加わった途端、意識が変わった。
「ふっふっふ、ずいぶんとでかい口を叩くじゃないか。そっちこそ、俺の女と知って手を出してるのか?ならば、それなりの覚悟はしてもらおう」
少し歪んだ笑みに、獲物を狙うような鋭い眼光。一瞬で俺は俺から目が離せなくなった。さらに、その台詞を聞いた時にはぞくりときた。いや、台詞じゃなく声にだろうか。とにかく違和感がなかった。俺はまさに鏡を見る思いで、その自分を見た。
先に手を出したのはナンパ男だった。そうだろう、こういう時は弱い方が先に手を出すと決まっているのだ。だが、その後はよくわからなかった。ブルマの動体視力では、俺の動きについていけなかった。だから俺は完全にブルマの視点から自分の姿を見たのだった。
「…ぅああっ!!」
気づくと、男は目の前から消えていた。放物線を描くように宙を舞い、叩きつけられるように地面に転がった。二、三転した後でのろのろと立ち上がり、一転してダッシュで人混みの中へと消えていった。
「二度と俺の前に面を見せるな。張り合いなさ過ぎてつまらないからな」
おおおおっ…
俺、格好いい…!
ブルマがまたもや芝居がかった台詞を吐いた時、俺は不覚にもそう思ってしまった。
…なんてこった。俺、格好いいじゃないか…!
そこで中指を立ててやったら完璧だな!まあ、ブルマはそんな下品なことしなくていいけど。それにしても、俺ってなんて格好いいんだ。我ながら惚れ惚れするよ。
思わず浮立ってしまった俺に対し、ブルマは早くもブルマに戻って、こう言った。
「ったくぅ。あんなのビシッと一言で断りなさいよ。それができないなら無視しなさい!…って、どうしたの?ちょっと大丈夫?まさか何かされたの?」
「いや、ちょっと…自分に見惚れて…」
俺は素直に吐露した。自分はナルシストではないという自覚があった。だって、俺は今ブルマの視点から見ているのだから。そう、これはきっとブルマの感覚なのだ。まあ、ブルマならずとも目を引かれるところだろうとは思うがな。
実際、それはそうだった。いつしか俺たちの周りには人の輪ができていた。騒ぎが終息した今では、すでに崩れつつあったが。それでもまだ遠巻きにこちらを見ている人がちらほらといる中、ブルマのお説教が始まった。
「バーカ!ったく、のんきこいてる場合じゃないでしょ。そんなだから、手なんか握られちゃうのよ。昨夜といい、あんまり他の男に軽々しく触らせないでよ。あたしが軽率な女みたいに見られちゃうんだからね!」
「そんなこと言ったって…いきなりのことで振り解けなかったんだよ」
「だったら大声出すとかして、助けを呼びなさいよ!」
「そんな、助けを求めるなんて女々しい真似…」
「あんたは今女なんだっつーの」
「それはそうだけど…」
それはもうまったくいつもの姿だった。人目も憚らずに一方的に文句をつけるブルマ。理不尽なことで責められる俺。
そう、理不尽だ。俺にキャーとか言えってのか?いくら今は女だからって、そこまで自分を捨てられるか。
…ああ、今のでよくわかった。やっぱり俺は、ブルマになり切ることはできない。女の立場になり切ることはできない。
「しょうがないわねえ。ええ、ええ、守ってあげるわよ。ほら、荷物寄こして。それじゃ手繋げないでしょ」
…ブルマの方はすっかり男の立場になり切ってるみたいだがな。
言葉遣いは他人がいる時以外はさほど男らしくないが、なんか態度が男らしい。時々、本気で男っぷりがよくて困る。さっきとか…今とか。
非常に微妙な気持ちになりながら、俺は荷物をブルマに預け、手を繋いだ。なんだな、ブルマのやつ、こういうことするのが段々スムーズになってきてるよな。そして俺も、なんとなく断れない。むしろそうするのが自然に感じられるくらいだ。いつもと何もかもが反対で、違和感があって当然なのに、そういうのもないんだよ。
「なるべくあたしの傍離れないでね。言っとくけど、あたしモテるんだから。特にこういう街中にいる、しょうもないナンパ男にはね」
「…それは自慢なのか?」
「な、わけないでしょ」
でも、喋るとやっぱりブルマがブルマで、俺が俺なんだ。自我とかはおかしくないんだけど…
ブルマと一緒に歩き出しながらも、俺はどこかついていけない気分になっていた。だが、そのうちブルマが自らの無茶ぶりを暴露し始めたので、否が応でもついていかざるを得なくなった。
「ねえ、ところでさあ、あの光の弾が出せないんだけど」
「は?」
「ほら、この間の天下一武道会でやってたやつよ。さっきのナンパ男、あの追いかける弾でやっつけようと思ってやってみたんだけど、出なかったの」
「あんなことくらいで技出すな!」
抽象語に満ちたブルマの言葉ではあったが、俺にはすぐに理解できた。繰気弾だろ。確かにあれはなかなか格好いい技だと、自分でも思うからな。
でもだからって、こんな往来でほいほい使われちゃ堪らんぞ。あれはそういうことのために開発した技じゃないし、だいたい一般人にあんなの当てたら、誇張じゃなく死ぬかもしれん。ブルマのさっきの様子じゃ、うまいこと手加減できるとは思えないからな…
「あんなことくらいって何よ。女の一大事でしょ。だいたいあんたが悪いんじゃない」
「…ああ、はいはい、すみませんでした」
「かっわいくないわね。もう助けてあげないわよ」
その方がいいかもしれんな。
とは俺は口には出さず、ただ心の中でだけ自らに言い聞かせた。今度絡まれたら、迷うことなくこちらから手を出そうと。ブルマのやつ、格好いいけど派手過ぎだもんな。間違って殺してしまっても、ドラゴンボールは俺たちが使うから、生き返らせられないんだぞ。
「それにしても、気を使うのって難しいのね。どうやって高めたり溜めたりするわけ?なんかコツはないの?」
「気なら、さっき高まってたじゃないか」
「…?いつ?」
「買い物してた時。それと、買い物するって決めた時。いてっ」
そうして、その俺の感覚は正しいということが、この時早くも証明された。一見いつものように飛んできたげんこつの感触が、いつもと全然違ったのだ。…ブルマのやつ、やっぱり手加減できてねぇ…
「つまんない冗談言ってんじゃないわよ、ったく」
「おまえ、叩くのはいいが力を加減しろよ。でも冗談じゃなく、本当だぞ」
「嘘、マジ?そっかー。自分でもやけに熱入るなって思ってたけど、あれ気のせいだったんだ〜」
「気のせいというか、熱が入ってたせいで気が高まってたっていうかな」
「へぇ〜、ふぅ〜ん」
やがて盛んに頷き返してきたブルマは、心の底から感心しているように見えた。俺は正直ほっとした。…自覚できないのか。それほど馴染んでるってわけでもないんだな。
「で、どこまで歩くんだ?」
「どこか良さそうなレストランが見つかるまでよ」
さらに、ブルマがそのことにさほど執着していないのを知って、またほっとした。やはり、他人が自分以上に自分らしく見えるというのは、複雑だからな。それがブルマで、男らしいともなれば、なおさらだ。だけど、ブルマはあくまで不可抗力で俺をやっているに過ぎないんだから…
今日のこの行動は突発的な思いつきであったためか、それとも俺であるためか。ともかくもこの後しばらく、この旅行中では珍しくブルマは当てもなく歩き、俺はその手に引かれて後を歩いた。
…うん、こうしてみると、やっぱりいつもとそう変わらないかもな。
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