覗く男
まったくヤムチャってば、リップサービスってものを知らないんだから。
それにしても『らしくない』って何かしら。そんなこと言われたの初めてだわ。
『らしい』って言われたことなら、何度かあるけど。メカを弄ってる時なんかに、よく言われるわよね。
何か学習したのかしら。でも、あたしにもわからないことを学習しないでもらいたいわ。


ハイスクールは夏季休暇。あたしは堂々と、カメハウスに入り浸ることにした。
ここ、ビーチが近いのよね。ちょっと足を伸ばせば街もあるし。遊びに来るにはいいところだわ。
住人も気心が知れているし。…ずっと一緒に住みたいとは思わないけど。そして、用事を言いつけられる連絡員もいる。
「ブルマさん、これ今週のぶんです」
「はい、ありがと」
あたしはプーアルから書簡の束を受け取った。おざなりに分別する。季節とそして立場柄、ダイレクトメールが多い。ヤムチャがその中の1つを抓み上げ、不思議そうな顔をして呟いた。
「乗馬クラブの会員権?何でこんなものが来るんだ?」
そんなもの、上流家庭ならどこにでも来るわよね。でもその乗馬クラブの名前に、あたしは覚えがあった。
「やらされてたのよ、子どもの時に。祖母にね。すぐやめちゃったけど。乗るだけなら乗れるわよ」
馬って結構かわいいわよ。涎を垂らさなければね。あれはダメね、最後まで慣れられなかったわ。ま、牛糞馬涎って言うくらいだものね。
あたしの答えに、ヤムチャは軽く眉を集めた。
「おまえ、祖母なんていたのか?」
いるに決まってるじゃない。何言ってんの。
「祖父母がいなきゃ、ここにあたしがいるわけないでしょ。最も今はいないけど」
ヤムチャは一呼吸置いて、また1つ抓み上げた。
「ソーシャルダンス…」
「それも習わされてたのよ、やっぱり祖母に。あとテニスに茶芸にピアノにバイオリンにソーシャルマナー…」
「やってるところ見たことないけど」
「全部やめたからね、祖母が亡くなった時に。あの時は爽快だったわ」
最後に思いっきりいたずらしてやったわ。嫌々やらされてたんだもの、それくらい当然よ。子どもを舐めるんじゃないっつーの!
「息子がああだからって、孫に押し付けるの止めてほしいわよね、まったく」
まあ、よくある話よ。


夏。ビーチ。白い砂浜。…修行。
まったく、どうなってるのかしらね、あいつらの頭の中は。どうしてこの環境で修行なのかしら。
クリリンも「彼女がほしい」を連呼するわりには、結局修行なのよね。あんたそれじゃ、一生彼女できないわよ。
ヤムチャにあたしがついているのは奇跡よ。あんな鈍くてサービス精神のない男、いくら顔が良くたって、普通、女は寄り付きゃしないわよ。…いや、寄り付いてはいたか。でも、付き合えっこないわよ。あたしだからこそできる業よ。
今だって、この状況で1人放っておかれて、腐らずに過ごしているんですからね。まったく、あたしってえらいわねえ。
あたしはビーチの水際で、プーアルと砂遊びをしていた。
子どもっぽい?そうかもね。でもプーアルはまだ子どもよ。11歳。そんな子がどうしてヤムチャについているのかしら。
「ねえ、プーアル」
「はい」
プーアルが砂を集めて、あたしがお城を作る。…立場が逆のような気もするけど。この子、妙に気がきくのよね。
「何であんた、ヤムチャにくっついてるの?何でずっと一緒なの?」
不思議よね。一緒にいる図には、もうすっかり慣れちゃったけど。根本的な謎だわ。
プーアルはまったく心外そうな目をして、まじまじとあたしの顔を見上げた。う。何よ。何であんた、そんな円らな瞳なのよ。
あたしは何となく畳み掛けた。
「あんたって、ヤムチャのどこがいいわけ?」
「どこがって…」
「ないの?」
それならそれで納得するけど。
でも、あたしがそう言った途端、プーアルはきっぱりと言葉を返した。
「いえ。ええと、そういう風に考えたことないです。ヤムチャ様はヤムチャ様ですから」
「嫌いなところはないの?」
「はい、ありません」
即答だ。あたしは思わず呆然としてしまった。
「ブルマさんはどうなんですか?」
「え?」
「ブルマさんはヤムチャ様のどういうところが好きなんですか?」
ちょっと気後れしている隙に返された。…あんた、頭の回転速いわね。ひょっとしなくても、主より頭いいんじゃない?
あたしは呼吸を整えた。驚いたけど、動揺するほどではないわ。
「…あたしも考えたことないわね、そういうの」
これは本当だ。プーアルは嬉しそうに言った。
「じゃあ、同じですね」
同じ?…そうかしら。
あたしにはあるけどなあ、あいつの嫌いなところ。
反応が鈍いところとか、言ってもわかってもらえないところとか。
時々何考えてるかわからないところとか、たまに妙に口うるさいところとか。
修行ばっかしてるところとか、他の女の視線に気づかないところとか。
お城の尖塔が波に崩れた。あたしは立ち上がった。
「プーアル」
「はい?」
プーアルはあたしの肩に乗りながら答えた。
「サンオイル塗ってもらえる?」
「はい!」
あたしはビーチチェアにうつ伏せになって、プーアルにサンオイルを手渡した。トップスの紐を解いて、腕を頭の下で組む。
いっつも間が悪いし。
全然甘いこと言ってくれないし。
そもそも時間とってくれないし。
ノリがいいんだか悪いんだかわかんないし。
一体ウェイト置いてるんだかいないんだか。
嫌いなところなら、いくらでも浮かぶわ。全然同じじゃないわよねえ。
「ふあぁぁぁ…」
なんだか眠くなってきた。羊の数え歌状態ね。
微睡みかけたあたしの胸に、何かが触れた。
ん?
「きゃああああああああ!!!!!」
あたしは一瞬遅れてその手を払い除けた。胸を押さえて、体を起こした。遠くに、砂山と化しているプーアルが見えた。その前に立ち尽くす人物…

信っじらんない!!
もう最っ低!!
何だってこういうことにそう鼻が利くわけ!!

…亀仙人さんだった。


「このエロじじい!!何でここにいるのよ!!」
両手をオイルにぬめらせ、じいさんは飄々と答えた。
「いやいや、猫1匹じゃ不手際だと思ってな。わしが代わりにサンオイルを…」
あたしはプーアルの耳を掴んで、砂山から引っ張り出した。
「頼んでないわよ!!プーアル、銛!!」
「は、はい。…変化!!」
あたしの怒号と共にプーアルは銛に変化し、逃げようとするじいさんの頭に突き刺さった。ふん、あいつの僕は、あたしの僕よ!
あたしはエアバイクをカプセルから戻すと、バックフォークにワイヤーを結びつけ、その先に銛を括りつけた。
あたしたちは空に舞った。


まったく、何が『修行は厳しい』よ!弛みまくりじゃないの。
あたしたちがそこに着いた時、ヤムチャとクリリンは、戦ってるんだか戦っていないんだかわからない修行をやっているところだった。思いっきり無駄話をしているのが、あたしの耳に聞こえた。
あんたたち、そんな余裕あるんなら、他にすることがあるでしょ。
「ちょっと、あんたたち!弟子ならちゃんと師匠を躾なさいよ!!」
あたしたちが来たことにまったく気づいていない(本当に弛みまくりよ)様子の2人に向かって、あたしは叫んだ。2人は驚いたようにあたしを見た。
本当に、こんなことで大丈夫なのかしら。特にヤムチャ、あんた彼女の存在に気づかないってどういうことよ。いくら何でも鈍すぎよ。
2人の視線が、あたしとじいさんを往復するのがわかった。あたしは何か訊かれるより早く(言いたくないわよ、あんなこと)言葉を繋げた。
「あんたたち、ちゃんと師匠を見張ってなさいよね!!まったく、プーアルの方がよっぽど役に立つわよ。…プーアル、もういいわよ」
あたしが指図すると、プーアルはじいさんの頭から抜け、元の姿に戻った。ヤムチャが目を丸くして、それを見ていた。
相変わらず黙ったままの2人に、あたしがじいさんを引き渡すと、ヤムチャがおずおずと訊ねた。
「おまえ、何で水着なんて着てるんだ?」
まったく見当違いよね。普通ここはそうじゃないでしょ。だいたい、見ればわかりそうなものなのに。
「泳いでたからよ。また行くわ」
あたしがこともなげに答えると、ヤムチャは一瞬天を仰ぎ見て(何なのそのリアクションは。あたしがどうしようと勝手でしょ)、やがてグダグダと喚き始めた。
「おまえビーチにいたのか?その格好でここまで来たのか?まさかエアバイクに乗ってきたのか?…その格好で?」
見りゃわかるでしょ。当たり前のこと訊かないでよ。
だいたい、何でその質問なのよ。ここはあたしを気遣うところでしょ。ズレているにも程があるわ。
あたしは溜息をついた。あんた、調教の必要ありすぎよ。
「じゃあ、あたし行くわね。亀仙人さんは頼んだわよ」
この台詞にまでヤムチャは文句をつけた。
「ま、待て。せめてエアカーに乗っていけ」
「嫌よ、面倒くさい。こっちの方が速いわ」
本当に鬱陶しいわね。しかもわけわかんないし。やっぱり、プーアルの方が頭いいわ。
「プーアル、行くわよ」
プーアルは素直に従った。ヤムチャがプーアルをかわいがる理由が、何となくわかってきたわ。
あたしはプーアルを自分の前に座らせると、エアバイクのアクセルを踏んだ。


その夜。あたしはシャワーを浴びてからリビングで、『気』の研究に役立つと思われる、粒子説に基づく実験の資料を読んでいた。粒子説とは前時代に確立された理論で、現在に至っても粒子の存在は仮定の域を出ていない。机上の空論とまでは言わないけど、これを実践段階にまで持っていくのは、現在のところ夢のまた夢、といった感じだ。
「あーあ」
あたしはテーブルに伏せった。座礁したわけじゃない。まだ理論構成の段階だもの。でも正直腐っちゃうわよね。
ふと、膝横に転がるパンフレットの文字が目に入った。「クラシカル・ソフィスケート・エレメンタリー・メディテイション・スクール」――まったく、こんなわけのわからないものは勧められるし。勘弁してほしいわ。
気だるいあたしを睡魔が襲った。

パラパラと何かを捲る音で、目が覚めた。
瞬いた目に、さっきのわけのわからないパンフレットを繰る浅黒い手が映った。
「…ああ、それね。知人の紹介だったから目を通してみたんだけど。…捨てていいわ」
あたしの呟きにヤムチャは手を止め、ちょっと笑って訊いてきた。
「全然興味ないのか?こういうの」
「ないわね。そんなことやってるほどヒマじゃないわよ」
そんなことやってたら、ここに来るヒマなくなるわよ。それでもいいわけ?
ヤムチャはほとんど不信の目であたしを見た。あたしはその目に見覚えがあった。
まったく、こいつもか。いい加減にしてほしいわね。
「あんたもあれね。どうせみんなと同じようなこと言うんでしょ。お嬢様はお嬢様らしくしなさいとか。まったく、男ってどうしてみんなそういうこと言うのかしら。嫌んなるわね!」
余計なお世話だわ。
「ははっ」
ヤムチャは一瞬目を丸くしたかと思うと、ふいに笑い出した。何よ。何で笑うのよ。
「おまえはそのままでいいんだよ」
目を細めてそう言った。そしてあたしの頭を撫でた。
あたしは返す言葉がなかった。
…何、この敗北感。
奇妙に優しく動くそのごつい掌の感触に、あたしは自分の頬が紅潮し始めているのがわかった。
「もう寝る!」
何とかそう口にすると、リビングを後にした。

…不覚。
一生の不覚だわ。不意を突かれたとはいえ、あいつにやり込められるなんて。

どうしちゃったのかしら、あいつ。
あたしは妙な胸騒ぎを感じた。
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