気づかない男
この日、あたしは機嫌が悪かった。
なぜって?…あれよ。女であることを呪う日よ。
当然、ハイスクールはサボった。
そしてさらに機嫌が悪くなった。


ヤムチャがハイスクールから帰ってきた。のうのうと、何の悩みもないような、あの間抜け面を引っ下げて。あたしはそれを、自分の部屋の窓から見ていた。
無人の部屋を訪れた後であたしがリビングへ行ってみると、あいつは隣接したキッチンで、コーヒーに砂糖を落とし込んでいるところだった。
「ブルマおまえ、またサボっ…」
「ちょっと!ヤムチャ!!」
ヤムチャのお決まりの苦言を、あたしは皆まで言わせなかった。リビングの床でジン・ラミーをやっていたウーロンとプーアルが、顔を上げた。
「あんた、自分の取り巻きくらい躾なさいよね!」
ヤムチャはコーヒーカップを手に、顔だけをあたしに向けながら、不思議そうな顔をしてこう言った。
「海苔巻き?」
惚けるなんて最低よ!ボケも最低だけど。
ヤムチャはなおも、空っ惚けた。
「何のことだ?」
「取り巻きよ!あんたの!!」
「海苔巻きがどうしたって?」
しつこい!
あたしはヤムチャの隣へ歩み寄り、手に持つカップを引っ手繰った。呆気に取られるヤムチャを無視して、一気に飲み干す。…甘い。
「なんでこんなに甘いのよ!!」
「いや、だって、それ俺の…」
視界の隅で、退散するウーロンとプーアルの姿が見えた。あたしは構わず叫んだ。
「こんなの飲んでるから、あんたはいつまで経っても甘いのよ!!」
ヤムチャは息を呑み、それでもこのあたしの言い方にさすがに考えるところがあったらしく、わずかに眉を集めた。
「何だ?何かあったのか?」
「おおありよ!!」
あたしはヤムチャを正面に見据えて、声を絞った。
「…あんたの取り巻きが来たのよ」
一呼吸おいて続ける。
「さっき!ここに!あんたのいない隙に!あたしにケンカを売りにね!!」
一気に言い放ってあたしが一息つくと、ヤムチャは怪訝な表情であたしを見つめた。
「何のことだ?」
「だから!!あんたの取り巻きよ!!」
しつこいわね!何度も言わせないでよ!!
あたしの怒声に怖気づきながらも(情けないわね!)、相変わらずの間抜けな声でヤムチャは言った。
「ちょっと。ちょっと待ってくれ、ブルマ」
「言い訳なら聞かないわよ」
あたしは冷たく言い放った。
「いや、そうじゃなくて…取り巻きって何のことだ?」
は?
「空っ惚けないでよ」
あたしはヤムチャを睨みつけた。ヤムチャは竦みあがるどころか、ますます困惑して見えた。
「いや…」
惑う声音。まったく緊張感に欠ける間抜け面。バカ正直の映りこむ目。思いっきり曇る眉。
あたしはまじまじとヤムチャの顔を見つめた。
「あんた、知らないの?」
「だから何が」
ヤムチャはなおも言い張った。
「本当に知らないの?本当の本当の本当に、知らないわけ?」
「だからそう言ってるじゃないか…」
消え入りそうな声と共に、ヤムチャは一も二もなく頷いた。
「…あっきれた」
あたしは溜息をついた。
「ハイスクールのやつらはみーんな知ってるわよ。あんた以外はね」
まったくヤムチャってば、一体何見て生きてんのかしら。
それにしても間抜けなファンクラブね。当人だけに知られていないなんて。

あたしはヤムチャに教えてあげた。当人だけに知られていないファンクラブの存在について。
まったく、なんであたしがこんなことしなくちゃいけないわけ?性格がいいと損をするって本当ね。
一通りあたしの話を聞いた後で、ヤムチャはまたもや怪訝な顔で呟いた。
「でもファンクラブなんて、何の意味があるんだ?」
そんなの、あたしが知りたいわよ。
「あんたを見てキャーキャー言いたいんでしょ」
「見てどうするんだ?」
知らないわよ。
それきりあたしは答えずに、ソファへと歩を進めた。しばらくして、ヤムチャが言った。
「なんだか虚しそうだな」
虚しそう?
「楽しそうの間違いでしょ」
あんたいっつもボケてるけど、今日はひと際ボケているわね。それに話がずれてきているわ。
ヤムチャはあたしの言葉の纏う刺に気づいた様子もなく、あたしの隣へやってくると、いつもと変わらない態度でソファへ腰を下ろした。
「そうか?他人の恋人見て何が嬉しいんだ?」
なにげなくそう言うと、ヤムチャは先を続けた。
「ドラマなんかもそうだよな。他人の恋愛見て何が楽しいんだ?」
言いかけて、あたしを返り見る。
「あ、おまえは好きなんだっけ、ドラマ。あれっておもしろい?」
あたしは何だか毒気を抜かれて、うやむやのうちに肯定した。あたしの返事を聞いても、ヤムチャは納得しないようだった。
「ふ〜ん。俺にはわかんないな。どれだけハマったって自分のものになるわけじゃなし。手に入らないものに身を入れるのって、虚しくないか?」
あたしはヤムチャの台詞を繰り返した。
「あんたは手に入らないわけ?」
「え?…そりゃ入らないだろ。おまえがいるんだからさ」
あたしはヤムチャの顔を見た。ひどく染まりやすいはずの頬には、朱の欠片もない。こいつ、全然気づいてないのね。
「…天然」
あたしはこういう人間をもう1人知っている。孫くんだ。あたしってこういう人間に縁があるのかしら。

あたしたちは2人並んでコーヒーを飲んだ。
「とにかく、ちゃんと躾といてよね」
「躾るって…」
「さっきの台詞を言えばいいのよ」
あたしは教えてあげた。
そして、そっと身を寄せた。




「仲直りしたんなら早く出てってくれよな…」
「すでにリビングがリビングじゃなくなってる…」
ドアの影で呟くウーロンとプーアルの姿は、あたしたちには見えなかった。
inserted by FC2 system