図れない男
何よ。あったまきちゃうわね。
あたしはエアバイクのスロットルを全開に、空へと飛び去った。


キャメルのジャケットに、ニー・レングスのスカート。
それほど見せたかったわけじゃないけど、云わば習慣というやつで、あたしはそれを着てヤムチャのところへ行った。
行った、というのはその時ヤムチャがいたのがC.Cのあいつの部屋ではなく、山の中だったから。あいつはちょうど修行に出たところだった。
「似合う?」
「似合う似合う」
こいつの「似合う」という言葉ほど怪しいものはない。
「今日のはいつもと違うな」
そうなのよねえ。こいつにだってわかっちゃうくらい地味なのよ、このスーツ。
「卒業式の服だから。フォーマルスーツなのよ」
本当につまらないわよね、卒業式って。
あたしはヤムチャのビールをひったくると、一息に飲んだ。

そのままあたしは酔い潰れて寝てしまった。
そして翌朝、追い出されたのだ。

まったく何よ。やらせなかったからってあんなに怒ることないじゃない。男って最低ね!


あたしがあまりに早く帰ってきたものだから、皆が口々に言った。
「またケンカしたのかよ」
「あんまりヤムチャちゃんをいじめちゃダメよ〜」
ほっといてよね。
あたしは何もしてないわよ。…してないのがいけなかったのかもしれないけど。
でもそんなの最低よ!ヤムチャのバーカ!!

帰ってきたあたしは、ヒマを持て余した。もともとヒマ潰しのつもりで、ヤムチャのところに行ったのだ。
試験も論文も終わっちゃったし。
もう細菌の研究はしない。なぜならプーアルが目を輝かせて訊いてくるからだ。
「ブルマさん、今度の乗りウマは何ですか?」と。
あたしは騎手じゃないっつーの。しかも落馬を期待されてるなんて、冗談じゃないわよ。

もう1人、目を輝かせて訊いてくる人間がいた。
「ブルマさん、もう細菌は育てないんですか?」
あの後輩だ。
あたしは完全に彼を虜にしてしまったらしい。…全然嬉しくない。
困った。本当に困った。彼を避けたいけど、学院に行かないわけにもいかないし。
ヤムチャに頼んで来てもらおうかしら…

『修行の邪魔なんだよ。帰れ!』

あたしはヤムチャの捨て台詞を思い出した。
嫌よ。絶対に嫌だわ。あんなこと言われて、何であたしがあいつに頭を下げなきゃいけないのよ。
あいつの助けなんて絶対に借りるもんですか。

1ヶ月が経った。あたしは本当にイライラしていた。
毎日が退屈。後輩がウザったい。
退屈とウザいのって両立するのね。初めて知ったわ。

あたしの複雑な溜息が、もはや日常になった頃。
「ストレス溜めるとブスになるわよ。あんた最近こーんな顔してる」
眉を寄せ、口元を歪めて、同期の友人――ディナが言った。
「やめてよ。それでなくても、肌が荒れ気味なんだから」
「深酒ばかりするからよ。もっと健康的にストレスを発散させなさい」
「そうは言ってもなあ」
自分は意外にストレスの逃げ道を持っていないことに、あたしは気づいた。
「ねえ、あんた、仮装卒業式参加しない?」
ディナはあたしより年が1つ上なんだけど、1年スキップしているので今年卒業。あたし同様ドクターコースに進むことになっていて、卒業への感慨の浅さはあたしと似たり寄ったりだ。
「仮装ねえ。あまり気乗りしないなあ。あたし総代だし」
卒業式に仮装する、というのは3代目の総代が行ったことで、学院の伝統(名物と言ったほうが正確かも)になっている。もちろん強制ではない。そういうことをする人たちもいる、ということだ。
「答辞の後で着替えればいいじゃない。ね、やろうよ、それであたしとお揃いしよ」
ここであたしには、ディナの思惑がすっかり読めてしまった。
「あんた、あたしを引きずりこみたいだけでしょ」
「当ったり前でしょ。1人でやれるもんですか、あんなこと」
隠しもせずに言い切った。当然あたしはツッコんだ。
「やらなきゃいいのに」
「だってあいつがやるって煩いんだもの」
あいつとは彼氏のこと。ディナの彼氏はあたしとハイスクールが同じで、ヤムチャとも面識がある。というより、友人関係?まったく、あたしとディナにも妙な縁があるというものだ。
「悔しいから、あいつの嫌がる格好してやるつもり」
「いいわね、それ」
あたしはディナの案に乗った。そういう当てつけ行為って大好き。
ま、あたしには関係ないことだけど。ヤムチャはどうせ修行だし。
「じゃ、決まりね」
ディナは影のない声で言った。

あたしが思っていた通り、卒業式の朝までにヤムチャは帰ってこなかった。
修行していると日付感覚を失ってしまう(と、ヤムチャが前に言っていた)。武道家って本当、世捨て人よね。
いいわよ別に。もとより大して感慨ないし。
答辞は滞りなく終わった。あんなもの、C.Cの役員連中と議論することに比べりゃ楽なもんだわよ。
あたしはまだ少しやさぐれていたけれど、仮装は楽しむ気になっていた。ディナって人を担ぐの巧いのよね。
あたしは深青、ディナは深紅のチャイナドレス。
どうしてこれが「ディナの彼氏の嫌がる衣装」なのかというと、理由はディナのスタイルにある。
ディナって女のあたしから見ても、すごくスタイルがいいのよ。格別細いというわけではないんだけど(むしろウェストのサイズだけ見れば太いほうかも)、肩幅があって、腕も足も長くて、メリハリがあって、服が映えるの。所謂モデル体型ね。
ボディ・コンシャスなスタイルの多い派手好きな彼女を、彼氏はいつも苦い目で見ている(とはディナの言葉だけど、たぶんその通りだろうとあたしも思う)。そういう男にとって、チャイナドレスは最高の嫌がらせというわけよ。客観的に見ればそれほど恥ずかしい格好というわけでもないし、一石二鳥よね。
ディナが彼氏に、アピールという名の嫌がらせをしに行ってしまうと、あたしは後輩に捕まった。後輩は一体どこを見ているのかわからない瞳であたしを見て(いるのか本当に怪しいくらいよ。エンドレスになっちゃうけど)、あたり構わぬ大きな声で言った。
「ブルマさん、とっても綺麗です」
あたしは舌を巻いた。悪い意味で。
マジでこの子、気持ち悪いわ。口以外では何もアピールしてこないので助かるけど、でもそこも気持ち悪いのよね。それとも、ヤムチャの口下手ぶりに慣れすぎちゃったのかしら。
「ちょっと外の空気を吸ってくるわ」
あたしは逃げた。後輩の視線の寒さに、あたしは堪えられなかった。

一息つく間もなく、手を掴まれた。
てっきり後輩が追いかけてきたものと思って、あたしは身をすくめた。そして主の顔を認めて、あたしはさらに固まった。
「ちょっとあんた、何してんのよ」
ヤムチャだった。
「それはこっちの台詞だ。何だその服は」
あんた、何でそんなに居丈高なわけ?
あたしはこともなげに言ってやった。
「何って仮装よ。仮装卒業式。言ったでしょ」
どうせ嘘よ。言ってないわよ。いないあんたが悪いのよ。
「おまえ首席だろうが。まさか答辞もそれでやったんじゃないだろうな」
「まさか。その後で着替えたのよ」
バーカ。いくらあたしでもそこまで恥知らずじゃないっつーの。
「ハーイ、ブルマ」
言い争うあたしたちの前に、ディナが現われた。あたしと揃いの――こちらはより派手な真っ赤な――ドレスを身に着けて。これで誰が首謀者かわかったでしょ。
「あはははは、揉めてるわね。あたしも彼氏に散々言われたわよ」
ディナは得意気に笑った。どうやらうまく一杯食わせたらしい。
羨ましいな。同じ食わせたにしても、こっちは結果が違うわよ。
「あなたがヤムチャね。あたしディナ。あの説はご苦労様」
なぜかヤムチャは固まって、瞬間ディナを凝視した。
何こいつ。あたしの前で何やってんの。
ディナが去ると、ヤムチャは再びあたしの手を掴んだ。そして一言。
「帰るぞ」
はあ?何言ってんの。
「あたしこれから追いコンだもん」
「おまえ、その格好で出る気か!?」
「だったら何なのよ」
「着替えろ」
こいつ、うるさい。もうほっといてよ。今までいいだけ放っておいたくせして、こんな時だけ何なのよ。
「嫌よ。この髪セットするのにどれだけ苦労したと思ってるのよ」
「じゃあこれを着ていろ。さほど違和感はないはずだ」
あたしは無理矢理ヤムチャのシャツを羽織わされた。
「いいか絶対に脱ぐなよ。後で迎えに来るからな」
「もう一体何なのよ…」
あたしはぐったりした。今日は何て疲れる日なの。

「まったくわけわかんないったら」
迎えに来たヤムチャにシャツを投げつけると、あたしは大声で喚きたてた。
「他人の服にとやかく言わないでよね」
追従されるのも嫌だけど、口出しされるのも腹が立つ。
「おまえが無防備すぎるんだ」
ん?
ちょっと、あんた。自分の言ってる意味わかってるの?
「何よ、妬いてるわけ?」
あたしははっきり言ってやった。もうどうにでもなれ、よ。
「ああ、そうだ」
ヤムチャは躊躇することなくそう言うと、あたしに口づけた。
何?
本当にそうなわけ?
あたしは溜息をついた。
それにしても…

あんたっていつもいきなりなんだから。少しはタイミングを図りなさいよね。
あたしはヤムチャに唇を合わせた。
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