寸歩の男
西の都定番のデートスポット――遊園地、映画館、動物園。
この中で、行くのにちょっと手間がかかるのが、動物園。途中からエアレールを使わなきゃいけないし、動物園の周りには他に何もないから、なんとなく足が遠のいていた。まあ最近ではちらっと頭を掠めることはあったけど、どうせコブつきだと思うとわざわざ面倒くさい思いをする気にはなれなくて…
だから、あたしはこの日を結構楽しみにしていたのだ。


「わー、見てあれ、一匹こっちに来るわ。あっ、欠伸した。すっごい牙!あんなので噛まれたらイチコロね〜」
アムールトラを囲む檻の周りの空いた場所にすかさず入り込んで、あたしは歓声を上げた。自然の中で出遭ったのならこうはいかないだろうけど、ここは動物園。そして、今あたしと一緒に行動しているのは一人だけ。数歩後をついてきていたヤムチャは、あたしの後ろまでやってくると、例によっておずおずと口を開いた。
「あのさ…」
「んー?」
「そろそろ場所決めないと…何もしてないまま、昼になっちまうぞ」
所謂苦言よ。でも態度もそうだけど、その言葉はあたしにはちっとも痛くなかった。
「何もしてないってことはないでしょ。こうやって場所を吟味してるじゃないの。それに、お昼食べてからでも十分間に合うわよ。絵なんか、ちょちょっと描いとけばいいのよ」
確かにあたしたちが今日この動物園にやって来たのは、デートではなく授業の一環としてだ。全クラス合同での写生大会。でも、そんなこと問題じゃないわ。大会ったって校内だけのもので、とにかく提出しとけばいいってくらいのものなんだから。そりゃ点数はつけられるでしょうけど、あたし美術の成績なんか気にしてないもん。そんなの、ヤムチャだってそうでしょ。
あたしは勉強できないやつじゃないってとこだけ見せとけばそれでいいし、ヤムチャは生っちろいやつだって思われなきゃきっとそれでいいのよ。なのにさ――
「じゃあ俺、あっちの方で描き始めてていいかな。こういうのあんまり得意じゃないんで…」
「待ってよ、あたしも行く」
言うなり踵を返したヤムチャの襟首を、あたしは慌てて引っ掴んだ。
変に生真面目なのよね、こいつ。いい加減なくせに、妙に規律正しいっていうか。普段はあたしに従順なくせに、ハイスクールに来ると時々そっちを優先するし……染まり過ぎよね。
おまけに無神経だし。今だって、平気な顔してこんなこと言うんだから。
「ブルマが俺のペースに合わせることはないよ。俺はこういうの初めてだし、もともと絵って苦手だから…」
「何よ、あたしが一緒じゃ嫌だって言うの?」
「いやいや、まさかそんな。滅相もありません」
「じゃ、いいでしょ。そろそろお昼だし、一緒にお弁当食べましょ」
せっかくこういうところに来てるのに、わざわざ別行動しようとするなんて、あり得ないわよ。そんなことしたら、あたしこの場で帰るわよ!
心に怒りを秘めながら、手には出がけに母さんに渡された二人分のお昼が入ったミニバスケットを持ちながら、落ち着けそうな場所を探した。そうよ、これこれ。ピクニックと言えばバスケットよね。っていうかさ、お昼ごはんは二人分一緒になってるのに、別行動しようってどういうことよ?わかってないにも程があるわ。
「あー、いい天気!絶好の行楽日和ね〜」
動物たちのいるところから少し離れた芝生の上に、あたしは腰を下ろした。灌木や喬木が適度に茂ってて、完全にではないけれど周囲の声が遮断される。一緒に来た生徒たちよりも多く目につく子どもの姿もここにはない。ちょっとしたデート気分よ。もちろん、最初からそのつもりで来てるんだけどね。
「一応、授業中だけどな」
「硬いことは言いっこなしよ。さ、お弁当食べましょ」
柔らかに反論するヤムチャの言葉を蹴飛ばして、あたしはバスケットを開けた。まずは緑の芝生の上に赤いギンガムチェックのシートを広げる。それからピンクのカップとカトラリーを並べて…。ん〜、ちょっとファンシーが過ぎるけど、いかにもピクニックって感じだわ。母さんってばわかってる〜。誰かさんとは大違いね。おまけに…
「よし、今日は苦手な物は入ってないわね。絶対偶然だろうけど、母さん偉い!」
メニューは色とりどりのサンドイッチにフルーツ。完璧ね!
「いっただっきま〜す」
いつもお昼を食べる校内の裏庭にも似た自然の中、いつもとはちょっと違う気分であたしはサンドイッチに齧りついた。この後の授業どうしようとか、今日は考える必要ない。嫌いなおかずを除ける手間さえない。あー、のびのび。なかなかいいイベントね、これは。
幸せに近い気持ちを噛み締めながら、二切れ目のサンドイッチに手を伸ばした。まさにそれに齧りつこうとしたその時、ヤムチャが言った。
「珍しいよな、ブルマがこういう行事に初めっからきっちり参加するなんてさ」
「ケンカ売ってんの、あんた?」
この思わぬ方向からの嫌み的発言に、秘めた怒りが目を覚ました。それが誤解だったとわかっても、微かな苛立ちは残った。
「え?いやいや、まさか。えーと、ただ…ブルマって行事とか面倒くさがってるように見えたから…」
「場所が動物園だから来たのよ。それだけよ」
「ふーん。でも、ここに来たのって初めてだよな。来たかったんなら、休みの日にでも言ってくれれば…」
「うるさいわよ、あんた」
今や怒りというよりは呆れに圧されて、あたしは会話を打ち切った。
…何て言うのかしら。行きたいなら連れてくよ、とかじゃないのよね、ヤムチャの場合。ただ単に、行くなら付き合うよ、っていう……それはそれで悪くはないんだけど。でも、もう少しこうさぁ…
ふつふつと湧き立つその気持ちを、口にするつもりはなかった。だってヤムチャは、何であたしが今ここにいるのかもわかってないんだから。野外授業だからじゃない、合同授業だからに決まってんでしょ。一人で動物園なんか来たって、楽しくも何ともないわよ。もうほんっと、ヤムチャってばどんかーん…
「あ〜、なんだか眠くなってきたわ。昼寝しちゃおうかしら」
一抹の苛立ちは、やがてそれより強い眠気に取って代わられた。この食後の睡魔だけは、どこにいても同じね。シートの上に横になると、ヤムチャがバスケットの中に使い終わったカトラリーをしまい込んで、それからまた苦言を吐き始めた。
「それはいいけど、いいのか絵描かなくて。景色なんだから少しはここで手を着けておいた方がいいと思うぞ」
「うーん、苦手なのよね、絵って」
頭上から降り注ぐ強い陽光を両手で遮りながら、あたしは漏らした。泣き言にも似た本音を。描かなきゃいけないことはわかってる。だけど、面倒くさいったらないわ。情操教育なら森林浴で十分だと思わない?知ってる?緑ってそれだけで情操教育になるのよ。まあ、子どもにとってはだけど。大人の場合は癒しの場…ストレスの多い現代人にとっては理想的な…………
「あっ、こら、寝るな」
「…んぁ…」
…健康法。は、ヤムチャの一声によって中断させられた。もう何よ。さっきはいいって言ったくせにね。生真面目なんだから…
「だって、眠い〜。眠いし、だるい〜」
あたしがそれは気だるい体から言葉を振り絞ると、ヤムチャは偉そうに眉を上げて、苦言ならぬ本音を零し始めた。
「そんなの俺だってだるいぞ。だけどなあ、そこを学校と教師に対する付き合いでこうしてやってるわけだ」
「それ全然自慢になんない〜」
説得力はないけど気持ちはわかるヤムチャの言葉は、結果的にはあたしの目を開けさせた。あたしもだるいけど、付き合ってやってるんだもんね。そうしてあたしの付き合い相手はすでに鉛筆を手にしていたので、あたしは深く考えることなしに言ってみた。
「あんたついでに描いといてよ。違うクラスなんだから同じだってバレやしないでしょ」
「…まあ、いいけど」
あら、ラッキー。
拍子抜けしちゃうほど簡単に、ヤムチャは応えた。言葉だけじゃなく本当に、さも当たり前のようにあたしの分の画用紙を持っていった。その程度の真面目さか。っていうか、真面目なの、これって?むしろいい加減よね、どう考えても。なんで苦言を呈していたか、すでにわからなくなってるわ。
でも、あたしはヤムチャのそういうぬるいところが嫌いじゃなかった。…あたしに対してだけそうするならば。とにかく今に関しては、楽ちんで結構なことよ。いつもはあたしが課題やら何やら面倒見てあげてるんだから、たまにはやってもらうことがあってもいいわよね。
真面目くさった表情で画用紙に向かうヤムチャの横顔を、あたしはその隣に寝転びながら、でももう目は瞑らずに、黙って見ていた。ちょっとおもしろいような気持ちで。あたし、ヤムチャが授業受けてるとこって見たことないのよね。グラウンドでの体育の授業とか、遠くの窓からとかは別にして。優等生然とするほど真面目なわけはないけど、思いっきり欠伸をしてるところなんかも想像つかないから、まあこんな感じかな。いい顔してるって程じゃないけど、悪くないような気はする。あれね。…他の女が騙されるわけだわ。ヤムチャが転入する時、同じクラスにするようにゴリ押しするべきだったかなあ。でも、それはそれでいろいろ大変そうよね。
あたしはそんなことを考えながら、ただひたすらにのんびりしていた。でもそのうちに、どうしても一言言ってやりたくなった。
「へったくそねー、あんた」
別にいい絵を提出したいなんて思ってない。あたしは描いてもらってる立場。だけど…。なんでそんなに平坦なの。あんたの性格じゃないんだからさぁ。
「こういうの苦手だって言ったろ。絵ってあんまり描いたことないんだよ」
「それにしたって、それじゃパースも何もあったもんじゃないじゃない。遠くの木はこう、近くの木はこうでしょ」
堂々と言い切ったヤムチャの手から、鉛筆をもぎ取った。ささっとその部分を直してやると、ヤムチャは感心したような声で、結構失礼なことを言った。
「何か景色っていうより設計図みたいだな」
「放っといて」
そう、『結構』であって、『すごく』ではない。何度か言われたことのある言葉よ。『線が硬い』とか『機械っぽい』とか、一番古い記憶だと幼稚園で花を描いて好きだった先生にあげた時、『ロボット』って言われたのよね。あれは悲しかったわ〜。
でも、今ではそれはあたしの性だと思ってる。科学者の性よ。美術の時間にはそれが通用しないのがちょっと困りものね。
「そうね、じゃああたしがパースを取るから、あんたがそれに肉付けしてよ。葉っぱとか雲とかいろいろ描き込むの。色は自分でつけるから」
過去の記憶を踏み台に、あたしは話を建設的な方向に持っていった。共同作業よ。悪くないでしょ。いいとこ取りって言うほどあたしもヤムチャも上手くはないけど、合理的ではあるわよね。
パースを取るのはわりと得意なのよ、あたし。ちょっと3次元図面に似てるのよね。考えてみればあたし、絵本なんかを目にするよりも先に、図面を見せられていたような気がするわ。あたしの絵が下手なのは、完全に父さんのせいね。人が何かを苦手になるには、それなりの理由がある。あたしとは全然違う、でも同じように環境的理由で苦手になったに違いないヤムチャの絵を、あたしはそっと覗き見た。
うん、パースさえ取ってあげれば、そこそこ見映えがするわ。少なくとも紛うことなき風景画よ、これは。いつもよりはいい点数取れそうね。
あたしはなかなか楽しい気分になって、その木と木の間を指差した。
「ねえ、このへんにリスとか描いたらどうかしら」
「どこにもいないぞ、そんなもん」
「でも、きっとかわいいわよ」
「動物園でリスがうろついてたら、逃げたと思われるんじゃないか?」
「それもそうね」
…ちょっと調子に乗っちゃった。
言われてみればその通り、それに嘘を描くのはいけないわよね。これは夢の設計図じゃなく、現実の模写なんだから。
あたしはこれっぽっちも気分を害することはなく、二枚目のパースを仕上げにかかった。もう小さなことじゃ怒ったりしないわ。だって、あたし今思い出したのよ。
あたしはこういうのがやりたくて、ヤムチャをハイスクールに引っ張り込んだんだってこと。一人じゃ持て余しちゃう時間を二人のものに変えたくて、ボーイフレンドを探しに行ったの。こういう言い方すると、なんかすっごく素敵に響くわね。現実はそんなに甘いものじゃないけど。でも、こういう時に一緒に行動してくれる男の子が欲しかったの。単なる付き合いとかそんなんじゃなく。そして今は珍しくそんな感じになってる。…ような気がする。
「あたし水汲んでくるわね。あんたの分も汲んできてあげる」
「ああ」
当たり前のように頷くヤムチャの背中を後ろに見ながら、あたしは広場へ行った。途端に聞こえてくる喧騒。走り回る子どもたちに、そこここで絵具を弄り回している生徒たち。彩色すら終わりそうな人もいる。みんな早いわね。あたしはちょっとそう思っただけで、後は何にも感じなかった。いいの。あたしは静かなところでゆ〜っくりやるんだも〜ん。
「たっだいま〜。どう、描けた?」
あたしは再びヤムチャの手元を覗き見た。とはいえ、もう絵を添削する気はなかった。
「うん、まあまあね。じゃ、あたしがこっち、あんたがこっちね。…で、いいわよね?」
「うん」
「水入れ、ここに置いとくからね」
「はい」
共犯者がいるって悪くない気分ね。おまけにひたすら従順なんだから、言うことなしだわ。
空は青、大地は緑。そういう単調な色合いの絵を、あたしはひさびさにまともに描いた。雲は白、幹は茶色、太陽は…黄色?でもまあやっぱりというか何というか飽きはやってくるもので、大体の色を塗ってしまったあたしは何となく筆を濁しながら、目の前の景色から隣にいる人間へと意識を向けた。
「ねえ、どこまでいった?終わったらソフトクリーム食べない?喉渇いちゃった」
眠気覚ましのためよ。だって、やっぱり眠いのよね。さっきとは違った理由で。ほんっと、絵って退屈だわ〜。中でもこの写生画ってやつは特に。工夫の余地も何もないんだもの。
「うーん、まだもう少し…」
「買い食い禁止って言ってたけど、どうせバレやしないわよ。みんなだって食べてるに決まってるし」
「まあ、そうかもな」
あたしの言葉は段々長く、逆にヤムチャの返事は段々短くなっていった。それはあたしとヤムチャの、写生への取り組む姿勢に反比例していた。ヤムチャって、時々妙に生真面目だから。ここまではそう思っていた。
「あ〜、それにしてものどかね〜。郊外なだけあって空気もおいしいわ〜。週末にでもまた来ようか。またお弁当持って。今度は一日たーっぷり遊びましょ!」
「うん」
「ウーロンとプーアルはどうしようか。プーアルは連れてきてもいいんだけど、ウーロンはねえ。あいつって、いるだけで気分が損なわれるからなぁ。でも動物園に行くなんて言ったら、絶対ついてくるに決まってるし…やっぱりこっそり出かけるしかないか。あんた、絶対ウーロンに言っちゃダメよ。プーアルにならいいけど。ウーロンにだけは喋ったら承知しないからね!」
「ああ」
でも、その次の返事を聞いた時には少し引っかかって、最後の返事を聞いた瞬間にはさすがに切れた。
――あんた、どこのおっさんよ!
「…な、何だ?」
顔をずいと近付けて睨みつけてやると、ようやくヤムチャはあたしに目を向けた。
「あんた、すっごぉーく失礼よ!信じらんない。デリカシー無さ過ぎ!!」
「え、何が?」
「何がじゃないでしょ!さっきから何を言っても上の空で!女と二人でいるときにそれはないでしょ。『あなたにまったく興味ありません』って言ってるようなものじゃない!」
そう、今の今までぜーんぜんあたしのこと見てなかったのよ、こいつ!比喩でも何でもなくね!視線も意識も何もかも、見事に無視してくれてたわ。いつもみたいに軽く答えてるのかと思ったけど、そうじゃない。
『ああ』とか『うん』とか生返事ばっかりで、それだって惰性で言ってただけなのよ。最後の返事でわかったわ。だってヤムチャがそんなこと実行できるわけないんだから!
「あ…えーと…………ごめん。そんなつもりは…」
「じゃあ、どういうつもりだったのよ!?」
「あー…いや、それは……」
「ほーら、答えられない!!」
あー、バカバカしい!あー、悔しい!
逃げ場がないということが、さらに怒りに拍車をかけた。そう、今さらヤムチャを置いて帰ったって、たいして変わりやしない。もうすぐ授業時間は終わる。面倒くさい道のりを一人で帰った挙句に、サボリだ何だと小うるさいことを言われるだけ。こんなことなら、ずっとサボっとけばよかった。中途半端に真面目な振りして損しちゃった。なんかすっごくバカを見たような気分(バカなのはヤムチャだけどね!)。あたしのささやかなトキメキを返してよ!
本当に、こんな時くらい彼氏らしくできないの?せっかく珍しく二人きりでこんなところにいるのに。何もキスしろとか肩を抱けとか、そんなことは言わないわよ。ただちょっとゆっくりと話をして――デートの約束なんかしたりして。カップルっぽい雰囲気を楽しみたいってだけなのに。それなのに、ここぞとばかりにボケを発揮することないでしょ。このボケ!!
あたしは思いっきり虫の居所を悪くした。そして、それがわからないほど救いようのないバカでは、ヤムチャはなかった。たっぷり5分ほども頭を掻き掻き困った後(その間あたしはずぅっとそっぽを向いてた。あんまりヤムチャがどうしようともしないから、そのことでまた怒っちゃいそうになったわ)、ようやく口を開いた。…ちょっとは考えたみたいね。まだズレてるけど。
「えーと、その…後で何か奢るから、機嫌直してくれないかな…」
「物で釣って機嫌取る気なの!?」
「ご、ごめん。そんなつもりは」
あたしは半ば呆れながら、その言葉を退けた。まったく、身も蓋もない言い方しないでほしいわ。そんなので誤魔化されるのは、あんたくらいのものよ。
そう、どうしてヤムチャがいきなりそんなことを言い出したのかは、あたしにはわかっていた。人ってね、自分がそうだと他人もそうだと思うものよ。それにしたって、あくまで『何か』なのよね。本当に人の話を全然聞いてないんだから。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
いつものあたしなら遠慮なくソフトクリームを所望していたに違いない。もちろんそれで終わりじゃないけど。でもこの時は、自分から言い出す気にはなれなかった。あったり前でしょ。
「…後でじゃなくて、今度でしょ」
自分を抑えながらそう言うと、ヤムチャは目を白黒させて呟いた。
「今度?」
「そうよ。はい、復唱して!」
「今度…………奢るから?」
「なんで疑問形なの?」
「あ、今度奢りますから…」
「今度っていつ?」
「えーと…………今週末?」
「じゃあ、どこ行くか決めたら教えてね」
「…………」
「返事は!?」
「…ああ、うん」
よし!
一応何とか誘わせたわ。ああ、もう、つっかれる〜…言われなきゃ、デートの誘いもできないわけ!?だったら、ちゃんと話聞いてなさいよね!
本当に、いつまで経っても全然それっぽくならないんだから。黙ってれば見られるって思ってたけど、それも崩れてきたし。
「じゃ、そろそろ片付けましょ。水捨ててきてあげる」
「…ああ…」
さらなる生返事を耳の端に、あたしは立ち上がった。もういいわ。今日はここでお終い。続きは――もとい、仕切り直しは週末にするわ。後は絵を乾かして、帰り支度をする。
茫洋と佇むヤムチャの背中を後ろに見ながら、あたしは広場へ行った。水を捨て戻ってくると、ヤムチャの背中はなかった。代わりに、芝生に沈み込む全身と、草に絡まる後ろ髪があった。頭の後ろで組んだ両手に、緊張感はまるでなかった。
もー…、もう気を抜いてる。ちょっと早いんじゃない、あんた。まだなーんの約束も決めてないわよ。
傍らの放り出された画板の上で、画用紙がかさかさと音を立てた。少し強くなってきた夕風が、短い黒髪をなぶっていた。その光景を見て、あたしは思った。
流れないよう、気をつけなきゃ。
絵も、話もね。
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