桜雲の男
自分の誕生日ってどう思う?大切だって思う?
あたしはそうは思わない。だって、生まれた時のことなんて覚えてないもの。
産んだ人にとって大切だっていうのはわかるわよ…だって苦労して産んだんだし。きっとものすごく強烈な人生の記憶よね。あたしには経験ないけど。
でも、生まれた方はそれは知らないし。頼んで産んでもらったわけでもないし。
じゃあ何で生きていくのかっていうと、それは生まれたからよ。生きているから生きていくのよ。
…これを言うと引かれるのよね。何でかしら。

とは言ってもね、祝われるのはまた別よ。やっぱり祝ってほしいわよ。
っていうか、忘れられると腹立つわよね。自分ではそんなに大事じゃなくても、他人にそう思われると腹立つわ。
他人の誕生日を祝うのは基本よ。相手が家族や恋人だったら、絶対だわよ。だって、その人が生まれてきてよかったって思うのは、本人じゃなくて他人だもの。
でもねえ…


思考を止め、エアジェットのスロットルを引き絞った。教えられた地点まであと少し。
あたしはあいつの修行場所へ向かっていた。…あいつ。ヤムチャのバカよ。
あの後――北の森で追いかけっこをした後。あいつが修行場所を変えたいって言ったから、決まったら教えるって言ったから、だからC.Cに帰ったのに。何で連絡くるのが1ヶ月後なのよ。あいつ、前のこと全然反省してないわね。
あたしはあいつの顔を思い浮かべた。それはすぐに掻き消えた。
眼下に見る光景が、一瞬にしてあたしの心を占拠した。
荒野を抜け、僅かな岩山を越えて、現れたペールピンクの大地。ベントから仄かに香る花の匂い。
何これ。ひょっとして桜?
呆然とエアジェットを進めているうちに、手を振るあいつの姿が見えた。
まさか、ここなわけ?
この前は、あんなに荒涼とした場所を選んだくせに。わけわかんないわね。
エアジェットを着陸させかけて、あたしは再び操縦桿を引いた。オートパイロットに旋回巡航の指令を与えた。
桜の木は500m四方程に渡って密生していた。花は満開、大地は一面の桜色。すごくきれい。もちろん、修行場所に選ぶだけあって、人っこ一人いない。
…なんて贅沢なのかしら。

数分後エアジェットを地に下ろした。あたしは荷も何も持たずに、外へ出た。
そびえ立つ大木。直径1mにもなろうかという、暗褐色や暗灰色の幹。白やピンクの花に混じって、赤や黄色、緑など様々な色の葉が見える。新芽もあれば、花弁が散り始めているものも。個体変異の多い原種ならではの光景だわ。
まじまじと周囲を見回すあたしを、あいつが得意そうな顔で見ていた。あたしはあいつの期待に応えてやった。
「なかなかいいところね」
あんたにしては上出来よ。
ヤムチャはエアジェットからあたしの荷物を降ろしながら答えた。
「ちょうど満開だ。ベストタイミングだろ」
うまいわね。
会ったらうんと文句言ってやろうと思ってたのに。どうして今まで連絡くれなかったのか、なんて言えなくなっちゃったじゃない。
…それが目的だとしたら癪だけど。きっとあんたはそんなこと思ってもいないわね。
あたしの考えを裏付けるように、ヤムチャはのんきな顔でエアジェットに手を触れた。
「なあ、これ見たことない型だけど」
「これ?改造したのよ。狭い場所でも離着陸できるように」
遮蔽物のある狭いところでも垂直離陸できるように。教訓を生かしたってわけよ。
「おまえ、こんなものまで改造してるのか」
ヤムチャは呆れているようだった。
ふん、その呆れが無念に変わらないようにすることね。次は失敗しないわよ。
あたしはただでは起きない女なんですからね。

「ハーイ、プーアル」
「こんにちは、ブルマさん」
ハウスに入ったあたしたちをプーアルが迎えた。
プーアルは今回もあたしより1週間先に現地入りしていた。少し複雑な気持ちだけど、この子がいると不自由しないし。お手伝いさんだと思えばいいわ。体面的にも取り繕えるし。あたしはあいつのことを信用してる――というより、そのレベルに達してないやつだってことがこの前判明したわ――けど、周囲の目ってやつもあるわけよ。少なくともティーンの間は。あたしお嬢様だからね。
あたしの荷物を部屋へ運び込んで、キッチンにあるものを適当にお腹に詰め込むと、ヤムチャはさっさと外へ行ってしまった。まったく、味も素っ気もありゃしない。
本当にあたし、こんなやつのどこがいいのかしら。我ながら謎だわ。

プーアルの作ってくれたストロベリーサンドイッチを食べながら、あたしは窓の外を見ていた。ハウスの前の桜の木の下で、あいつが空手の型みたいなことをやっていた。
時折桜の花弁が舞い散って、あいつの体に降りかかる。伸びかけた黒髪に映える淡紅色。
…絵になるやつね。
あたしは素直に感心していた。
ああしてると、あいつもいっぱしの色男に見えるわね。実際は、色もクソもないやつだけど。
そうなのよね。あいつは見映えはいいのよね。それは認める。だって、あたしが騙されたくらいだもの。あたしだけじゃない、ハイスクールのやつらもそうよ。みんな、すっかり騙されているわ。
あいつがこんなガキくさいやつだと知ってたらなあ…いや、この仮定は無意味か。実際騙されたんだものね。
じゃあ、あいつがいなかったら。そうしたら、あたしはどうなっていたかしら。
あたしと孫くんは典型的な「ボーイ・ミーツ・ガール」だと思うんだけど。…その可能性は低いわね。あんなガキ相手にできるっかっつーの。
クリリンもガキ。まあクリリンとは間接的な知り合いだから、流れ的にそういうことはなさそうだけど。
ウーロンは当然除外。
結局ヤムチャか…
って、えー?ちょっと待ってよ。
ひょっとして亀仙流ってガキの集団?
そうか、みんなガキだから、あんなエロじいさんに弟子入りできるわけね。ガキだから、師匠のヤバさがわからないんだわ。そしてガキだから、師匠の悪影響も受けない。うん、なかなか筋が通ってきたわね。
あら?じゃあ、ガキでよかったってことになるのかしら?
あたしは不毛な空想にピリオドを打つことにした。普通、空想って現実よりいいものになるはずなんだけど、あたしの場合はそうじゃないみたい。やっぱり、あたしは現実主義者でいこうっと。

あたしはエアジェットを駆った。桜の森を抜け、そこに接した岩山の僅かな平面に、それを垂直着陸させた。航行良好。さっそく役に立ってるわね。
岩山の端、ほとんど崖のようになっているところに、あたしは腰を下ろし、息を吐いた。
なんという絶景。
見晴るかす大地をうめる桜色。その向こうに広がる青空。抜群のコントラストだ。
たわやかに吹く風が、眼下の桜の木々をなびかせる。そのたびに花弁が舞って、まるで霞か雲のようだ。
本当にステキなところだわ。あいつがこんなところを見つけ出すなんて、信じられない。まして修行場所に選ぶなんて。
何か理由があるのかしら。…ひょっとして…
その時、吠え声が聞こえた。こんなところにも犬なんているのかしら。遠く鳴くような吠え声。いくつもいくつもそれは続いた。あたしは辺りを見回した。
桜の森と反対側、岩山を下ったところの荒地に、キツネみたいな色をした大きな犬の群れが見えた。あれがオオカミってやつかしら。野性の見たことないからわからないわ。すごくたくさん。別にあたしが数を数えられないってわけじゃないわよ。そんなのいちいち数えてどうすんの。
崖の端からさらに覗き込むと、群れの前面に人影が見えた。…人影。まさか。
そのまさかだった。ヤムチャはオオカミの群れを前にして手に1本の枝を持っていた。
ちょっと、その棒っきれで戦うつもりなの?いくら何でもそれは…
あたしの予想は外れた。あいつは枝の切っ先を腕に当てると、おもむろにそれを横に引いた。鮮血がほとばしった。
うわっ。痛そ〜。
と同時に、オオカミの群れがあいつに襲いかかった。
あたしはパニクった。でも、あいつは冷静だった。
僅かに身を引くと瞬時に飛び出して、1匹1匹丁寧に薙ぎ倒していった。緊張感はあるけれど、危機感はまったくない。
「かあっこい〜い」
思わずあたしが歓声を上げた時、あいつの体が蹌踉めいた。そして1匹のオオカミが、あいつの喉元を襲った。ちょっとお。
「ちっ!」
舌打ちと共にあいつはそれを払い退け、体勢を立て直した。
「狼牙風風拳!!」
う〜ん、久々に見たわ。っていうか、ほとんど限りなく忘れていたわ。だってあいつ、最近は気の修行ばかりしてて…そういえばあれ、どうなったのかしら。
思わず考え込んだ後で、あたしがふと現実に戻ると、戦闘は終わっていた。あいつがあたしを見上げていた。
「まだまだ詰めが甘いわね」
まったくね、褒めた途端にこれなんだから。せっかく途中まで格好よかったのに。…そうなのよね。
「あんた、戦っている時は格好いいわねえ。もうずっと戦ってたらいいんじゃない?」
そうすればガキくさいところも見なくてすむし。名案よね。
ヤムチャはぶすったれた。不貞腐れるを通り越して、ぶすったれてたわ。何よ、本当のこと言っただけじゃないねえ。
「おまえ、なんでこんなところにいるんだ?」
「桜見にきたのよ」
あたしの言葉に、あいつは思いっきり不審そうな顔をした。
…こいつ、ひょっとして気づいてないの?すぐそこで修行してたくせに。呆れるわね。
「絶景よ、ここ」
あたしはさきほど自分の見た風景を、ヤムチャに見せた。さっきと違うのは、今や空が桜より濃い紅色になりつつあることだった。
あいつはしばらく陶然とそれを眺めていた。やっぱり気づいてなかったんだわ。
「ねえ、なんであんたここに来たの?あんたがこういうとこ選ぶほど、情緒に溢れているとは思えないんだけど」
この鈍さじゃあねえ。可能性も消え去ったわ。
「放っとけ」
瞬時にそう答えてから、ヤムチャは少しだけ口を噤んだ。
「…いい頃合かと思ってさ」
えっ?
不意を突かれて、思わずあたしは身動ぎした。
まさか。やっぱり?
「この桜が散ったら、カメハウスに戻ろうと思うんだ」
は?
「少し前から思ってはいたんだけど、何だか踏ん切りがつかなくて。それで桜が散ったら…」
その言葉の後半はあたしの耳には入らなかった。
…バッカじゃないの。
何その理由。ううん、理由にすらなってないわ。桜の散る時期とあんたの修行に、何の関係があるっていうのよ。帰る時期くらい自分で決めなさいよ。
そりゃここの桜がきれいなことは、あたしだって認めるわよ。でも、自分の人生を賭けようとは思わないわ。
「あんたらしい」なんて思わない。自己陶酔の極みよ。だいたい、散る時期なんて調べればわかるっつーの。
男ってそういうところあるわよね。偶然性(本当は違うのにね。計算すればわかるのよ)なんかにやたらロマンを感じるのよ。異性との出会いとかさ。そんなの女にしてみれば、全部計算だっつーの。だいたい、そんなことより他にもっと考えるべきことがあるでしょうに。例えば…
あたしとヤムチャの目が合った。
「バーカ」
あたしは言葉と共に、あいつの頬を引っ張った。
心の底から呆れたわ。完全に期待する気なくなったわ。
もう勝手にしようっと。


あたしはソファの上に体を丸めて座っていた。2階のパーティルームのソファ。例の天窓のある部屋よ。
夜、お風呂に入ってからここに佇む、それがあたしの日課になりつつあった。と言ってもこの家で過ごしたのって、これまでのを全部合わせても1週間にもならないけど。
天窓は開けていなかった。だって、夜は風もあるし。花弁が入ってきたら厄介だわ。
「またそんな格好してるのか」
ドアの開く音と共に声がした。ヤムチャだ。髪が濡れてる。お風呂上りってことは、11時半くらいか。もうほとんど時計代わりね、こいつって。
「別にいいでしょ」
丸めた両足をソファの下に下ろしながら、あたしは答えた。
まったく、こうるさいんだから。お風呂上りにバスローブ着てて、何が悪いのよ。気に入らないなら、見なきゃいいのよ。
ヤムチャはそれ以上は口出ししなかった(それでいいのよ)。手にしたバドワをテーブルに置き、あたしの隣に腰を下ろすと、ふと天窓を見上げた。
「今日はあれはやらないのか?」
「冗談でしょ。桜であんなことやったら、後片付けが大変よ」
花弁は溶けないからね。後に大掃除が控えているなんて、興ざめもいいところだわ。
言いながらあいつの肩に体を凭せようとして、あたしは気づいた。あいつから仄かに漂う石鹸の香り。それと…
「あんた、これ血が止まってないわよ。ちゃんと手当てしなさいよ」
昼間枝を引いた腕の痕から、血が滲み出していた。きっと動脈を掠ったのね。間抜けなんだから。
「いいよ、面倒くさい」
「あたしの体に血がつくのよ」
本当にどこまでも鈍いんだから。嫌んなっちゃうわ。

あたしの貼り付けた止血テープを、ヤムチャは鬱陶しそうに眺めていた。当然の処置でしょ。感謝されこそすれ、嫌がられる筋合いはないわよ。
「まったく、抜けてるんだから。そういうことするなら、もっと気を回しなさいよ」
自分でつけた傷に悩まされてどうするのよねえ。
あたしが言うと、ヤムチャは不貞腐れたように呟いた。
「おまえに言われたくないな」
「何それ、どういう意味よ」
「別に」
そしてそこで口を噤んだ。
何よ、言えばいいじゃない。はっきり言えば?物言いたげな顔してないでさ。
…そうなのよね。
そっぽを向くヤムチャの顔から、あたしは視線を外した。
言えばいいのよね。今さら遠慮するような間柄でもないんだし。でも、なんとなくそういう気になれないのよ。
あたしはヤムチャの肩に背中を凭せかけ、窓から覗く桜を見上げた。
「桜って、調子狂うわよね」
そうかもしれない。来た時も文句言うのやめちゃったし。
「気を殺がれるっていうか」
中途半端に心穏やかにしてくれるのよねえ、桜って。
それきり黙って天を仰ぐあたしの背中から、怪訝そうなあいつの声が聞こえた。
「何かあったのか?」
何にもなさそうなのが問題なのよ。
「何かあったのなら聞くぞ」
本気で心配しているらしいことが、その声音でわかった。
変なの。本人に慰めてもらってるわ。
まあ、いいけど。




翌日、外は暖かだった。そして、昨日よりも風が強かった。舞い散る桜の花弁が、円を描いていた。
「ベストタイミング」というあいつの言葉は本当かもね。きっとこれから散っていくんだわ。
あたしは今日もエアジェットを駆った。行き先はまたあの岩山。そして今日もあの荒地で、ヤムチャは昨日と同じ修行をやっていた。
相手にしているのはタイリクオオカミ(これは昨日ヤムチャが教えてくれた)。昨日見たようなキツネ色のやつだけじゃなく、黒や灰色のやつも混じっていた。
手刀で一撃、蹴りで一撃、鳩尾に一撃、関節に一撃…そんな風にやっつけ方を変えてるってヤムチャは言ってたけど、あたしにはそんなの全然わかんない。ただただ余裕でオオカミをやっつけていくあいつを、黙って見ていた。
…やっぱり格好いいわね。
あたしはあいつから目を離さなかった。格好いいあいつを見る機会なんて、そうそうないもの。せいぜい目に焼き付けておかなくっちゃ。
オオカミをすっかり片付けてしまったあいつを見て、あたしは荒地とは反対側の崖に向かった。あのセニックポイント。今日は少し風が強いから、崖の端ではなくその手前に腰を下ろした。
桜の花弁は昨日よりさらに舞い散って、木々の間を埋めている。タッチの荒い油絵のように、大地は淡紅色に塗りつぶされていた。
ふと、ヤムチャが隣にやってきた。…あんた、修行はどうしたのよ。
あいつはあたしの顔を覗きこみながら、心持ち不安そうに訊ねた。
「なあ、俺、何かしたかな?」
「別に。何も」
今はまだね。というか、たぶん最後までね。
あたしの言葉にヤムチャは納得していないようだった。なんとなく2人無言になった。
でも、本当に何もしてないしね。あたしだって、これ以上言うことなんかないもの。
あたしは眼下に広がる桜景色を暗に示した。
「あんた、何も感じないの?」
「きれいだと思うけど?」
そっか。
きっとあたしが繊細すぎるのね。都会育ちだし。

崖の上にすっかり落ち着いてしまったあたしを見て、ヤムチャはまた荒地へ戻っていった。
わっかんないわよねえ。どうしてあんなところがいいのかしら。
修行するなら桜のところですればいいのに。あそこだって結構広いし。だいいち、ずっと絵になるわ。
そりゃ、オオカミはいないけど。でも、あいつだってまさか、一日中オオカミを狩っているわけじゃないだろうし。そんなことしてたら、あっという間に絶滅しちゃうわ。大問題よ。
何かあるのかなあ。何があるのかしら。
人を魅了するには、それなりの理由があるはずだけど。まるで思いつかないわ。
ちょっと行って見てみようかしら。百聞は一見にしかずって言うしね。あたしは現実主義者なのよ。

エアジェットを1kmほど、荒野へ向かって進めた。あの岩山も視界の遥か遠く。見るとなったらちゃんと見なくちゃね。
岩山から見てる時はただの荒地だったけど、四方を囲まれるとやっぱり荒野って感じ、するわね。
髪を弄る砂風。遮るもののない大地。高い蒼天。視界は時々煙るけど…まあ、開放感はあるかもね。
このどうしようもなく埃っぽいところと、肌に悪そうな空気をどうにかすれば、許容範囲かも…
…あ、プレーリードッグ。
キツネみたいな色をした(荒野に住む動物ってみんなこの色なのかしら。保護色?)大きなネズミ。こう書くと見も蓋もないけど、実際はとってもかわいい。
目の前を横切ったその小さな野生動物を、あたしは追いかけた。抱くことはできないけど(感染症を持ってるかもしれないからね)、それでもいいわ。
追うあたしから逃げながら、プレーリードッグは鳴いた。「キャンキャン」って子犬みたいな声で。何もしないわよ、ただ見るだけだってば。
大地に突き出た岩場に行き当たって、その鳴き声は激しさを増した。…ちょっと苛めすぎちゃったかしら。わかったわかった、帰るわよ。
踵を返しかけて、あたしは固まった。
茶と灰色のオオカミが、あたしたちを取り囲んでいた。すごくたくさん。数えられないわけじゃない。数えてる場合じゃないのよ。
これは…プレーリードッグを狙ってるのかしら。それとも…
…やっぱりあたし?
「いやーーーっ!!!」
あたしは叫んだ。
はずのその口は、次の瞬間塞がれていた。
…ヤムチャ!
あいつはすでに飛びかかってきていた2匹を拳ではじき飛ばすと、あたしを岩場の壁に押しつけた。
「伏せとけ!!」
あたしが覚えているのはそれだけ。
たぶん、ヤムチャは格好よかった。きっと、すごく。彼女を守るために戦うなんて、最高の見せ場よね。
でも、あたしはそんなの見てなかった。
だって、自分の命がかかってんのよ!?悠長に見てる場合!?
こんなの見ていられるのは、他人事の時だけよ!!
「ブルマ!おまえ、こんなところに来るな!!」
怒鳴りつけられて目を開けた。
目の前にいるのはヤムチャだけ。あのプレーリードッグも、オオカミもいない。
あたしは思わず、ヤムチャの服の裾を引いた。
…怖かった。本当に怖かった…
「帰る…」
ヤムチャの肩に捕まって身を起こしながら、あたしはやっとの思いでそれだけを口にした。
…やっぱりこういうところは、あたしには合わないわ。こういう超自然的なところは。
あたし、都会育ちだし。

あたしは桜の森に戻ってきた。
怖かった。本当に怖かったわ。
本当に怖いと、人って固まるのね。涙なんか出てきやしなかったわ。
あたしはエアジェットから下り立って、桜の木を仰ぎ見た。
そびえ立つ大木。淡紅色の花弁が空を覆い隠している。今までいたところとは、まるで別世界。
あたしの目に映る桜の森は変わっていた。
そうね。ここは特別なのよね。こんな風景、今まで見たことないもの。
初めて見た時からなんとなく呑まれていたけど。「特別」なのよね、ここは。
あたしの心は落ち着いていた。


もうすぐあいつの修行が終わる。そしてあたしの一日も終わる。
ん〜。
あたしはパーティルームのソファの上に寝転がって、天窓から覗く桜を見ながら考えていた。
…やっぱり言おっと。
考えてみればバカな話よね。黙って終わるのを待ってるなんて。
桜に流されるなんて。これじゃ、あたしもあいつと同じだわ。
あたしはヤムチャの部屋のコンソールを叩いた。
ここで待たせてもらおう。ここが一番確実だもの。
言うとなったらちゃんと言わなきゃね。

低い声が脳裏に響く。
「おい、ブルマ!」
うるさぁい…
「おい!起きろ!!」
何よもう…
「いつまで寝てるんだ。起きろったら起きろ!!」
ひとがいい気持ちで寝てるのに…ん、あれ?
無意識に目を擦った。おもむろに体を起こした。目の前にヤムチャがいた。
「あら?ヤムチャ、あんたいたの?」
「…ここは俺の部屋だ」
あたしは周囲を見回した。確かに。ヤムチャの部屋だ。
そっか、あたしヤムチャの部屋に来てたんだっけ。いつの間にか寝ちゃったのね。えっと、何しに来たんだっけ?
…あ、そうだ。
「ねえ、ヤム…」
醒めない頭を駆使しての、あたしの言葉は本人によって遮られた。
「おまえ、外出てみたか?」
何よ急に。
「すごいぞ。着替えてこいよ」
もう、強引なんだから。
でも、あたしはヤムチャの言葉に従った。こいつがこんな風に何かをしろって言うことなんて、あんまりないし。
あたしの話はどこでもできるし。桜の下でするのもいいかもね。

手っ取り早くワンピースを頭から被って、あたしはヤムチャと外へ出た。
一瞬にして頭が醒めた。
視界が桜で埋め尽くされていた。
朝から強まっていた風は、いまや春の嵐とも言うべき夜風に変わって、桜を空いっぱいに散らせていた。舞い散る花弁が、上から下へ。下から上へ。
散っては舞い、舞っては散る。永遠に終わらない桜のシャワー。
「すごいよな。こんな風に散るなんてな」
ヤムチャは笑って言った。
「なんていうか、想像以上だ」
ヤムチャの誓いを思い出した。そうね。きっと、あんたが思っていたのとは違うわね。だって、全然終わりっていう感じじゃないもの。
終わりを告げるというよりは、何かを祝福しているみたいだわ。
その時、春霞の間から月が顔を覗かせた。千条の光が、あたしたちを照らし出した。
あたしはヤムチャの顔を見た。
最高にロマンティックなシチュエーション。あんたがこんなタイミングであたしを連れ出すなんて奇跡じゃない?
…本人は気づいてない(しかも活かしてない)みたいだけど。
「結構冷えるな。そろそろ戻るか」
そう言って歩き出すあいつの服の裾を、あたしは引っ張った。あいつがあたしを振り向いた。あたしはあいつの瞳を見た。
あのね、ヤムチャ。
「キスして」
あたし、今日誕生日なの。
「だからキスして」

ヤムチャは目を丸くしてあたしを見ていた。あたしの心の声は、こいつには絶対届いてない。でもいいわ。
例え気づいていたとしても、こんなステキな瞬間を用意することは、きっとこいつには無理だもの。奇跡的なこの状況をプレゼントだと思っておくわ。

でも、来年も忘れていたらひどいわよ。
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