深い男
あたしは料理をさせてもらえなくなった。
あのウェスタンの料理を作ってからだ。あたしがキッチンに立とうとすると、みんなさりげなく邪魔をする。…ランチさんまで。
あれはあたしのせいじゃないのに。レシピのせいなのに。
本当よ(注:本当です)。


ヤムチャの修行ももうすぐ1年。あたしのカメハウス訪問はもはや定例と化していた。勝手知ったる他人の家。向こうもあたしを客だとは思っていない。
別に構わないわ。ランチさんは別として、もともとそんなに気の利くやつらじゃないし。
こういう状況の中で、あたしは買出しを名乗り出た。だって、それくらいはしなくちゃね。
ここまでは自然な流れ(よね?)なのだけれど、ここから先がちょっとおかしい。
なぜかヤムチャも一緒なのだ。…賄賂は渡していない。
一体どういう風の吹き回しなのかしら。前は2人で行くの嫌がってたくせに。…学習したのかしら。でも、それにしてはアクションないのよねえ。不思議だわ。
時折訪れるカメハウスで、あたしとヤムチャはなんとなく過ごしていた。そう、なんとなく。
キスは時々するけれど、やっぱりあたしから。もちろんそれでいいなんて思ってないし、全然不満なんだけど、いちいち言うのも面倒くさくなってきた。…何かしら。飽きたのかしら。
ま、せいぜいあんたは修行をしてればいいわ。あたしは研究してるから。
…やっぱり飽きてきてるわね。


「研究所?」
「そ。物理のね。ハイスクールなんかより、ずっと実りがあるわ」
ヤムチャの機先を制して言い捨てると、あたしは手元の美味を舐めた。
買い物の途中、イチゴのソフトクリームを食べながら、あたしは自分の近況を話していた。時間さえ押さなければ、ヤムチャはこういうことを許してくれる。最もそこまで厳しくちゃ、やってられないけど。
「専門機関はやっぱりいいわ。『気』の研究にも先が見えてきたし。実例が身近にあるっていうのもあるけどね」
ヤムチャは『気』を時々見せてくれる。特に、あたしがキッチンに立とうとした時なんかに。少し読まれているのかもね。
「ふーん」
ヤムチャの返事は素っ気なかった。まったく興味あるんだかないんだか。
本当にねえ。こいつ最近わからないのよねえ。
話を振ってくるわりに乗らないし。会いに行っても嬉しい顔一つするわけじゃないし(そのくせ追い返すわけでもない)。…あたしからしたら応えてくれるけど、自分からはしないし。時々かわいいとこ見せるのだけが救いよね。
そしてあたしもなんとなく落ち着いてしまっている。
…倦怠期ってやつかしら。

なんとはなしに歩を遅らせてヤムチャの全身を視界に入れた時、あたしは背後から肩を叩かれた。
「やあ」
反射的に振り向いた視線の先に、研究所の仲間が佇んでいた。
また言霊ってやつかしら。ほとんどコペルニクス的展開ね。
「珍しいところで会うわね」
「シンポジウムだよ」
ああ、あれ。あたしが今回蹴ったやつね。
あたしが彼と立ち話をしていると、先を行っていたヤムチャがそれに気づいたらしく、踵を返して来るのが見えた。それを察して彼が囁いた。
「ひょっとして、あちら本物?」
あたしは素直に答えることにした。
「一応ね」
「そうか。邪魔して悪かった」
それだけ言うと彼は去って行った。ヤムチャがあたしの隣へやってきた。
「知り合いか?」
「さっき言った研究所の仲間よ。シンポジウムに来てたんだって。本当はあたしにも話はきてたんだけど断ったのよ」
なぜかあたしはバカ丁寧に説明していた。本当にどうしてかしら。
ヤムチャはあたしの話すことにはまるで興味がないようで(まったく何よね)、遠く人ごみから僅かに覗く彼の後頭部を目で追いながら、呟いた。
「本物って何だ?」
あら、あんた聞いてたの。
あたしはちょっと勿体ぶって答えることにした。たまにはこういう話もいいかと思って。
「本物の彼氏ってことよ」
「本物の彼氏?」
「彼、偽物なのよ」
奇襲は成功した。ヤムチャから続く言葉はなかった。あいつは狐に抓まれたような顔をして、あたしを見つめた。あたしは笑って、ヤムチャの無言の問いに答えた。
「彼、すごく出来るのよ。それで、あたしとよく話すのよね。ほら、あたしも天才だから。それで周りが誤解してんのよ」
あたしは軽くウィンクしてみせた。
「だから偽物ってわけ」
ヤムチャはしばらく黙ってから、つまらなさそうに呟いた。
「…ふうん」
あたしは溜息をついた。
まったくあんたって、リアクションのない男よねえ。


帰路に着いた。エアカーが街を離れ無人の空へと飛び立つと、助手席からぼんやりと窓の外を眺めやっていたヤムチャが、おもむろに口を開いた。
「なあ」
「うん?」
あたしは手元の計器に目を落としたまま、曖昧に頷いた。
「…『一応』って何だ?」
「え?」
突然のヤムチャの言葉にあたしは意味がわからず、思わずぽかんと口を開けた。
「何?」
「さっきおまえ『一応』って言ったよな」
「何のこと?」
あたしは本当にわからなかった。
ヤムチャはあたしの顔をじっと見つめると、珍しく低い声音で言った。
「さっきおまえ、あの友人とやらに『一応』って答えてただろう」
友人?…ああ。
あたしはようやく合点がいった。
「あんなの言葉の綾よ。あんた、そんなこと気にしてたの?」
「言葉の綾というのは」
あたしの台詞に被せるように、ヤムチャは言葉を発した。一呼吸おいて続けた。
「言い回しが違うだけで、結局はそう思ってるってことだ。違うか?」
あたしは二の句が告げられなかった。
さっきまでぼんやりとしていたはずの瞳には今や強い光が宿り、その口調には刺さえ感じられる。そして何よりこいつらしくないことに、半ば睨みつけるようにあたしを斜めから見据えていた。
何あんた、どうしちゃったの。
「ち、違うわよ。思ってないわよ、そんなこと」
あたしは自分でも自信がないまま、そう答えた。ヤムチャはさらに語気を強めた。
「じゃあどうして『偽物』がいるんだ」
「え?」
あたしはまたもや不意を突かれた。
「普通、否定するだろそういうことは」
そりゃあ、そうかもしれないけど。
実際は、否定したってなかなか信じてもらえないものよ。噂ってそういうものよ。
でもそんな言い訳は、今のヤムチャには通用しそうにもなかった。
あたしは感情に訴えることにした。
「ちょっとヤムチャ、あんたコワいわよ」
「おまえが無神経すぎるんだ!」
ヤムチャはそう叫ぶと、瞬時にあたしの方を向き、両腕をあたしの体の横について、睨めるように威圧した。
…ちょっと。
ヤムチャはオートパイロットのスイッチを入れた。
「事実もそうだが、その話を俺にするというのがまた無神経すぎる」
この止めの一言が、あたしの回路を接続させた。あたしの口が息を吹き返した。
「な…何よ、偉そうなこと言わないでよ」
「何?」
「あんたなんか自分からは何もしないくせに!偉そうなこと言わないでよ!」
本当に、よくも彼氏面できるもんだわよ。
「何だと」
「いつもいつもあたしからさせてるくせに!偉そうなこと言わないで!」
あたしの声はそこで途切れた。唇が唇で塞がれた。
ヤムチャは僅かに唇を離すと、冷たく静かな声音で言った。
「これでいいんだな」
そして再びあたしの口を塞いだ。


半時間後、未だ空の上で、あたしたちは無言で隣り合っていた。
ヤムチャはまだ幾分損ねられた機嫌のまま(フリをしてるのかもしれないけど)、黙って腕を組んでいた。あたしは平静を保ちつつ、操縦桿を握っていた。…内心ではあいつの強引なキスに感激しながら。
あたしはほとんど目を閉じているヤムチャの顔を、横目で見やった。
それにしても…


こいつ、こんなに嫉妬深いやつだったんだ…
「…気をつけよっと」
あたしは心の中で呟いた。
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