謎の男
今日ほどわからない日もないわね。


抗うようなその声に、あたしの睡眠は妨げられた。
「うるっさいわねー、寝られないじゃない…」
あたしは窓から顔を出した。庭先の楡の木の下に、ヤムチャが立っているのが見えた。
「おはようブルマ!珍しいな。おまえがこんなに早く起きるなんて!!」
妙に浮かれているわ。朝っぱらから鬱陶しいわね。
あたしは寝起き特有の低い声音で呟いた。
「起きたんじゃなく、起こされたのよ…何やってんの、みんなして」
カメハウスの全員が庭に集合していることに、あたしは気づいた。そう、全員。クリリンとランチさんも。帰ってきたのね、早いわね…もっと寝かせてくれればいいのに。
それきり返事はなかった。あたしは再びベッドに潜り込んだ。

数時間後、あたしが適当に身支度を整えてリビングへ行ってみると、ランチさんが朝食の支度をしているところだった。まったく、あたしの体内時計も慣らされてきたもんだわよ。
あたしがいつものように皿をテーブルへ運ぼうとすると、ランチさんがさりげなく、でもどこか遠慮がちに言った。
「いいんですよ、ブルマさん。あまりご無理なさらないほうがよろしいですわ」
無理?
何かしら。さっき無愛想だったからかしら。でもあたしの寝起きが悪いのは、ランチさんだって知ってるはずだけど。
あたしは構わず働き続けた。
「ランチさん、ずいぶん早く帰ってきたのね。一体何時に起きたの?」
さっき見たのが5時くらいだったから、ひょっとして4時起き?偉すぎるわね。信じられない世界だわ。
ランチさんはまったく無邪気な顔で答えた。
「ええ、それがあたし、寝ている間に変身しちゃってたらしくって。気がついたら帰ってきてたんです」
なるほど。ほとんど想像つくわ。クリリンも災難ね。
「ねえ、ところでランチさん、ちょっとお願いがあるんだけど…」
あたしが切り出しかけた時、リビングに賑やかな声が帰ってきた。
「だから違うんだって!」
「いいんですよ、ヤムチャさん。武天老師様も許されていることですし」
「そうそう、わしゃ何も咎めとりゃせん」
「本当に何もしてませんってば!」
…いつもと違う雰囲気ね。あいつ、何かやったのかしら。
あたしは武士の情けで、話題を逸らせてやることにした。
「おはよう、クリリン。どうやら災難だったみたいね」
「…あ。…ブルマさん、おはようございます」
明らかにクリリンは言い澱んだ。これはかなり大変だったみたいね。
朝食の席につきながら、クリリンは続けた。
「…あの、ブルマさん。昨夜なんですけど…申し訳ないんですけど、C.Cのホテル利用させてもらいました」
「いいわよ。っていうか最初からそうしろって言ったでしょ」
あたしはさっくりあしらった。何の問題もないことだ。
「それで支配人はよくしてくれた?」
確認のつもりであたしは訊いた。最も、クリリンはそんな記憶吹っ飛んでるかもしれないけど。
やはりというか何というか、このあたしの質問に答えたのは、クリリンではなくランチさんだった。
「とってもステキでしたわ!あんなステキなお部屋を使ってらっしゃるなんて、羨ましいですわ」
「あたしはまだ使ったことないのよ」
だからこそ訊いたのだ。
「あら、もったいない。ヤムチャさんと行ってらっしゃればよろしいのに」
ヤムチャがミルクを咽返らせた。あたしはというと、このランチさんの言葉ですべてが氷解した。まったく、嫌んなっちゃうわね。
「言っとくけど、ケンカしてないわよ」
すぐみんなそういうこと言うんだから。失礼しちゃうわ。

あたしは話題を変えることにした。今朝はこんなのばっかりね。何なのかしら。
「ランチさん、悪いんだけど服を貸してもらえないかしら。あたし何の用意もしてこなかったから」
今度はクリリンがミルクを吐き出した。
「きったないわね。何やってんのよ」
一体何なの、さっきから。今朝のミルクに何か入ってるわけ?
あたしは恐々ミルクの匂いを嗅いでみた。…別に何ともないみたいだけど。
「構いませんわ。何もかもお貸ししますわ」
『何もかも』?何だか変な表現ね。ランチさんも少しおかしいみたい。
「できれば大人しめの服がいいんだけど。用事があるから」
C.Cに寄っている時間はない。でも直行すれば今からでも間に合う。
ここでヤムチャが始めて口を開いた。
「定例会か?おまえ準備してないんじゃなかったのか?」
「顔は出さないとね。しょうがないからアドリブでいくわ」
ヤムチャは妙に感心したような顔であたしを見た。そしてまた黙った。
こいつもちょっと変ね。どうしたのかしら。

定例会は恙無く終えた。遅刻気味だったことを除けばだけど。あたしは服を返すため、再びカメハウスを訪れた。
それがなくても来るつもりだったけど。だって、今日は何だかみんな変よ。
ちょうどお茶の時間だった。なのにヤムチャはなぜか1人、カメハウスの外に座り込んでいた。そして、ランチさんの服を着たあたしの姿をひと目見るなり、呟いた。
「…似合わねえな」
まったく何よ、失礼ね。
でもあたしはその言葉より、態度の方が気になった。何だか不貞腐れているみたい。こいつらしくもないわよね。
「どうかしたの?」
返事はなかった。
「あんた、今日変よ。みんなもだけど」
ヤムチャはあたしの顔を見た。そして1つ大きな溜息をつくと、ふいにあたしを引き寄せた。
「…何でもないさ」
そしてキスした。


本当に、今日ほどわからなかった日もないわね。
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