1からの男
あたしは料理が好きじゃない。でも、好きじゃないことと、できないこととは別だ。…たぶん。
「ランチさんも大変ね。毎日毎日欠食児童どもの世話してさ」
あたしは包丁を使うのを諦め、ピーラーを手に取った。
「そんなことありませんわ。私、好きですから」
こまめにアクを取りながらあたしの言葉を否定するランチさんを、あたしは感嘆の目で見つめた。
「好きって料理が?」
「ええ。悟空さんがいらした頃は少し大変でしたけど」
ひさしぶりに孫くんの名前を聞いて、あたしはあいつの異常な食べっぷりを思い出した。
ええ、ええ、そりゃ大変でしょうとも。あいつに食べさせなきゃいけないと考えただけで、眩暈がするわ。
「ランチさんって偉いわね…」
あたしは再び感嘆の目で彼女を見つめた。

あたしはカメハウスに来ていた。ウーロンとプーアルも一緒だ。
半年ぶりに見たヤムチャの姿は、以前となんら変わりがないように思えた。

夕食の後、カメハウスのリビングでコーヒーを飲んだ。ヤムチャと一緒に。あいつは相変わらず砂糖を3つも入れていた。
他のメンバーはあたしたちから少し離れて座っている。でもなにげなく耳をすませていることに、あたしは気づいていた。
「かめはめ波?あんた、そんなことやってんの?」
「しーっ。皆には内緒だぞ」
わざとらしく口に手を当て、ヤムチャは声を顰めてみせた。
あんたに内緒事なんてできるのかしら。あたしはそう思ったけど、黙っておいた。
「かめはめ波って気を溜めるやつよね。あんたにちゃんとできてんの?」
「まだやり始めだからな。でも悟空にできたんだ。俺にだってできるさ」
何その理屈。っていうか、どこからきてるのその自信。
こいつってば気は小さいくせして、変なとこだけお調子者なのよね。
あたしが心の中で溜息をつくと同時に、ヤムチャが言った。
「ところでおまえ、ハイスクールはちゃんと行っているのか?」
何よ、せっかく遊びに来てるのに。ハイスクールのことなんか思い出させないでよ。
「いいのよあんなもの、適当で。それより今は研究よ」
「研究?何の研究をしているんだ?」
まったく拍子抜けしたことに、ヤムチャはそれ以上ハイスクールについては触れなかった。おまけに、研究の内容を訊ねたときた。
どうしたのかしら。珍しい。もともと惚けたやつだけど、あたしの発明なんかには、まるで興味を持たなかったのに。
あたしはちょっと嬉しくなって、うんと勿体ぶって言ってやった。
「『気』よ」
ヤムチャは驚いたようにあたしを見つめた。
「気って気か?俺たちの言っているこの気か?」
「他に何があるのよ」
あたしが『気』を研究しようと思うまでには、それなりの段階があった。初めは煙に包まれた。しばらくは超常的な現象としか思えなかった。でも、天下一武道会で様々な技を目の当たりにした時、考えが変わったのだ。あれは質量がある。そして物質にダメージも与えている。ということは物理学の範疇なのではないか?そう思ったのだ。
それとあたしの背中を押したもう1つの理由――
あたしは目の前でのんきにコーヒーを啜る男を見た。
…結局、あたしも女だったってことよね。

「じゃあ、そろそろあたしいくわね」
空になったカップをテーブルに置いてあたしがそう言うと、ヤムチャは軽く眉を集めた。
「泊まっていかないのか?」
「明日、用事があるのよ」
本当はまだ帰りたくないけど。しょうがないわ。
あたしはエアバイクのカプセルを取り出した。ウーロンとプーアルは明日迎えに来ればいい。
「じゃあね、皆さん。今日はごちそう様」
ドアの影からそう言うと、あたしはさっさと外へ出た。こういう時はサックリ帰るに限るわ。未練が出ないうちにね。
どちらかというと未練たらしいのは、あたしではなくヤムチャのほうだった。
「危ないぞ。せめて朝に…」
「平気よ、スコープがあるから」
あたしはエアバイクをカプセルから出し、ゴーグルを身につけた。そしてヤムチャのほうを見た。
ヤムチャは動かなかった。
まったく、この男はしょうがないわね。
あたしはすばやくエアバイクに飛び乗ると、わざとらしく一笑してみせた。
「じゃあね」
「ブル…」
ヤムチャがあたしを呼ぶ声が遠くに聞こえた。

あたしは夜空をエアバイクでかっ飛ばしながら、無人の空間に向かって叫んだ。
「なーによ。あんたがその気なら、あたしだってそうするんだからね」


「えー、次はグズべリーハイスクールの代表…」
…退屈だわ。
翌日。あたしは貴重な日曜日の午前中を、ハイスクール代表としてシンポジウム会場で過ごしていた。
あの時のヤムチャの苦言に従ったわけではないけれど、あたしはこの手のイベントに消極的ながら参加することにしていた。ハイスクールも第十学年となると、首席の座もそう気楽なものではなくなってきていたのだ。
それでもハイスクールよりは、まだ実があると言えた。でも今日のは格別退屈だった。
手元のプログラムに目を落としながらも、あたしの瞳は記憶の中を弄っていた。
昨夜のヤムチャの姿が思い出された。
あの時、瞳の中に垣間見えた迷い。
まったく、ファンクラブまであったとは思えない、奥手さよね。
ヤムチャがあたしにキスをしようと一瞬逡巡したことが、あたしにはわかっていた。
自分からそうすることもできた。でも…
世の中そんなに甘くないのよ。
特にあたしはね。

何であいつって、ああなのかしら。
いっつも自分から来ないで、いっつもあたしから行って。
いっつも女に恥をかかせて、自分はのうのうとしてて。
いっつも何も知らない顔して。
自分は何も言わないで。

その時あたしの名前が呼ばれた。あたしは頭を振って、あいつの姿を脳裏から追い出した。


昨夜予告した通り、あたしはウーロンたちを迎えに、再びカメハウスへと向かった。
着いた頃には時計の針は3時を指していた。ランチさんがお茶の準備をしていた。
まったくこいつら、修行は厳しいとか言うわりに、こういう時間はしっかり取るのよね。ハングリーなのかそうじゃないのか、わかりゃしないわ。
クリリンと亀仙人さんが帰ってきた。あたしがなんとなくあいつの姿を探していると、クリリンが言った。
「ヤムチャさんなら今日から少しメニューを増やすって、自主トレやってますけど…」
あらそう。
来る時間、言っとけばよかったかしら。まったくあいつも、間が悪いわね。
軽く考え込んだあたしに、クリリンがおずおずといった感じで尋ねた。
「…あの、ブルマさん、ヤムチャさんとケンカでもしたんすか?」
はぁ?何よそれ。
「だって昨日、急に帰っちゃって…」
「してないわよ」
あたしはクリリンを睨みつけた。
「どうせおまえが勝手に怒ってるんだろ」
ウーロンが口を挟んだ。
「まったくおまえって、本当に可愛げないよなあ。ヤムチャも災難だぜ」
ちょっと、何よ。あいつ、一体何言ったのよ。
脳裏の男を睨みつけるあたしに、皆の視線が注がれた。
何よ、何なのよ。やめてよ。そんな目で見ないでよ。
皆の視線にいたたまれず、あたしはハウスの外へ出た。

あたしは木陰に腰を下ろした。
まったく、何だっていうのよ。
再び昨夜のヤムチャの姿が思い出された。
初めてデートした時のこと。レッドリボンの基地から帰った時のこと。あの女がケンカを売りに来た時のこと。
そして今だ。

本当にあいつって、女に恥をかかせるわよね。
なのにどうして、あたしはそんなやつのところへ行くのかしら。

あたしは腰を上げた。


半kmほど歩いたところで、あいつがやってくるのが見えた。あいつはあたしの姿を見つけると、能天気に手を振ってみせた。
「よう、ブルマ来てたのか」
「来てちゃ悪い?」
あたしは思い切り不機嫌な声で言ってやった。
ヤムチャは驚いたようにあたしを見た。あたしは構わず先を続けた。
「あんた、みんなに何言ったのよ」
「何のことだ?」
またいつものこの台詞。
「しらばっくれないでよ!いつあたしがあんたとケンカしたっていうのよ!!」
そして、何でそんなことでケンカしなくちゃいけないのよ!!
あたしはヤムチャの胸倉を掴んだ。
「何だって?」
また、あの顔だ。いつもの惚けたあの表情。
「みんなが言ったのよ!!あたしがあんたとケンカしたって!!あんたが何か言ったんでしょ!!」
どうせまた、知らないって言うんでしょ!!
その時だ。
「俺は言ってない!!」
ヤムチャが叫んだ。あたしは言葉を失った。
「俺は言ってない」
ヤムチャは繰り返した。あたしはヤムチャの顔を見た。
なんだ、あんたちゃんと言えるんじゃないの。
…ちょっとは変わったのかしら。
あたしは声を顰め、ヤムチャの顔を覗き込んだ。
「本当に言ってないのね?」
「…ああ」
ヤムチャは、常になく低い声音でそう答えた。
あたしは掴む手を緩めた。
ヤムチャの顔がすぐ近くにあった。
頬に赤みが差して見えた。
目と目が合った。
あたしは瞳を閉じた。

ヤムチャは踵を返した。

…ちょっと。

ちょっとちょっとちょっとちょっと!!

「ちょっとヤムチャ!」
あたしはヤムチャに駆け寄ると、その胸倉を再び掴んだ。
「何だよ」
ヤムチャは不思議そうな顔であたしを見返した。
「ここはくるべきところでしょうが!!」
「は?」
ああもう。あんたってどうしてそうなの。
「これが最後よ」
あたしはヤムチャの腕を取って、木陰に引っ張り込んだ。そして強引にキスした。
悔しいわ。本当に悔しいわ。何であたしこんな男が好きなのかしら。
「ブル…」
「次からは自分でするのね」
あたしは踵を返して歩き始めた。
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