緩歩の男
一体、何がいいかしら。服、靴、バッグにアクセサリー…
『今一番欲しいもの』。ここ数日、あたしはそれを考えることに余念がない。
お小遣いが余ってるから。…ううん、そんなのしょっちゅうよ。センター街でミニバーゲンやってるから。…確かにお金持ちでもバーゲンには心ときめくものがある。でも、違うの。答えは、誕生日だからよ。もっちろん、あたしのよ!
まだもうちょっと先だけど。もうちょっとっていうか、あと2日よ。だからプレゼント何もらうか考えてるの。まだ訊かれてはいないけど、でも絶対訊いてくるに決まってるんだから。女の子へのプレゼントなんて、ヤムチャにわかるわけないんだから。そんな気利かないやつだもん。例え気が利いたとしても、そんなセンス一度だって見たことないわ。
一体、何がいいかしら。
服…は少し前に買ったばかりだし。今さらバーゲンやるなんて恨めしくなっちゃうくらい、いっぱい買っちゃったわ。何がいいか考えながら今日の放課後センター街を歩いてみたけど、あたしが定価で買ったやつと似た服が半額になってるの見つけちゃって、すっごく悔しい思いをしたのよ。
靴…はわりといつでも欲しいけど、いまいちそれっぽさに欠けるのよね。シンデレラのガラスの靴とかならまだしも、実際に履く靴となるとねえ。それっぽいハイヒールなんて、もらったって履く機会ないもの。
バッグにしたってそんな感じ。その手のものは一通り揃えちゃってる。
じゃあ、アクセサリーはどうかしら。そうね、お揃いのペンダント。…ううん、ダメダメ。いくら流行りとはいえ(今流行ってんのよね、学校で)あれはダサ過ぎるわ。
そんな感じで延々と、あたしは考え続けていた。考えながら、ご飯を食べたりお風呂に入ったりメカを弄ったりしていた。つまり、ちょっと浮かれてた。いいじゃない、誕生日なんだもの。おまけにセブンティーンだもんね。17歳っていったら大人まであと一歩よ。女はとっくだけど、男は18歳で結婚できるようになるんだから。…どうして男と女で違うのかしらね。
逸れた思考を修正しないまま、あたしは廊下を歩いた。――それだとお互い16歳でどうしても結婚しなきゃいけなくなった場合に困るじゃない。…あたしたちはそんな不純なことしてないから関係ないけど。――男の方が体が出来上がるのが遅いとか?…でも、どう見てもすっかり出来上がってるわよね。そりゃあ全部見たことあるわけじゃないけどさぁ…
必要性のまったくない論題に、出す気のない結論。やっぱりどう考えてもあたしは浮かれていた。だから、やがて入ったリビングの不自然な静けさにも、腹が立ちはしなかった。
「ちょっと、何よ。二人してどうして急に黙るのよ?仲間外れにしないでよね〜」
だから、軽ーくそう言ってあげた。あたしの顔を見るなり口を閉じたヤムチャとウーロンに向かって。二人仲よくソファに並んで座っちゃったりして。それであたしが来るなり黙っちゃうなんて、あたしのことを話してたとしか思えないじゃない。
そしてそのことを証明するように、二人はそれはちぐはぐな態度を取った。
「あ、いや別に何でも――」
「今何か欲しいものあるかって話をしてたんだよ。昨日からセンター街でバーゲンやってるだろ」
あからさまに誤魔化している男と、白々しく誤魔化した男のブタ。とりあえずは最後まで言い終えた方の言葉に、あたしは答えてあげた。
「バーゲンねー。確かにやってるんだけどねえ。今あんまり欲しいものないのよね。強いて言えば新しい基盤とか…」
あたしはまったく含むところなく、素直に答えていた。それなのにウーロンはこんなことを言った。
「おまえは本当に予想を裏切らないやつだな。訊くんじゃなかったぜ」
「まー何よ。一体どういう態度よ、それは」
せっかくひとが腑に落ちない態度に目を瞑って話に乗ってあげたのに。あたしの方こそ答えるんじゃなかったわ!
「普通、女が欲しがるのはそういうもんじゃねえだろ。まったく、色気も夢もない女だぜ」
「どうしてバーゲンに夢が必要なのよ?」
色気はいいの。あたしもうあるから。これ以上いい女になったら大変よ。
そんなことまで考えたのは、そこでウーロンが口を閉じたからだ。ヤムチャはもちろん何も言わなかったので、当然話はここで途切れた。するとある意味ではタイミングよく、母さんがお茶を、プーアルがケーキの箱を手にキッチンから出てきた。
「は〜い、お茶が入ったわよ〜。今日はウェストエリアに新しくできたお店のお菓子よ。みんな好きなの選んでね〜」
「はい、ケーキここに置きますね」
それであたしの気は逸れた。不毛な会話より、おいしいケーキ。そんなの当たり前よね。
「どんなのある?あたし今日はチョコレートっぽいのが食べたいんだけど」
「イチゴのチョコレートケーキがあるわよ〜」
「あ、じゃあそれにするわ」
甘いケーキを一口頬張ると、浮かれ気分が戻ってきた。でも一方ではちょっぴり落ち着いた気持ちにもなってきて、さらに半分ほどケーキを食べ進めたところで思いついた。
ひょっとしてさっきのって、誕生日プレゼントのこと訊いてたのかしら。…まさかね。いくら何でもウーロンに言わせたりはしないわよね。
だけど、どうせ訊かれはするんだろうから考えておかなくっちゃ。一体、何がいいかしら。ウーロンに言われたからじゃないけど、物そのものじゃなくて夢を叶えてもらうっていうのもいいわね。大きな花束を持って迎えにきてもらうとか。…ダメ。全然似合わな〜い。あたしじゃなくって、ヤムチャがよ。だいたい、どこに迎えにきてもらうのよ。…学校?
どことなく甘い空想をしながら、あたしはケーキを食べ終えた。最後にお茶を飲んでも、それから部屋へ戻っても、甘さは胸に残っていた。だからあたしは弄りかけのメカにはもう手を出さずに、今日はこのままベッドへ入ってしまうことに決めた。
だからって、眠るわけじゃない。眠らずに夢を見るの。そりゃプレゼントは一つに決まってるけど、考えるだけならいくつだっていいんだもんね。
ある意味こういう時が一番楽しいのよね。




どこかそれっぽいところに行くっていうのもいいなー。
夜景の見えるレストランで食事とか。…ダメか。夜はみんなで食べるんだったわ。誕生パーティの主役だもん、抜けられないわよね。それにやっぱり似合わないわ。キスもしてない高校生のすることじゃないわよ。
相変わらず延々と、あたしは考えていた。翌日、ハイスクールでの午後、屋上のペントハウスの屋根の上で。昨夜一晩考えてみたけど、全然決まらなかった。っていうか、いつの間にか眠っちゃった。それもいつもよりだいぶん早い時間に。いくらベッドに入ってたからって、10時に寝ちゃうなんて子どもみたい。でも、どうしてそんなことになっちゃったのかは、なんとなくわかってる。こう、まったく論理的にじゃなく何かを並べ上げてくのって、眠くなるのよ。まるで羊の数を数えてるみたいでさ。
だけどもちろん、飽きちゃったなんてことはない。それどころか、考えれば考えるほど楽しくなってきてる。何買ってもらおうかな、なんて考えるの、家族や親戚以外の人に対しては初めて。男の子にプレゼントされたことがまったくなかったわけじゃないけど(ボーイフレンドはいなくたって、誕生日にプレゼントをくれる男の子くらいはいたわよ。ちっともあたしの好みじゃなかったけど)、そういう一方的に貰うのとはわけが違う。ヤムチャはくれるべくしてくれるんだもの。そう、『彼氏からのプレゼント』だもんね。カップルならではのお約束ごとみたいなものよ。友達同士プレゼントするのも同じ感覚かもしれないけど、そうやって好意を確認するのよね。本当は何をくれるかなんてどうでもいいのよ。
そうは言っても、やっぱりそういうことを考えるのは楽しい。訊かれたらどういう態度取ろうかしら。少しは考えるフリした方がいいわよね。じゃないと、訊かれるの待ってたみたいだもの(待ってるんだけど)。だけど考えるフリも何も、まだ決まってないのよね。一体、何がいいかしら。
それっぽいっていえばどうしたってアクセサリーなんだろうけど、どこか違和感あるのよね。くれるヤムチャにも、もらうあたしにも。そもそも想像するのも困難っていうか。だって、そういう彼氏っぽい雰囲気、ヤムチャから感じたことないんだもの。それってどうなのっていう気はするけど、事実だもの。そりゃ、欲しいって言えば買ってくれるんだろうけど…
だからこそ、これを機会にそういうことを言ってみる。まあ、それもありかしらね。言えばそれなりになってくれる。…のかしら。じゃあいっそタキシードまで着せて花束買ってもらおうかな。…いえ、やっぱりそんな高校生いないわよ。だいたいそんな格好して、真っ昼間っからどこに行くっていうのよ。
花にケーキにアクセサリー、夜景にワインにタキシード。思いつく限りのそれっぽいものを頭の中でヤムチャに無理矢理組み合わせてみた後で、あたしの思考は元に戻った。一体、何がいいかしら。香水とか、わりとそれっぽいかしらね。あんまりつけなさそうだけど。ヘアアクセサリー。うん、それは結構いいかも。すごく欲しいってわけじゃないけど、決して邪魔になるものじゃないわ。それならブローチってのもありか。たぶんほとんどつけないだろうとは思うけど、適度にそれっぽく適度にさりげなくはある…
今ではだいぶん具体的になってきた思考を、あたしは並べ上げた。ぽかぽかと温かい午後の日差し。まったりとした気持ちにさせる食後の満腹感。とめどなく続く幸せな思考の数々。
こうしてあたしはまたもやプレゼントを決めることができぬまま、眠りに落ちたのだった。


「ヤムチャくん?もうとーっくに帰ったわよ。一人でね!」
「ええ〜。うっそ〜〜〜」
ヤムチャのクラスに残っていた数少ない生徒の一人がちょっと嫌みっぽく言った時、あたしは思わず大声を上げてしまった。
もう、ヤムチャのやつぅ。そりゃ眠ってて授業が終わったことにも気づかなかったのはあたしだけどさ。でも、少しは探しにくるとかしてくれたっていいじゃない。声がかからないからって一人で先に帰っちゃうなんて、この薄情もん!
それでも表向きは何とも思っていないフリをして、その場を離れた。あの女の目つきを見れば、誰だってそうするでしょうよ。ちょっとでもあたしとヤムチャが食い違っていると見るや、すーぐ割り込もうとするんだから、この学校の女たちは。いい加減、自分に釣り合う容姿の男を当たってもらえないものかしらね。中身が、とは言わないわ。だって、中身はこんな風に自分の彼女を置いてけぼりにするようなやつなんだから。
とはいえ、あたしは直接の原因は自分にあることをちゃんとわかっていた。あらかじめ断っておかない限り、あたしがヤムチャのクラスに行くことになってるの。そう決めてるってわけじゃなく、いつの間にかそうなってたんだけどね。だからエアバイクでかっとばして着いたうちのゲートに一人じゃないヤムチャの姿を見つけても、腹が立ちはしなかった。
「今帰ってきたの?三人してどこに寄り道してたのよ」
ただ、ちょっと不思議に思った。仲間外れにされたとまでは思わないけど、珍しいなとは思った。ヤムチャとプーアルそれにウーロン、三人揃って帰ってくるのが…じゃなく、三人揃ってどこかへ行っていたらしい、ということが。だって、もう夕暮れ時だもの。そう、あたし2時間近くも寝過しちゃったのよ…
三人は一瞬黙って、そして同時に足を止めた。やがてヤムチャの鞄からブラウンバッグが一つ出てきた。
「うん、ちょっと街の方に。これお土産。ストロベリーチーズバー」
「わ〜、サンキュー」
ブラウンバッグを差し出すヤムチャの態度も声もカラッとしていた。それであたしは、僅かに感じた腑に落ちなさを、横に押しやることにした。とはいえ、このヤムチャの誤魔化しに乗ってやらないやつもいた。
「何だヤムチャ、おまえ案外ちゃっかりしてんな。そんなの一体いつの間に買ってたんだよ」
「おまえがすっかり自分の趣味に走ってた間にだよ…」
あっちの内部に。…ふーん。示し合わせてたわけじゃないのね。おまけに一緒に行動していたわけじゃないこともわかったので、あたしは軽ーく突っ込んであげた。
「何よウーロン、あんたまたナンパしてたの?」
「ただのナンパならまだいい。こいつ俺をジュエリーショップに連れてくフリして――」
「ジュエリーショップ?なんでそんなところに行こうとしたのよ?」
あたしが訊くと、ヤムチャは途端に表情を変えた。寄っていた眉も噛み潰しかけていた苦虫も、一瞬にして消え去った。おまけにあからさまにそういう声を漏らしもした。
「うっ…ああ…えーと…」
「バッカだなー、おまえ」
それにはすぐに突っ込みが入った。またあっちの内部から。…プレゼントの下見かしら。バレバレね。なんかかわいい。
「ま、いいわ。あー、お腹空いた。さっそくこれ食べよーっと!」
こんな時だけ惚けきれない惚け顔を尻目に、あたしは自ら話題を変えてあげた。誤魔化しを兼ねたお土産に、思いっきり不器用に誤魔化された前日の行動。あんまり彼氏っぽくないやつだけど、一応彼氏ではあるらしいわ。
「ここで食うのかよ。中に入ってからにしろよ、行儀悪いな。だいたい何でそんなに腹減ってんだよ。おまえ、サボってたんじゃないのか?今まで何してたんだよ」
「ナ・イ・ショ!」
「何もったいつけてんだよ。どうせまたわけのわからないもの作り始めたんだろ」
「わけのわからないものとは何よ。あんたが理解できないだけでしょ。自分の頭が悪いのを棚に上げてそういうこと言わないでちょうだい」
こうして今日もやってきた浮かれ気分の中、ウーロンのかわいくない声にあたしは答え続けた。本当のことは言わないまま。本当は何してたのかなんて言わないわ。
ヤムチャのこと、もうこれっぽっちも責める気ないから。責める気ないのに『寝過ごした』ってことだけ言うなんて、バカみたいだもんね。




――Happy Birthday to Me!
翌朝、いつもよりちょっぴり早めに、あたしは目を覚ました。理由は特にない。勝手に目が覚めたの。でもそうね、原因ならあるかも。あれよ。プレゼントのリクエスト並べ。起きながらにして見る夢が、あたしを本当の夢の世界へ誘い込んだのよ。
とはいえ、実際には夢は見なかった。そして、プレゼントも決められなかった。たっぷり眠ってすっきりとした頭上に降り注ぐ太陽の光。まるで祝福しているような青い空。窓を開け爽やかな風を部屋に入れてから、あたしは決めた。プレゼントについてはこれ以上考えないことに。
いいわもう。その時の雰囲気で。だって、何でもいいんだもの。ヤムチャがくれるものなら何でも。わぁーお。何かあたし、すっごく彼女っぽいこと言ってる。
浮かれ気分を抑えつけて、普段着を身につけた。昼間は学校だから。まっ、もともと特別な格好しようなんて思ってないけど。パーティったって、どうせ内輪でやるやつだもんね。
さて身支度をすっかり済ませてリビングへ行くと、例によって母さんが満面の笑みを閃かせた。
「おはようブルマちゃん。17歳おめでとう。もう大人ね〜。パーティはハイスクールから帰ってすぐにする?それともいつものように夜?何か食べたいものはある?ケーキはいつものお店に頼んだけど、少しなら変更きくわよ〜」
「いつも通り夜でいいわ。ケーキはいつものイチゴのケーキよね?じゃあ二段…ううん、三段重ねにして!」
「あらあら。そんなにたくさん食べ切れるかしら」
「今年はヤムチャたちもいるんだもの、大丈夫よ」
もう何度も交わされた、定番の会話。…の亜種。どこが違うのかなんてわかるわよね。
そうね。あたしプレゼントのことばっかり考えてたけど、今年はいろいろと違うのよね、去年とは。去年だけじゃなく、これまでのどの誕生日とも。もう友達を呼んで誕生パーティなんかする年じゃないけど、だからって家族だけってわけじゃない。呼ぶまでもなくいる居候も、呼ぶまでもなくいる彼氏もいる。
「おはようブルマ。誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう!」
その彼氏がやってきた。いつもと同じのんびりとした笑顔で。髪が少し濡れてる。シャワーを終えたところね。朝のトレーニングの後にシャワー、それからみんなで朝ごはんを食べて、そしたら学校。まったくいつも通り。それはあたしも同じ。
でもやっぱり、気分は違うのだった。思えば初めてだわ。家族以外の人間からこういう感じでお祝い言われたの。改まってる感じじゃなくて、さりげないってほどなんてことないわけじゃなくって。当たり前なんだけど、当たり前じゃない。プレゼントの話なんかしなくても、わりと気分は出るものね。…あたし、浮かれ過ぎかしら。
「お誕生日おめでとうございます、ブルマさん」
「よーっす、おはようさ〜ん。おっと忘れてた、誕生日だったな。よ、おめでとさん」
やがて、少し改まった雰囲気のプーアルと、なんてことのなさ過ぎる態度のウーロンがやってきた。特に最後に聞こえた声が、あたしのその意識を強くした。
…あたしが浮かれ過ぎなんじゃないわ。やっぱりヤムチャは特別よ。それにしても、プーアルはともかくウーロンのこのいかにも適当といった態度。さっすがただの居候よね!
「ちょっとウーロン、何よその言い方。もう少しどうにかならないの?気持ちが篭ってないにも程があるわよ」
あたしはケンカを売りたかったわけじゃない。例えウーロン相手と言えど、わざわざこんな日にケンカを売りたいわけもない。これはただの、そして当然の忠告よ。だけど、ウーロンはどこまでもウーロンなのだった。
「おまえこそ、もう少しどうにかならないのかよ。誕生日だってのに、初っ端からそんなケチつけることないだろ」
ついでのように誕生日を祝ったくせして、その誕生日をダシにし始めた。これで腹が立たないわけはなかった。
「何言ってんの。ケチつけてるのはあんたでしょ」
「どこがだよ。おれはおめでとさんって言ってやっただろうが」
「その態度がケチつけてるんだっつーの」
我ながら説得力のあり過ぎる、でも水かけ論。まったく、嫌んなっちゃう。こんなしょうもないことで気分を壊さないでほしいわ。誕生日の朝――特別な一日の始まりの時間。一年に一度だけのいろんなことを後に控えて、今が一番楽しい時なのに。
あたしがそう思っていると、例の如くヤムチャがここで出てきた。いつもと同じ緊張感のない面持ちに、いつもと同じちょっと遅いタイミング。でもその口から出てきた言葉は、いつもと同じではなかった。
「おまえの負けだ、ウーロン。ブルマが正しい」
「そうよねー、ヤムチャってばわかってる〜!」
ちょっぴり強気に響く、珍しく白黒はっきりつける台詞。あたしはすっかり嬉しくなって、思わず手を叩いた。ウーロンがそれはかわいくない態度で、今度はヤムチャにケチをつけた。
「なんだよヤムチャ、珍しく一方的に肩を持ちやがって。いくらブルマが怖いからってなあ」
そしてそれに答えたヤムチャの言葉にこそ、あたしは本当に驚いたのだった。
「そんなんじゃない。おまえ、俺の時も同じような感じだっただろ。俺は男だからいいけどな、ブルマは女なんだからそういう態度を取るな」
あらー…
なんかヤムチャからレディファーストの香りがする。使い方が間違ってるような気はするけど。
「こいつが女なのは見た目だけだろ。女らしさの欠片もないくせによ」
おまけにウーロンには全然通じてないけど。でも、それはどうでもよかった。本当にもう、ウーロンはあたしにとってどうでもいい存在になっていた。
「あーら、そんなこと言っていいのお。そんな風にパーティの主役を悪く言うやつには、パーティのごちそう食べさせてあげないから」
かわいくないとは思うけど、不快じゃない。そうね、勝手にすればって感じ。じゃあどうしてこんなことを言うのかっていうと、ウーロンはうちの居候だからよ。居候は居候らしくしとくべきなの。彼氏が一応彼氏らしくしてくれたんだからね。
「あっ、卑怯だぞ、おまえ」
「それが嫌なら認めるのね。あたしはとびっきりのいい女だってことをね!」
「あー、はいはい。おまえはいい女だよ。体だけな」
「あんた、ほんっとにかわいくないわね。それじゃあ彼女なんかできっこないわ。きっとナンパし続けの人生ね」
「放っとけ」
ウーロンが例によってその台詞を口にしたところで、あたしはその態度を尊重してあげることに決めた。ま、半分わかっただけでも上出来よ。それにウーロンに中身まで知ってもらう必要はないわ。
「はいはい、放っておくわよ。ウーロンはパーティに欠席、っと。ヤムチャ、プーアル、朝ごはん食べましょ。早くしないと遅刻するわよ」
「あっ、こんにゃろ。くそー、性格悪いな、おまえ」
すでにすっかり割り切っていたあたしにとって、そのウーロンの言葉は呆れた以外の何物でもなかった。溜息と共に口を開きかけた時、ヤムチャが伏し目がちに呟いた。
「どっちがだ…」
それであたしは口を閉じた。まさにあたしもそう言おうとしていたところだったから。思わず目を瞬いた後には、ただただ単純な笑いが込み上げてきた。やっぱりあたしは浮かれてるみたい。浮かれ過ぎって認めなくちゃいけないみたい。
「そうよねー、そう思うわよね、やっぱり!」
こんななんてことない偶然が楽しいなんて。その不貞腐れた表情が嬉しいなんて。…だけど、そんな気持ちにもなるわよ。ヤムチャがどうしてそんな顔をしているのかを考えたら。自分がウーロンを言い負かせなかったのが、どうやら不本意らしいわ。そうよね、せっかく珍しく加勢してくれたのにね。
「ま、いいじゃないの。早いとこごはん食べましょ。ウーロンもさっさとしなさい。今日は特別に見逃してあげるわ」
浮かれ気分を抑えるのはもうやめた。それでも今生まれた気分は表に出さないことにして、あたしはすべてを流しておいた。
こんなことで喜ぶなんて、ヤムチャに失礼よ。冗談でも褒めてやったりしたら、きっとまた不貞腐れるわよ。だいたいあたし自身、そんなことで喜ぶなんてどうなのよ、って気がするし。まっ、それについては誤魔化すことができるけど。
17歳って、箸が転んでもおかしい年なのよ、きっと。


ヤムチャの隣にプーアル。反対側にウーロン。
誕生日のものとしては初めての、でもいつもと同じ登校風景の中で、あたしは考えていた。
今日は学校をサボらない。
だって、今日の放課後はヤムチャと一緒に過ごすんだもの。そうよ、何があったって一緒に帰るわよ。放課後デートするんだも〜ん。まだ何も訊かれてないけど、それだけは決定よ。もし訊いてくる気配がなかったら、こっちからおねだりしてやるわ。あたしにはその権利があるんだもんね。
そんなわけであたしは耐えた。ひたすら瞼を重くする数学の授業にも、退屈で死にそうな物理の授業にも。…サボらないとはいっても、いちいち授業に出なきゃならないわけでもないんだけどね。まあ気分の問題よ。それだけ気合いが入ってるってことよ。
そうして迎えた昼休み。そろそろそういう話をしてもいい頃よね。そんな期待と共に、あたしがひと時の休息を求めて教室を出ようとした時、それは起こった。
「ちょっとブルマ、待ちなさいよ。あんたどこ行くつもりよ!?」
クラスメートの女がわざとらしくも甲高い声でそう言って、あたしの腕を引っ掴んだ。その態度だけじゃなく、手の力も強かった。ちょっと呼び止めたとか、そんな感じじゃない。あたしは一瞬眉を顰めたけど、ことさら平然と言葉を返してやった。
「どこだっていいでしょ。お弁当食べるのよ」
あんたの好きな男とね!
そこまで言わなかったのは、単にあたしが優しい女だからだ。この幸せな一日に、好んでケンカしたいわけもない。
「そんなこと言ってサボろうたってそうはいかないわよ。今日はちゃんと掃除してってもらうからね!」
「はあ?掃除?」
「しらばっくれないで!教室の掃除よ。いつもいつも当たり前のような顔してサボってさ。同じ班のあたしはえらい迷惑よ」
だけど女の方はそうではないらしかった。どうしてここで掃除の話が出てくるの?今は昼休み。掃除なんて、ずっと後のことじゃない。この時点では、あたしは怒ってはいなかった。っていうか、はっきり言って呆れちゃうわ。ほんっと、こいつうるさいわねえ。確かヤムチャの誕生日の時にもうるさかったのよね。あたしの誕生日もヤムチャの誕生日も知ってるはずないのに。
「因縁つけるのもいい加減にしてよね。誰もサボろうとなんてしてないでしょ。さっさと手放してよ、お弁当食べに行くんだから」
「騙されないわよ。昨日もそうやってサボったくせに。あんたみたいな自分勝手な女と付き合って、ヤムチャくんだって迷惑よ!」
出たわね、本音が。ほんっとあからさまなやつ!よくそう恥ずかしげもなく、脈絡のない言いがかりをつけられるものだわ。
事ここに至っても、やっぱりあたしは怒ってはいなかった。だけどこれ以上女にイニシアティブを持たせておく気もなかった。この際、この恥も外聞もないバカな女を、思いっきりやっつけておいてやるわ。二度と邪魔されないようにね!
「あ〜ら、それは悪かったわね。だけど変ね、ヤムチャに文句言われたことなんて、一度だってないわよ」
言いたそうにしてたことなら何度かあるけど。それと、痛くも痒くもない苦言ね。
「言われなくたってわかるでしょ。昨日だってすごく迷惑がってたわ!」
「昨日?そういえば帰ってくるなりお土産くれたわね。それもあたしの好きなやつ。そっか〜、あれが迷惑がってる態度だったのか〜。気づかなかったわ〜」
何かを誤魔化そうとしてるっていうのには気づいたけど。そしてすぐに、その『何か』もわかったけど。
「…そ、そんなのあんたがやらせてるんじゃない!ヤムチャくんは優しいから…」
「そうね〜、ヤムチャは優しいわよね。朝だって顔合わせるなり誕生日のお祝い言ってくれたし。ウーロンとケンカしてたら庇ってくれたし。そんなのをあたし一人で独占しちゃって悪いわね〜」
あくまで笑顔であたしは言い続けた。目に見える事実だけを。女が今日このタイミングで絡んできたことに感謝しながら。…言ってやれるだけの事実があってよかったわ。そうじゃなければ、それは悔しい思いをするところだった。
「今もこれから一緒に放課後の計画立てるの。ま、そういうことだから。じゃあね〜」
ついに女は口を噤んだ。手も放した。あー、すっきりした。本当のことを言ってやっつけてやれるっていいわね。虚しくなくって。いつもこうだといいのに。あたしはなかなかいい気分で、苦虫を噛み潰したような女の顔を横目にした。すると目の前の廊下にちょうどヤムチャの姿が見えた。
「やっほーヤムチャ、今授業終わったとこ?」
小脇に抱えられた化学のテキスト。化学実験室から戻ってきたところね。まさにグッドタイミング。迎えにきたわけじゃないところが惜しいけど、そこまでは望まないわ。
「今日は天気がいいから内庭でお弁当食べましょ」
しつこくも向けられていた敵意の最後の要素――視線――を外すため、にっこり笑ってヤムチャの腕を取ると、女の表情が変わった。でもその次の行動は、あたしの予想を裏切った。
「ちょっとブルマ、待ちなさいよ!」
あからさまに眉を吊り上げて、再び最初の台詞を叫んだ。あたしの心にも再び呆れが湧き起こった。
「あんたもしつこいわね」
みっともないとか思わないのかしら。こんな人だらけの昼休みの廊下で、仮にも公認カップルに突っかかるなんてさ。どこからどう見たって『あんたが一人で邪魔してる図』なんだけど?
「しつこい女は嫌われるわよ。ま、もともと好かれてないから気にしてないのかもしれないけど!わかったら引っ込んでて」
「言ったわね。サボリ魔のくせに!ふん。どうせあんたは今日はどこにも行けないんだから。あんたこそさっさとその手を放しなさいよ」
はっきり言って付き合いきれない、水かけ論。おまけに言ってる意味もわかんない。誕生日のこと言っちゃったのが原因かしら。意地になってるんだか何だか知らないけど、バカな女よ。
「さ。ヤムチャ、行こ」
この上は女を無視することに、あたしは決めた。さすがに笑顔を作る気はなくなっていた。思いっきりわざとらしくヤムチャの腕を取ってやると、今度は女ではなく当人が表情を変えた。
「一体何でケンカなんかしたんだ?」
そして周囲を憚るように耳元でそう囁いた。…相変わらず鈍いわね。本当にわかってないのかしら。
「別に。向こうが勝手に突っかかってきたのよ」
今さらこそこそしなくたって、あんた以外の人間はみーんなわかってるわよ。これはプレゼントのこともあたしから言わないとダメかもね。
そんな風に気持ちを切り替えた時、校内放送が流れた。
『あー、生徒の呼び出しをする。2年のブルマ、至急生徒指導室まで来るように。繰り返す――…』
はあ!?
あたしは瞬時に足を止めた。信じられない思いではあったけど、自分の耳を疑ったりはしなかった。…言った。今確かに、あたしの名前を言ったわ。なんでよ?この頭脳明晰・成績優秀のブルマさんが生徒指導室なんかに呼ばれたりするわけ――
「…なあブルマ、今呼ばれたみたいだけど…」
わかりきったことを呟いて、ヤムチャがあたしの顔を覗き込んだ。何かの間違いよ。答えかけて、あたしはその言葉を呑み込んだ。思い出したのだ。さっき流した女の台詞を。『どうせあんたは今日はどこにも行けないんだから』――あの言葉の意味がわかったのだ。
そんなわけで、あたしはヤムチャの腕を放した。もう当てつけなんかしている場合じゃないわ。
「告げ口なんてしてんじゃないわよ。卑怯者!」
「あーら、あたしは本当のことを言っただけよ。あんたがいつもいつも午後からいなくなって困るってね」
「困るですって!?あたしがあんたに何の迷惑をかけたっていうのよ!!」
今では完全に、あたしは怒鳴っていた。この幸せな一日にケンカしたいわけもない。もうとてもそうは思えなかった。売られたケンカは買うわ!
「掃除当番サボったじゃない!」
「そんなことくらいで呼び出しかけないでよ!しかも昼休みに!」
「かけたのはあたしじゃないわよ。文句があるなら先生に言うのね」
「そうやって生徒指導室に行かせようたってそうはいかないわよ!」
「あらそう。じゃあばっくれれば?ま、それで終わるとは思えないけど」
ぐぐぐ…
でもすぐに言葉に詰まってしまった。だって、『虎の威を借る狐』もいいところなんだもの。本当に卑怯よね。こんな女、好きになるやつ絶対いないわよ!
ここで思わず、あたしはヤムチャの顔を見た。ひたすらに黙ってあたしたちのケンカを眺めている男を。自分も当事者だなんてこれっぽっちも思っていなさそうな彼氏の顔を。そしてそれが失敗だった。
「…ま、放課後を潰されたくなければ行くしかないな」
「ええ〜〜〜。何よ、あんたまでそんなこと言うわけ!?」
何も加勢を期待していたわけじゃない。ヤムチャが女に向かってビシッと言ってくれるなんてありえないし、あたしだってここでそういう助けは借りたくない。それはなんか違うっていう気がする。でもこれはもっと違うって気がする。…何もこの女の目の前で言わなくたっていいじゃない。いくら何でも空気読めなさ過ぎってもんじゃない?
「そうむくれるな。生徒指導室の前までは俺も付き合うから」
当ったり前よ!
自分こそが元凶だなんて絶対に思っていなさそうな口調で言いながら、ヤムチャがあたしの背中を押した。それであたしは呑気な彼氏の顔ではなくあくまでも女の顔を睨みながら、ヤムチャの腕を取った。そして黙って生徒指導室の方角へと足を向けた。女にもそして何よりヤムチャにも、これ以上文句を言うつもりはなかった。
あたしは空気が読めるから。この上はせいぜい見せつけていってやるわ。
ふんだ、バーカ!


あーもう、あったまきちゃう!
あんの堅物教師、何が『掃除当番のたびにサボるのは感心しない』よ。そんなセコいことするかっつーの!たまたまよ、たまたま!掃除当番なんて、いちいち覚えていられるわけないでしょ。おまけに昨日はサボるつもりですらなく、ただ寝過したってだけなのに。あたしは屋上にいたのに…だけど、そんなこと言えないし。腹いせに、父さんに言って毎月の寄付やめてもらおうかしら。それとも、入学の時に寄付したプール、取り壊しちゃおうかな。思いっきり派手にさ。きっと驚くでしょうね。ちょっと楽しそうね、それ。
とりとめのない想像で気を紛らわしながら、6限目終了のチャイムを聞いた。屋上のペントハウスの屋根の上で。午後の授業?そんなものサボったわ。あんなこと言われて昼休みを潰されて、その後にあんな女のいる教室に戻るなんてまっぴら。せっかく今日という日の過ごし方をヤムチャと相談しようと思ってたのに、まともに話をすることすらできなかったのよ。今日はもうあの女の顔は見たくないわ。
そんなわけであたしは今度はわざと掃除をサボって、ヤムチャのクラスへ向かった。いいのよ。呼び出しなんて怖くない。今までだって何度かあったけど、全部ばっくれてやってたわ。今日応じてやったのは、放課後じゃなく昼休みだったってことと、ヤムチャがあんなこと言ったからよ。そう、ヤムチャがあんなこと言わなければ…でも、ヤムチャに罪はない。異常に気が利かないのなんて、いつものことよ。…ということにしておくわ。とりあえず今日のところは。
やがてヤムチャのクラスのドアを潜った時には、どうにか気分を立て直すことにあたしは成功していた。できればケンカはしたくないもんね。そんな誕生日の思い出はごめんだわ。
「ヤムチャー、帰ろー」
自分の席で帰り支度をしているヤムチャに、あたしはいつものように声をかけた。ヤムチャはすぐに振り向いた。驚いたというには穏やかな、さりげないというには大きな素振り。当然のように向けられる笑顔。そのいつもながらの『待っている姿勢』が、なぜかこの時は少し特別に感じられた。してもいない約束が、とっくに交わされていたように感じられた。そう、言ったり言われたりする必要なんてないのよ。あたしたち恋人同士なんだから。…ちょっと買い被り過ぎかしら。あたしまた浮かれてる?
いいわ。浮かれ気分大歓迎よ。こういうことの切り替えは早くなくっちゃね。
「ねえヤムチャ、まずはセンター街へ行ってみない?こないだ行った時はあまりよく見なかったから」
さすがに話進めるの早過ぎかしら。そう思いつつ、あたしは計画を提案した。なんのことかわからなかったら、最初から始めればいいのよ。わざとらしく拗ねてやったりしながらね。
ところが、ヤムチャの反応はあたしの意表を突いた。軽く頭を掻きながら、でもたいして表情は崩さず、こんなことを言ったのだ。
「ごめん、俺ちょっと寄るところがあるんだ。だから先に帰っててくれないか。それでその後――」
…ちょ。
ちょっと。ちょっと、ちょっとおぉぉ〜〜〜!
なーーーにそれ。今日この日にあたしを差し置いて一体何の用事があるっていうのよ!?
完全に想定外。っていうか、信じられない。何も言ってこない以下だわ!!
あたしの気分は数分前のものに戻った。…あったまきた!絶対許せない!でもその気持ちを、ヤムチャに直接ぶつけるつもりはなかった。…今は。
「あれ、おいちょっとブルマ?どこに行く――」
だから、相変わらず惚けた態度でヤムチャが訊いてきた時にも、ひたすらに建前を貫き通した。
「お望み通り先に帰るの!!」
こんな人の大勢いるクラスの真ん中でケンカなんてごめんだわ。あたしたちは公認カップルなんですからね。そんなことしたら明日どれだけウザったいことになるか――
来た時には開いていたドアを思いっきり締めると、もうヤムチャの声は聞こえなくなった。それであたしはムカムカする気持ちを抑えつけて、自分のクラスへと向かった。
掃除をするため。でも別に教師やあの女の言葉に負けたわけじゃない。あたしにはあたしの、プライドがあった。
わざわざ掃除をサボっておきながら、誕生日に一人でそれもヤムチャより先にハイスクールを出てたまるもんですか!
あたしはフラれたんじゃなくフッたのよ。真面目に掃除をするためにね!


いいもんねーだ。別に欲しいものだってないし!
きっちりと掃除当番を果たした後で、あたしはエアバイクに飛び乗った。ちんたら歩いて帰る気はしない。寄り道だってする気になれない。ばったりヤムチャに会いでもしたら、今度は抑える自信ないわ。誕生日にケンカなんてしたくない…もうしてるも同然だけど。
本当に、なんて男かしら。朝にはあんなにいい感じだったのに、今じゃもうすっかり忘れてるみたい。この鳥頭!夜になれば思い出すかしら。パーティやるんだもん、そりゃ思い出すわよね。そしたらうんと苛めて嫌味言って…あんまり楽しくなさそうね、それ。虚しい遊びだわ。
やがてうちに着いた。その時点では、ヤムチャが帰ってきているかどうかはわからなかった。外庭にもポーチ横にもいなかったから。でもあたしは、それ以外にいそうなところ――リビングに顔を出す気にはなれなかった。ヤムチャはどうかわからないけど、ウーロンはきっといる。この時間に帰ってきてヤムチャと一緒じゃないと知ったなら、一体何を言われるか…わかってるだけに会いたくないわ。
…あーあ。
そんなわけで、あたしは誰にも会わずに部屋へ行き、一言も喋らないままベッドに飛び込んだ。…なんという盛り下がり。ひょっとして、今までで一番つまんない誕生日かも。なんかもういろいろと不完全燃焼。期待していただけになおさらよ。期待していたあたしが悪い?そんなことないわよね。ヤムチャだって一応彼氏だし、そんなに気の利いたことはしてくれなくても、付き合ってくれるくらいはしてくれると思ってたのに。いつもそうだから。いつもいつも何かを言い出すのはあたしだけど、ヤムチャだって何の文句も言わずに付き合ってくれる。消極的肯定って感じで。それだって満足できる態度じゃないけど、今日はそれさえも示してくれないなんて…
なんのことかわからなかったら、最初から始めればいい。わざとらしく拗ねてやったりしながら。少し前にはそう考えていたあたしは、今や本当に拗ね始めていた。だけど、悲しんでいたわけじゃなかった。どうしてあたしがヤムチャなんかに悲しませられなくちゃいけないのよ。それも、こんなしょうもないことで。そう、あたしはただテンションが下がっているだけ。帰ってから誰とも会っていないから、誰とも口をきいていないから…いつもなら帰ってくるなり投げかけられる『おかえりなさい』『パーティの準備できてるわよ』なんかの言葉を今日は聞いていないから。その証拠に、数十分後ようやく帰ってきたヤムチャの姿を窓の外に見つけた時、あたしの気持ちは切り替わった。一瞬にして気力が奮い立った。
――…一体何の用だったのか、それを訊く権利があたしにはあるわ!
だって、ヤムチャは一応彼氏なんだから。あたしは立派な彼女なんだから。こんな立派な彼女を袖にするには、それなりの理由があって然るべきよ。なかったらそれこそ苛めて嫌味言って、それから癪だけどあたしから連れ出してやるわ!
「ヤムチャ!帰ったの!?」
わかっていながらあたしは言った。ヤムチャの部屋のドアの前で。いつもなら怒鳴り込んでやるところだけど、今日はそれはしない。ヤムチャに自分でドアを開けさせるの。向こうからあたしを迎えさせるの。
「ああブルマ、ちょうどよかった。今部屋に行こうと思ってたんだ」
開いたドアの向こうにあったのは、それは飄々としたヤムチャの笑顔だった。あたしはすっかり気を殺がれた。その笑顔の優しさにではなく、ヤムチャとの温度差に。…なんて鈍い男。あたしが怒ってるのがわからないのかしら。虚しいというよりバカバカしくなってきたわ。もうこれは完全に、あたしの方から前もって言っておくべきだったのよ。
「遅かったわね。一人でどこに寄り道してたのよ」
それでも、嫌みは言っておいた。そう、もう行き先なんかどうでもいい。ただの嫌みよ。だけど、あたしは忘れていた。今に限らずいつも忘れちゃうんだけど、ヤムチャってこういう嫌み通じないのよね…
「うん、ちょっと街の方に。これ取りに行ってきたんだ」
やっぱり、今日も通じなかった。まるで顔色を変えずすっきりとした表情で言うヤムチャを見て、あたしはすっごくがっくりきた。いつもの比にならないくらいがっくりきた。期待したり喜んだり怒ったり、いろいろあったからその反動かもね。あまりに呆れてその態度に文句をつける気も失せたその時、不意に視界が狭くなった。思わず俯きかけてた頭の上に、ふわりと白い物が乗った。
「やるよ。とりあえずのプレゼントだ」
あたしはすっかり目を丸くして、同時に聞こえたヤムチャの言葉を反芻した。特に一番最初のセンテンスを。まったく考えていなかった展開だった。絶対に、ヤムチャはあたしに任せると思っていたの。 あたしがヤムチャの誕生日にそうしたから余計に。
おまけに、そのくれたものというのがまた意外。クロシェレース編みのツバの大きな真っ白の…帽子。盲点だったわ。帽子って普段あんまり被らないから、考えてもみなかった。でもだからってダメってわけじゃない。それどころかこの形、なかなかロマンティックでいい感じよ。なによりヤムチャがこういういかにもな女物を買ってるところを想像すると楽しくなっちゃうわ。
怒りも呆れも驚きも何もかもを忘れて、あたしはヤムチャのくれた白い帽子を見ていた。すでに訊きたいことはなくなっていた。あたしは空気が読めるから。言うこともなくなっていた…『ありがとう』の他には。そしてそれを言う前に、ヤムチャが言葉を続けた。
「それでさ、これからどこか行かないか?映画と遊園地のチケット、用意してあるんだ」
その瞬間、あたしは思わず息を呑んだ。大げさだと思うかしら。でも、わかったのだ。あたし自身も意識していなかった誕生日プレゼント。一体あたしは何がほしかったのか。それをヤムチャがあたしに教えてくれたのだ。
「パーティ夜からだろ?そのくらいの時間はあると思うんだ。映画と遊園地、どっちがいい?他のがいいならもちろんそれでいいぞ。そしてその後――」
『初めてのヤムチャからのデートの誘い』。それに対する返事はすぐに決まった。
「両方!!」
せっかくチケット用意してくれたんだもの、どっちも行くわよ。これまではどこに行くにも何をするのも、あたしが言いだしっぺで当然あたし持ちだったんだから。お金の問題じゃない、気分の問題よ。こんな風に奢りで誘われるのって、本当にデートしたいんだなって感じするもん!
今度はヤムチャがちょっぴり目を丸くして、あたしの言葉に答え澱んだ。
「両方って…それじゃ帰りが遅くなっちまうぞ。パーティの時間が…」
「いいのよ、少しくらい待たせたって。あたしは主役なんだから!だから、あんたも待ってて。あたし着替えてくる!」
ここであたしは会話を打ち切った。ヤムチャの返事を待たずに、自分の部屋へと駆け出した。あたしにもこれ以上言うことはなかった。…言い忘れた『ありがとう』以外には。でも、それは後でいい。後でゆっくり歩きながら言えばいい。この帽子に似合う服を着て、にっこり笑って言えばいい。
あたしの思考は、すでに次の段階へと進んでいた。…一体、何がいいかしら。服に靴、それにアクセサリーもつけてみる?
服はやっぱりあのワンピースよね。一目惚れして買ったはいいけど、かわい過ぎて着るのに困っちゃってたやつ。でも今日はそのかわいさがいいのよね。怪我の功名みたいなものね。靴は…失敗したなあ。こんなことならそれっぽいヒールの靴の一足くらい買っておくんだった。ま、白いスニーカーでなんとかするか。それとアクセサリーね。うーん、これこそたいして選ぶ余地ないけど、まあいいわ。とりあえず何かつけときゃいいのよ。雰囲気よ、雰囲気。それ以上のことはどうせヤムチャにはわからないわよ。…と思うんだけど。
頭上を飾る帽子の存在が、あたしをちょっぴり弱気にした。…本当にどこで見つけたのかしら、この帽子。一体どんな顔して買ったんだろ。どうしたって彼女へのプレゼントだってバレるわよね。――そしてちょっぴり悔しいような気持ちにもなった。…生意気なんだから。
でも、そのどちらの感覚も、不快ではなかった。それどころかすっかり嬉しい気持ちになって、あたしは身支度を整えた。最後に帽子を、鏡を見ながらきっちりと被り直して、きっと今までで一番軽やかな足取りで部屋を出た。
さあ、誕生日デートのはじまりよ!
web拍手
inserted by FC2 system