恋日の男
響く轟音、舞う土煙。
夕方近くになってようやく辿り着いた大地は、荒れ果てていた。初めからそうなのか、最近になってそうなったのか、それはよくわからない。
土煙が落ち着くのを待ってから、エアクラフトの速度を下げた。同時に高度も下げて着陸態勢を取ろうとしたところ、地表に残る土煙の向こう、視界の端に人影を捉えた。小山のような岩の上に一つ。その傍の地面の上にもう一つ…
「…違った」
直立不動の姿勢で硬い表情を崩さない天津飯さんと、心配そうにそれを見上げる餃子くん。二人がそこにいたことは、それほど意外なことじゃなかった。彼らがずっと放浪修行してるってことは知ってる。それでも、残念な気持ちは否めなかった。結構時間かけてポイント絞り込んだのになぁ…
「他に人は…いないみたいね」
三人仲良く修行生活。その可能性がなくなったところで、あたしは操縦桿を引いた。そのまま速度は上げずに低空飛行。せっかく会ったんだから、ちょっと挨拶してこっと。それから、最近ヤムチャに会わなかったかどうか訊いてみて…
「きゃっ」
突然、キャノピーがビリビリ震え始めた。操縦桿にも振動が走った。操縦桿を握る手に力を入れながら、あたしは見た。
天津飯さんの、それは緊張に満ちた背中を。体の周りに漂い始めた気の光を。
「声かけられるような雰囲気じゃないわね…」
それどころか、巻き添え食わないうちに立ち去った方がいいかも。このエアクラフト、小型の一人乗りであんまり馬力ないから。一斉に飛び立っていった鳥たちを遠くに見てから、あたしは地図を取り出した。
「えーと、じゃあ他に最近異常があった地域はと…NOR1240026Z付近…北か。また遠いわね〜」
武道家ってどうしてみんな辺鄙なところが好きなのかしら。
すぐ傍にいる二人の武道家にそれを訊くことはなく、あたしはそこを飛び去った。めいっぱい速度を上げて。
急がなくちゃ今日が終わっちゃう。特に北の方は陽が落ちるの早いだろうし。
まったく、手間かけさせるんだから、ヤムチャのやつぅ。


不思議ね。
ちゃんと姿を見たわけじゃないのに。なんとなくあの辺にいるな、って感じただけなのに。それだけでわかっちゃうなんて。
…ま、あいつの性格を考えれば、わかりもするか。
葉のない木々の茂る北の大地。大きな滝のある崖の下。そこに格好つけて佇んでいる人影を見て、あたしはエアクラフトをホバリングさせながらキャノピーを開けた。さっきのようにじっくりと確認する必要はなかった。
「やっほー。ヤームチャーーーッ!」
操縦桿片手に手を振ったあたしの頬に、霧のような水飛沫がかかった。耳には凄まじい滝の轟音が響いた。そんな中、あたしの聞きたい声だけが、返ってこなかった。
あら…聞こえないのかしら。ここ、滝の音がすごいからなぁ。
「ヤムチャってばぁーーーっ!!」
自然の音に負けないように、今度は両手を口元に寄せて叫んだ。それでも反応がなかったので、あたしは考えを切り替えた。
ここは一つ、いきなり目の前まで降りてってやろうじゃないの。全然気がついてないみたいだから、きっと驚くでしょうね。
「よし。垂直降下開始――」
まずはキャノピー開閉ボタンを押そうとした、その時だった。
光が飛んで行った。ヤムチャの手元から。その正体を、あたしは知っていた。『気』。それも、この前の天下一武道会でやってたやつよ。この前の武道会はさんざんだったけど、あの技はすごかった。何て言ったっけ、あれ。とにかく、あのコントロールできる気の塊が、滝に向かっていった。次の瞬間、あたしは思わず息を呑んだ。
滝が割れたの。真っ二つに。それも縦じゃなく、横によ。飛沫が上がるとかそんなんじゃなく、完全に割れてた。あたしはエアクラフトから身を乗り出してそれを見た。
うーん、すっごい…
「きゃあぁぁあぁぁあぁぁ!!」
でもその感激はすぐさま悲鳴に変わった。ちょっと、乗り出し過ぎた。そこへ霧となってあらゆるものを濡らしていた滝からの水飛沫が意地悪をした。気づけばあたしはつるりとエアクラフトから手を滑らせて、滝壺へと真っ逆さまに落ちていた。
ヒューーーーーン…
――ドッボーン!!
「ぷぁっ」
滝壺はそう深くはなかった。勢い余って底まで沈んでしまったけど、すぐに水面に顔を出すことができた。飲んでしまった水を吐いて岸へ向かおうとしたその時、ふわりと体が宙に浮いた。
「何やってんだおまえ…」
驚いたような呆れたようなヤムチャの顔が、目の前にあった。その首に手を回して体勢を整えてから、 あたしはことさらに笑ってみせた。
「へへ。見っけ!」
「何が『見っけ』だ。危なっかしい現れ方しやがって」
ヤムチャは誤魔化されてくれなかった。素っ気なくそう言って、滝壺の近くの岩場にあたしを降ろした。それから自分も降り立ちながら、首を傾げて呟いた。
「…どうしてここがわかったんだ?」
「ふふん。この天才ブルマ様に不可能は…っくしゅん!」
あたしは思いっきり胸を反らせて言ってやったけど、それも途中までだった。…う〜、寒い。さっきまでも少し肌寒かったけど、今は本気で寒いわ。濡れて体冷えちゃったみたい。話は後よ。早く着替えなきゃ…
「カプセルハウスは持ってきてるのか?」
「エアクラフトに置いてあるわ」
「ああ、あれか」
あたしが答えるなり、ヤムチャは滝の上でオートホバリングしていたエアクラフトへと飛んで行った。そしてカプセルハウスの入れてあったミニトランクとカプセルに戻したエアクラフトを持って戻ってきて、それをあたしに手渡しながら、あたしがそうしようと思っていたことを、それは偉そうに言い放った。
「早いとこ風呂入って体温めとけ。それから、もっと布地の多い服を着ろ」
でもあたしはそのことよりも、その語感の方が気になった。なんて言うの?つれない感じ。どこか突き放すようなニュアンス…
「あんたは来ないの?」
濡れた髪を絞りながら、あたしは訊いた。ヤムチャはやっぱり素っ気ない口調で言い切った。
「俺はまだ修行の途中だ。陽が落ちるまでは続ける」
「ふーん…」


…ふーん。ふーん。ふーん、っだ。
心の中で毒づきながら、あたしは滝を超え崖の上へと飛んで行くヤムチャを見送った。
自分だってずぶ濡れのくせに。あたしを抱いて飛んだからびっちゃびちゃのくせに。格好つけちゃってさ。似合ってないっつーの。
「っくしゅっ!」
…あー、寒い。
やっぱりどう考えてもすっごく寒いわ。それなのに、あのまま修行を続けるなんて…ヤムチャってば、本当に修行バカなんだから。
心の中で悪態をつきながら、滝壺から離れた平地にカプセルハウスを出した。
だいたい修行をするならここですればいいじゃない。今の今までそうしてたのに、あたしが来るなりわざわざ見えないところに行っちゃうなんて、嫌みったらしいったらないわ。
心の中で文句を溢しながら、カプセルハウスのドアを潜った。
あー、あったか〜い。幸せ〜。
寒い外から帰ってきて、温かいお風呂に入る幸せ。それを噛み締めながら、バスタブに浸かって、鼻の頭についた泡を吹き飛ばした。ヤムチャもせめてあったまってから修行すればいいのに。『寒い』の一言も言ってなかったわよね。マゾなんじゃないの、もしかして。
「なんかあったかそうな服あったかな…」
バスタオルを巻きつけただけの格好で、あたしはクロゼットを漁った。部屋の中ではこれでいいのよ、あったかいから。問題は外よ。雪こそ降ってないものの、緯度が高いから結構寒い。おまけに今は夕方で、これからどんどん冷えてくるんでしょうし…
「あ、ウサギの毛皮のコート見っけ」
ちょっと仰々しいそのコートにショートパンツを合わせて、あたしは再び外へ出た。カプセルハウスはそのままに、今度はエアバイクをカプセルから出す。滝を眼下に見下ろして少しばかり慎重に崖を越えると、大きな岩がごろごろ転がっている荒地が広がっていた。その中の一つ、数mはあろうかと思われる岩山のてっぺんに腰を下ろして、エアバイクをカプセルに戻した。それからオペラグラスを取り出して、その方向へと目をやった。
ふふ、やってるやってる。
実際にはそこまで見えないまでも、きっと表情を引き締めているに違いないヤムチャの姿がレンズの向こうに見えた。また気を溜めてるわ。またさっきの技を使うつもりね。さすがに二度目ともなるとわかるわ、あれが格好つけてるだけじゃないってこと。そう、ヤムチャって、修行に関しては真面目なのよね。だから、あたしもあんまり文句言えないのよねえ…
やがて、思った通り光が飛び出した。ヤムチャの手元から。真っすぐに、近くの岩山へと向かっていく。そしてその真ん中に大きな穴を開けて、次の岩へと向かっていった。その岩にも大きな穴を開けて、さらに次の岩へ。あまりの速さに、軌跡が光の帯のように残っていた。まるで岩を串刺しにしてるみたい。うーん、やるぅ〜…
「きゃあぁぁあぁぁあぁぁ!!」
あたしの感心は、やがてまたもや悲鳴に変わった。その光が、こちらに向かってきたのだ。慌てて寝転んでいた体を起こしたけど、遅かった。光は、あたしのいた岩山を貫き通した。一瞬の後に、足場が崩れ落ちた。当然、あたしの体も落ちた。
ヒューーーーーン…
――ドッカーン!!
と、もう少しで地面に叩きつけられるところだった。本当に間一髪のところで、あたしはあたしに危害を加えそうになった人物に抱き留められた。砕けた石が地面に落ちる音を遠くに聞いた後で、あたしはほとんど止めていた息を吐き出した。助かった…そう思った。とはいえ、お礼を言う気になれなかったのは、言うまでもない。
「あー、びっくりした!こっちに撃つなら撃つと言ってよ、もうーーー!」
あたしの言葉にヤムチャは非常に不満そうな顔をしたけど、口に出しては何も言わなかった。きょろきょろと辺りを見回してから、なぜかがっくりしたように顔を伏せた。
「はぁ〜〜〜…」
そして深く息を吐いて、立ち上がった。あたしを両手に抱えたままで。さらにそのまま地面を蹴って、崖の方へと飛び始めた。軽く頭を傾げながら、あたしは訊いた。
「どこ行くの?場所変えるの?」
「カプセルハウスに戻る」
「戻る?修行は?」
「今日はもう止めだ」
「あらそう」
それはテンションの低い口調でヤムチャは言っていた。だから、あたしも付き合ってそういう態度を取っておいた。だけど、心の中では思っていた。
――ラッキー。やったね!


「るーるるっるるんる〜ん」
カプセルハウスへ入るとヤムチャは一日の汗を流しにバスルームへと消えたので、すでにそれを終えていたあたしは、ちょっとサービス精神を発揮してキッチンなんかに立ってやった。と言っても、料理なんかはしないけどね。冷蔵庫にはテレビディナーしか入ってないから。それとパンにビールがあれば充分よ。
「あ、おいしい。このテレビディナーは当たりね。これ、まだ販売されてないやつでさ、モニターを兼ねて付き合いのある食品会社がくれたのよね。ちょっと多過ぎるから持ってきたんだけど。置いてったら食べる?」
やがてバスルームから出てきたヤムチャの髪が渇く間もなく、あたしたちはテーブルに向かい合って夕食を摂った。ざっくばらんな会話をしながら。自分でも、色気のある話題を振っているとは思わない。でもそれにしても、ヤムチャの返事は素っ気なかった。
「時々ならな」
「じゃ、少し置いてくわ」
完全にではないけどわりあい黙々と、ヤムチャはフォークを口に運んだ。気分を害されるというほどではない、だけど結構な手応えのなさを感じながら、あたしは次なる話題を出した。
「ねえ、ところであんた、まるっきり薄着だけど寒くないの?」
ヤムチャの返事は、ちょっとだけ惚けていた。
「おまえとたいして変わらんだろ」
「今じゃなくて、外でよ。ここ、結構気温低いじゃない。なのに、いつもとまったく同じ格好でさ」
「動けば暑くなるからちょうどいいんだ」
それはヤムチャらしいというよりは、よく耳にする一般論だった。仮に一般的じゃないとしても、あたしの周りでは珍しくもない話よ。武道家っていったいにみんな薄着よね。現に天津飯さんだって、上半身はだけてたし。あそこだって、緯度はここほど高くないけど吹きっさらしで、決して暑いわけじゃないのに。
「…あんたって意外と野生児よね〜」
今の話と、今日自分がここに来た理由の両方を鑑みて、あたしはそう思った。孫くんほどじゃないにしても、十分世俗に疎いわ。今日みたいなことに関しては特に。だから、あたしがわざわざこんなとこまで来てやんなきゃならないのよねえ…
「なあブルマ、おまえ一体何しに来たんだ?」
ある意味ベストなタイミングで、ヤムチャがフォークを持つ手を止めてそう訊いてきた。あたしはというと、残りのポテトにフォークを刺しながらこう答えた。
「何だっていいでしょ。理由がなくちゃ来ちゃいけないの?」
なんとなく、この雰囲気の中で言い出すのが嫌だったのだ。嫌っていうか、癪だわ。忘れちゃってるのはまあ一万歩譲って許すとしてもよ、せっかく来てやったんだから、もう少しこう、何とかならないものかしらね。冷たいってほどじゃないけど(助けてくれたし)、ひさしぶりに会った彼女に対する態度ってもんが、まるでなってないじゃないの。
「はい、ごちそうさま。うん、量も充分ね。このテレビディナー7種類あるの。2つずつあと6種類、それとモーニングプレートも合わせて全部で15食フリーザーに入ってるから」
「それのどこが少しなんだ」
「半月持たないもん。そう考えたら少しでしょ。それともあと半月で帰ってきたりするわけ?」
とはいえ、あたしは怒っていたわけじゃなかった。ただ少し待ってみることにしただけ。所謂、機を見るってやつかしら。
「…まあな。それに悟空なら一食にも満たないだろうしな」
「確かに、孫くんなら全然足りないわね」
だから、ざっくばらんな会話を続けながらテレビディナーのトレイを片づけて、ビールの缶を手にした。それからローソファに腰を下ろしてテレビをつけた。
「このドラマ、今すっごい人気なのよ。そのわりに俳優がいまいち格好よくないんだけどね」
「おまえ本当に好きだよな、そういうの」
「あたしだけじゃないわよ。すごい人気だって言ったでしょ。みんな観てるのよ。男も女も関係なくね。恋人同士一緒に観たりしてるわけ」
「ふうん」
曖昧な返事を返しながら、ヤムチャがソファにやってきた。片膝を立てて、あたしの隣に座り込んだ。あたしは時折ビールを喉に流し込みながら、とりあえず30分ほど、この一見非常に日常的に見えて実はそうじゃない時間を過ごした。こういう番組を一緒に観ることって、ほとんどないのよね。C.Cにいてもこの時間ヤムチャは外にいることが多いし、いたってまず観ないわね。ウーロンのバカは横から茶々入れてきたりするけど、ヤムチャはそんなことをするほどの興味さえないみたい。だから、今のこの態度はわりあい褒められたものであると言える。だけど――
だけどさぁ…
あたしはすっごく物足りない気持ちで、そのラブシーンを観た。すれ違いの挙句、三週間ぶりに二人が出会うシーン。ラブシーンってどうして喉が渇くのかしら。そう思いながらビールを飲んだ。二人が抱き合ってキスしてどこかへ(どこへかなんて、わかってるけど)消えてしまったところで、ちょうどCMが入った。直後ここぞとばかりに腰を上げたヤムチャの腕を、あたしは半ば無意識のうちに引っ張った。
「なんだ?」
「うん。あのね、あたしたち会うのひさしぶりでしょ。そうね、だいたい二ヶ月ぶりってとこよね」
「そうだな」
ヤムチャは、惚けていた。わざとじゃなく、絶対に素で惚けていた。わざと素っ気なくしてるわけじゃない。最初はそうだったかもしれないけど(わかってたわよ、そんなこと)、今は違う。今のあたしに付き合ってくれてる時点ではっきりしていた。だから、あたしもはっきり言ってやった。
「なのに、何もしないのかなーって思って」
振り向きざまあたしに答えていたヤムチャは、その姿勢のまま動かなくなった。でもやがてソファに座り直して、それは偉そうに言い放った。
「おまえ、もう少し雰囲気とかタイミングとかいうものをだなぁ…」
「何よ。あんたが何もしようとしないからでしょ」
だいたいヤムチャにそんなこと言われたくないわ。雰囲気?タイミング?そんなの、ヤムチャ自身がいっつも外してるものじゃない。今だってそうよ。
「わざわざ彼女がこんな辺鄙なところまで会いに来てやったっていうのに、キス一つしようとしないんだから。いくら鈍いったってねえ…」
「ちょっと黙ってろ」
そして、今まさにこの瞬間もそうだった。強引にあたしの言葉を遮ったヤムチャは、強引にあたしにキスして、強引にあたしの体を押し倒した。それでもいつもと同じタイミングで唇を離してくれたので、息を吸いがてらあたしは言ってやった。
「…このやり方のどこに雰囲気があるって言うのよ?」
「嫌ならやめるぞ」
まー、生意気言っちゃって。
だいぶん強気なヤムチャの言葉に、でもあたしはそう返してやることができなかった。こんなにいきなりなやり方だというのに、あたしの体は反応してしまっていた。
唇越しに伝わってくる吐息。耳元に聞こえる息遣い。そしてあたしを探る指先…
「あっ…」
唇が首筋を辿って、はだけられた胸に口づけられた時、あたしの口から声が漏れた。それはあるものと重なっていた。
『びっくりした?』
『あ…ああ、うん』
『あら、なぁにこの箱?』
さっき出会った二人が仲睦まじく戯れてる声。きっと予告で流れていた、ヒロインが指輪を貰うシーン。でも、今のあたしには、そんなのもうどうでもよかった。
「ねえ、ヤムチャ…」
息を整えながらあたしが言うと、ヤムチャは胸元に埋めていた顔を上げて、さもわかったような顔をしてこう言った。
「ベッド行くのか?」
「…うん」
あたしはそれを否定しなかった。本当はテレビ消してくれればそれでいいんだけど。ベッドの方が寝心地はいいし、それでいいわ。
「はいはい」
ほんの少しのつもりだった中断は、思いのほか長いものとなった。だけど、それもあたしの心を醒ましはしなかった。ヤムチャにお姫様抱っこされてベッドルームへと向かう間、あたしは今さらのようなそういう気分を味わった。


あー、暑い…
それとも熱いって言うべきかしら。体の外も内も熱い。…ちょっと卑猥だった?
ようやく働き始めた頭を起こすと、カーテンの隙間から差し込む弱い朝の光が目についた。とはいえ、まさか朝までやっていたわけではない。ただ少し、感触が残っていただけだ。
「ふわあぁぁ…んんっ…ん〜〜〜〜〜」
当然のように隣はもぬけの空だったので、あたしは我ながら色気のない欠伸をした後で下着だけを身につけて、キッチンへ行った。熱めのお湯で、浅炒りのコーヒーを薄めに淹れて、たっぷり飲む。それからシャワーを浴びて時計を見ると、7時半になっていた。身支度を整えパンをオーブンに突っ込んでから、あたしはハウスの外へ出た。エアクラフトをカプセルから出してぐるりと周囲を見回すと、すぐにその姿が視界に入った。
「ヤームチャーーーッ!」
ヤムチャはカプセルハウスから少しだけ離れた岩の上に、滝に向かって立っていた。あたしが両手を口元に寄せて叫ぶと振り返って、さりげない笑顔を見せた。
「おす」
「おはよ」
タフねー、こいつ。素っ気ない以上にタフだわ。あたしはいつものように呆れながら、もはや気にされてもいないらしい自分の行動について教えた。
「ねえ、あたしもう帰るわ。今日わりと忙しいの。お昼に約束入ってるし」
さっぱりと伝えながらも、あたしは少しだけ考えた。これを先に言っておけば、朝ずっと一緒にいてくれたかしら。…いえ、無理でしょうね、やっぱり。
こいつがそんな風に修行よりもあたしを取ってくれるようなやつだったら、あたしはわざわざこんなところにまで足を運ばなくて済んだんだから。
溜息はつかずにそう結論を出すと、ある意味ベストなタイミングで、ヤムチャが今朝は呆れたように、またあの台詞を呟いた。
「…おまえ一体何しに来たんだ?」
「あ、そうだったわね。これあげる」
今朝はあたしはそれに応えた。一応何とかなったから。これ以上は望むべくもないでしょうよ。
あたしの放り投げた包みは、軽く放物線を描いて、ヤムチャの両手に収まった。とはいえその手の主は、それは収まりの悪そうな顔をしていた。それでも『何だこれ』などと訊いてくることはなかったので、あたしは中身の説明まではせずに済んだ。
「じゃあね、ハッピーバレンタイン。来月はちゃんと帰ってきてよ」
一日遅れのその言葉を投げかけて、エアクラフトに乗り込んだ。そうなの。これを言うために、あたしは昨日ここへ来たのよ。ヤムチャってば、珍しくクリスマスは早々に帰ってきたと思ったら、バレンタインはそっくり忘れてくれちゃっててさあ。…ま、バレンタインっていうのは女の方から行くイベントだから、いそうな場所を調べて来てあげたけど。だけど、ホワイトデーはこうはいかないわ。
ホワイトデーは、絶対にヤムチャの方からやってくるべきイベントなんだから。わざわざ探し出してまでチョコあげたんだから、余計によ。これで帰ってこなかったら、本気で怒るからね。
「バーイ。修行がんばってね!」
そして、できたら早く帰ってきてね。夜遅くとかじゃなく、陽のあるうちにね。そしたらデートもできて、気分味わえるから。
そこのところは、あたしは言わなかった。別に遠慮していたわけじゃない。
言ってもどうせ忘れるわよ。この上はヤムチャの良心に期待するのみだわ。
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