食わせた男
桜ご飯。桜鯛の桜蒸し。ふたえ桜のたたき。桜茶、チェリーソーダ。桜もちに花林糖(かりんとうの当て字よ)。
最後の1つはプーアルへのサービスで、あたしはそれらをバスケットに詰めた。
外は桜吹雪。今や花も半分ほどになった桜の木々の隙間から、春の陽光が地面を照らしている。正確には地面じゃないか。花弁の大地ね。
「きっと、ヤムチャ様驚きますね!」
「そうね」
足元を隙間なく埋め尽くす花弁を踏みしめながら、あたしとプーアルは、ヤムチャのところへと向かった。


まったくあいつってば、何て目がいいのよ。
驚かせてやろうと岩影に隠れて近づいたあたしたちは、先にヤムチャに見つけられてしまった。
「おまえら、何してるんだ?」
こういう時は見つけても知らん顔するものよね。まったく、気が利かないんだから。
「花見よ。は・な・み!きっと今日が最後だからね。心ゆくまで楽しむわよ!」
誕生パーティも兼ねてね。一日遅れだけど。この際、そんなこと気にしない。祝い事は何度やったっていいのよ(まだ1度もやってないけど)。
ヤムチャは呆れているようだった。修行している時のこいつって、本当にノリ悪いわよね。どうでもいい時はやたら軽いくせして。でも、今日はあたしも考えたわよ。
「あんた、盛り上げ役ね」
岩山のセニックポイントに陣取って、あたしは荒野へと向かいかけるあいつを制した。
「またオオカミやっつけてよ。デモンストレーションに最適だわ」
修行もできるし、一石二鳥よね。見事な利害の一致だわ。
ところが、このあたしの妙案は、意外な方面から却下された。ヤムチャが頭を掻き掻き、こう言ったのだ。
「それがさ、いないんだよ。オオカミが。どうやら昨日狩りすぎちまったらしくって」
…冗談じゃないみたいなのよね、これが。
あんた、何やってんの。生態系壊してどうするのよ。ここにいるのは絶滅亜種じゃないみたいだけどね、それだって充分犯罪よ。本来の意味での確信犯ってやつよ。
そりゃあ、あたしだって昨日襲われたけど。それとこれとは話が別よ。国際社会のルールってものが…
あたしが言ってやろうとしたその時、プーアルがあたしとヤムチャの間に割って入った。
「ヤムチャ様、ボクが探してきます。奥に行けばきっといますよ」
思わずプーアルの顔を凝視した。後半部分には同意だけど(さすがに本当に全滅したとは考えられないわ)、前半部分には納得しかねた。何考えてるのよ、あんた。
「危ないわよ」
どう考えたって、見つけた途端あんたがやられるわよ。
「平気です。慣れてますから」
慣れてる?
言うが早いかプーアルは荒野へと飛んで行った。ヤムチャの返事も待たずに。その後姿に不審な視線を送るあたしを見て、ヤムチャが苦笑しながら言った。
「プーアルが偵察役で、俺が強奪役だ」
ああ、昔の話ね。…昔と言ったって、まだ2、3年しか経ってないけど。
そっか、こいつら悪党だったんだっけ。今じゃヤムチャもそんな雰囲気欠片もないけど、プーアルもすっかり隠してるわね。
あたしが妙な感心をしていると、やがてプーアルが戻ってきた。
「いました、ヤムチャ様。誘き出してきました」
「ごくろう」
変な感じ。まるで劇でも見ているみたいだわ。

岩山の端に腰掛け荒野を見下げて、あたしとプーアルは、ヤムチャがオオカミを相手にする様を見物していた。
プーアルはすっかり熱が入っていた。…そして、悔しいけどあたしも。
やっぱりこいつは戦っているに限るわ。
別にあたしがワイルド系を好きってわけじゃないけどね。っていうか嫌いだわ、本当は。修行なんかもわけわかんないし。野蛮なだけよね、武道なんて。
でも、こいつはこうしている時が一番いいのよねえ。…困ったもんだわ。
ヤムチャが最後の一匹を蹴り飛ばすのを視界に認めて、あたしは洋盃を掲げた。はい、乾杯。
でも、あたしが口をつける間もなく、すっ飛んできたあいつがそれを横からひったくった。というか、吹っ飛ばした。
ちょっと、何するのよ。
「おまえ未成年だろうが!!」
えっらそうに。あんただってそうでしょ。
「心配しなくっても、ノンアルコールよ」
ちゃんと節度は守るわよ。あたしはお嬢様なんですからね。だいいち、あんたがうるさいし。
それにしたって、何も吹っ飛ばすことないじゃないねえ。まったく野蛮なんだから。

転がる盃を追いかけて、あたしは岩山を下った。思えばヤムチャに拾わせるべきだったけど、結果的にはこれがよかった。きっと、神の采配ね。
岩山と荒野の境、崖の上からは死角で見えなかったその場所に、その花は咲いていた。
ひょろりと伸びた長いツル。その先端に、くすんだ紫色をしたつりがね型の花。その中のいくつかは、花の根元が膨らんでいた。
あたしは植物学者じゃない。でも、一通りの毒草の知識は詰め込んでいた。レアメタルを採取する時に必要になるかもしれないから。あの夏の日以来そうしていた。それが今役に立ったというわけ。
根元が膨らんでいるものだけを、あたしは摘み取った。2輪の花を洋盃に差し込んで岩山の上へと戻ると、ヤムチャがあたしに怪訝そうな顔を向けた。
「何だ、その花は?」
失礼しちゃうわよね。あたしが花摘んじゃおかしいわけ?
本当ならそう言ってやるところだけど、あたしにはヤムチャの考えていることがわかった。
紫色とは言ったけど、実際は白なんだか薄緑なんだか紫なんだかわからない中途半端な色合いで、全然きれいな花じゃない。まして、こんなきれいな桜の咲いている場所で、見留めるようなものでは絶対ない。
「毒草よ。ニップって言ってね。実が媚薬なのよ」
「…媚薬」
呟いてヤムチャは頬を染めた。あっは、こいつのこういう顔、ひさしぶりに見たわ。今日はおもしろいことが立て続けに起こる日ね。
花を萼から外すと、黒紫色をした1cm程の大きさの、まるで濡れた瞳のような艶やかな実が現れた。あたしはそれをわざとらしく掲げてみせた。
「なかなか色っぽいでしょ」
ヤムチャの頬の朱はますます強まった。あは、楽しすぎ。
さらに畳みかけようとして、あたしは思い留まった。やぶへびになりたくないし。それに、昨夜のお礼がこの苛めっていうのもちょっとひどいわよね。
あたしは種明かしを兼ねて事実を教えてあげた。
「媚薬と言ったって、惚れ薬とかじゃないわよ。そんなものあるわけないでしょ。これは『多幸感を味わえる実』なのよ」
「多幸感ってどういうんだ?」
「さあ、あたしもよく知らないけど。そう言われてるのよ」
もう1つの花も剥いた。こちらの実も先のと同様、充分に熟れている。あたしはそれを摘まみあげ、ヤムチャの口元に寄せた。
「と、いうわけで。はい、あーん」
ヤムチャは固まった。てっきりまた照れると思ったのに。微かに口を開け、目を丸くしてあたしを見ている。…何そのリアクション。
「ちょっと、何よ、その顔」
「…いや、だって、おまえがいきなりそんなことするから」
はあ!?
何それ。実よりも、あたしの行動がおかしいってこと!?
「何言ってんの。恋人だったらこれくらい当たり前よ」
っていうか、なんて失礼なの!!
舌戦の火蓋が切られた。あたしたちはすでに、ニップのことなど忘れていた。
いつものことだわ。こんな風に話がズレていってしまうのは。
困ったもんよね。


花見兼ランチを終えて、ヤムチャは荒野へと消えた。あたしとプーアルは、セニックポイントでおひるね。麗らかな日差し。風に香る桜の匂い。眼下に絶景。贅沢よねえ。幸せってこういうことを言うのかしら。
かりんとう(どうでもいいことだけどお手製よ)を1つ齧ってうつ伏せにまどろみながら、あたしは目の前にニップの実を転がした。
これを研究する気はなかった。媚薬と言っても、これは未知の領域じゃない。すでに製薬原料として使われているものだもの。おもしろいから摘んだだけよ。
『多幸感』か。
それって何なのかしら。幸せがいっぱい?それともすごく幸せ?
製薬業界では『癒し系ハーブ』として使われているみたいだけど。実をそのまま食べる、という話はあまり聞かない。
あたしの目に、隣で寝入るプーアルの姿が映った。
…大丈夫よね。毒草たって有害じゃないし。すでに商品化されているものだし。
あたしはニップを軽く潰して(喉に詰まったら大変だわ)プーアルの口に放り込んだ。プーアルはしばらくもぐもぐやった後、それを飲み込んだ。そしてまたもぐもぐやり始めた。
まったく子どもの寝かただわ。飲ませるには便利だけれど、起きてくれないと困るのよ。
あたしはプーアルを揺すぶった。プーアルは薄目を開けた。そして、ぼんやりとした目であたしを見つめた。
と、ふいにあたしの顔に飛びついた。
「ブルマさん!!」
「ふぐっ!?」
な、何?何、何、何、何?どういうこと?惚れ薬じゃないはずでしょ?
っていうか、苦しい!息が…
気が遠くなりかけた瞬間、プーアルが顔から外れた。あたしの口からかりんとうをもぎ取って。
はっ?
プーアルはそれをほとんど一瞬で飲み込んだ。そしてあたしの後ろにあったバスケットへと飛んでいくと、その上に置かれたかりんとうを、貪るように食べ始めた。あたしはただただ呆然と、それを見ていた。
ええっ?
『多幸感』ってこういうことなの?幸せになるんじゃなくて?幸せを求めるってことなの?
…確かに好きな物を食べてる時は幸せだけど。それともより幸せを感じるのかしら。
考えてみれば、好きな物を食べてる時の幸せが増すって、すごいことよね。それはきっと、本当に幸せだわ。食は生物の基本だし。…視床下部に働きかけるってことかしら。
この実を食べるという話を聞かないのも道理ね。まったく昨今のダイエットブームに反する実だわよ、これは。
あたしはプーアルを、今度こそ本当に叩き起こした。寝惚けから覚めたプーアルは、今度はおもむろにかりんとうを食べ始めた。
本当に幸せそうに。


夜、リビングでヤムチャの帰りを待ちながら、あたしは考えていた。
目の前には山盛りのフレッシュイチゴ。あたしが何をしようとしてたか、わかるでしょ。でも、実行に移す前に気づいちゃったわけ。
…あいつの好きな物って何だったかしら。
思い出せない。っていうか、わからない。あいつがそういう物を食べていた記憶がない。
付き合いも3年目だっていうのに。彼氏の好きな食べ物がわからないなんて、信じられる?ありえないわよね。我ながらそう思うわ。
あたしはフレッシュイチゴをフリーザーに戻した。
もう、わかるわよね。

ヤムチャが帰ってきた時、あたしは眠っていた。…らしい。まったく、魔の時間よね、11時って。あたしは夜強いほうなんだけど、それでも眠くなるわ。考え事してるからかしら。
あたしは目を擦りながら、あいつは濡れた髪を拭きながら、リビングのソファに座っていた。
テーブルには即席のBLTサンド。あいつはサンドイッチはよく食べる(そしてよく作る)けど、好物って感じじゃない。BLTサンドはランチさんもよく作ってたし、サンドイッチはご飯ものより手軽だものね。こんな夜中に帰ってきて、米炊き始めるのもおかしいし。
「ねえ、ヤムチャ」
あたしはソファの端に片肘をつきながら、サンドを無造作に詰め込むあいつに訊ねた。
「あんたの好きな食べ物って何?」
今さら情けない質問だけど、こんなこと探ったって仕方ないわ。
でも、答えるヤムチャもあたしと同じくらい情けなかった。
「好きな食べ物?そうだなあ。…別に」
「別に、何よ?」
「特にないかな」
マジ?
好きな食べ物がない?そんなことってある?普通、絶対何かあるわよね。…それとも、ひとに言えないような恥ずかしい食べ物なのかしら。
あたしが再三尋ねると、ヤムチャは頭を掻き掻き言った。
「いや、本当に。俺、何でも食べるし」
…その癖が出てるってことは、嘘をついてるわけじゃないのね。
でも、信じられないわ。好きな食べ物がないなんて。…確かにこいつは淡泊っぽいところあるけど。
神か聖人じゃない限り、好きな物がないなんてありえないわ。今は仙人だって、欲に猛る時代よ(亀仙人さんのことよ)。絶対何かあるに決まってる。
嫌いな物がないっていうのは、結構なことだけど。でもたいがい本人が強く自覚してないだけで、何かしらあるのよね。こいつの場合もそれなんじゃないかしら。惚けたやつだし。っていうか天然?
とにかく、自分の好きな物もわからないなんて、間抜けすぎるわ。人として大問題よ。
「ヤムチャ、あんたこれ食べなさい」
あたしはニップの実を差し出した。ヤムチャは露骨に嫌な顔をした。
そっか、こいつは知らないんだっけ。
「あんたが修行してる間に、プーアルに食べさせてみたのよ。それでわかったの。これを食べると好きな物が食べたくなって、さらにいつもより強く幸せを感じ取れるのよ。『多幸感』ってそういうことらしいの」
これを食べてパントリーやフリーザーを漁れば、何かわかるんじゃない。意識していないと言ったって、好きっぽいものを食べているには違いないんだから、その中で一番食べたいと思うものが、きっとあんたの好きな物よ。
この台詞は言い終えることができなかった。ヤムチャがあたしの口に、ニップを押し込んだからだ。あたしは自分の言葉と共に、それを飲み込んでしまった。
「ちょっと、何すんのよ!」
「いいじゃないか。そういうことなら、俺よりおまえの方が楽しめそうだろ」
笑って言うとヤムチャはキッチンへと赴き、フリーザーからさっきあたしが片付けたフレッシュイチゴを取り出した。
もう。せっかくあんたの嗜好を調べてやろうと思ったのに。本当に、自分の好きな物がわからないなんて、どうかしてるわよ。
当の本人はというと、さして気にした様子もなく、イチゴにクールウィップをかけている。
…まあ、いいか。
あたしはイチゴの誘惑に負けた。


キッチンカウンターに鎮座ましますフレッシュイチゴを前にして、あたしはフォークを取り落とした。
ニップが効果を現し始めたのがわかった。それが――
何これ。何だか…
変な気持ち。何もしてないのに、高揚してきたわ。歯止めがきかないような、この感覚。…まさかドラッグ?
ドラッグなんてやったことないけど。よく言うじゃない、そういうこと。
どことなくすべてが違って見える。フィルターかかってるっていうか。気のせいじゃないわ。だってヤムチャが…
見えてはいるんだけど、認識できない。なにもかもが…いいえ、そうじゃない。
これが『多幸感』への一歩なの?
その時、あたしは気づいた。
それじゃ、何であたしイチゴに手出さないのかしら。プーアルはかりんとう食べてたのに。
…まさか。ひょっとして、これって、好きな食べ物を食べるんじゃなく…
カウンターの小窓から不審そうにあたしの顔を覗き込むヤムチャの姿が、あたしにははっきり見えていた。
「ブルマ?」
「ち、近寄らないで!!」
ヤバイ。早くこいつから離れないと。でも体が。なんとなく重いわりに…
思わず右手が伸びた。あたしは左手でそれを掴んだ。自分で自分を捕まえるあたしを、ヤムチャは不思議そうに見つめた。
「どうしたんだ?」
「体の自由がきかないのよ」
正確には、抑制がきかないのよ。でも、そんなこと言えるわけないわ。
飛べなくてよかった。プーアルが飛べること、ちょっぴり羨ましいって思ったこともあったけど。あたし本当に、飛べなくてよかったわ。
その時、ヤムチャがあたしを羽交い絞めた。あたしはソファに座らせられた。その体勢のまま。あいつがあたしの手を掴んだ。髪を撫でつけた。
「ちょっと、何す…」
「何分くらいだ?」
ヤムチャの声は淡々としていた。
「効き目だよ」
「さ、30分くらい」
「じゃあ、その間俺が押さえててやるから。それでいいだろ」
…ちょっと。
いい加減にしてよね、あんた。天然もいいところよ。


ニップの効果が切れるまで、あたしはずっとヤムチャに後ろから抱きすくめられていた。手を繋いで、頭を撫でられて。一見、幸せなカップルの図。でも…
その時のあたしにとっては、地獄の30分だった。
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