後ろの男
まったく、何だっていうのかしら。
あたしは腑に落ちない気持ちのまま、エアバイクのスロットルを絞った。


あの後、引き寄せたあたしの体を離して、ヤムチャがぽつりと呟いた。
「しばらく来ないでくれないか」
はあ?
いきなりの言葉に面食らいながらも、あたしはとりあえず訊いてみた。
「しばらくって、どのくらいよ?」
「さあなあ。どのくらいだろうなあ」
何それ。
ヤムチャは、ぼんやりと遠くの空を眺めやりながら言った。
「とにかく、ほとぼりが冷めるまでだ」
ほとぼり?
何それ。

訳のわからぬまま、それでもあたしが頷いたのは、ヤムチャの様子が何だか変だったからだ。
不貞腐れてるっていうか、元気がないっていうか、テンション低いっていうか、とにかくおかしかった。
何かあったのかしら。少しくらい説明してくれたっていいのに。

そんなわけで、あたしはランチさんに服を返しお茶を1杯戴いたあと、カメハウスを早々に辞去した。本当はもう1日いてもいいかなって、思い始めてたんだけど。
そしてあたしがそれに気づいたのは、C.Cに帰り着いてからだった。
「どうやったら、ほとぼりが冷めたってわかるのかしら」
あいつが電話とかしてくるわけ?会いにこいって?
…ありえない。
あたしは溜息をついた。
まったく、何よね。
自分の事情を押し付けないでほしいわね。だいたい、あたし理由も知らないのよ。…訊かなかったあたしも悪いのかもしれないけど。なんとなく訊けなかったんだもの。
本当に何やったのかしら、あいつ。


1ヶ月が経った。
あたしは何とも思ってなかった。
1ヶ月くらい会わないことなんて、今までだってあったもの。まだまだ平気よ。
問題は、これがいつまで続くのかわからないということだ。そういうのって結構キツイ。一体どうしたものかしら。
そんなことを考えながら、街中を歩いていた。西の都じゃないわ、例のシンポジウムが行われるところ――つまりカメハウスの近くよ。…まったく嫌んなっちゃうわよね、こういうのって。
ふと交差点の向こう側にやった目に、それが入ってきた。――あいつとランチさんだ。
買出しに来たのね、きっと。思わず駆け寄ろうとして、あたしは立ち止まった。
…なあに、あれ。
あいつはバカに機嫌の良さそうな顔で、ランチさんと話し込んでいた。この間のあたしに対する態度とずいぶん違うんじゃない?
何よ。あったまきちゃう。
あたしはあいつに見つからないよう、元来た道を戻り始めた。
あたしのことは追い返したくせに、ランチさんだったらいいわけ?何なのよ、それは。
そりゃあたしだって、まさかあいつとランチさんがどうこうだなんて思ってやしないわよ。でもおもしろくないんだから、しょうがないじゃない。
まったく、ひとを何だと思ってるのよ。あたしがそんなに邪魔なわけ?
いいわよ、もう。あんたなんか勝手にやっていればいいんだわ。


あたしの思考は巡った。
…本当に、何考えてるのかしら。さっぱりだわ。
1年経って、少しはボケが薄れてきたと思っていたのに。意思表示もするようになったと思っていたのに。今回はからっきしわからない。
せめて釈明くらいすべきよ。これじゃまるっきり放置じゃない。
…放置?放置されてるのかしら、あたし。

そして2ヶ月経っても、連絡はなかった。


3ヶ月が過ぎた。あたしは相変わらず、あいつに会っていなかった。
ウーロンたちが不審がり始めた。
「おまえら、またケンカしてんのか」
うるさいわね。
「おまえもつむじ曲げてばかりいないで、たまには自分からだな…」
うるさいわね。
なおも続けようとするウーロンに向かって、あたしは怒鳴りつけた。
「うるさいわね!ケンカなんてしてないわよ!あいつが来るなって言ったのよ!!」
そうよ、あいつが言ったのよ。あいつが言ったんだから。
…バカにしてるわよね。
あたしはエアバイクのキーを掴んだ。


あたしはただ座って見ていた。
あいつらから100m以上も離れた木陰――普通だったらまず気づかれないだろうけど、あいつらだからわかんないわね。でも、そんなこともういいわ。
あいつとクリリンは一定の囲の中で、試合みたいなことをやっていた。
ふうん。
この前の天下一武道会では、クリリンの方がひとまわりくらいは実力が上に思えたけど、今はそうでもないのね。あいつなりにがんばってるってとこかしら。
やがて試合も終わり、あたしの存在に気づいたらしいあいつが、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。あたしは立ち上がった。
「ようブルマ、来てたのか」
「今帰るわよ」
スカートの埃を叩き落とし歩き出そうとするあたしを見て、ヤムチャは不思議そうな顔をした。
「なんだって?まだ来たばかりだろ」
「あたしはいない方がいいんでしょ」
まったく言わせないでよ、こんなこと。
あたしはさっさとカメハウスへ向かって歩き出した。そこにエアバイクを留めてきたからだ。
なんとなく来ただけよ。別に会いに来たわけじゃないわ。
そうよ。どうしてあたしが、こんなやつに会いに来なくちゃいけないのよ。
「ブルマ、ごめん」
無言のままひたすら歩くあたしの背中に、困惑したようなあいつの声がかけられた。あたしは振り向かなかった。
「何がよ?」
「何がって…」
あたしの問いに、あいつは口篭った。バッカじゃないの。
「わかってないのに謝られても、しょうがないわよ」
あんたのそういうところがイラつくのよ。
そして、いつもここで黙るのよ。それがまたイラつくのよ。
でも、これまで的中させてきたあたしの予想は、この時初めて裏切られた。
「俺が無神経だった」
きっぱりとした口調で、あいつは言った。あたしは思わず足を止めた。
「俺が無神経だった。悪かった。謝るよ」
あたしは振り返った。あいつの顔をまじまじと見つめた。その表情は、今までとは全然違って見えた。もとより黒い瞳はいっそう黒く、何かが宿っていることがはっきりと見て取れた。
「…本当にそう思ってるの?」
「ああ」
わかっているのに訊いてしまった。そしてその答えは、思った通りのものだった。
「もういいわ」
あたしは踵を返した。正直わからなかった。どうすればいいのかしら、こんな時。
解られたって、今さら許せるものではないわ。ええ、そうよ。…それはそうなんだけど。
その時、あいつがあたしの手を掴んだ。あたしは木陰に引っ張り込まれた。
「ちょっと。何…」
そして唇を塞がれた。
あの樫の木の下で。

…これだから男って…
あたしは溜息をついた。

本当にずるいわよね。
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