いつもの男
クサクサするわ。

あたしはテーブルに突っ伏した。カメハウスのリビングの。すでにここはあたしにとって、勝手知ったる他人の家になりつつあった。
「おまえ、研究は?」
開口一番ヤムチャが訊いた。まったく、何よね。せっかく彼女が会いにきたんだから、もっと喜びなさいよ。まあ、来るなりテーブルに突っ伏したあたしもあたしだけど。
「座礁したわ」
あたしはこともなげに言った。
ヤムチャは呆れたようにあたしを見た。しょうがないわね。面倒だけど説明してやるか。
「だって、身近に研究材料がいないんだもの。遅々とするはずよね」
ヤムチャは少し考え込んでから、さも名案というように言った。
「武天老師様に頼んでみたら?」
亀仙人?ちょっとあんた、それ本気で言ってんの?
「あのじいさんに頼みごとなんかしたら、何を要求されるかわかったもんじゃないわよ。あんた、あたしの貞操犠牲にしたいの?」
あたしより長く一緒にいるくせに。全然わかってないのね。
ヤムチャは口を噤んだ。
「だからヤムチャ、あんたも早くかめはめ波を会得して…」
言い終わらないうちに、ヤムチャの手があたしの口を塞いだ。
「それは言わない約束だろ」
「あら、そうだっけ?」
まったく、こんな時だけ素早いんだから。その身軽さを少しはあっちの方面に回せないものかしら。
「あーあ」
あたしは大きく伸びをして、なんとはなしに外を見やった。
「孫くんがいたらなあ。あの子なら研究対象にうってつけなのに」
「悟空?」
あの子の強さと鈍感さは、実験材料としては得がたい資質だわ。
なぜかヤムチャが黙ってしまったので、あたしはランチさんの淹れてくれたコーヒーに手を出した。

さて、一息ついたあたしは、1つ仕事を買って出ることにした。…建前として。
あたしが料理を好きじゃないということはすでに承知の事実となっていたので(まったくあいつも口が軽いわよね。確かにあたしも自分の口から言ったけどさ)、その前準備をすることにしたのだ。
つまり、買い物。これなら誰だってできるわよね。
で、それをヤムチャと一緒に行くことにしたわけ。
誰にでもできる買い物に、なぜ2人も必要なのかって?必要じゃない、そう仕向けたのよ。
あたしってば策士よね。我ながらほれぼれするわ。

最もスピードの出るそれをケースから選び出していたあたしの耳に、クリリンの声が入ってきた。
「いいなあ、ヤムチャさん…」
ヤムチャは不思議そうにクリリンを見やっている。
「武天老師様は俺にもできたら許してやるって仰るんですけど。キッツイですよねえ」
あたしは笑った。クリリンあんた、その台詞はこいつにとっては暗号よ。
ヤムチャはやっぱりわかっていないようで、黙ってクリリンを見ている。
「もうヤムチャさん、相変わらず惚けるのうまいんですから」
うまいんじゃなくて、鈍感なのよ。
そこまでは楽しく2人の会話に耳をすませていたのだけど、クリリンが次の台詞を吐いたので、あたしはさすがに慌てた。
「何がって?デー…」
ちょっと。ちょっとちょっとちょっと!
あんた、余計なこと言わないでよ。
「ヤムチャ!行くわよ!!」
あたしはヤムチャの襟首を引っ張ると、強引にエアカーに押し込んだ。

街へと向かうエアカーの助手席で、ヤムチャは不思議そうに呟いた。
「何も2人で行くことないのになあ」
いいのよ。あんたはそんなこと気にしなくて。鈍感が許されるこの機会を楽しみなさい。
「いいじゃない。気分転換よ」
さらりと流して、あたしは計器類に目をやった。ここからが、あたしの一日の始まりよ。
「さあ!かっ飛ばすわよーーー!!」
あたしはスロットルをめいっぱい開いた。

「まったく、だらしないわね!」
「おまえがだらしありすぎるんだ…」
何なの、その言葉遣いは。そこまでグッタリすることないじゃない。こいつ本当に武道家なのかしら。
街に着くなりヤムチャはエアカーから飛び降りた。飛び降りた、というのは正確じゃないわね。よろめき出た、というところかしら。
「おまえ、運転が荒いにも程があるぞ…」
荒い?スピーディだと言ってほしいわ。その証拠に無事着いたでしょ。だいたいあんた、戦ってる時はあんなに速く動くくせに。なんで今さら車酔いなんかするわけ?
「鍛え方が足りないんじゃないの?」
あたしは言ってやった。
「いつもより数倍荒かった…」
息も絶え絶えにヤムチャは溢した。
「時と場合によるのよ」
あんたにはわかんないでしょうけどね。

買出しは滞りなく進んだ。ヤムチャは異常に手際がよかった。こいつ、パシリに向いてるのかしら。
想像してみた。…ハマりすぎるわ。クリリンも結構ハマるわね。孫くんは使いものにならなさそう。
しょうもない空想に耽るあたしの隣で、ヤムチャは何だか考え込んでいるようだった。
まったく、上の空なんだから(あたしもひとのこと言えないけど)。
「ねえ、ヤムチャ」
返事がない。
あたしはヤムチャの手をとった。あいつは驚いたようにあたしを見返した。
「おまえ、いきなり何する…」
「何よ、こないだ繋いだじゃない」
「あれはおまえが勝手に…」
急に元気になったわ。失礼しちゃうわね。
「あんた、まだそういうこと言うわけ?」
そろそろ学習してもいいんじゃない?
あたしは構わず手をとって歩き続けた。
あいつは観念したように、あたしに従った。

あたしはカフェのドアに手をかけた。ずっと不審を抱いていたらしい(まるわかりよ、そういうの)ヤムチャが、珍しく語気を強めて言った。
「一体何を考えているんだ、ブルマ。今はこんなことをしている場合じゃないだろう」
そういう場合なのよ。…あたしにとっては。
「いいじゃない、たまには付き合ってよ」
「たまには、って…」
あんたはいっつもいないんだから。こういう時くらい気を利かせなさい。たぶん無理でしょうけどね。
「ダメだ。それに、カメハウスで武天老師様たちも待っている」
なおもヤムチャは食い下がった。やっぱりね。そうくると思ったわ。
「平気よ。賄賂渡してきたから」
あたしはすまして言った。ふふん、ブルマさんに抜かりはないのよ。
「賄賂?」
「あんたは知らなくてもいいことよ」
あのじいさんに賄賂といったら、あれしかないでしょ。父さんのコレクションもたまには役に立つものね。

ヤムチャはコーヒーを頼んだ。あたしはストロベリーロマノフ。あまり外では見かけないメニューだ。このカフェは当たりね。
あたしたちは他愛のない話をした。いいのよ、それ以上はこいつに望んでないわ。
とりとめのない話。時々座礁する会話。ダラダラと流れる時間。
甘すぎるコーヒー。イチゴのデザート。
…懐かしいわ。
あたしはクリームのかかったイチゴを口に運びながら、思考を巡らせた。
…そうね。考え方を変えるのよ。データから得るものがすべてではないはずよ。理論を組み立てるのよ。それが科学よ。
目の前でのんきにコーヒーを啜る男を見た。
――すっきりしたわ。

「充電完了!」
カフェから出るなり叫んだあたしを、ヤムチャは怪訝な顔で見やった。
あんたの任務は終わりよ。ごくろうさま。

「さ、帰るわよ」
あたしはヤムチャの手はとらずに、エアカーへと向かった。
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