ひよこな男
…ちょっと、無謀だったかしら。
少しばかりの後悔と共に、あたしは溶媒にベリリウムを落とし込んだ。もう後戻りはできない。
ベリリウムが完全に溶かされたことを確認して、今度はそれを充填剤を詰めた管に流し入れた。…これでいいはずなんだけど。
あたしは昨日持ち帰ったベリリウムを精錬することにしたのだった。どっちみち精錬は必要なんだけど、それを自分の手でやってみようと思ったのだ。せっかく自分個人のものなんだし。例え失敗したとしても、それを知る者は誰もいない。咎められる心配はないというわけ。
…でもやっぱり、無謀だったかしら。
実はベリリウムって、結構な毒性があるのよね。固形の状態で手にするぶんには問題ないんだけど、もし体の中に入ったりしたら大変。確実に病院行きね。もちろんそのことは、ここの住人には伏せてある。だって、そんなこと言ったらいじらせてもらえないし。
だからうまくいってよね。お願いよ。
あたしの望みは叶えられた。ベリリウムは二回りほど小さくなって、その銀白色をさらに美しいものに変えていた。
ああ、よかった。あたし、天才でよかったわー。

あたしが安堵の息を吐きながら器具を片付けていると、ヤムチャがコーヒーを持ってきてくれた。そういやお茶の時間だっけ。ブッチしちゃった。悪いことしちゃったな。
「サンキュー」
あたしは着ていた白衣を脱ぎ捨て、コーヒーを一口啜った。おいしいわ。まさに一息入れたって感じね。
珍しいことにヤムチャはその目に興味の色を湛えて、テーブルの上に丸められた白衣や器具を見ていた。いやあんた、そんなものよりこの美しい球体を見てよ。本当にボケてるんだから。
そこへクリリンがやってきた。クリリンもまた物珍しげな顔をして、テーブルの上のベリリウムを1つ手に取った。
「へえ。結構きれいなものなんですね」
当ったり前よ。あたしの汗と涙の結晶よ。
今回は本当に汗を掻いたわ。それに涙も…昨日ちょっとだけ、心の中でね。
でもそんなことは言わない。だって、あたしは天才なんだから。
「宝石のハトコ分みたいなものだからね。エメラルドにも含まれているのよ」
でもエメラルドよりずっと価値があるものよ。あたしたち科学者にとってはね。
あたしは再び白衣を身につけ、製図用紙を取り出した。休憩終わり。
そしてそれはこいつらも同じだった。2人は去っていった。別々の方角へ。

…あたし、最近気になっていることがあるのよね。それはヤムチャの行動よ。
お茶の後が自主トレだっていうのは知ってるわ。問題はその行き先よ。
なんか、今までとは違うところへ行っているみたいなのよね。前は、あの樫の木の向こうの平地とか、寺院のある丘の上にいたものだけど、最近、そこを探してもいないのよ。一体どこで何やってんのかしら。
サボってる…とは思えないのよね。だって、あいつ真面目だもん。上にクソがつくほどね。いつかの嵐の時だって、気も利かせずトレーニングしてたし。
秘密特訓でもやってるのかしら。…ひょっとして、あれやってるとか。最近見せてもらってないけど。だとしたら、ちょっとは上達したのかしら。
まあ、別に詮索する気はないけど。せいぜいがんばるのね。

あたしは白衣の襟元を正した。気分よ、気分。ここからがいよいよ本番よ(今までのは遊びよ、遊び)。
頭の中に引かれた図面を紙の上に写し出す。ベリリウムを材料としたパーツの図解だ。さすがにここで鋳型をとるのは無理だから、C.Cに送ってやってもらおっと。そして組み立てはカメハウスでやる。ここにはモルモットがいるからね。
ああ、何て順調なのかしら。最高に幸せだわ。


C.Cからパーツが届いたのは2日後だった。まあ、そんなもんね。ミニリーファーコンテナの中に幾重にも梱包されて収められたそれらを、あたしは慎重に検めた。まとめて両手に乗せてみる。すごく軽い。この軽量さがベリリウムのいいところなのよね。
「何でこんなに箱がでかいんだ?」
ヤムチャがパーツを摘み上げながら、不思議そうに呟いた。いいのよ、あんたにはわかんなくても。あんたには関係な…くはないわね。今回は。
まあ、今はいいわ。あんたの出番は後よ。大人しく待ってなさい。
あたしはコンテナごと庭に運び出すと、パーツをガーデンテーブルの上にぶちまけた。
さあ、楽しい仕事の始まりよ!

陽が落ちてきた。1日が終わる。あたしの仕事も。
「よし、完成!」
勢いよく、最後のキーを叩いた。何とかプログラムまでやっつけたわ。
「1日で出来ちゃうなんて、やっぱりあたしって天才ね!」
「何を作ってたんですか?」
いつの間にか、ヤムチャたちが帰ってきていた。白衣を投げ捨て達成感に浸っていたあたしの耳に、クリリンの声が響いた。
クリリン、あんたタイミングいいわねえ。嬉しくなっちゃうわ。
あたしは意気揚々と答えた。この瞬間が、科学者にとっては1つの楽しみなのよ。
「『高エネルギー分解能分析電子測定機』よ」
「…何すかそれ」
クリリン目と口を同時に見開いた。あたしは笑った。まったく、いつものヤムチャと同じ反応だわね。そうよね、あんたたち体力バカには、わからないわよねえ。いいわ、わかるように説明してあげるわ。
「簡単に言うと『気』を調べるメカよ。量子レベルじゃなく、あくまで質量としてのだけど」
どうよ。一言に纏めたわよ。
クリリンはまだちょっと釈然としない様子で、さらに訊ねた。
「質量としての気?何すか、それ」
「鈍いわねえ。『かめはめ波』よ。もしくはそれに準ずる技。要は目に見えるエネルギーであれば何でもいいのよ」
もうこれ以上は端折れないわよ。
「と、いうことは武天老師様ですか?でも老師様、そんなことに協力してくれるかなあ。…いえ、協力はしてくれるかもしれないけど、その…」
クリリンは口篭った。あたしはまた笑った。
ええ、ええ、あんたの言いたいことはわかるわ。あたしだってそんなことは百も承知よ。それにしても弟子にこんなこと言わせるなんて、しょうのない師匠よねえ。まったく、あんたもヤムチャも何で見限らないのか、理解に苦しむわ。
で・も。それについては解決済よ。だってね。
「亀仙人さんに頼まなくてもいるじゃない、ここにもう1人、気を使…」
ふいに口が塞がれた。大きなごつい手が、後ろからあたしを羽交い絞めていた。
「とっと、あにふるもよ、あむちゃ!」
か弱い女に乱暴するなんて。信じられないことをするやつね!
「一体どうしたんですか、ヤムチャさん」
驚いたというよりは意表を突かれたといった口調で、クリリンが言った。
ちょっとクリリン、何のんきに構えてんの。見りゃわかるでしょ、乱心してんのよ!さっさと助けなさいよ!
「い、いや、ちょっと…ブルマに話があるんだ。そう、話が!」
ヤムチャは笑いながらそう言った。話?ただ話をするのに、羽交い絞める必要がどこにあるのよ。
相変わらずクリリンは、ただ呆気に取られたようにあたしとヤムチャを見ていた。のんびりしすぎだっつーの!その隙にヤムチャが言葉を繋いだ。
「恋人同士の語らいだからな!邪魔するなよ、クリリン」
あんた何言ってんのよ。バレバレの嘘つかないでよね。だいたいそういう台詞言えるんなら、もっと他の時に言いなさいよ。
でもクリリンはヤムチャのこの言葉に文句もつけず、物陰へと引き摺られていくあたしを茫洋たる目つきで見送った。一体どういう神経してるわけ?
カメハウスの裏手で、やっとあたしは解放された。ヤムチャはあたしを放すなり、辺りをきょろきょろ見回した。ちょっと、ごめんの一言くらい言いなさいよね。
「あー、苦しかった。なーにが『恋人同士の語らい』よ!」
そんなもの一度だってしたことないくせに。
あたしの言葉にヤムチャは答えず、正面からあたしを睨みつけた。
「おまえなあ!!」
こいつがいきなり怒鳴りつけるなんて珍しいわ。これは完全に我を見失っているわね。
「内緒にしろって言っただろうが!!」
あー、やっぱりね。まだやってたんだ。
「何よ。あれってまだ有効だったの?」
ヤムチャは無言で肩を怒らせた。ふーん。あくまで言質をとらせないつもりね。そうはさせないわよ。
「ごめんごめん。だって、まだやってるとは思わなかったんだもん。てっきり挫折したかと思ってたからさあ」
あたしの誘導に、ヤムチャは引っかかった。ちょろいもんね。あいつはソッポを向きながら、不貞腐れたように呟いた。
「ちゃんとやってるよ」
最初からそう言えばいいのよ。
「でももう、おまえには見せん」
げっ。そうきたか。
それきりヤムチャは黙った。何を言っても答えない。どうやらあたしが思っているよりも、こいつの意思は固いみたい。でも、それじゃあ困るのよ。
あたしは下手に出ることにした。あんたの弱点なんて知ってるわ。こいつは理と情(って全部ね)に弱いのよ。
「せっかくメカ作ったのに。お願い、見せてよ。データ取りたいのよ」
「あんたしかいないのよ。亀仙人さんには頼みたくないし」
「あたしがあのじいさんに何されてもいいっていうの!?」
自尊心をくすぐりつつ、危なげなところを見せる。いわゆる飴とムチってやつね。
ヤムチャは最後まで無言を通していたけれど、結局はあたしに折れた。
「しょうがないな。これが最後だぞ」
まったく弱いわね、あんたは。弱すぎだわ。
でも、そこがあんたのいいところよ。


夜、シャワーを浴びた後、みんなが自室に引っ込んだのを確かめて、あたしはヤムチャの部屋を訪れた。作ったばかりのメカと、小型パソコンを持って。
メカは、直径5cm重量100g弱の完全球体、純粋ベリリウム製。パソコンから遠隔操作で起動させ座標軸を与えれば、後は自動実行監視方式によるオートパイロット。このシステムと、ベリリウムの高い熱吸収力・耐食性・非磁性などを考え合わせれば、まず周囲に危害は及ばない。でなければ、家の中でやろうなんて思わないわ。
メカからリモートコマンダーカードを取り出しパソコンに接続して、ソフトを立ち上げる。…実はこれ、ソフトウェアテストしてないんだけど。だって、しようがないし。対象者が1人しかいないんじゃ、テストも何もないわよね。
起動の指令を与えると、メカは音もなく宙に浮いた。感度良好。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
宙に浮くメカをぼんやりと見つめながら、ヤムチャが呟いた。…まだ気乗りしてないみたいね。まあ、あんたに手数はかけさせないから、少しだけ付き合ってよ。
「あんたは気を出してくれさえすればいいわ。触れれば、あとはメカが勝手に調べるから」
あたしが言うと、ヤムチャはさっそく例の姿勢をとった。瞑想するように瞳を閉じ、両足は地を踏みしめて、拳はまるで何かを掴み取ろうとするように(ここだけちょっと違うわね)緩く握って。深い息を1つ吐いた。すると拳が鈍く光り始め、その光が形を取り始めたかと思った次の瞬間、掌の上に黄白色の球が――
…早い。
思わず目を瞠った。もっと待たされるかと思ってた。しかもきれいな球体だわ。前はかろうじて形作ってた感じだったけど…
あたしは認めた。こいつを見くびっていたことを。そりゃ弱いとまでは思ってないけど、こいつあんまり器用な方じゃないし、天才肌って感じでもないし…はっきり言うわ。たいして伸びないと思ってた。
でも、ちゃんと向上してたのねえ。えらいわね、あんた。
さてと、それじゃあたしもやるか。
「そこから動かないでね」
あたしはパソコンに座標軸を打ち込んだ。あとはオートパイロット。メカが勝手にやってくれるわ。
拳に輝く黄白色の光体に、銀白色のメカが静かに触れた。ここまではOK。メカの動作そのものに不備はない。期待と不安の高まる中、メカは光に包み込まれるように気の塊と一体化し、やがて…
…消えた。
「ああーっ!?」
気がつくと叫んでいた。ちょっとちょっとちょっと!!
ヤムチャが気を消した。その後には何もなかった。メカは消えた。というか、溶けた?
マジ?信じらんない。こんなのってあり?
データはともかく、デバッグの余地も残してくれないわけ?ベリリウムは1300℃まで耐えられるはずなのに。
あたしはヤムチャを睨みつけた。こいつが悪いわけじゃないことはわかっているけど、他に人間がいなかった。
「一体どれだけ熱持ってんのよ、その『気』ってやつは!?」
返事はなかった。
あたしは1つ深呼吸をすると、ベッドを背にして床に座り込んだ。ここに座ると落ち着く。…いつもなら。ヤムチャは無言で、あたしの右隣に座り込んだ。いつものように。
ダメね。全然落ち着かない。くさくさするわ。
あたしはヤムチャに怒鳴りつけた。
「あんた、本っ当に気が利かないわね!こういう時は慰めたりするもんでしょ!」
八つ当たりだってわかってる。でもしょうがないわ。
あいつがあたしの肩を抱いた。そしてぽつりぽつりと話題を振った。主には、今の現象についての質問だ。あたしは事務的に答えた。まあ、吐き出すのもいいかもね。
あたしが一通り答え終わると、あいつは言った。
「つまり、座礁したわけか」
あたしは目を瞬かせた。
「ひさしぶりに聞いたわね、その言葉」
この研究を始めた頃は、よくそういうやり取りをしてたっけ。つまりはよく座礁していた、ということだけど。…もう1年くらい前か。思えば長く軌道に乗っていたものだわ。
あたしは気を取り直した。自然にそう思えた。
「座礁したのとは違うわよ。進路が変わっただけよ。まだまだ進めるわ」
そうよね。今回のはちょっと試してみただけで、決定的な壁というわけではないし。
壁か…
あたしは記憶を手繰った。
壁にぶつかったこと、あったわね。あの時もこんなふうに、くさくさしてたっけ。それで…
ふいにあたしの肩からヤムチャの腕が消えた。あいつは妙に優しい目をして、さりげない口調で言った。
「充電するか?」
言葉と共に、あいつの指が頬に触れた。

その時、あたしの心をある感覚が襲った。いつか感じた敗北感にも似た思い。
でも、今日は悔しくなかった。
きっと、消沈しているからよ。そうに違いないわ。
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