夢の中の男
ドアを開けた瞬間、その会話が耳に入った。
「どうだった?痛かったか?」
「すっげーーーーー痛かった」
相変わらず無神経なブタ。それに答える間抜けな男。
まったく、のんきなものよね。
こっちはすっごく心配したっていうのにさ。おまけに面倒な手続きまで全部して。なのに、当の本人がこれだものね。
あたしはベッドに近寄った。手術を終え横になるあいつの頭上で、それを指摘してみせた。
「何言ってんの。麻酔効いてたはずでしょ」
そんなの誰だって知ってるわよ。まったく、同情かおうとしちゃってさ。
でも、それに答えるヤムチャの言葉に、あたしは本気で同情しかけてしまった。
「途中で切れたんだよ」
「…あんたって本当に運のない男ね」
ここまでくると、もはや1つの才能よね。

足を固めるギプス。それを取り巻く白い包帯。無機質なベッド。
これほどこいつに似合わないものもないわよね。まったく、荒野の男の名が廃るわよ。
身振りでウーロンをそこから退かせて、あたしはベッド横のスツールに腰を下ろした。間髪いれず、ヤムチャが訊いた。
「で、医者は何だって?」
「膝蓋骨横骨折、脛骨近位部骨折、外傷後変形性関節症・中枢端合併の可能性はなし…」
すらすらと答えるあたしに、あいつは眉を顰めてみせた。
「もう少し簡単に言ってくれないか」
…情けないわよね。自分の体のことなのに。
「あんたは重症。全治3ヶ月よ。簡易ギプスに移行するのにも、早くて1ヶ月はかかるわ」
まったく、子どもかっつーの。
そもそも本来そういうことは、あんたが聞くべきなのに。そりゃ、聞いてもわからないんだろうけどさ。
あたしはボランティアでやってあげてるだけなんだからね。そこんとこわかっておきなさいよ。

昼は武道会。夜は病院。
明と暗よね、ある意味。ある意味じゃなくて、本当にそうか。
衛生的な白い箱に隔離されて、でもヤムチャは腐ったりはしなかった。入院初日はさすがに元気なかったけど、あっという間に持ち直した。そういう男よ、あいつは。のんきで鈍くて能天気で。
で、その皺寄せが、あたしみたいな繊細な人間にくるってわけ。
「よっ、ご両人!ヒューヒュー」
病院の廊下を進むあたしとヤムチャを、ウーロンが囃し立てた。
「うるっさいわね!静かにしてよ!!」
あたしはそれを、横目で睨みつけた。ヤムチャの腕は離さずに。
「何だよ、照れるなって」
「照れてなんかいないわよ!」
恥ずかしいのよ!
そう、恥ずかしいのよ。…一体、男性用トイレの前に立ちぼうけるのが恥ずかしくない女なんている?
あたしはヤムチャの左腕の下に入り込んで、その身を支えていた。正確に言うと支えているというよりは、何かあった時の保険って感じ。あいつ全然、体重かけてこないし。
とにかくそんな格好で廊下を歩いて、男性用トイレの前であいつが出てくるのを待ってるわけ。…たまんないわよ。
看護士?来てくれないわよ、そんなもの。
だって、車椅子を使えば済むことなんだから。そうよ、それで済むことなのよ。それをあいつは、リハビリを兼ねてとか言って自力で行こうとするわけよ。
あたしだって止めたわよ、最初は。でもちょっと目を離すと一人で行っちゃうのよ。そんなの、放っとくわけいかないでしょ。誰かついててやらないと。そして、それはあたししかいないのよ。
言っとくけど、あいつの力になりたいとかそういうのじゃないわよ。
いないのよ!あたししか。ヤムチャと身長の釣り合うやつが!
本当に、なんてチビ揃いなのよ。今まであまり考えたことなかったけど、あいつらって揃いも揃ってチビばっかりよ。
唯一そうじゃないのはランチさんだけど。まさかランチさんに頼むわけいかないじゃない?だから、あたししかいないのよ。
まったく、あいつは困った患者だわよ。


窓辺から初夏の風が吹く。皮肉よね、こういう環境って。
頬をなぶる蒼風。鮮やかな木々の緑。燦々と輝く太陽。――そして、白い部屋。
こういう時はヤムチャの気持ちも、ちょっとわかるかな。動きたくなる気持ちがよ。
でも、本当に動いちゃダメだけど。だって、こいつは怪我人なんだから。
あたしは一人、ヤムチャの病室(ちなみに個室よ)、窓際のスツールに腰掛けて、外を眺めていた。武道会は準々決勝。観戦も終わって、みんなは街へ出かけてる。
ヤムチャは寝てる(一人とは言ったけど、当然こいつはいるわよ。当たり前でしょ)。きっと、痛み止めの副作用ね。それにこいつは、あたしたちがいない間院内を放浪してるらしいから、疲れてんのよ。バカよね、まったく。
「はーーっ!…」
雑誌を捲りかけたあたしの耳に、どこからか声が届いた。
いや、どこからも何もないわよね。ここにはあたしたちしかいないんだから。
「ヤムチャ?起きたの?」
あたしはベッドに目を向けた。ヤムチャはまだ寝ていた。再び声が聞こえた。
「はーーっ!…」
それはヤムチャの口から漏れていた。
寝言か。…ひょっとして、気合い?修行してる夢でも見てるのかしら。
「はーーっ!…」
また気合い。
夢の中でも武道か。ワンパターンもいいところね。こいつの頭の中ってそれしかないのかしら。せっかく夢なんだから、もっといい夢見ればいいのに。
「ブルマ…」
「何?」
思わず答えてしまってから、あたしは顔を赤らめた。
夢か。そうよね。そうだったわ。
夢に受け答えするなんて、まったく間抜けなことしちゃったわ。…誰もいなくてよかった。
それにしても、一体どんな夢見てるのかしら。
まさかあたしも修行してるわけ?こいつと一緒に?そりゃ夢なんだから、何でもありだけど。
まあ、罪のない夢ではあるけど。あたしが修行ねえ…
まったく現実離れしたその自分の姿を想像しかけた時、ヤムチャがさらに呟いた。
「…邪魔すんな」
はあ!?
あたしは耳を疑った。
ちょっと!ちょっとちょっと!
ちょっと何?今『邪魔すんな』って言った、こいつ!?
「ちょっと、ヤムチャ!」
あたしは布団を引っ剥がした。思いっきりヤムチャの体を揺すぶった。
「何よそれ!あたしが邪魔ってどういうことよ!!」
こんなに献身的に世話してるのに。いくら夢だからって、許せないわ!
「あ…?」
ヤムチャが目を覚ました。そのどんよりとした瞳に、あたしは畳みかけた。
「どうしてあたしが邪魔なのよ!!」
ヤムチャは目を瞬いて、驚いたようにあたしを見た。
「何だよ。いつ俺がそんなこと言ったよ?」
「今言ったわよ!」
あたしは叫びたてた。ヤムチャもまた結構な大声で、それに応じた。
個室でよかった。後からそう思った。


「いい加減、機嫌直せよ」
「ふんっだ!!」
あたしはわざとらしくそっぽを向いて見せた。そう簡単に直せるかっつーの!
「どうせ夢なんだからさ」
「何言ってんのよ!夢は潜在意識の現われ!そんなの常識よ!!」
そんなことも知らないわけ?本当にバカなんだから!
「それにしても、俺そんな夢見てたのか…」
どことなく遠くを見るような目つきで、ヤムチャは呟いた。
「覚えてないの?」
「だから、夢なんだろ」
ふーん。
あたしは矛を収めた。なんとなく気が殺がれた。覚えてないことを責めたってしょうがないし。一応こいつ怪我人だし…
でも許さないわ!退院したら、思いっきりいびってやるわ!
「よいしょっと」
ヤムチャが身を起こしかけた。
あたしはベッドの脇に回った。


「しょうがねえな、おまえは。おれが願掛けといてやるよ」
ヤムチャの夢の話を聞いて、ウーロンがサインペンを取り出した。そしてギプスの上に書いた。『修行』と。
まったく、古典的なことやってるわよね。
そんなの前時代の発想よ。まったく非科学的よね。そんなことで治るなら、誰も苦労はしないっつーの。
だいたい、書く言葉が間違ってるわよ。今でさえ、こいつ充分修行バカなのに。これ以上輪をかけさせないでほしいわね。
「ふあ〜ぁあぁ…」
ヤムチャが大きな欠伸をした。痛み止めが効いてきたわね。
そんなに強い薬を飲まなきゃいけないくらい痛いくせに、修行も何もないわよね。お気楽にも程があるわ。
「さ!みんな出てって。夕寝の時間よ」
あたし?夜の問診までここにいるわよ。こいつは医者の言うことなんて、てんでわかりゃしないんだから。
こいつは、修行より先にそういうことを学ぶべきだわよ。本当にバカなんだから。

規則正しい寝息が続く。
「はーーっ!…」
…それと、気合い。
ほとんど病気よね。一体、何がそんなに楽しいんだか。
修行って言えば聞こえはいいけど、実際やってることといえば、自分の体を痛めつけたり、野生動物を狩ったりでさ。誰も得してない気すらするわよね。
「ブルマ…」
また出た。っていうか、何でそこであたしを呼ぶのよ。
あんたが修行するのは勝手だけどさ、あたしまで巻き込まないでほしいわね。あたしはしないわよ、修行なんて。
だいたい、修行って手段のはずでしょ。あんたの話聞いてると、なんだかすでに目的になってるみたいじゃない。絶対、道違えてると思うわ。
まあ、他の女の名前を呼ぶよりマシだけど…
「…どいてろ」
だ・か・ら!!
何よ。何なのよ。その後に続く言葉は。一体、あたしが何したっつーのよ。
わかってるわよ。夢よ。それはわかってるけど…
やっぱり頭にくるわよね!!それに夢は潜在意識の現われだし!!
「ヤムチャのバーカ!!」
壁に向かってあたしは叫んだ。
そしてペンを取り出した。

ヤムチャが目を覚ました。あたしはそれを、黙って見ていた。
目を2、3瞬かせ、勢いよく半身を起こした。あたしはそれを、黙って見ていた。
…何よ、すっきりした顔しちゃってさ。
ヤムチャがあたしに訝しげな目を向けた。
「何だ?」
「別に」
軽くそっぽを向いたあたしの視界の片隅で、あいつが首を竦めた。わざとらしい、その態度。
「あのねえ」
あいつとの距離を縮めながら、あたしは切り出した。やっぱり、言ってやるわ。
「あんたがどんな夢を見ようと勝手よ。と言いたいところだけど、そうはいかないわよ。何であたしがそんな扱いなのよ!」
割りに合わないったらないわよね!
怪我人だからって大目に見てたら、つけあがっちゃってさ。冗談じゃないわよ!
「もっと感謝しなさいよ。もっと褒め称えなさいよ!」
そもそも、あんたの態度は人として問題ありすぎよ!
あたしが言うと、ヤムチャは黙った。そして数瞬の間を置いて、否定の言葉を吐いた。
「ちゃんと感謝してるって」
どこがよ!
それならちゃんと態度で示しなさいよ。だいたい、そんなヘラヘラした声で言われても、説得力ないっつーの。
「じゃあ何で『どけ』なんて言うのよ!」
感謝してたらそんな言葉出てくるはずないでしょ。夢は潜在意識の現われなんだから。あんたはあたしを甞めている、さっきの寝言がその証拠よ。
「何の話だ?」
「あんたさっき『どけ』って言った!!」
ヤムチャは首を傾げた。本当に、鈍いんだから。
「寝言よ!」
そう、寝言よ。寝言は夢の外界への現れ。そしてそれは絶対なのよ。
例え本人にその記憶がなくてもね、あたしはその深層心理が許せないのよ。
あいつは再び無言になった。きょとんとしたその顔つき。
しらばっくれたって無駄よ。絶対、吐かせてやるんだから。だいたいあんたは、いっつもそうやって黙って時間を稼ごうとして…
「あっははははは!!!」
あたしの予想は外れた。ヤムチャはまったく唐突に、脈絡もなく笑い出した。
「何よ。何で笑うのよ!」
あんた失礼すぎよ!少しは自分の立場ってものを…
「だっておまえ…」
だって、何よ。
ヤムチャはその続きを言わなかった。あたしも訊けなかった。頬に触れる優しい手に、あたしの心は奪われた。
ちょっと!いきなり何…
その言葉も言えなかった。
あたしに口づける優しい唇に、あたしの心は奪われた。

一時自由を許されて、あたしはあいつの顔を見た。
誤魔化そうとしているわけじゃないことはわかった。
そうだったわ。こいつはそんな器用なやつじゃない。そんなことが出来るなら、今までだってそうしたはずよ。逃げたりなんかするはずない。
でも…
その瞳の奥にあるものをあたしは見た。緩く輝く優しい光。

…何よ、その目は。
またそうやって、何も言わずに済ますわけ?誤魔化すよりもっと悪いわ。まったく、ズルいわね。

あたしはその言葉を言わなかった。もとより言えるはずもない。再びあたしの唇が、あいつに捉えられた。


…本当にズルいわよね。
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