遊歩の男
何かに打ち込んでいる姿って格好いいと思う。
武道?そうね、悪くない。男らしくていいんじゃない?
でも、それだけじゃダメ。強いだけじゃ。男らしいだけじゃ。やっぱり見た目もそれなりじゃないと。顔とか。身長とか。センスとか。
求め過ぎ?そんなことないわよ。かわいくって、頭もよくって、スタイルまでもが抜群のあたしと付き合おうっていうんだもの、それくらい当然よ。


そんなわけで、天下一武道会も間近に迫ったある日、あたしはそれなりのものを持っているはずの男をそれなりの男にしようと立ち上がった。
「ついてなんかこなくていいわよ。子どもじゃないんだから。場所がわからなかったら、誰かその辺の人に訊くわ」
「いいではないか。わしだってたまには若い者と一緒にうぃんどうしょっぴんぐとやらをしてみたいんじゃよ」
「でも、あたしたちが行くのはヘアサロンよ。はげ頭のじいさんが行ってもしかたないと思うけど」
「なんのなんの。髭をカットしてもらうという手があるぞい」
一日ヤムチャをあたしに貸して。
そう言ったあたしに対し、亀仙人さんはそれほど渋い顔はしなかった。ちょっと怪訝そうではあったけど、理由を言ったら許してくれた。快く、とまではいかなかったけど。正確には、亀仙人さんは快さそうだけど、あたしはそうじゃない。だって、みんなついてくるっていうのよ。そりゃ最初はヘアサロンに行きたかっただけだけど、ついでにデートしようと思ってたのに。
「それに、クリリンとヤムチャにスーツをあつらえてやらんとな。ピシッとした格好で送り出してやりたいと思うのは、わしも同じじゃ」
「…ま、いいけど」
最終的に、あたしは折れた。亀仙人さんは許してくれたんだもの、あたしだって少しは譲らなきゃね。それに、スーツを作ってくれるっていうのは、悪くない話だわ。
「老師様、朝の修行終わりました!」
そこへ、ヤムチャとクリリンが帰ってきた。すっきりとした、実に爽やかな笑顔を浮かべて。汗がダイヤモンドのように輝いて見える。もはや重労働による汗というよりは、ほとんど男の勲章ね。
「よし、では朝飯にするかの。腹ごしらえが済んだら、街へ行くぞい」
「ちょっと、せめてシャワーを浴びさせてよね。そんな汗と埃に塗れた体じゃ、どこにも入れないわよ」
そうは思っていても、あたしは文句を言った。主観ではよしとしていても、客観的な目っていうのは持たなきゃね。じゃなきゃ、どんどんダメになっていっちゃうんだから。
「それもそうじゃな。それではおぬしら、朝飯を終えたら身なりを整えて、街へ行くぞい」
亀仙人さんの言葉に、返事がてら質問を返したのは、クリリンだった。
「みんなでですか?」
「そうみたいよ。あたしは来なくていいって言ったのに」
「ほっほっ。ま、邪魔はせんよ」
「ブルマさんは街に何しに行くんですか?」
「髪切りに行くのよ。だいぶんむさくるしくなってきたからね」
「へー、切っちゃうんですか。でも何もこんなところで切らなくても、都で切ればいいんじゃないっすか?」
そうできるものなら、あたしだってそうしたいわよ。
とは、あたしは言わなかった。それ以前に、クリリンが大きな誤解をしていることがわかったからだ。
「あたしじゃないわよ。ヤムチャのよ」
「えっ、俺?」
そして、当の本人も誤解していた。それまでまるで他人事のようにあたしたちの話を聞いていたヤムチャは、手の平を返したように俄然気を入れて、会話に入ってきた。
「別にむさくるしくないだろ。前髪は適当だけど時々切ってるし、後ろはこうして縛っとけばすっきりしたもんだ」
「何言ってんの。むさくるしいことこの上ないわよ。そのいかにも手入れしてない長髪、まるで山にでも籠ってるみたいじゃないの」
それで髭が生えてたら完全に山男よ。今はこんなド田舎にいるからまだいいけどさ、それで都に帰ってこられちゃたまんないわ。
「道着もいい加減くたびれてきてるしさ。三年ぶりに世の中に出るんだもの、ちょっとは小奇麗にしなくちゃね」
それで、武道会が終わったら、三年ぶりにデートするの。三年間もデートなしだなんて、あたしもよくそんなことに付き合えたもんだわ。
ヤムチャは何も言わなくなった。でも、言わずともその表情が物語っていた。――そんなことより修行したい。或いは、本当にこれでいいと思ってるのかも。それとも――
「何よ。嫌なの?」
――ともかくも、その一言に尽きる。だからあたしは、もう細々考えることはやめて、はっきりと言ってやった。
「あたしはあんたをより格好よくしてやろうって言ってんのに、それを嫌がるなんてそんなことしたらバチが…」
「…ああ、うんうん、わかったわかった」
もう、全然わかってなーい!
あたしがどんな気持ちであんたを磨いてやろうとしているか。三年前磨いてやったにも関わらずすっかり元に戻ってしまったあんたを、再び都人に仕立ててやろうとしているか。――三年って長いんだからね!あたし、よくも待てたもんだわ。
さらにそう言ってやりたいヤムチャの態度に目を瞑って、あたしは朝食のテーブルについた。本ッ当、変わんないわよね、こいつ。いつまでたっても鈍いんだから。
おまけに格好つけのくせして、時々自分の価値忘れちゃうし。そう、武道をしてる時。打ち込むのはいいんだけど、ちゃんと覚えててほしいわ。
あんたは武道家であると同時に、あたしの彼氏なんだってこと。


最も、それがわかってさえいればいいってものでもない。
「なんじゃ、本当に髪を切りに来たのか」
「一体何だと思ってたのよ?」
その後、街に一つしかないというヘアサロン(というより、いいとこ美容室ね、これは)のドアを前にして亀仙人さんが気が抜けたように言った時、あたしはそう思った。
「相変わらず色気がないのう。せっかく時間を割いてやったというのに。チッスくらいしてくれんか」
「この色ボケじじい」
このじいさんはヤムチャとは正反対ね。武道をやってないと、途端に本性が出てくるわ。
「わたし、ちょっと裏の通りにあるお店でお買い物してきますわね。ちょうど冷蔵庫の中が淋しくなったところなので」
「おれ、お供しますよ」
「オレもそっちに付き合うぜ」
「どれ、ではわしも」
ランチさんが横町の路地へ向かうと、邪魔っけだった男たちが一斉にその後を追いかけた。…わかりやすいわ。クリリンはともかく、ウーロンと亀仙人さんが何を考えているのかは丸わかり。
色気がなくて悪かったわね。あいにくあたしは、あんたたちみたいな出歯亀を引き連れてデートするほど無神経じゃないのよ。
「さ、じゃ行こっか」
遠ざかる邪魔者を見送ってからヘアサロンのドアに手をかけると、一人当然のように残っていたプーアルが、笑って言った。
「こういうところに来るの、ひさしぶりですね」
「ひさしぶりもひさしぶり、三年ぶりよ」
プーアルの存在は受け入れても、その言葉を受け入れることはあたしにはできなかった。
ヤムチャはあんなこと言ってたけどさあ。三年もヘアサロンに来てないって、どうよこれ。見た目がっていうより、姿勢として問題ありよ。やっぱりあたしの彼氏にはさ、今っぽくあってほしいのよね〜。
「いらっしゃいませ。カットですか、パーマですか」
「あ、あたしじゃなくて、こっち。この鬱陶しくってダッサイ長髪をバッサリ切ってやってほしいの。髪型はこれね」
あたしの差し出した切り抜きを、その男の美容師はまじまじと見つめていた。隅から隅まで確認するように。『今男性に一番人気の髪型ですよ』なんて、ぽろりとも言いそうにない。やっぱり、切り抜き持ってきてよかったわ。ここ田舎だから、言ってもわかんないかもって思ったのよね。ひょっとすると、この俳優の名前を知らないってことすらありそうじゃない。
「かしこまりました。では、左手前のお席へどうぞ」
「行ってらっしゃい、ヤムチャ様」
「途中で文句言っちゃダメよ〜」
渋々と言うには軽い、でも颯爽と言うには重い足取りで、ヤムチャはカッティングルームへと歩いていった。あたしはちょっとだけその心理を慮って、最後にその背中に向かって声をかけた。
「大丈夫。絶対、後悔させないから」
気づいてた?…カメハウスを出てからここまで、あいつ一言も喋ってないのよ。


髪切るとこ見てるのって、なんか好き。
うわお、そんなに切っちゃうの?もったいな〜い。とか思いながら、見てるわけ。他人事だからね。
街に一軒しかないせいか、それなりに広々としたヘアサロンには、でも、他に客は一人しかいなかった。それもレディスルームの方に一人だけ。ロールスクリーンで仕切られた左側メンズルームの、ヤムチャの髪の出来具合を時々チェックしながらも、あたしの視線は自ずと右側レディスルームの方へと向いていった。
悪くない髪型ね。でも、ちょっと中途半端なんじゃないかしら。
少し思い切りが足りない感じ。そこまで切るなら、いっそショートにしちゃえばいいのに。その中途半端なボブは、一年前の流行よ。
ここ、田舎だからなあ。田舎は流行が遅いって、本当ね。
あたしはまったく惰性で、パラパラとページを捲った。ロビーに置いてあったのは、二ヶ月前のファッション雑誌。だから、ほとんど読んではいなかった。いえ、もうとっくに読んじゃってた。もちろん二ヶ月前に。いくら田舎だからって、二ヶ月も流通が遅いはずはないんだけど。まったく、田舎って感じよね。
やがて、レディスルームが空いた。セミロングの黒髪を中途半端なボブにと変えたその人は、すっかり満足した顔でヘアサロンを出て行った。その見た目ではなく雰囲気に、あたしは感化された。
あたしも切ろうかなあ…
そろそろこの髪型にも飽きてきたし。それに、あの武道会場って暑いのよね。南国だからしょうがないけど。
――よおし。女は決断!
「あれ、ブルマさんどこか行くんですか?」
あたしが腰を上げると、それまでちらちらとヤムチャの方を気にしていたプーアルが、不思議そうに振り返った。
「あたしも髪切るの。あのー、すみませーん」
それにあたしはさっくりと答え、ロビーにあった数年前のヘアカタログを見ることもなく美容師を呼んだ。
くどくどと吟味する必要はない。あたしは美人だから、髪型を選ばないのよ。
そして、今は断然ショート流行りよ。


うーん、すっきり。
なんだか頭が軽くなったわ。首元も涼しいし。っていうか、かなりスースーするわね。ちょっと思い切りよ過ぎたかしら。ううん、切るとなったらこのくらいは切らなきゃね。
でも、少し子どもっぽくなっちゃったかなあ。…大丈夫、平気平気。かわいさが増したと思えばいいわ。
どことなくふわふわとした気持ちで、カッティングルームを出た。ロビーに行くと、こちらもすっきりとした髪のヤムチャが、目を丸くしてあたしを出迎えた。
「ブルマ、その髪…」
「切っちゃった」
事実を告げると共に軽く屈み込んで、あたしはもう一つの事実を確かめた。さっきまでは想像の中にしかなかった、その髪型をしたヤムチャを。…うん、よく似合ってる。やっぱり、あたしの目に狂いはなかったわ。ボブっぽい短髪もいけると思ったのよね。かっこかわいいっていうか…パッと見、武道バカには見えないし、いい感じよ。
「ありがとうございました。またのご来店お待ちしてます」
こうしてあたしたちは、田舎のヘアサロンで今風のカップルに変身した。このまま都へ帰ってしまえば、本当の今風カップルになれるんだけど。そんなことを思うあたしの横では、ヤムチャが今だに目を瞬いてあたしを見ていた。
「何いつまでも見とれてんのよ。それとも変?」
横目を流しながら言ってやると、ヤムチャは軽い笑いと共に、こう答えた。
「いや…なかなか似合ってる。かわいいよ」
「サンキュー」
まさかここで否定するなんて思わない。とはいえやっぱり、そう言われたことは、嬉しかった。身も心も軽やかになって、あたしはさっきランチさんの消えた横町へと歩いた。このままデート気分に突入したいところだけど、そうはいかない。おとなしくしているとはいえプーアルがいるし、まだすることがある。
「あんたも似合ってるわ。すごく格好よく見えるわよ」
路地にはあまり人気がなかった。だからというわけではないけどあたしがそう返してやると、ヤムチャはしれっとした顔で言い放った。
「見えるんじゃなくて格好いいんだ」
まー、しょってるわねー。
あたしは笑顔で、その言葉を呑み込んだ。ヤムチャの表向きのノリのよさに、乗る気にはなれなかった。その声音となにより顔つきでわかったのだ。
…なんか、気合い入ってるわ。
どこか遠くを見ているような黒い瞳に宿る、強い光。軽い笑顔の奥に感じられる意志。普段は見せない強気を覗かせる声。
わかるわ。髪を切ると、そういう感じになるのよね。なんとなく気分が一新して、何かをがんばりたくなったりするのよ。
そして、今ヤムチャががんばろうとすることと言えば、もう決まっていた。ううん、今に限らない。いつだって、そのことばかり考えてるんだから。
「武道会、がんばってね」
だから、あたしはちょっとつま先を上げながら、そう言った。心からの願いと、ほんの一握りの皮肉を籠めて。
――強くなること。鍛えること。武道に身をやつすこと。
ヤムチャの行きつくところはいつもそれ。そして、あたしはそんなヤムチャを好きになった……わけじゃない。でも、そういうところを見てるのも、悪くないと思う。まあ、もうちょっと脇目を振ってくれてもいいんじゃない、とは思うけど。
でも、それは今は言わない。少なくとも、天下一武道会が終わるまでは。ヤムチャが、あたしの彼氏であると同時に武道家であるってこと、あたしはよーく知っていた。
「…ああ」
「…あの、ちょっと、ブルマさん…」
ヤムチャが薄い笑いを零したのと、プーアルが篭った声を出したのは、ほとんど同時だった。その時には、あたしはもうつま先を下ろしていたので、あたしの腰元で身動き取れなくなっているプーアルを開放してあげた。
「一体どうしたんですか、いきなり…」
「ごめんごめん、なんでもないのよ」
文句というよりは疑問を漏らすプーアルに、あたしは軽く謝った。困ったような惚けたようなヤムチャを横目に。
ちょっと、顔伏せてもらってたの。
おとなしくはあるけれど、プーアルだって邪魔には違いないからね。


裏の通りへ出ると、グローサリーストアの前のベンチに座り込んでソフトクリームを食べている一団の姿が見えた。その脇には、大きな買い物袋が数袋置かれていた。あたしたちがベンチへと近づくと、一匹のブタがそれはかわいくない台詞を吐いた。
「おっせーぞ、おまえら。たかが髪切るのにどれだけかかってるんだ」
「あたしに言わないでよ。田舎の美容師なんだから、しょうがないでしょ。だいたい、あんたはついて来なくていいって言ったのに」
勝手についてきといて文句言うなんて、どういう性格してんのよ。すでに邪魔を超えた存在ね、ウーロンは。
「あれ、ブルマさんも髪切ったんすか」
「まあね」
「よくお似合いですわ」
そして、わけわかんない存在でもあった。クリリンが指摘し、ランチさんが言葉を添えたその後で、ウーロンは何とも言えない笑いを浮かべて、何とも言えない口調で言った。
「何だ何だおまえら、同じ髪型しやがってよ〜」
本当に何て言えばいいのかしらね、これは。冷やかしなんだろうけど、単純にそれだけとも言えないし、難癖つけてるのともちょっと違うし。とにかく嫌な感じよ。…そうね、引っ掻き回してる、そうとしか言えないわね。
「どこが同じなのよ。ヤムチャはショートボブ、あたしはショートでしょ」
あたしは至極親切に教えてあげた。別に同じだから嫌ってわけはないけど、事実は事実よ。
「何が違うんだよ」
「全然違うわよ」
「何も違わないだろ。いやらしいな〜おい」
「何でそうなるのよ!?」
あたしは叫んだけど、一方ではわかった。なんとなく、こういうこと言われるのが見えていたからよ。ウーロンが素直な感想言うなんてこと、ありえないんだから!
「回りくどい言い分使うからだよ。素直に揃いの髪型にしたいって言えばいいのによ」
「あんたアホ!?」
ペアヘアなんてするわけないでしょうが!一体どこの田舎のカップルよ。っていうか、この髪型の違いがわかんないわけ?まさか、世の中のショートヘアの人がみんな同じ髪型だとでも思ってるの?
ウーロンとの不毛な会話をそこそこに、あたしは周囲を見回した。でも通りにほとんど人気はなかったので、代わりにグローサリーストアのガラスに写った自分を見た。そして次には、あたしの隣に佇むヤムチャを、さっきとはまったく違った角度から観察した。結果、あたしの心はぐらついた。
…似てるかも。
髪質が違うからわからなかったけど、トップの髪のニュアンスがまるで同じ。いえもう、前髪の流し方が違うだけで、ほとんど同じ髪型だわ。
何でー?ショートボブとショートが同じってどういうことよ?
「おまえ、図星さされたからって、ムキになるなよ」
「全然図星じゃないってば…」
「さて、では、そろそろ一張羅を作りに行こうかの」
ここでソフトクリームを食べ終えた亀仙人さんがそう言ったので、あたしはウーロンを相手にするのをやめた。あたしにはもう、わかっていた。
そう、こんなド田舎でヘアカットしたあたしが間違ってたのよ。やっぱりファッション関係のことは都じゃないと…
…もう。さっさと天下一武道会終わらないかしら。
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